密室2

 瞬間的に人口密度の上がった本部長室で、芳村は小野と吉田に事件を最初から説明し直していた。30分程度を掛けて時間軸は死骸の見つかった昨日未明に到達する。

「それで現在、その写真の死骸は当署の遺体安置室で保管しています。正体を究明する事も重要であると考えますので、可能であれば早めに科警研か医科大の方へ移送したいと思いますが如何致しましょう」

 県立医科大は県内で唯一の司法解剖を行う事が出来る法医学講座が存在する。しかし、サイズを考えると人間よりは獣医の方が適任のようにも思えた。だが残念な事に、県内には獣医学を教えている大学はなく、青森の北里大きたざとだい及び岩手の岩大がんだいのみが専門的な学部を備えていた。

 今からどちらに協力を要請したとしても、到着には時間が掛かる。幾ら警察でもヘリを大学構内に飛ばして教授なりを乗せて戻って来るなんて行為は出来ない。

「仮にその死骸を解剖したとして、正体を掴めるのか?」

「可能性はあります。採取された液体の件も含め、何か分かるかも知れません」

「……分かった。取りあえず話を続けてくれ」

「はい」

 時系列は進んで朝になり、芳村が主導となって捜査本部に雪崩れ込んだ件で吉田の顔付きが険しくなった。何か言い掛けるも、目の前にチラ付くICレコーダーや記者たちの視線でゆっくり口を噤む。

 県警本部で行われた2回に及ぶシミュレーション結果の纏めが小野と吉田に手渡された。吉田はページを捲る度に顔色を忙しく変え、怒っているのか嘆いているのか本人もよく分からない状態になっていた。打って変わって小野は1枚1枚に時間を掛けて目を通している。

 吉田に遅れる事、約20分。ようやく小野はシミュレーション結果を読み終わった。

「…………もう少し、良い結果を期待していたんだが」

「残念ながら現状としてはこうなる可能性が大かと思われます」

「事前に避難を促す手は使えないのか」

 誰もが思っている事を吉田が口にした。しかし、それこそ至難の業もである。

「では参事官。住民たちに、どう説明されますか」

「どうもこうも、危険だから逃げるようにと」

「何がどう危険なのか。警察として明確に説明する必要があります。ただ"危険だ"では住民たちも納得しないでしょう」

「まぁ……どちらかと言うと公表は出来ない部類だな」

 小野は席に深く座り直しながらそう言った。少し考える時間が欲しいのか、周囲を見渡している。何もない所を見つめたいらしいがこの状況ではそうもいかない。

「……それで、警察側の姿勢を固めたい訳か」

「少し違います。固めたい事は正解ですが、我々はこれと戦う状況を回避したいと考えております」

「何だと?」

 吉田が食って掛かる。想定外の答えに対して納得が出来ないようだ。

「こちらが上申書になります。この場で目を通して頂きたいです」

 別のクリアファイルを取り出した。中の上申書をテーブルの上に置く。先に中を改めようとした吉田を制して小野が手を付けた。

 ページを捲る音がやけに大きく聞こえる。それぐらいにこの部屋は静まり返っていた。上申書を読み終わった小野は1度だけ深呼吸すると吉田に手渡し、俯いて何か考え事をし出した。上申書を受け取った吉田はページを捲る度に顔が赤らみ始め、読み終わると共に高速で上申書をテーブルに叩き付けて激昂した。

「職務放棄も甚だしい! こんな物は上申書ではない!」

 すっかりICレコーダーと記者クラブの存在も忘れた吉田は怒鳴り散らす。その上申書を作成した堂本と芳村も、吉田の言い分は納得しつつ冷静に対応した。

「現段階では我々の装備する火器も有効とは言い難い状態です。さすがに30口径であればダメージを与えられると思いますが、撃てる銃の数が少なすぎます。山に火を放つぐらいの何かがないと対抗出来ません」

「バカも休み休み言え! 警察がしていい事か!」

「では、県警に所属する約1万人全員。命を捨ててでもこれの侵攻を阻止すると言うお考えで宜しいですか」

 芳村に続き、ここで畳み掛けるように堂本も喋り出す。

「現実的に考えて、我々がどうこう出来る相手ではないと結論付けた故の行動です。正面からぶつかり合って甚大な被害を出すよりマシな選択肢だと思います」

「それにしたって"県警としての全面的な阻止行動は一切行わない"とはどういう了見だ!」

「本機総勢で100名に満たないんです。どうあがいても我が県警の正面戦力はそれだけです。正体の分からない敵にその100名をぶつけて全員死なせたら、もう我々に出来る事はありません。食い散らかされた隊員の死体を遺族に見せても構わないと仰るんですか」

「警備部長の私としては絶対に回避したい結末です。その後の立て直しも非常に困難となるでしょう」

 壊走にしろ崩壊にしろ、受け入れられるものではない。警備部長も口を挟んだ。

「治安警備こそ機動隊の主たる任務ではないか! それを放棄するなど!」

 吉田はすっかり頭に血が上っていた。これでは着地点を見出す事なんて難しい。本部長室に押し掛けて間もなく1時間になろうとしている。そろそろ秘書室の連中も何か行動を起こし始めるだろう。

「放棄するも何も、勝ち目のない相手にどう対処しろと仰るんですか」

「管機でも召集すればもっと人数で圧倒出来る筈だ! とにかく県警として表立って何もしないのは面子に関わる!」

「では参事官は面子に拘って隊員たちを死なせても良いとお考えですか」

「警備部を預かる者が何だその言い草は!」

 流れが少し変な方向に行き始めた。吉田と警備部長の口論か、抗論になりつつある。ここで芳村は向きを変え、吉田に近付いてこう言い放った。

「参事官。もしも機動隊員たちを面子のための駒だとか、それぐらい程度の存在と考えておられるのでしたら、我々はそんな人間が牛耳る組織に居たくありません。明日にでも退職届を持って全員でもう1度ここに押し掛けます」

 吉田の顔が更に歪み出す。僅かに歯ぎしりまでも聞こえた。奥の手としておきたかった"職業選択の自由"をこの段階で鞘から抜き出す事になるとは芳村も考えていなかったが、これは押し問答を短くするための切り札でもある。

「……脅迫のつもりか」

「どう受け取られようと結構です。再度申し上げますが、我々はこのシミュレーションが現実となる可能性が非常に高く、その発生を危惧しております」

 芳村が言い終わると共に、沈黙が訪れた。長くもあり短い静寂を小野がやんわりと収める。

「吉田くん。少し、下がってくれ」

「しかし!」

「君も含めて私の左右にある物をもう1度見て欲しい」

 ここで吉田の顔色がようやく戻り始めた。さっき自分が吐き出した全ては記録されてしまっている。それをどう料理するかは向こう次第だ。もう散々言い放った後だが、これ以上の何かを記録されるのは吉田としても立場を危うくするだろう。

「……はい」

 納得しきってはいないが、役職の意識が自制心を働かせた。小野よりも後ろに一歩だけ下がる。

「芳村くん。君も落ち着いて、離れてくれ」

「失礼しました」

 促された芳村は元の位置に戻る。小野は俯いたまま平戸に問い掛けた。

「平戸くん。これは、近い内に起こる事なのか」

「断言は出来ません」

「では例えば、このまま来年になってしまう可能性もある訳だな」

「…………それも断言は出来ません」

 小野は顔を上げて再び全員を見回す。その顔は、警察官僚と言うよりも年相応な男性の表情だった。

「全員知っていると思うが、私は来年で定年だ。穏やかに過ごしたいと思っているんだがね」

「もしも定年される前に事態が発生した場合、本部長がその時に少しでも被害を減らす事に尽力された方として見送られるか、何もせずに甚大な被害を招いた疫病神として庁舎から蹴り出されるか、全ては今日に掛かっています」

 吉田が刺し殺すような目付きを平戸に向けるが平戸は臆さなかった。堂本はこの辺でタブレットの準備を始めようとするも、小野の発言で意味を失くす。

「……分かった。部長と理事官がこれだけ押し掛けているんだ。異常な事態が起こりつつあるのは確かなんだろう」

「ですが本部長」

「覚悟を決めたよ。最後の日に罵声を浴びながらここを出たくはない。それにだ、記者クラブが居るって事は、是が非でもとの思いがあってなんだろう」

 どうやら、腹を読まれていたらしい。だがこれは少し考えれば分かる事だ。単に部長クラスが押し掛けただけでは説得力に欠ける。首を縦に振らざるを得ない状況を作り出すのであれば、マスコミを加えた方がより効果的だ。

「…………本部長がそう仰るのでしたら、私は従います」

「無理に言わなくていい。だが、適時サポートはしてくれると有難い」

 そこまで言うと小野は立ち上がった。

「我が県の治安に携わって来た諸君らは既に承知の通りだが、ここ数年の間で本部長が直接関わる、或いは指揮をするような事件は起きていない。だから、至らない点は非常に多いと思う。その辺も踏まえて、最悪の結末を回避するためには何が必要なのか、どうすれば良いのか、どう考えているのか。一通りを聞かせて欲しい」

 取りあえず、芳村たちの願いは叶った。しかし問題はここからである。巻き込むべき存在は多い。管区警察局、公安委員会、県庁、自治体、消防、病院、そして自衛隊。これらを如何にして団結させるか。

「だがまず、秘書室の方を落ち着かせたいから通してくれ」

 小野が蚊帳の外になっていた秘書室に声を掛けるため動く。壁となっていた各部の部長と理事官たちはモーゼの十戒の如く道を作る。約1時間に渡って閉ざされていたドアが開かれた。

「済まない。込み入った話になりそうだ。今日は誰かと会う予定なんかはあったかな?」

「いえ、特に」

「分かった。緊急以外ではノックしないでくれ。外線、内線共にそちらで対応して欲しい」

「承知しました」

 ドアは小野の手によって再び閉じられた。再び椅子に戻り、引き出しから紙を数枚取り出してペンを持つ。

「この件をここまで大きくしたのは、芳村くんだね」

「そうです」

「具体的に、まず我々が出来そうな事を教えてくれ。準備もそれほどせず、すぐに動けそうな事はあるか」

 芳村は小野の質問によって頭をフル回転させる。機動隊は既に警備部長の計らいで本部班が伊達署に移動済み。同2個小隊と銃器対策部隊も準備を進めている最中だ。ヘリは移動にも整備拠点を設けるのも時間が掛かる。これは後回しでいい。となると……

「……現状、伊達署だけのPCによる巡回は、早期発見が難しいと思われます。異常事態が迫っているとは言え、まだ通常業務を捨てていい段階ではありません。交通部の力をお借りして、交機の協力による巡回の強化は実現可能かと」

「交通部長、交機隊はこの事態を知っているのか」

「まだしっかりとした情報は渡せていません」

「では今から詳細を報せて、向かわせられる車両があればそうしつつ、巡回のスケジュールなりを作成してくれ。伊達署との連携を密にし、生物の早期発見に備えて欲しい。ここの電話を使って構わん」

「はい。失礼します」

 電話に取り付く交通部長を尻目に小野はまた芳村に問い掛けた。

「他には」

「可能であればですが、住宅地と森に接している一帯に住む人たちを遠ざけたいと考えています。これだけでも死者数を減らせるのではないかと思います」

「それは少し難しいな。例えば地滑りなんかが起きようとしている場合は県知事に立ち退きの要請を出して、知事側から指示が出れば避難をさせる事は出来る。しかし今回のようなケースでは、今の段階で立ち退かせるのは厳しいだろう」

「避難させた住人たちの衣食住についても考えなければならん。警察がそこまで保障するのは話が違うが、その辺まで視野に入れるとなると、県の協力は必要不可欠だな」

 不満そうな顔をしつつ、吉田も先を見据えた発言をした。どちらにせよ、警察力だけでの対応は無理な事である。

「そうなりますと、生物発見時、もしくは遭遇時のガイドライン制定が急務かと思われます」

「分かった。警備、交通、地域、生活安全の各理事官たちは、直ちに草案を纏めて欲しい。出来上がった物は各部部長に目通し後、問題がなければ私に提出するように」

 含んだ何かがある吉田も含めて、県警上層部は一枚岩として動き始めた。今自分たちがしている事はどちらかと言えば災害に備えた何かに近いが、相手はどう準備をしようとも本能のままに襲い掛かって来る嫌な存在だ。これによる被害をどうやって可能な限り抑えるか。分の悪い戦いではあるが、警察内部だけの非公式な段階で動くのはこれが精一杯でもあった。

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