密室1

 唐木と別れた後、捜査一課に足を踏み入れた芳村は、人も疎らな部屋でパソコンを叩く堂本を視界に収めた。

「お待たせしました」

「まずは鍵を預かろう」

 しっかり施錠した第一会議室の鍵を堂本に預ける。休みで居ない捜査員の椅子を適当に手繰り寄せて堂本の横に座った。自身も私用の小型ノートPCを取り出す。

「日付が変わらない内に明日用の上申書を纏めるぞ。昨日は泊まりを叩き起こされて殆ど寝てないだろう。少しでも寝る時間を確保した方がいい」

「大して寝てない事を忘れるぐらいに目まぐるしい1日でした。まだ眠くはないですけど、落ち着いたら急に来るかも知れませんね。その前に出来るだけやりましょう」

 部下たちが次第に帰って行く中、2人は作業を続けた。現在の状況、行方不明者数、死骸、液体、予想される被害と死者の数。全ては想像でしかないが、もし起こったら誰がどう責任を取るのか。記載はしてないが奥の手として"職業選択の自由"をチラつかせる事までを視野に入れた上申書は、少しずつ形になっていった。

「……上申書って言うよりは何か犯行声明に近い感じですね」

「実際、脅す事になるんだ。各部のボスが揃って押し掛ける。首を縦に振るまではテコでも動かんが、短期決戦でないと秘書室の連中が騒いで大事になる」

「室長は使えないヤツだって噂を聞いた事がありますけど、実際どうなんですか」

「全くの無能ではないが言うほど有能でもない。ただ人に取り入るのは上手いな。その事に関して俺はどうとも思っちゃいないがまぁ、それも処世術の1つだ」

 時計は22時を指そうとしている。既にこの部屋は、堂本と芳村だけになっていた。キーボードを叩く音、時たま出力されるプリンター、空調の音だけが聞こえる。

「取りあえずはこんな感じでいいんじゃないかと思いますが、どうでしょう」

「朝に各部長へ1度目を通して貰って少しぐらいなら手直しする時間はある筈だ。今日はこの辺でいいだろう。俺はそろそろ帰るがどうする」

「このまま寝ます。流石に瞼が重くなって来ました」

「仮眠室はあっちの部屋だ。トイレはドアを出て右。8時半には来るからそれまでに起きろ。いい年して上司に起こされんようにな」

「はい。では明日」

 堂本を見送った芳村は、軽い体操をしつつ背広の上着を脱いだ。ベッドに寝転ぶと同時に電源が切れるかの如く眠りに落ちる。一先ず今日は何事もなく終わった。それが何よりも嬉しかった。


 朝5時過ぎ。いつもの習慣か芳村は自然に目を覚ました。しかし1日半近くを稼働し続けた疲労は蓄積も凄く、中々起き上がる気になれない。

 仰向けからうつ伏せになり、膝を立てながらゆっくりと体を起こしていった。全身がとても重い。

「くそ、まだ中年じゃないぞ」

 とは言え40を目前に控えた体はどうにも言う事を聞いてくれなかった。何とか体を垂直に起こしてベッドから離れ、仮眠室を出る。当然だがまだ誰も来てはいない。

 コーヒーメーカーに近付いて目覚めの一杯を淹れる。それを飲み干すと近くのコンビニで朝食を買い、とにかく胃の中に流し込んだ。年甲斐もなく買ったソーセージを噛み千切ってみると、これが意外に美味い。たまにはこんなのもいいと思いつつ、ノートPCを開いて上申書を見直す。

 1時間ちょっとが経過し、今の段階では特に修正する必要もないと判断した芳村は、もう1度ベッドへ横になった。8時ぐらいまで目を瞑る事にする。寝てはいないが起きてもいない時間を過ごした。

「……そろそろか」

 時刻は7時50分。まだ人が来る気配はないが、身支度を整える事にした。

 トイレに向かって洗顔と歯磨きを済ませる。コンビニでついでに買っていたT字カミソリで髭を剃り、手櫛で髪を梳かした。Yシャツは若干シワが出来ているがまぁいいだろう。

 一課のフロアに戻ると、チラホラ出勤して来ている刑事数名が目に入った。彼らは今日の企みには当然参加しない。それ所か殆どは今日と言う日に何が起きようとしているかもよく知らない。逆を言えば知らない方が彼らにとっては色々と有利になる。仮に騒動へ巻き込まれてもそれで切り抜けられる筈だ。

 待つ事、約20分。続々と出勤する刑事の中に混じって堂本も登庁して来た。

「おはようございます」

「寝れたか」

「取りあえずは」

 第一会議室での集合まで残り40分弱。2人で上申書を人数分より少し多いぐらい印刷し、各部署ごとにクリアファイルで纏めた。

「石和田、今日も暫く席を外すから何かあれば頼むぞ」

「そろそろ何を企んでるか教えてくれてもいいんじゃないか?」

 堂本は捜査二課長の石和田に声を掛けた。昨日から起きている、恐らく上層部を巻き込んだ不思議な事態に石和田も興味を示している。気にするなと言う方が無理な話だ。

「済まんが、まだ言えん」

「どうしてだ。まさか何かしらのテロ事件じゃあるまいな。俺たちが出張るのはお門違いだぞ」

「だったらもう少し気が楽だ。場合によっちゃ何もかもすっ飛ばせる」

 含みのある言い方をしつつ堂本はカバンを手に取って、中にクリアファイルとノートPCを突っ込み始めた。そして各強行犯係の係長を集合させる。

 集まって来た係長たちは皆、一様に硬い表情だった。

「昨日から騒がせて申し訳ない。今日も恐らく、終日不在になる。何かあれば二課長に従ってくれ」

「……もしかして、辞められるんですか」

「おい」

 この事件に捜査員を1人も加えていない強行犯係の係長が妙な発言をした。隣に居た別の係長が彼を小突く。

「懲戒処分なら従うが、辞めるつもりはない。まぁ辞めたいと思った事は何度もあるがな」

 一課長が言っていい台詞ではないが、この場の空気は少し和らいだ。再び石和田二課長に断りを入れて両名は第一会議室を目指す。

 エレベーターに乗り込んで第一会議室のある階へ到着すると、もう一基のエレベーターから平戸が降りて来る所に出くわした。会議室を開錠して中に入り昨日と同じ人数分のパイプ椅子を並べていく。それから数分を置かずに交通や警備部の面子も少しずつやって来た。


 時刻は9時を回り、警察側だけでなく記者クラブの人間も集合を完了。昨日纏め直した上申書を全員に配布して内容を確認するため15分程度の時間を設ける。何か意見があれば挙手をするように伝えるも、手を挙げる者は居なかった。

「では記者クラブの皆さん。メモ帳やICレコーダーの準備は宜しいですか」

「ハンディの持ち込みは構いませんか」

 記者の1人が手を挙げた。芳村が前に出る。

「残念だが、映像はまだ勘弁して欲しい。その代わりICレコーダーはいくらでも向けて貰って構わない」

「分かりました」

 何人かの記者がテーブルにハンディカムを置いた。正直な所、その場に記者クラブが居る時点で本部長は首を縦に振らざるを得ないだろう。だが万一を考えると映像は残さない方がいい。

「感謝する。事が公になれば大々的に報道していいぞ。どうか、それまでは我慢してくれ」

「本部長のぶら下がりとかはさせて頂けるんでしょうか」

「どさくさに紛れて頼んで見るといい。俺はどうとも言えん」

 軽い笑いが起きた。妙な組み合わせの集団だが、不思議と一体感が生まれつつあった。

 そんな空気を感じながら平戸は喋り出す。

「1つ、補足がある。本部長室は然程広い訳ではない。だから、乗り込むのは部長と理事官クラスの人間に限定しようと思う。堂本は当事者の1人であるから来て貰うが、他の課長陣はここで待機していて欲しい。だが、我々がどれだけ本気かを知ってもらうために、テレビ電話で会議室の様子を見て貰うつもりだ。その時の役割を警備課長にお願いしたいが、頼めるだろうか」

 平戸が警備課長を見つめる。少しだけ逡巡したようだが、覚悟を決めて立ち上がった。隣に座っている警備部長が背中を叩いて激励のような仕草をしている。

「委細、お任せを」

「感謝する。タブレットを置いていくから、着信があればビデオ通話にするだけでいい。全員がこの場に居る風景を映せばそれで十分だ」

 スーツの袖口を捲って腕時計を確認。まだ予定の時刻まで30分はあるが、もしかすると帰庁している可能性も考えられる。そう考えた平戸は部長陣を集め、受話器を持ち上げて秘書室に内線を掛けた。

 3コール目で向こうが出る。室長の声だった。

「秘書室です」

「刑事部長の平戸だ。本部長はもうお帰りになっているだろうか」

「10分程前に来られました。少し早いけど構わんだろうと仰ってましたが」

「分かった。これから少し大勢で邪魔するが気にしないでくれ。ちょっとお話がしたい」

「承知しました。伝えます」

 受話器を戻す。全員を見渡して頷いた。

「予定より早く戻っているようだ。さっき言った通り、部長と理事官、それと芳村」

「はい」

「まず最初の難関を乗り越える。準備はいいな」

「可能な限りは食らい付きます」

「じゃあ課長陣、後を頼む。行くぞ」

 平戸を先頭に会議室を出る。後ろは堂本と芳村。その後ろに各部の部長と理事官。最後尾は記者クラブの順だ。

 エレベーターは他の職員の移動を妨げる恐れがあるので、非常階段を使った。そもそもこんな大人数が移動しているのがバレたら間違いなく騒ぎになる。

 幸いにも人目に付かないまま本部長室のある階まで辿り着いた。残りは廊下を突っ切って雪崩れ込むだけだ。

「……では諸君、行こう」

 非常扉を開け放つ前に平戸がそう言った。薄暗い非常階段から廊下に飛び出す。足早に本部長室へ向かい、ドアをノックした。室長の「どうぞ」と言う声と共に続々と入室する。

「な、何ですかそんな大人数で」

「ちょっと待って下さい。大勢にも程がありますよ」

 明らかに異常な雰囲気を感じ取った秘書室の連中が立ち上がる。このままでは全員での入室を遮られると判断した総務部と警務部の理事官が前に出て、秘書室側の人間を制止した。

 その隙に平戸は短いノックで向こうの応答も待たずにドアノブを捻り、大きく開け放つ。

「失礼します」

 中には自身のデスクに座る本部長こと小野おの警視長と、すぐ隣で何か話をしている吉田参事官の姿があった。

 柔和な表情の小野は、平戸と目線を合わせてゆっくり口を開く。

「どうしたね、平戸君」

「押し掛けて大変に申し訳ありません。是非ともお話したい事案がございます」

 平戸が近付くに連れて中に入る人数も増えていった。後ろの方で騒いでいる声が聞こえるが、最後に入った理事官2名が内鍵を閉めて無事に密室が完成。記者たちは小野と吉田を左右から挟み、平戸と共に180度で包囲する形になった。

「……穏やかじゃないね」

「何の真似だ。まさかストライキじゃあるまい」

 吉田参事官の目付きが鋭くなる。この人数を前にして堂々とした立ち振る舞いだ。それを意に介さず、警備部長も前に出る。

「先ほど、平戸が申し上げた通り、お話したい事案がございます。どうかお聞き下さい」

「部長クラスがこれだけ集まって何をしようと言うんだ」

「全ては本部長と参事官にご納得頂きたいがための行動です。事は県警だけでなく県政にまで影響を及ぼす可能性があります」

 警備部長に気負けしたのか、吉田は一歩退いた。小野も手を組んで姿勢を正す。

「…………分かった、聞こう」

「本部長」

「相応に覚悟して来ているようだ。耳を傾けようじゃないか」

「ではまず、この者の説明をお聞き下さい」

 平戸の後ろから芳村が現れた。姿勢を正して敬礼し、名前と階級を述べる。

「伊達署刑事課長、芳村警部であります。昨今、当署の管内で発生しております連続行方不明事件はご承知の事と存じます」

「あれか。正直、これ以上の進展がなければ警察庁に1度お伺いを立てようとも考えていた」

「最初に臨場した警官2名も未だに生死不明と言うではないか。現場は何をしているんだ」

「申し訳ございません。ですが、私共は本件の被疑者を突き止めました。こちらをご覧下さい」

 クリアファイルから拡大印刷した死骸の写真を取り出す。小野、吉田の両名は、これが何なのか理解出来ていないようだ。そもそも一目で理解しろと言う方が無理である。

「これは何が写っているんだ」

「昨日の未明、最初に事件の発生した新興住宅地至近で車が横転する単独事故がありました。現場に転がっていたのが、その死骸になります」

 死骸。急に緊迫した2文字が出て来た事で、小野と吉田は目を見開いた。

「……これとその単独事故にどんな接点が」

「運転手の証言では曲がり角から何か細長い物が道路を横断しているように見えたとの事です。それが道路を渡り切る前に衝突しそうだと判断してブレーキを踏みましたが間に合わず、ぶつかって横転。細長い何かは恐らく体の後ろ半分を残して遁走しました。前半分は見つかっていません。現在、住宅地周辺では当署のPCがその前半分もしくは、他の個体が出現した場合に備えて警戒に当たっています」

 芳村が何を言っているのか、この2人の脳みそには情報が多すぎて処理仕切れていないようだ。まだ始まったばかりだか、長い戦いになりそうなのをこの場に居る全員が感じていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る