県警本部4

 時間は刻々と過ぎていった。記者クラブの空気はある種の緊張感を保ったまま、指定した時間の10分前きっかりに芳村が再び記者クラブを訪れる。

「待たせた。これから皆を会議室に案内する。来てくれ」

 唐木を含めた記者たちは席を離れ、芳村の後に続いた。すれ違う職員や何も知らない警官たちは「何事だ?」と言った表情でその列を眺める。記者たちもその視線を感じつつ、気付いてない体で歩いた。

 エレベーターで2回に分けて会議室のある上階に移動。芳村が第2陣を移動させている間は堂本が最初に到着した記者たちに資料を提供。記者たちがそれをパラパラと捲っている間に第2陣が到着。ついに会議室へと足を踏み入れた。

「ようこそ。壁際の椅子に座ってくれ。どれが誰にとの指定はない。人数分ある」

 平戸が記者たちにそう言った。集まっている面子が面子なだけに、記者たちは遠慮気味に椅子へと急ぐ。椅子の上には350mlのお茶が置かれており、彼らはまずそれで渇き始めていた咥内を少しだけ潤した。

「もう間もなくシミュレーションを開始します。トイレは今の内にお願いします」

 芳村の声を聴いて立ち上がる者は居ない。記者たちも事前に済ませていたようだ。それを雰囲気で確認した堂本は会議室の扉を閉める。

「資料を再度ご確認下さい。今回は伊達署に部隊や車両、物資等を事前に集積している想定で行います。1回目は機動センターからの出発でしたので到着まで時間が掛かりましたが、伊達署からであれば約半分の移動時間で済む筈です」

 記者たちは平戸の発言を耳に入れつつ資料を捲った。今回の設定では伊達署に機動隊2個小隊と銃器対策部隊が待機している状態での開始となる。1回目はさっきの発言同様、かなり距離がある機動センターから出発したのだった。そのせいかどうか定かではないが、1回目のシミュレーションにおける死者は1200人程度とされていた。

「……1200」 

 聞こえるか聞こえないかの小さな声で記者の誰かがそう呟いた。ここ最近で発生した災害を見ても、死者が100人以上出る事自体がまず稀だった。芳村が最初に配布した資料でもこの数字は目にしていたが、会議室の空気も相まって1200と言う数字が重苦しい意味を持っているのだと、記者たちは認識を改めていた。

 何より受け入れられないのが死者1200人程度と記載された横にかっこ書きで、死亡理由・捕食、と記されている事だ。自然災害によるものや意図せぬ事故から発生した何かが命を奪う事はあっても、それは近付かなければ被害は無い。しかし、今ここで想定されているのは、向こうから勝手に近付いて来て本能のまま人を襲い、食おうとしている悪魔のような連中にどう対処するかと言う、前代未聞の状況だった。

「加え、伊達署から出す部隊の陣容もある程度ですが詳細に設定しました。具体的には、現在向こうの会議室に詰めている県警捜査一課及び伊達署刑事課、地域課と警備係による臨時の対応部隊となります。それらを踏まえた上で、2回目のシミュレーションを執り行います」

 2回目は1回目と違い、OHPを使用して行われる事になっていた。これは記者たちにも視覚的に分かりやすくするためである。だがこれには、記者たちに自分らと同じ危機意識を芽生えさせるための意図も含まれていた。

 既にこの場に居る者が一枚岩になりつつある事を考えると、記者クラブも取り込んでしまった方が状況を有利に出来る。マスコミが目の前に居る状況で直訴すれば如何な県警本部長と言えど首を縦に振らざるを得ない。そうなれば、これから起こりえる事態への準備も万全とまではいかないが、それなりの所までは持っていける筈だ。と、芳村は企んでいた。

「時間になりましたのでこれよりシミュレーションを開始します。我々の行動がどう始まるかは、前回同様で開始5分後にえんぴつを転がして決定致します」

 平戸の舵取りによって、いよいよ2回目のシミュレーションが始まった。


 開始から5分が経過。現時点における犠牲者の数は前回と同じである。ここで芳村がOHPの映し出す中でえんぴつを転がした。

「2番、住民からの通報が入りました。指令センターからの情報が我々に届くまで前回は5分でしたが、今回は2分半とします」

 警備部長が咳払いとも唸り声とも取れる声を出した。1番は巡回しているPCからの入電。2番は住民からの通報。1番であればここへ情報が真っ先に飛び込むが、110番通報は県内全域からの入電となるため、最初に指令センターが通話先の位置情報を知る事になる。それが何の通報なのか精査される時間も含むと、我々が知るまでのタイムラグは当然発生する。さっきのは2回目のシミュレーションでも初動が同じになった事への苛立ちのようだ。

 驚くほどにゆっくりとした時間が流れる。もし実際に指令センターがこの通報を受け取っていれば、やり取りしているだけで2分半なんて瞬間的に過ぎ去っている筈だ。

「2分半経過。生物群が住宅地に出現し民間人を捕食しています。現状は住宅地一帯に波及しつつあり。状況に対する指示を願います」

「巡回中のPCは現場に急行し初動対応に当たれ。伊達署の待機部隊は直ちに出発。前面は本機及び銃対、後方は伊達署対応部隊が担当。接触は可能な限り回避しつつ非常線を構築しながら民間人の避難誘導を実施せよ」

「警備部長、発砲の基準を明確にしないと現場が混乱する恐れが」

「こちらに興味がなさそうな場合は刺激するな。向かって来ている、或いは接触を回避する事が不可能だと判断した場合は発砲を許可する。その際は最小単位の部隊指揮官の判断で許可を出して良い。だがまず、逃げる事を優先して構わない」

「承知しました。通達を出します」

 参事官が口にした懸念事項は無事に解決された。最小単位は分隊長や班長クラスの人間である。必然的に最上級指揮官の立ち位置は後方となるため、最前線で手足となる隊員たちを纏めるのはやはりそう言った人間たちだ。彼らが脅威と対峙した時、もしくは自分を含めた部下たちに危機が迫りつつある時、上の判断を待っていたのでは確実に誰かが死ぬ。そこを食い破られれば、穴は広がり続け、死者の数は鰻登りとなるだろう。

 その被害は結局の所、県警を建て直されるか否かまでの問題に発展する可能性もあった。

「交通部長、交機隊に周辺の交通遮断と避難誘導の協力を要請します。宜しいですか」

「お任せします」

 警備部長はここで初めて、交通部長に声を掛けた。交通機動隊は主要幹線道路におけパトロールを主とした部隊だ。距離のある他の警察署から応援を向かわせるよりも近くを巡回中の車両であれば到着時間は短縮出来る。それが例え1両であっても、現地に居る人間にとっては心理的に大きな支えとなるだろう。

「こちらも近場で巡回中の機捜車両を向かせようと思います。構いませんか、刑事部長」

「許可する。万一の際は前面に加わって撃ってもいい」

 資料を捲りながらシミュレーションを静観するだけだった機動捜査隊の隊長も初めて口を開いた。人間が相手であれば百戦錬磨を誇る機捜隊員だが、その経験が何所まで通用するかは何とも言えない。しかし彼らの殆どは凶悪犯を相手取る性質上から拳銃を携帯している。対抗出来る手段は少しでも多い方がいいのもまた事実であった。

 最も、生物の急所すら分からない現状では、何所を狙って撃てと明確には言えないのがまた問題だ。伊達署に保管してあるあの死骸を今からでも科捜研に送って、解剖をして見た方がいいのではないかと、芳村は頭の片隅で考え始めていた。

「伊達署から部隊が急行、到着まで20分の予定です。機捜及び交機隊の到着は10分と想定。巡回中のPCは2分半後に到着」

 手駒が増えた分だけあって、どうする事も出来ない手持ち無沙汰な時間も減った。しかしこの時間をどう使うかが被害を抑える重要な役割を担っている。

 初動の段階で被害をある程度に押さえ込めれば、無人化した地帯を作りながら後退が出来る。幾ら連中とて何キロも餌がない状態が続けば引き返すだろう。その後にどんな行動に出るかまでは予想出来ないが、県警としてはそこまでの受け持ちで勘弁して欲しいのが正直な所だった。

「ヘリを出して現場の様子を中継させてくれ。それと至近の警察署に連絡して災害用の備蓄品を放出する手筈を整えて欲しい。災害対策課長、頼めるか」

「分かりました。直ちに」

「ここにある分も計上していい。最終的に避難民を何所に収容するかは分からないが、その時に必要になるだろう」

「参事官。消防への説明はどうしましょう。119番も複数入電している筈ですが」

「私がやります。警備部長、基本的に車両はおろか人員も向かわせないようにと伝えて宜しいですか」

「機能移転準備の件も忘れないでくれ」

「承知しました」

 警備課長が1回目のシミュレーションを思い出して参事官に声を掛けた。警察の犠牲者を可能な限り出さない事は大前提だが、それは消防士や救急救命士も同様だ。言葉は悪いが、警察は人の替えが効く組織だ。しかし消防はそう簡単ではない。特に救命士は育成に時間が掛かるだけでなく、経験がものを言う存在だ。連中の餌になる事は避けなければならない。

「計10分が経過しました。巡回中のPCが現地に到着。避難誘導とスピーカーによる呼び掛けを実施します」

 現在も新興住宅地周辺で巡回を続けている彼らは常に強い緊張の最中にあるだろう。いつ遭遇するかも分からない存在を警戒し、一たび事が起これば生物には可能な限り接触せずに住民の避難誘導を行わなければならない。予備の弾丸も携行しているとは言え、前述した通り何所に撃てば致命傷になるのかも不明な存在が相手だ。実際に接触してしまった際は思い切って逃げてしまうのが賢い選択肢だろう。

 何れにしろ、全ては立ち回り方1つで変わる。臆病過ぎては仕事にならないが、勇敢な行動力は死に直結するのだ。


 ゆっくりとでも時間は流れ、ようやく30分が経過。シミュレーションが進むに連れて記者たちの顔色は次第に悪くなっていった。

「家で寝たきりの親族を助けて欲しいとの相談が」

「却下する。既に生物の波に飲まれている場所へ行く事は許さん」

「避難民の車が危険な運転をした結果、それを避けようとした大型トレーラーが電柱を薙ぎ倒して民家に突っ込みました。現地から信号が消灯したとの報告が入っています」

「事故現場周辺は交通を遮断して徒歩での避難を促すよう臨場している交機隊員全員に通達願います」

「交通管制センター、事故現場の周囲500m圏内で信号の消灯を確認」

「現地から電線のスパークにより火災発生の報告」

 避難に伴って発生するであろう様々なトラブル。それが矢継ぎ早に起こる中、警備部の陣営は顔色一つ変えずに捌いていた。特に記者たちが驚いたのは、取り残された或いは逸れた家族を助けてくれ、探して欲しいとの申し出を全て断らせている点である。

 確かに今の段階で事態が発生すれば警察に出来る事はたかが知れている。人間を相手にする事を前提にした装備で、生物の群れに飛び込むなど自殺行為に過ぎない。それは記者たちにも分かっている事だった。

 だがもし自分たちが、紆余曲折を経て"助けられない存在"になった時を考えると、誰も言葉を発する気にはなれなかった。

 その後、シミュレーションは1時間きっかりで終了。時刻は17時を回った所だ。今回はトレーラーの事故と併発した火災によって部隊の到着が遅れ、先に臨場していた機捜隊員が散発的に発砲すると言う起こって欲しくない事態が発生。銃対の布陣がもう少し遅れていたら間違いなく殉職者が出ていた。取りあえず今回も正面衝突は避けられたものの、死者の数は1回目を上回る1600名に昇った。これは信号の消灯に伴って大勢の逃げ遅れが発生。交機の避難誘導が間に合わず、渋滞の一部が波に飲まれた結果だった。

「以上で2回目のシミュレーションを終了します。本日はこれで解散と致します。急にお集まり下さって誠にありがとうございました。明日、本部長が10時前後に帰庁されますが、1時間前にここへまた集合願います」

 平戸が解散を宣言。煮え切らない警備部や地域、交通部を含めた面々は帰って行った。

「記者クラブの方々も本日はここまでとなります。お付き合い頂きありがとうございました。明日、忘れずにお集まり下さい。因みに本件に関する事は是非ともにオフレコでお願い致します。シミュレーションで感じて貰えたかと思いますが、本件は大きな混乱を招く可能性を孕んだ事件ですので」

 堂本が記者たちの前に立って腰を折った。すっかり閉口してしまった彼らも足取り重く会議室から出て行く。そんな中、あの唐木だけは座ったままメモ帳にペンを走らせ続けていた。

「……熱心だな」

 横から近付いた芳村が声を掛けた。

「質問は可能ですか」

「答えられる限りは答えようと思う」

 芳村は唐木の隣に座った。ポケットから鍵を取り出した平戸が近付く。

「閉めるぞ」

「質問があるそうです。後で鍵を堂本警視に渡しますので、許可願えますか」

「亡くすなよ。この企みも水泡に帰す」

「はい」

 平戸から鍵を受け取った芳村は、それを背広の胸ポケットに収めた。

「芳村、その鍵は必ず俺に渡して欲しいがそれ以外でも用がある。明日までに色々と纏めなきゃならんぞ」

「分かっています。後ほど」

 2人を残して最後に堂本が出て行った。静まり返った第一会議室。空調の音だけが静かに聞こえている。

「何を聞きたい」

「まずこのシミュレーションですが、生物に対する様々な行動は県警としての総意と考えて宜しいですか」

「総意にしたいんだ。だからこうやって集まり、悪巧みのような事をしている。あくまで、全警察官の人命を優先する。県警はその家族も抱えているんだ。寄って集って食い殺され数センチ四方になった肉片を持って行って、これがご主人です、なんて言うような結末は避けたい」

「まぁ、エイリアンの巣の中に居る人間を救うのは相応の準備がないと不可能ですからね。それが警察のする領分でない事も分かります。じゃあ次に、明日の直訴が上手くいったとして、その次の段階はどうやるおつもりですか」

「段階としては県全体の諸機関を巻き込んだ会談が必要になるだろう。公式か非公式かはまず置いておくとして、認識の擦り合わせはしないといかん。特に公安委員会をどう丸め込むかだな。そこを突破しない限りは県庁に辿り着けない」

「では自衛隊はどの辺で声を掛ける予定ですか」

「県知事さえ折れれば、後は本部長と一緒に福島駐屯地へ行って貰って土下座でも何でもして頂く。上に掛け合わないといけないんであれば仙台の方面総監部に管区局長同伴で泣き付けば相応に動きがある筈だ。管区局長は警視総監の下の警視監殿だからな。長官から数えても上から3つ目だ。そんなのが鼻水垂らして方面総監殿に謁見して見ろ。現場レベルで警戒態勢を引き上げるぐらいはしてくれるんじゃないか」

 実際問題として、その前に警察庁への打診も何かしら必要だった。そこを抜きにするのは組織としても宜しくない。既に宜しくない事をしている訳だが、取りあえずでも筋を通す必要はあるだろう。

「分かりました。あくまで予定として留めておきます。因みに、明日は誰が本部長室で舵取りをするんですか」

「まず刑事部長と警備部長に前に出て貰う。その後は俺が今の状態を親切丁寧にご説明して、これだけ役職のある大勢の人間が危惧している事を理解して頂く。本部長が折れれば参事官は従わざるを得ない。あまり長考されると秘書室の連中が騒ぎ出すから、スピード勝負になるな」

「ちょっと戻りますけど、自衛隊が来るまでの警備はどうなります」

「本機だけでは手が足りない。管区機動隊も呼んで広範囲を見張る事になるだろう。その準備をしている最中に来られると、さっきのシミュレーション通りの事が起きるかもな」

「……出て来ると思いますか」

 急に唐木の口調が重たくなった。さっきのシミュレーションで刻まれた1600と言う犠牲者の数が、何処かで引っ掛かっているようだ。

「…………最悪の時は仕方ない。だが、何もしないのはもっと最悪だ」

 芳村は袖口を少しだけ引き上げて腕時計を確認した。何だかんだ15分ぐらいが過ぎている。

「そろそろいいか?」

「はい。明日、お会いしましょう」

 施錠を済ませて第一会議室を後にした。エレベーターに乗り込んで芳村は先に降り、堂本の待つ捜査一課へ向かった。唐木はそのまま下階の記者クラブへ向かう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る