県警本部3
芳村の突飛な発言を実行に移すべく、第一会議室に集められていた面子は2時間後の集合と言う事で一旦解散。それぞれに自分の部署へと戻って行った。
芳村・堂本・平戸は第一会議室から一番最後に退出。施錠も済ませてエレベーターに乗り込み、記者クラブを目指した。
「シミュレーションは見せてしまうとして、その他は具体的にどうするつもりだ」
堂本が現在の階数を表示する液晶を見たまま芳村に訊ねた。芳村は朧げに天井を眺めながら答える。
「簡単です。彼らを巻き込んで我々が本部長に直訴するその場を見せます。連中にとっては一世一代のスクープ。本部長と参事官にとっては地獄でしょうが、我々の上申を無碍にする事も出来なくなるでしょう」
「本部長は来年で定年だ。あんまり尖った事は言うなよ」
平戸が釘を刺す。最後の1年、出来るなら何事もなく過ごしたい所だろう。
「さぁ、それは本部長次第ですね。アレに食われるか、犠牲者の遺族に蹴り殺されるか、針の筵にされて残りの人生を生きるかのどれかを選べと言われたら、刑事部長はどうします」
「申し訳ないが自分の頭に
そんな選択肢が残されているのか。いや、選択肢を選ぶと言う行為が出来る未来が待っているのかいないのか、それはまだ分からない。生きるか死ぬるかだけでも自分で選べる事すら幸運と言える結末があっても、何らおかしくはないのだ。
「全部が終わった時、使える分が残ってるといいですね」
堂本もまた、平戸と同じ選択肢がマシであると言いたげだった。
エレベーターが止まると共にチャイムが鳴る。芳村は「開」のボタンを押して先に2人を下ろし、後に続いた。
記者クラブまで続くを廊下を、平戸を先頭に歩いた。午後特有の眠たい時間。廊下を行き来する職員の数も少ない。そんな中を3人は足早に通り過ぎ、記者クラブのドアまで辿り着く。
ノックは無し。特殊部隊が突入するかのように、3人は突然中へ雪崩れ込んだ。
「さっき広報室に来たのは誰だ」
芳村が前に出て、開口一番にそう言い放つ。原稿を進めていた各新聞社の記者たちは突然の事に状況が呑み込めていない。
「…………自分です」
周りを一度だけ見渡し、やはり該当する人物が自分自身しか居ないようだと悟った唐木は立ち上がった。あくまで冷静に。そして、余裕を魅せる感じで。
「少し話をしたい。別室に行こう」
「ここでも構いませんか。書きかけの原稿もありまして」
「申し訳ないが、これはお願いではない。従って貰う」
この発言は他の記者たちにも大きな緊張を促した。しかし、警察と言う組織に出入りしてるだけあって神経が図太い人間も存在する。そんな2人が口を挟んだ。
「ちょっと待ってくれ。それが警察のやる事か?」
「連れて行く理由を言え理由を」
「まず彼と話をした後にここの全員へも公表する。約束しよう。因みに、彼が何らかの犯罪に加担した訳ではない事はここに明言する。後ろには一課長と刑事部長も居るんだ。反故にはしない」
芳村の隙のない雰囲気に、2人に続いて何か言おうとしていた記者たちはすっかり黙ってしまった。意を唱えた2人も同様、只ならぬ何かを感じ取っていた。
暫しの沈黙の後、唐木は口を開く。
「……分かりました」
唐木は3人に連れられて記者クラブを出た。残された記者たちは互いに顔を見合わせ、芳村の言った「公表する」に備えるべくICレコーダーや真っ新な手帳を用意し始める。
普段は使われていない小さな物置部屋。今より法令関係が緩かった時代は喫煙室として使われていた過去もあるここで、唐木は当然だが狭さゆえの閉塞感を味わっていた。
「こんな部屋あったんですね」
「一応、刑事部で管理している場所だ。ご覧の通り、ガラクタばっかりだがな」
部屋の鍵を持っていた平戸が内鍵を閉める。これで密室は出来上がった。芳村が資料を片手に喋り出す。
「伊達署刑事課長の芳村だ。うちの管内で発生している連続行方不明事件は、まぁとっくに承知だと思う」
唐木の顔色は特に変化ないが、目はある種の期待と少しの恐怖が混じった色をしていた。瞼も小刻みに震えている。体が僅かばかり右に傾いており、唐木の履いている革靴も右足の方だけで不自然に磨り減っている事に、堂本は気付いていた。
「これはやっぱり清水さんから連絡が行ったって事ですか」
「そうだ。我々は現在、この事件に対してどう立ち向かうか非常に悩んでいる。この事を部外者で話すのは君が最初だ。それをよく自覚して、この資料を読んでくれ。率直な意見を聞きたい」
内容が刷新された捜査資料を手渡す。さっきのシミュレーション結果も含まれたそれを、唐木は捲り始めた。
最初は相応のスピードだった動作が次第に遅くなる。穴があくような目で資料を見つめ続けていた。そして前のページに戻ったり進んだりを繰り返し、全部読み終わるまでに15分近くを要した。
「…………冗談にしてはタチが悪いですよこれ」
到底信じられないと言った表情で、半分笑いながら唐木は喋った。視線は定まらずあちこちを見ている。
「信じられないのも無理はない。だが現に、そいつはうちの死体保管庫にある。現時点での行方不明者総勢26名。そいつが仮に全長5mだとして、1匹で平らげられる数だと思うか?」
「あり得ませんね。ヒグマだって仮に人間1人を襲ったとしても、1回では食い切れないでしょう」
「では尚更、集団での行動だと思うのが理にかなってる。さて唐木君。溶解性のある液体を体外に吐き出す機能を備え、全長3m前後、性格は分からんが恐らく温厚でない事は確かだ。そんなのが少なく見積もって100匹、住宅街に現れたとしよう。何が起きると思う」
その問い掛けに唐木は答えられなかった。正確には頭の中が飽和して言うに言えなかったのだ。起きそうな事はほぼ無限大に考えられる。どれから言うべきか迷い続けてしまい、言葉にする事が叶わなかった。
「ここに書いてある予想被害は、何とか自分たちで捻り出したものだ。だが、それ以上の事や予想もしてない事が起きる可能性は十二分に存在する。我々は警察で、こんな事に対処するための組織ではない。しかし、事が起きればまず我々が矢面に立たざるを得ない。ここは日本でアメリカの州軍のように知事が取りあえずで動かせるような兵力も存在しない。我々の後ろにはもう自衛隊しか居ない。もしもここが青森で、三沢基地の至近であれば在日アメリカ軍の協力を得られた可能性はあるが、それもあくまで可能性の話だ」
「……じゃあどうするんですか」
「どうしたらいいと思う」
鋭利な刃物のような視線が唐木を貫いた。視線をズラして堂本や平戸を見やるが、そっちも芳村同様の目をしていた。
「…………どうにかして、自衛隊の協力を得られれば」
「そうだ。自衛隊以外にも県や消防、各機関の協力も不可欠だ。だがそこに辿り着くまでの間に、生物の群が出現したらどうなる。本当なら明日明後日なんて言ってる余裕はない。今この瞬間にだって起きてもおかしくはないんだ。待っている時間も惜しいが、我々は明日、県外から戻って来る本部長に直訴する。君を含めた記者クラブの全員もそこに居て欲しい」
唐木の目が大きく見開かれる。本人はまだ逡巡しているようだが、芳村・堂本・平戸は「餌に掛かった」と思っていた。
これがもし記者クラブに関係のない業界の人間だったとしたら、今の話を自社で独占する事を目論むだろう。しかし、既に芳村が「公表する」と言った手前、もう唐木には全員を巻き込むしか選択肢がなかった。
「……分かりました。因みにですけど、もし本当にそんな事態が起きるか、それとも大コケになるかまだ分からない状態だとは思いますが、最後まで密着はさせて貰えるんでしょうか」
どうやら平戸が言う通りとんでもない、もとい、肝の据わった人間のようだ。だがこれに関しては既に芳村の予想していた事でもあった。
「それは問題ない。何も起きなければ御の字だ。君はどう思う。可能性があるのに何も備えず、事が起きてから慌てふためくか、ある程度でも策を講じておいて死人を減らす事に成功するか。この2つのどっちの未来が望ましい」
「後者の方が良いんでしょうけど、ネタ的には前者の方が有難いですね。まぁ、精々見させて頂きますよ」
3人はあえて「唐木が食われて死ぬ」と言う可能性を口にはしなかった。もしも事が起き、唐木が最前線で取材を試みた結果、溶解液を浴びて動けなくなりそのまま餌と化す確率は0ではない。それとも侵攻を阻止するための砲爆撃に巻き込まれ木端微塵となるか。
どっちにしろ、木端微塵の方が苦しまずに済みそうだと3人は考えていた。あんなものに寄って集って食われるぐらいなら、砲弾の雨に巻き込まれた方がまだ納得出来る。
唐木と共に記者クラブへ戻った3人は、待っていた他の記者たちにも資料を提供。当然の如くザワつき始める記者たちを鎮めた後、唐木に言ったのと同じ事を説明した。
「皆には今から1時間後、2回目のシミュレーションを見学して貰う。さっきの結果には目を通したと思うが、これは大きなトラブル、例えば大規模な火災が発生したり停電によって信号が消失し、交通網が麻痺するような状況までは想定していない。と言うよりも、1回目のシミュレーションでそこまでは我々も頭が回らなかった。つまり」
「考え得る中でも恐らく最良の結果、って感じですか」
記者の1人がそう喋った。平戸は一瞬だけ顔をしかめたが、芳村はその発言を正面から受け止めた。
「そうだ。そもそも、経験した事がない事態と言うのは、中々に想像がし難い。もし居れば聞いて見たいが、この中で紛争地帯での取材経験がある者は?」
手を挙げる者は居なかった。しかしこれは、芳村にとっても好都合だった。
「では想像して見て欲しい。飛び交う銃弾を掻い潜り、現地の様子を写真に収め、焼け出された人々を取材する。自分の身に起こりえる最悪の事態とは何だ」
5分ばかり、沈黙が続いた。記者たちにとっても、恐らく芳村が求めている答えは単に"自分が流れ弾で死ぬ"と言う答えだけじゃない事を悟っていた。
「……中途半端に倒壊した家屋に足を踏み入れ、そこに飛んで来た砲弾か爆弾の衝撃で家屋が潰れて圧死」
「うん。いい線だ」
「避難所で寝ていたらゲリラか反政府軍の襲撃を受けて撃たれる」
「もう少し掘り下げてくれ」
「……捕虜になって生死不明になる」
そう言った記者を芳村は見つめた。見つめられる側は気が気ではなくなるが、これこそ芳村が求めていた答えの中の1つだった。
「今の答えは中々出て来るものじゃないな。交渉の材料か何かされればまだマシだが、そんな事はお構いなしな集団に捕まれば明日どうなるかは分からない。まぁ結局の所、ここに書いてある事は全て想像な訳だ。君たちだって今の質問の答えを想像だけで捻り出したと思うが、それとこれも同じだ。だからまず、その辺の事を承知しておいて貰いたい」
芳村は自身の腕時計を見やる。次のシミュレーション開始まで50分と少し。そろそろ準備に入った方がいいだろう。
平戸も芳村の仕草を見て、自身の腕時計を確認した。2人は目線を合わせて小さく頷く。
「申し訳ないが、準備があるので一旦失礼する。10分前には呼びに来るから全員揃っていて欲しい」
こうしてその場を収めた2人は会議室へ向かった。会議室では先に堂本を含めた数名が準備を進めている。道中で懐の携帯が鳴り出した事で芳村は足を止めた。
「先に行ってるぞ」
「はい、後ほど」
平戸が先に行くのを見送りつつ携帯を取り出し、液晶に指を置いて通話モードに切り替える。相手は自分が課長職を預けた松山警部補だ。
「芳村だ」
「お疲れ様です。取り急ぎで報告になります」
松山の報告は、朝からの慌ただしさを自分に再認識させるには十分な内容だった。まず県警機動センターから機動隊本部班の第一陣が到着。捜査本部を設置していた会議室に仮設の指揮所を立ち上げた。続いて銃対と機動隊員用の弾薬が搬入され、署内の拳銃保管庫に一時収容。追って装備類も到着する手筈になったそうだ。そして署内では驚くような事も始まっているらしい。
「それと署長の指示で急にですが地域刑事警備の人間をメインに射撃訓練が始まりました。手透きの連中がホームセンターに走ってベニヤ板を集めて、それで作った簡単なターゲットを台車に載せた移動目標を撃つ訓練をしています」
「結構な事だ。まさかとは思うが台車は手押しじゃないだろうな」
「ロープで動かしてます。手すりは片方にしかないんで、スタート位置に戻す時は手押しですね。まぁ、使用期限の迫ってる弾丸ですがそんなに数がある訳でもありませんから、1人大体10発程度しか撃てませんけど」
その程度を撃った所で感覚が掴めるとも思えないが、ぶっつけ本番で事に臨むよりはマシだろう。そう思うしかない。最も、撃って当たったとしても、38口径弾がどれだけ有効かについては何とも言えないが。
「分かった。態々連絡して貰って済まない」
「署内、それなりに殺気立っています。本部班が来るまでは何所となく穏やかでしたけど、流石に出動服着た連中が来るとそうも言ってられなくなりますね」
「万一への備えだが、何もなければそれに越した事は無い。明日、戻って来る本部長に大勢で直訴に向かう。話がもっと先に進めば伊達署が前線基地になるのは明白だ。その辺の心構えもしておいてくれ」
「了解、覚悟はしておくよう触れて回ります」
「頼んだ。これから夜になるまで連絡が取れないと思う。何かあれば一課の方に直通でいい」
「承知しました。それでは」
通話を終わらせて携帯を懐に戻した。エレベーターに辿り着いて上階のボタンを押し、第一会議室を目指す。
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