忍び寄る恐怖3

 事件の翌日。伊達署には捜査本部が設置され、何が起きたかの究明が急がれていた。現状としては死者が1名。警官を含めた行方不明者14名と言う前代未聞の事件に、捜査本部へ出入りする刑事たちの表情は険しかった。

 鑑識からは複数名のマル被に襲撃されたと思われる全4軒の敷地内で、物を引き摺ったような痕跡が見つかったとの報告が上がっていた。家や敷地内に残されたその痕跡は全て森の中に向かって続いてるものの、その先を探す作業は難航しているそうだ。そして、島田と大西の両名が乗っていたパトカーの周辺からは、地面にめり込んだ38口径弾が2発見つかっている。両名の拳銃が手元に無い以上、これがどっちの放った弾丸なのかはまだ分かっていない。

 採取された謎の液体を科捜研で分析に掛けた結果、いまいちよく分からないとの返答があった。曰く、ある種の化合物と成分的には似通っており、物を溶かすと言う共通項もあるのだが、どうやら一定時間が過ぎた所でスライムのような状態に変化する謎の性質を持っている事が判明。1軒目の敷地内にあった液溜まりも対策班が採取した時点では既にある程度まで固体化しており、パトカーのフロントガラスと車体の一部を溶かしたものも同様だったそうだ。

 しかもその時点では溶解が収まっていた事から、成分に何らかの変化が起きている事も分かった。原液は除去作業の段階で希釈されたものしかないため、100%の成分を持つ液体での実験は不可能だが、こんな性質を持つ化学薬品は当然作られていない。おかげで科捜研の人間は頭を抱える羽目になった。

「じゃあ何か。マル被はどうにかしてこんな液体を作り出し、それを家にか害者にかは分からんがとにかくぶち撒け、最初の段階で作用する溶解に苦しんでいる所を執拗に暴行もしくは斬り刻むなり何なりして、家の中の物を手当たり次第にひっくり返し、部屋一面を害者の血で塗り替え、その場で殺したのかもしくは森の中にズルズル引き摺って行ってトドメを刺したと。もしこれが本当だとしたら相当に頭のイカれた野郎だな」

 伊達署刑事課の課長こと芳村よしむら警部が、鑑識からの報告書や現場検証等の書類を見ながらそう零した。昨今としては珍しい凶悪事件の発生に伊達署の空気は張りつめている。

「血痕や肉片の乾き具合等から推測するに、犯行が行われたのは深夜。床の血溜まりも考慮に入れると人間で2人分の致死量に相当。寝室の窓ガラスはサッシも破壊されていましたが、例の液体が付着して半固体になっている部分を確認しています。恐らく窓に液体を掛けてから侵入したものと思われます」

「因みにその液体はどの部分にあった。鍵の所か?」

「ガラスは殆ど粉々でしたので何とも――」

 松山警部補もお手上げと言った表情だ。山狩りを行おうにも人手が足りず、範囲も広いため長期の捜索になるのは間違いない。闇雲に人員を投入して撃ち合いになる状況を招くのだけは避けたかった。

「分からん事だらけだな。これじゃあ捜査方針なんか立てようがないぞ」

「至極初歩的な事ではありますが、パトロールは強化しております。空き家の調査や入居者の少ない集合住宅、畑の作業小屋等を回りつつ不審者への警戒を強めてまして」

「それより遺体の検死はどうなってる」

 芳村が話しの腰を折って松山に質問した。急なその言葉に驚きつつ、資料を取り出して回答する。

「えー……害者は古川将一。直接の死因は失血死だそうです。ただし、右手の指数本と左肩、両足の切断面はズタズタにされており、これを鋭利な刃物で切断した可能性は皆無との事です」

「じゃあ何だ。ノコギリだとでも?」

「……その、何と言いますか、嚙み切られているように見えると所見には書いてありまして」

 耳を疑う内容に、芳村は椅子へ深く腰掛けた。刑事課フロアの天井を暫し眺め続け、視線だけを松山に向けて喋り出す。

「熊って事か?」

「まぁ居ないとは言い切れませんが、熊がそんな得体の知れない液体を作れますかね」

「無理だろうな。それか毒を口から吐く新種の熊かも知れんぞ。そうすりゃ色々と説明はつく」

「それで上が納得したらこの仕事辞めますよ」

 溜め息まじりにそう言った松山も自身の椅子に力なく座った。書類をデスクに投げ出し、ペットボトルのお茶を手に取って一口含む。

「ドラレコの映像は?」

「前方のはフロントガラスとルームミラー諸共に溶けちまいました。後方のは当然ですが状況が一切分かりません。入っていたのは銃声と……島田の叫び声でした」

「……今の質問は忘れてくれ」

 どんよりとした空気が流れる。午後から行われた捜査会議は、予想していた事だが通り一遍のものとなった。取りあえずでも県警本部の捜査一課長が顔を出して激励や捜査への指示を下すも、何所まで効果があるのかと言った感じである。恐らく、次の犠牲者が出れば県警も本腰を入れて来るに違いない。だがそれは同時に、伊達署の人間が無能だと言う事の証にもなってしまう。

 次の犯行を未然に防ぎつつ、もし可能なら容疑者に近付く決定的な証拠を掴みたい。伊達署捜査員たちは言葉に出さずともそう決意した。

 それから2日後、4軒の周辺を捜索するため80名近い人員が森の中に分け入った。住民たちの物と思われる破れた衣服の一部分や血痕、最初に駆け付けた大西警部と島田巡査部長が所持していたニューナンブが発見されるも、それ以上の痕跡を見つける事は出来なかった。ニューナンブはどちらもシリンダーの全弾が撃ち尽くされているだけでなく、フレームには血痕まで付着していた。鑑定の結果、大西と島田両名の血液である事が判明。まだ行方不明の扱いではあったが、2人の生存はこの時点で望み薄との結論が下された。同時に最初の家の敷地内で発見された銃弾は島田が発砲したものである事が判明している。

 その日の内に伊達署署長と芳村刑事課長は大西と島田の両家を訪ね、行方不明だった2人は死亡した可能性が高いと口頭で説明。せめて遺体の一部でも見つけると約束し、葬儀を行う場合は伊達署で全ての費用を賄うと告げた。

 民間人でも死亡が確認されている古河家の親戚筋には既に家主の死亡が説明がされているも、妻と子供2人を含めた他の13名についてはまだ生死不明の扱いとなっていた。こちらもそろそろ何らかの報せをしなければならないが、安易に「死んだ」等とは言えない状況だった。

 大西と島田の生存が絶望的となった事で捜査本部は周辺のパトロールを更に強化する方針を決定。夜間も住宅地を不定期にパトカーが巡回し、時には10分近く停まり続けて監視の目を光らせる等の対策を実施した。

 しかし、次の事件は起きてしまった。


 4軒の家があった場所から更に奥の方には、標高300m程度ではあるがハイキングコースが整備された山がある。そこに出掛けた近隣の老人クラブに所属する12名が夜になっても帰って来ないと、代表者からの電話があった。

 捜査本部は直ちに捜索部隊を編成。念のため全員に拳銃と予備の弾薬を携行させ、防刃防弾チョッキや防毒マスク、盾まで持たせた完全装備で夜明けと同時に送り出した。今度は県警航空隊のヘリコプター"ばんだい"と消防防災ヘリ"ふくしま"の投入も決定。これで地上と空からの二段構えで捜索が行える。

 芳村課長は自ら陣頭指揮を執るべく、ハイキングコースの入り口がある駐車場に現地本部を設置。捜索の工程を説明した。

「第1班は正規の順路で捜索を行う。第2班はコースを逆から辿って欲しい。上空にはヘリがそれぞれ1機ずつ支援に入る。もし生存者を発見し、直ちに搬送が必要な状態の場合はピックアップ要請を行え。周波数帯は統一された物を使用して指揮系統の混乱を避ける。午前11時30分を捜索の第1段階終了時刻に設定、食事休憩を挟んで1時間後の12時30分に行動再開。第2段階の終了時刻は17時とする。以上だ」

 駐車場には刑事課と地域課、警備係の人員に機動隊2個小隊が集結。万一に備えNBCテロ対策班も再び臨場した。これ等で構成された2個班こと総勢約60名が捜索を開始。ヘリも上空から山中の様子を探りつつ、ピックアップ要請に備えながら飛び続けた。

 緊迫した空気が続く中、捜索開始から15分後。第1班が異常を発する。

「こちら1班。コース上に衣服や荷物が散乱しています。血痕も多数見受けられ、森の中へ引き摺られた跡にもなっていますね」

 現段階で1つだけ明らかになった事がある。被疑者は対象をその場では殺さずに人目のつかない場所、もしくは自分が安心出来るであろう場所に運んだ上で犯行に及んでいるらしいと言う点だ。

 であれば、この一帯の住民を何所か別の場所に移動させ、人の出入りを完全に無くしてしまうのはどうかと芳村は考えていた。無論、その間の生活補償や住む場所をどうするかの問題は付いて回るが、手っ取り早い手段としては考えられる事でもあった。

「2班、1班より遺留品と血痕の痕跡発見との報告があった。そちらも十分に注意しろ。万一の際はこちらへ指示を仰がずとも撃っていい」

「第2班了解。捜索を続行します」

「こちら防災ヘリ"ふくしま"。第2班から南西に約50mの地点にある木に、何かが引っ掛かっているのが見えます」

 急な入電に芳村は地図を見やった。そこはコース外の場所で、歩ける道は存在しない。だがヘリからでは何が引っ掛かっているのか正確に視認する事は難しいだろう。

「ヘリが何かを発見した。1班2班とも行動を一時停止。休憩ではないから気を抜くな。次の指示があるまで警戒待機しろ」

 芳村は警備係長や機動隊長の竹内と協議した結果、第2班の中から刑事課より組対経験のある者1名、強行犯係として凶悪事件に複数臨場した経験がある者2名、柔剣道の全国大会出場経験を持つ機動隊員2名からなる偵察チームを編成。ヘリの報告にあった南西に約50m地点へ移動を命じた。

 5人は仲間たちに見送られながら、ハイキングコースを逸れて森の中へ入った。真上のヘリが方向を指示してくれるので迷う事はないだろう。

 最初の現場に臨場して且つ、組対経験を持つとして自分を含めたこの5名を臨時に預かる事となった刑事課の鈴森巡査部長は、全員に予めホルスターのボタンを外すよう命令した。こっちはベテラン揃いだ。熊が相手では逃げるしかないが、日本刀を振り翳した薬中やマル暴程度なら十分に組み伏せられる。そう思いながら足場の悪い道無き道を進み続けた。

 警戒しつつ移動を始めて10分と少し。5人はヘリが何かを見つけた場所に辿り着いた。

「こちら鈴森、目標の付近に到着したと思われる。どの木かもう1度指示してくれ」

「北に大きい木があるだろう。上の方に何か見えないか」

 鈴森は言われた方向を注視する。確かに他の木よりも立派で大きいのが見えた。視線を少しずつ上に向けていくと、その途中で異様な物が視界に映り込む。

「…………腕?」

 地上から約15m程の地点に、千切れた登山ウェアが見える。だがそれは、右腕だけのようだった。それ以外は何もない。

「密集して銃を抜け。本機の2人は後方警戒」

 全員がホルスターからエアウェイトを抜いた。機動隊員2名は後方の襲撃に備え、前の3人と歩調を合わせつつ進む。互いの死角をカバーし合いながら木にゆっくりと近付いていった。

 真下まで着くと、小さい双眼鏡を持っていた捜査員が詳細を探るべく接眼レンズを覗き込んだ。

「右腕のようですね。それと切断面に液体らしき物が微量ですが付着しています」

 その報告で思わず防毒マスクを取り出しそうになったが、気になるような異臭はしない事が全員を冷静に引き戻した。量も少ないため毒性がそこまで強くないのだろう。焦る必要はない。

「木の根に何かが派手に擦った跡があります。1度ここに落ちたんでしょう」

「追い掛け回されて木に登った挙句、見つかって液体を掛けられ落下。そのあとは何所ぞに運ばれてって訳か……」

 不穏な空気が流れ始める。取りあえずこの場所を地図にマーキングし、遺留品を軽く探して足早に戻った。

 報告の結果、まず捜索が1度終了してから腕を回収する事となった。30分近くに渡って中断されていた捜索も再開され、1班が発見した遺留品や血痕には鑑識が取り付いた。

 2個班は再び前進しハイキングコースを登って行く。しかしこの日はそれ以上の何かを見つける事は出来ず、17時になった段階で捜索は終了。夜になる前に捜査本部から県警に上申した事が功を成し、翌日は機動隊が総動員されての捜索が行われた。


2回目の事件発生から3日後・捜査本部

「それで、本機を全員投入してこのザマか」

 県警本部捜査一課長の堂本どうもと警視が、伊達署の芳村刑事課長に対してそう言い放った。もし自分がこの人の立場だったら同じような事を言っただろうなと思いつつ、芳村は素直に謝罪した。

 2度行われた捜索の結果は、非常によろしくないものだった。生存者の痕跡どころか遺体すら見つからないだけでなく、遺留品も初日以上の数を発見する事が出来なかったからだ。最初の事件と同じく何かを引き摺った痕跡はあったものの、それも草むらに入った所で途切れてしまっている。

「率直に考えてどう思う。どんな犯人像が思い付く」

「明らかに単独犯による犯行ではありません。複数人。5人か10人近い数で、狩りを楽しむように殺害を繰り返している節があります。依然として精製方法は不明でありますが、例の液体も考えると相応に毒劇物の取り扱いにも精通している筈です。異常は異常なのでしょうが、何所か統率の取れた動きをしているようにも見えます。同じ意思を持って行動しているのは間違いないかと」

 芳村の発言に堂本は目を丸くした。本機を総動員しての捜索を殆ど空振りに終わらせた責任者がどれぐらい無能な人間か量ろうとして聞いたみたいだが、予想外の答えが返って来た事で逆に言葉を失ったようだ。

「この事件は不明な点が多すぎます。最初の現場をもう1度調査する許可を願えますか」

「……良いだろう。ただし、次の犠牲者を出す事だけは回避しなければならない。それは分かっているな」

 既にこの時点で、まだ行方不明扱いの者も全員が犠牲になったと本部は判断していた。親族からの問い合わせも日に連れ増えている。これ以上は警察の信用に関わる問題になるだろう。

「承知しています。それでは」

 次こそは防ぐ。そして、最初の現場で何が起きたのかもう1度整理する。その気持ちを胸に、芳村は捜査本部を後にした。

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