忍び寄る恐怖2
応援として駆け付けた
一先ず互いの装備を入念にチェックし合い、拳銃の装弾を確認。新たな応援が到着する前に、入り口を起点に半径約300mの住民を一時的に避難させるべく行動を開始した。朧げな記憶だったが、近くに公民館があった事を思い出した2人は場所の確認に走った。
それが終わるとパトカーのスピーカーを使用して避難の呼び掛けを始める。この時間帯なので家に居る人は少ないだろうが、チラホラと外に出て来る姿があった。植野が呼び掛けを続ける傍らで岡が住民たちに公民館へ向かうよう指示。次いで地区会長もしくは町内会長が在宅であれば、避難の協力と公民館の開錠をお願いしたいと申し出た。
「会長さん、遠出されていて今日は留守なんです。でも副会長さんが合鍵を持っている筈です」
「御宅の場所はご存知ですか」
「はい、あれでしたら案内しますけど」
「植野。ここを頼むぞ」
「了解」
岡巡査部長が住民の1人と共に副会長の家へ向かった。それと入れ替わりに応援のパトカーも現着し、2名の警官が新たに加わる。植野が状況説明を行った事でその2名も避難誘導を手伝い始めた。
程なくして覆面車両3台と赤色灯を乗せた白いハイエースが到着。私服刑事と出動服を着た鑑識の係員たちが続々と降車し、林道の入り口に集結した。
刑事課の捜査員たちに植野が現在の状況を説明する。
「場所はこの先の道を右へ入った所になります。マル被の姿は視認出来ておらず、現場の敷地内で異臭を放つ正体不明の薬品らしき液体を確認しました。踏み込むのは対策班の応援が来てからの方がよろしいかと思いますが、更に奥の方にある住居への声掛けがまだ出来ていません。先導しますので、どなたか声掛けを手伝って頂けないでしょうか」
「
強行犯係の班長こと
分かれ道で二手になり、植野と與曽井は奥へ、鈴森を含めた3名は現場に向かった。
細い林道を抜けた現場の敷地に辿り着いた鈴森は、植野が言っていた異臭を感じ取った。武藤と宮本もまた、嫌悪感が表情に表れている。同時に謎の液溜まりも確認出来た。
「……確かに異臭がするな」
「形容し難いですね。とにかく不快なのは間違いありませんけど」
「下がりましょう。長居は危険です」
言いようのない危機感を覚えた3人は一旦その場を離れた。二手に分かれた所まで戻り、異臭がしなくなった事で取りあえず安心感を取り戻す。奥の住居に対する避難誘導がどうなったか気になり出した頃、血相を変えた植野と與曽井がこちらに走って来るのが見えた。
植野と與曽井は鈴森たちの所まで戻ると、肩で息を整えながら説明を始めた。
「3軒とも何所かしらの窓が破られてます。家の中は血まみれで人の姿がありません」
「家の外に衣服と肉片が散乱している所もありました、それと全てにではありませんが異臭と液体も」
風が林道を通り抜けた瞬間、当然だが木々が揺れ出した。説明の出来ないこの状況が5人の恐怖心を更に煽っていく。森林全体が、自分たちを食おうとしているのではないか、とさえ思えて来た。
「戻るぞ。対策班の到着を待った方がいい。こっちも相応に機材が必要だ」
5人は林道の入り口まで大急ぎで戻った。鈴森が署に凶悪事件発生の可能性有りと連絡した事で刑事課は総動員が決定。また機動隊にもNBCテロ対策班が出動した直後に出動要請が入り、2個小隊が投入される事となった。
約30分後、周囲は警察車両で埋め尽くされていた。地域課はこの時点で完全な支援に回り、規制線を展開して人の流入を阻止している。NBCテロ対策班が準備を進めている横で、鈴森率いる強行犯係の刑事たちも防刃防弾チョッキを着込み、防毒マスクの装着方法を確認をしていた。
「県警機動隊の
2個小隊を連れてやって来た竹内隊長と共に現状の確認が始まる。竹内の隣にはNBCテロ対策班の班長も立っていた。
伊達署陣営の統括を任された強行犯係長の
「現在、この林道から入った場所にある一軒家。数にして計4軒になりますが、どれも窓ガラスが割られており住人の消息も不明です。屋内に激しく争った形跡と無数の血痕、敷地内には破れた衣服や恐らく住民のものと思われる肉片が散乱。そしてこの内の3軒目までに、異臭を放つ液溜まりを確認しています。また最も近い所にあるこの1軒で本署の係員2名が消息を絶ちました。個人用受令機にも応答がありません。更に近隣の住民から寄せられた情報によれば、森の中から銃声のような音が5回ずつ、計2回に渡って聞こえたとの事です。推測するに、マル被の抵抗を受けそれぞれ発砲、撃ち尽くすも相手を行動不能に出来なかったのか全弾外れたか定かではありませんが、いずれにしろ危機的状況に陥っているのは間違いないと思われます」
地図を睨む竹内の表情は険しかった。もし仮にマル秘が銃器を所持している場合、森の中からこちらの動きは丸見えになる。最初に駆け付けた警官が消息を絶ってからまだ2時間も経過していないが、この現状を考えるに何所から撃たれたとしても不思議ではなかった。
しかも異臭を放つ謎の液体を採集し、場合によっては無毒化する作業も行わなければならない。その間に1発でも撃たれれば現場がパニックに陥るのは明白だ。
消防の化学救助隊に応援を要請して無毒化の作業を手伝って貰う事も考えた。だが消防隊の隊員たちは丸腰である。万一にでも銃撃戦の渦中に晒してしまうのは、自分たちの負担が増えるだけだ。
「慎重に進むしかなさそうですね。幸い、特車で奥までは行けそうなので、まず最初の分かれ道で一旦停止。1個小隊と対策班は1軒目に着手。無毒化と内部検索を実施。終了次第、十分に警戒しつつ戻って合流。これを繰り返せば、時間は掛かっても安全に事を運べるでしょう。もしマル害を発見した場合は搬出の支援をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか」
「お任せ下さい。それぐらいは覚悟して来ています」
「対策班長、何か問題は」
「念のため我々にも大盾を下さい。銃は撃てなくてもそれで最低限、防御は出来ます」
「よし、準備するぞ」
小型警備車が林道の入り口まで前進。その後ろには県機第1小隊が追従する。NBCテロ対策班が更に後方へ位置し、第2小隊との間に挟まれる形となった。
伊達署刑事課一同は要請があれば進出し、住民の保護や担架での移送を行う。鑑識の出番は後回しだ。安全の確保が最優先である。
「前進開始。ゆっくり進め」
進み出す小型警備車の後方から、二列に並んで盾をそれぞれの側面に構える機動隊員が追従。対策班の隊員たちも同様だ。全員が防毒マスクを装着しているので、異臭を放つ液体の間近でも簡単にやられる心配はない。
だが必然的に視界は悪くなるので、撃たれた場合の対応は難しいものがあった。
竹内隊長が定めた方針として、その際は最後尾の小隊が対策班を護りつつ後退。あとは順次に下がり、残り2個班程度になったら警備車に乗り込んで一気に林道から抜け出る事となっている。疲労度も考慮し、小隊は調査を行う度に前後を入れ替える予定だ。
5分と経たない内に、小型警備車は最初の分岐を少しだけ通り過ぎる。
「第1小隊はこの分岐より右に前進する。先頭は前方、2番目の隊員は先頭を行く者の側面を自分ごと防護しろ。それ以降は二列縦隊を維持しつつ前進」
右に入っていく道へ第1小隊の隊員たちが移動を開始。続いて対策班が第1小隊の後方に続いた。小型警備車と第2小隊はここで待機すると共に、先ほどまで第1小隊が居た空間へ第2小隊が収まる。
第1小隊の先頭を行く機動隊員の緊張感は足を進めるに連れて高まっていった。右側は後ろに居る隊員が背中に張り付き、盾で上半身の殆どを護ってくれている。左側で共に進んでいる同僚の隊員もまた、自身の前に突き出す盾を構えている手が小刻みに震えていた。
「……見えて来たぞ」
林道が少しずつ開けて来る。それと同時に、件の家も見え始めた。
「左前方にPCを確認……あれが液溜まりか」
同僚の隊員が防毒マスクの限られた視界の中に、報告にあった異臭を発する謎の液溜まりを確認した。心臓の鼓動が一層高まり、自然と呼吸も荒くなっていく。
「第1第2分隊は警戒しつつ前進を継続。そのまま家に取り付いて内部検索を実施せよ。第3と第4分隊は液溜まり周辺に展開し対策班の作業を支援。無毒化に時間を要する場合、第1第2分隊は後退して第1小隊に合流して待機。まだ時間が必要な場合は第3第4分隊と入れ替わって作業支援を継続する」
小隊長の命令一下、4個班は粛々と行動を開始。2個分隊ずつに分かれて片方は家に取り付き、もう片方は液溜まりとパトカー周辺を取り囲んだ。
対策班が携行する機器を広げて準備を進める中、第1第2分隊は左右から家の裏に回り込んで行く。特に問題も起きないまま、破られたガラスやサッシが散乱する寝室の付近で合流を果たし、第1分隊が内部検索のため家の中に踏み込んだ。第2分隊は周辺を防御し様子を見つつ第1分隊同様、家の中に入って行った。
第3第4分隊に囲まれる対策班は手透きの数名が盾で背中を護りつつ液の採取と分析を開始。緊迫した空気の中で無毒化作業が進んだ。
約10分後。家の玄関や窓が開き、内部検索を終えた機動隊員が少しずつ正面側に出始めた。2階のベランダからも何人かが姿を現す。その様子から、何も手応えが無かったらしい事を第3第4分隊の隊員たちは感じ取っていた。
「こちら第1分隊長、内部には誰も居ません。家具類の多くが倒れていて割れた食器も散乱しています。ですが、物取りではないように感じますね。財布が入ったカバン類はそのままになっています」
「分かった。液体の除去にはまだ時間が掛かりそうだ。先に分岐点まで戻って待機しててくれ」
「了解、これより分岐点まで戻ります」
家の中に居た2個分隊は玄関から外に出た。第3第4分隊はこの場に残り、対策班の作業が終わるまで防護を継続する。
それから30分近くが経過し、ようやく対策班の作業も終了した。彼らを防護していた第3第4分隊と共に最初の分岐点まで戻り、奥の方にある残り3軒の調査に向かった。再び前進を再開する小型警備車に追従し2つ目の分岐点がある場所までゆっくり前進を始める。
同じ事を繰り返すだけだが、何所にマル被が潜んでいるのか分からない事が最大の懸念だった。どんな武器を所持しているのかも不明で正確な人数すらも分かっていない。仮に4軒の家を襲ったのが同一犯だとしても、単独での犯行とは考え難い。そこから推測するに、マル被の数は少なくとも4~5名。4軒の家が同時に襲われた場合を考慮すると、下手をすれば20名近い人数が潜んでいる可能性もあった。
臨場している機動隊員は2個小隊で約40名と少し。刑事課も合わせれば50名を超す。しかし数の上では圧倒していても、それだけでは勝てない。特に相手が銃器を所持していれば、こちらは足並みを揃えると言う弊害が発生する。
「間もなく2つ目の分岐点に差し掛かります。道は左に伸びています」
特車の運転手がそう告げた。車体は分岐点を少し通り過ぎたぐらいで停車。今度は第2小隊が向かう番となった。
「よーし、第2小隊前進!」
さっきと同じ隊形で前進を始める。最前列の隊員は盾を前に構え、側面を後ろの隊員が自身諸共に盾で隠した。NBCテロ対策班もまた、その後方から追従する。
待つ側になった第1小隊の隊員たちは、第2小隊が味わったであろう孤独と恐怖が同時に押し寄せて来るのを感じていた。草木が揺れる度、顔が小刻みにその方向を向く。誰かの出動靴がアスファルトに擦れ、ゴム性特有の音が聞こえる事にすら苛立ちを覚えた。
体感的には数時間が流れたような気がした所で、第2小隊と小隊長の交信が聞こえた。第1小隊と同様、2個分隊だけが先に戻って来る。それからまた少しの時間が経ち、残りの2個分隊が対策班を連れて戻って来た。防毒マスクで表情は窺えないが、全体的に動きが悪いのが全てを物語っている。
「3軒目へ向かいます」
「第2小隊、隊列の再形成急げ」
特車運転手の発言で第2小隊長は二列縦隊の組み直しを急がせる。極度の緊張か、隊員たちの足取りは重く、慣れた動作の筈が数分も掛かる羽目になった。
何とか最初の状態に戻った事で、再び対策班を前後に挟んで前進を再開。奥にある残りの2軒を調査するのには、また数時間を要した。
結果として調査は無事に終了。警官にそれ以上の怪我人が出る事もなかった。
だが、消えた住民たちと2名の警官は依然として消息が分からないままである。救急車で搬送された男性も病院で正式に死亡が確認され、何かもが後味の悪さを残したままで幕を閉じた。
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