死骸

 最初の事件現場を再調査するための準備が進む中、深夜に単独事故発生の110番通報があった。現場は件の新興住宅地にほど近い。当番の警官たちは110番の入電で瞬間的に緊張感を強めるも、車が横転した単独事故との内容に少しだけ安堵する。いや、本来は安堵して良い事件なんてないのだが、誰も彼もここ最近の連続行方不明事件と否が応にでも比べてしまうような精神状態になっていた。

 しかし、通報して来た男の声は何かに怯えていた。交通課と鑑識が出動して現場に到着し始めたその瞬間、血相を変えた男がパトカーの前へ飛び出して来た。急ブレーキを踏んだ警官が窓を開けて怒鳴る。

「おい何のつもりだ、危ないだろ!」

「ば、化け物だ! 化け物を轢いちまったんだ!」

 すっかり冷静さを無くしたその男を宥めつつ、各車両から降車した警官や鑑識の係員たちは事故車両に近付いた。通報して来たのはこの男で且つ、車の運転手である事も判明する。

 警官たちも最初は男が何を言っているのかよく理解していなかったが、懐中電灯で照らした先に転がっていた物体を見た瞬間、全員が言葉を失って硬直した。

「……き、着ぐるみとかじゃないよな」

「この大きさに人は入れないと思うぞ。それより……これって全体の一部なのか?」

 道路には、目測で約1m近くもある、無数の足が生えた長い何かが存在した。動いてはいないが、近付くのを躊躇うには十分なインパクトだった。

 パトカーに積んである盾や警杖を取り出して警戒しながら接近。警杖の先で突いたり叩いたりするも反応は無い。もう動かないらしい事が分かった段階で、鑑識の備品でもあるブルーシートでおっかなびっくりにその物体を包んだ。持ち上げたのが複数人だったため重さはそこまで感じなかったが、左右に生える足がシートを押し戻す光景がとにかく不気味だった。

 現着した警官たちは伊達署へ応援を要請。信じられないような要請内容のため、刑事課と警備係の合同チームが駆け付けた。鑑識のハイエースに積み込まれた物体を目にした彼らもまた、言葉を失う事になる。

 何を隠そう、それはまるで、ムカデに酷似した姿形をしていたからに他ならない。しかもその大きさは通常ならあり得ないほどに大きかったのだ。

「……もしこいつがホンボシだとしたら、俺たちの受け持ちは何所までだと思う」

 再び臨場した鈴森巡査部長がそう呟く。鈴森は業務の傍ら、1人でこの事件の犯人像を考えていた。その結論の1つとして、犯人側の殺意があまり感じられない事に気付いていたのだ。

 衝動的殺人にせよ、これまでの状況は殺しのやり口が綺麗過ぎる。それに現場が全てほぼ自然の中と言う環境だけだった。誰でもいいから殺したいのであれば、犯行現場は人混みでも構わない筈だし、死体を残したって問題は無い。なのに、餌を求めて集団で狩りをするかのような一連の手口。「そこに居る。殺そう」ではなく、「そこに居る。食べよう」に近いと、鈴森は感じていた。

 抵抗されるのを承知で襲い掛かり、激しい揉み合いになったとしよう。であれば、最初の事件現場となった家の内部に犯人の靴の跡や壁にぶつかったような痕跡が残っている筈だ。しかし鑑識の資料ではそれに類するものが一切見つからず、その代わり床に無数の細かい傷跡が見受けられるとだけ記されていた。どうやって出来た傷跡かは不明だったが、鈴森としてはもしこれが犯人なら多くの答えが導き出されるような気がしたのだ。

 相変わらず何も言わない部下や同僚を余所に鈴森は荷台へ上がり込み、懐中電灯を取り出してブルーシートを剥いだ。

 グロテスクな物体が露わになった事で、バックドアの近くに居た捜査員たちは思わず後退った。鈴森はそれに構わず、さっきまでシートに包まっていた切断部分を懐中電灯で照らす。

「よく見ろ。これはおそらく全体の半分だ。残りの半分が何所へ行ったか不明だが、その辺に転がっていない事からまだ生きていると考えた方がいい」

 脅すつもりはなかったが、鈴森の発言で全員が周囲を気にし出した。暗い状況でこんな化け物に襲われたらひとたまりもない。次第に恐怖が広まっていき、辺りを気にする動作が目に見えて大きくなっていった。

「落ち着け。交通課は事故処理を優先。横転した車も急いで署に運ぶぞ。鑑識は肉片でも何でもいいからとにかく探してくれ。鑑識1名につき2名を護衛に回す。手透きの人間は3人以上でチームを組んで周辺を警戒しろ。いくらこのサイズとは言え体の半分を失って無事な訳がない。まだ近くでウロついているかも知れん。十分に注意しつつ行動してくれ」

 全員がそれぞれの役割をこなすため一斉に散る。幸いにも鑑識が肉片らしき欠片や体液の採取に成功。事故車にこびり付いた分も含めて鑑定すれば、それなりの精度にはなるだろう。だが、千切れてしまった残りの前半分を見つける事は出来なかった。

 運転手の男性の証言では、妙に長い物体が路地の角から道路へ突如として飛び出して来たそうだ。それが道路を渡り切る前にぶつかりそうな事を予想した男は急ブレーキを踏んだが、間に合わずそのまま追突。体が千切れたせいかハンドルを右へ取られて横転した。自分が人間や動物ではない何かを轢いたと言う認識はあったため、暫く車内で静かにしていたらしい。その内に外へ出ても大丈夫そうなのが分かり、ようやく車外へ出て通報したとの事だった。

「コイツは何なんだ! 他にも居るんじゃないのか!」

「落ち着いて、それは我々が調べます」

「あの大きさだと人間なんて一呑みされるぞ! 早くどうにかしないと!」

「おい、誰かそいつをPCへ乗せて今すぐ署へ戻れ!」

 男が危険な発言をしそうだと判断した鈴森は、交通課の係員にそう命じた。男はまるで凶悪犯のようにパトカーへ押し込まれ、それ以上の声を発する事なく現場を去っていく。

「……実際の所、どう思います」

 パトカーを見送った後輩の刑事が鈴森に訊ねた。しかし、一介の巡査部長に何をどうするか、組織全体の方針を決定する権利など無かった。

「判断するのは上の仕事だ。だが、俺もそれは考えていた」

 もし本当にこれがホンボシだったとしたら、1匹での行動だとは到底考えられない。これまでの行方不明者の数から考えて、少なくとも十数匹。下手すれば百に近い数が居る可能性もあった。

 ではホンボシだとして、警察に出来る事は何か。精々が住民たちを何所かに遠ざける事ぐらいだろう。こんなのが束になって襲い掛かって来たとして、その矢面を任されるなど考えたくもない事だ。明らかに警察力が及ぶ範囲を上回っている。

 そうなったとして、対抗手段はあるのか。警察でどうにか出来ないのであれば必然的に自衛隊へお鉢が回る事になる。だがそう簡単に連中を全面に押し出せるだろうか。今、目の前で起きている事に対して、各機関での共通認識が必要ではないのか。それを実現するにはどうすればいいか。この場に居る全員が捜査本部で危険を訴えながら座り込みでもすればいいだろうか。どうにかして県警本部も巻き込まないと現実的ではないだろう。待っていればそれだけで自分たちの死ぬ確率が上がっていくのだ。

 纏まらない考えに苛立ちを覚えつつ、事故処理は粛々と進んで行く。今の自分たちに出来る事はこれが精一杯なのだ。


 手早く片付けを終えた一行は、逃げるように現場を離れた。車列は伊達署敷地内の庁舎裏手に集結。通用口の管理室から刑事課に内線を掛け、泊りで仮眠中だった芳村課長にここまで来て欲しいと頼んだ。

 5分とせずにやって来た芳村を鑑識のハイエースへ案内し、死骸を包むブルーシードを静かに剥がす。当然だが芳村もこれを最初に見た刑事たちと同じく言葉を失って硬直した。

「…………何だこいつは」

「ホンボシだと思われます」

 信じられない発言をした鈴森に芳村は目を丸くした。何を言っているかまだ理解出来ていないのは明白である。

「何所でこいつを拾ったんだ。最初から説明してくれ」

「交通事故の入電で出動した交通課から要請がありました。得体の知れない死骸が転がってるから見に来て欲しいと。それで現場に行ったらこいつです。恐らく、一連の事件はこいつが集団で引き起こしている可能性があります。であれば今までの状況から考えて、害者の傷口の切断面は食われた痕、肉片はその時に飛び散った物、あの何かを引き摺った痕跡は多分、森の中に持って帰った時に出来たものとして説明がつくと思います。こんなのが大量に出現すれば何人死ぬか分かったもんじゃありません。これから捜査本部に行って、具体的な対策を行うべきだと直訴して来ます」

 鈴森は踵を返して庁舎内に入ろうとした。しかし芳村に肩を掴まれる。

「待て、お前が行った所でどうとなるものでもない」

「早くあの付近一帯から住民を遠ざけるべきです。最悪の事態になる前に行動を起こさないと手遅れになります」

 芳村の手を振り解いて鈴森は足を進めた。通用口から庁内に入った所で、ついに芳村が声を荒げる。

「鈴森、待て!」

 裏手に残された刑事たちと鑑識。そして通用口管理室に詰めていた当直の警官が、追い掛けていく芳村を見送った。誰も彼も、この状況を静観するだけだった。

 構わずに進んで行く鈴森の前へ、芳村が立ちはだかる。

「待てと言っているんだ! 手順も何も踏まずに上へ直訴するのは許されんぞ!」

「上と押し問答している間に連中が押し寄せて来たら、間違いなく我々はその場で食い殺されます! いやそれならまだいい。連中の餌として中途半端に生かされ続けるような人生の最後だけは受け入れられません!」

「お前が考えている事を全て俺に話せ! それを纏めて俺が上に掛け合う!」

 ここ一番の大声を出して芳村は言い切った。我ながら随分と威勢のいい事をと思いつつ、芳村は鈴森に近付く。

「あの死骸を見て冷静でいられないのは分かる。それは俺も同じだ。だが、我々がパニックに陥ればそれは住民の危機感を煽るだけだ。どうにもならない結果となるかも知れないが、最善は尽くそう」

 芳村は振り返り、近くに居る部下たちを見回して言い放った。

「今ここに居る全員は、あの死骸を見て非常に危機な事態が起こる可能性を危惧していると書類に記載するが、一纏めにされたくない者は朝までに何かしらで連絡をくれ。それについて不当な扱いは一切しない事をここに宣言する」

 全員が無言のまま、時は流れた。芳村は踵を返して刑事課のある上階へと繋がる階段を歩き始める。数段ほど足を進めた所で振り返った。

「行くぞ、鈴森」

「……はい」

 鈴森が芳村を追い掛ける。残された制服警官や刑事たちは事前に打ち合わせしていた行動に移り、死骸を遺体保管用の冷凍室に運び始めた。その他にもハイエースの掃除や、死骸を包んでいたブルーシートの処分などを行う。

 先に到着していた事故車運転手の男性は、取調室に押し込まれてもう1度詳細な聴取を受けていた。だが交通課の係員たちもこれをただの物損事故として扱っていいのか途方に暮れ、報告書が取りあえず形になったのは完全に陽が登ってからだったそうだ。


 時間は男がまだ聴取を受けていた頃まで遡る。刑事課フロアに辿り着いた芳村と鈴森は、取調室の横にある小会議室に陣取っていた。

「取りあえずだ、思い付く限りの事を言ってみろ」

 私用の小さいノートPCを開いた芳村に、鈴森は口から雪崩が出るように喋り始めた。

「最初に事件が起きた新興住宅地一帯に住んでいる住民避難は我々にとって至上命題です。これに関しては早ければ早い方が良い。それとハイキングコースがあるあの山を立ち入り禁止にします。あそこと住宅地で行方不明になった人たちの捜索は中断する他ありません。恐らく敵は圧倒的な数で襲い掛かった筈です。そこにわざわざ出向くのは死にに行く事と同義です」

 芳村がキーボードを打ち終わるのを見計らいつつ鈴森は続けようとした。だが、自分自身も考えが纏まっていない事が気に掛かった。

「……支離滅裂に喋るかも知れませんがいいですか」

「構わん、後で組み直す。言え」

 それから約1時間、鈴森は喋り続けた。窓の外は既に明るくなっており、庁舎はこの時間特有の静けさに満ちていた。

 考えていた事を全て吐き出した鈴森は気付けば突っ伏して寝入り、芳村は静かに小会議室を抜け出して1人コーヒーを淹れていた。もしかするとこれが人生で最後の1杯になるのではと考えつつ飲み干し、鈴森を起こさないよう小会議室へ入る。部屋に残していたPCを手に取って今度は自分のデスクへと戻った。

「…………あと2時間ちょっとか」

 捜査本部に人が出入り始めるのが8時前後。お偉方がテーブルに着くのはもう少し後だ。それまでにテキストへ認めた文章を清書し、印刷までして一応の形にしなければならない。

「これだけじゃ上は動かんだろうな」

 芳村は溜息交じりに地下の冷凍室へ内線を掛け、例の死骸を運び出す準備をさせた。同時に鑑識へ現場で撮影した写真を印刷、もしくはノートPCかタブレットで見れる状態にしておいて欲しいと連絡する。

 そして時刻が7時を過ぎても、芳村の元には何も連絡が来なかった。半ば自身の立場を利用してあそこに居た全員を巻き込んだようなものだ。連絡したくても簡単には出来ないような空気にしてしまったと内心で後悔していると、刑事課のフロアへ20人近い人間が列を成して入って来た。

「……どうした」

 それは自分が巻き込んだと自覚していた警官たちだった。全員が思い詰めたとまではいかないが、何かを決意した表情で芳村の前に集まっている。

「課長、本部まで御供します」

「あんなのに食われるのは誰だって御免ですよ。その被害が大きくなる可能性があるなら、まず我々が危険性を訴えないと始まりませんからね」

「最悪の事態になってからじゃ遅いです。本部の連中を人質にしてでも県警を動かしましょう」

 芳村は彼らの言葉を聞いて、一種の内乱予備罪か何か抵触したかと恐れたが、それぐらいの覚悟を持って来てくれた事を喜んだ。

「…………済まんな、全員に感謝する。準備にはもう少し時間が掛かる。8時25分になったらもう1度ここへ来てくれ。その後は皆で捜査本部に殴り込もう。あの死骸も一緒に持っていくから、運ぶのを手伝って欲しい」

 全員が静かに頷き、それぞれの居場所へ一旦戻って行った。その背中を見送った芳村は、本部の連中を言い負かせられる言葉を考えつつ、キーボードを打ち続けた。

 時刻は7時30分を目前にしている。約1時間後、捜査本部へ死骸と共に殴り込んだ自分たちがクビになるか、それとも被害を最小限に抑え込む事に貢献した警察官となるか、一世一代の賭けが始まろうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る