突き上げ

 約1時間後。捜査本部には県警の人間が数人ずつ出入りし始めていた。誰しも、刑事課の人間たちがこれから押し寄せて来るなど、想像している筈がない。

 件の刑事課はその頃、張り詰めた空気の中にあった。上申書を纏めた芳村課長を取り囲む係員たち。刑事課フロアの出入り口には新しいビニールシートで覆われた死骸が置かれるストレッチャー。そして30分ほど前に目を覚ました鈴森巡査部長が、コーヒーを静かに啜っていた。

「……辞表は要りますか?」

「全員で書かせられるなら必要ないだろう。我々が職を失うかどうかより、これから起こる可能性がある事態への備えが最優先だ」

 資料をクリップで挟み、脇に抱えた芳村は立ち上がった。その場に集まる全員を見渡す。

「行くぞ」 

 無言で頷く彼らを引き連れて芳村が歩き出す。鈴森はストレッチャーを押す鑑識係員に混ざった。

 刑事課フロアから集団を組んでエレベーターホールに辿り着く。伊達署の刑事課は2階のため、下階から上がって来るエレベーターに誰も乗っていない事を願った。

 到着を報せる音と共にドアが開く。幸いにもエレベーターは無人だった。しかし全員では重量制限を超す可能性があるため、何人かは自主的に階段で上階を目指している。捜査本部が設けられた会議室は5階なので階段を上がるのはそれほどの事ではない。

 この時、エレベーターが中々降りて来ないので「たまには」との思いで1階から松山警部補が階段で上がって来ていた。しかし見事に入れ違いとなり、芳村たちの行動に加わる事はなかった。


 エレベーターで先に5階へ辿り着いた芳村一行は階段組の到着を待つ。数分とせずに合流を果たし、捜査本部に続く廊下を横幅目一杯に広がって歩き始めた。革靴が当たる音、スニーカーの擦れる音、ストレッチャーのカラカラと回るキャスターの音が、いやに大きく響いた。

 捜査本部のある会議室を前に立つ。予め行っていた打ち合わせにより、身長が高くて体格の良い刑事2名がドアを開け放ち、先頭を行く事になっていた。これは県警の人間が制止を試みた際の壁役である。

「いいぞ、開けろ」

 芳村の命令で2人はドアを開けた。席に着いている県警捜査員からの視線が集中するも、構う事なく進んだ。

「おい、何をする気だ」

「どうした。そのストレッチャーは何だ」

 案の定、彼らを止めようと数名の刑事が立ち上がる。壁役がそれを押し留めている間に芳村は堂本警視の元へやって来た。

「お話があります」

「そんな殺気立った感じで来られれば嫌でも分かる。まぁ座れ」

 堂本の反応は思っていたよりも穏やかだった。左右に座る堂本の補佐役たちも突き刺すような視線を向けてはいるが、手を上げようとする雰囲気は感じられなかった。

「いえ、速やかに事を運ぶ必要があります。取りあえずこちらをご覧下さい」

 芳村は鑑識の係員たちにストレッチャーを前へ出すよう指示。そして自ら、上に乗っていたビニールシートを剥ぎ取った。

 ストレッチャーに置かれたよく分からないものの死骸が露になる。これには流石に堂本と補佐役たちも怯んだらしく、席から立って後ずさりした。

「何だそれは!」

「悪戯は止めろ、懲戒処分にされたいのか!」

「昨晩発生した交通事故の現場で回収されました。場所は件の新興住宅地の至近です。これまでの事件における各種の状況から考え、これがホンボシである可能性が極めて高いと、我々は判断しました。自分を筆頭に今ここに居る者全員は、これが大量に潜んでいて且つ、近い内に大規模な出現もしくは、餌を求めた群れでの行動を起こす可能性を危惧しております」

 慄く堂本たちに構わず芳村は喋り切った。同時に引き連れて来た刑事たちが会議室の内鍵を閉めて立ち塞がり、出る事も入る事も出来ないようにした。

「上申書です。今この場で目を通して下さい。どう判断するかはお任せしますが、最悪これの相手を我々がしなければならない状況をご考慮願います」

 語気を強めて堂本に上申書を渡した。芳村は会議室の廊下側に立てかけてあったパイプ椅子を手に取り、堂本の前に座って読み終わるのを待つ。

 その間、県警本部の刑事たちは例の死骸を取り囲んでいた。ヒソヒソと話し合う声が聞こえる。

「冗談じゃない、こんなのを相手に出来るかよ」

「これで体の後ろ半分なのか? そうすると前の方はどれだけあるんだ」

「消えた2人はこれに撃ったんだな。でも倒せなかったとすると……」

 そうである。今はこれしか死骸がない。島田と大西が最初の現場でこれに遭遇し、発砲したと考えるのが適切だが、そこには死骸がなかった。つまり、これは自分たちが所持している拳銃では十分な殺傷力が得られない相手である事を意味している。

 この半分だけでも体の幅と厚さは50cm弱、長さ1mちょい。脚の長さも加えると横幅はもっと広くなる。もしこれの前半分がもう1m程度あるとすると、成人男性の身長を優に超える長さだ。こんなものが集団で襲い掛かって来たら冷静ではいられないだろう。しかも、例の液体がどうやって精製され、体の外へ出されているのかも未だに不明だった。

 堂本が上申書を読み終わるまで、暫しの時間を要した。最初は小馬鹿にしたような表情だったが、読み進めるに連れて顔色が次第に悪くなっていった。

 上申書を捲り終わった堂本は5分ばかり何かを考え、顔を上申書に向けたまま視線だけ芳村に向けて喋り出した。

「……目は通した。本気でこう考えてるのか」

「組織の人間として許された事ではありませんが、だからこそ行動を起こしました。もっと過激な手段としては、皆さんを人質に県警本部を脅す事まで視野に入れてましたがね」

「私の一存ではどうにもならん。あれを相手にする状況なんて考えたくもないが、言いたい事は分かった。だがまず、時間が必要だ。それと大事にするなら相応の人間と組織を巻き込む必要がある」

 堂本は椅子から立ち上がり、全員を前にして発言した。

「私の口からもう1度言うが、伊達署捜査員一同はこれの生きている個体が餌を求めた集団的な行動を起こす可能性を危惧している。この上申書はコピーが終了次第、ここに残しておくので全員目を通しておくように。私はこれから県警本部に戻って刑事部長と協議に入る。今日の会議は中止とするが、各員は不測の事態に備えて24時間の待機を命じる。もし何か起きた場合は伊達署の指揮下に入って速やかに行動し、連携を密にしながら必要な措置を行え。以上、解散」

 会議室に置かれた複合機で上申書のコピーが終了。原本を手にした堂本は芳村に迫った。

「言い出しっぺは貴様だ。一緒に来て貰うぞ」

「勿論です。ただその前に、引継ぎをさせて下さい」

 固く閉ざされていた会議室のドアが開く。中に入れなかった県警本部の捜査員たちが棒立ちになっていたが、その中に松山の姿もあった。芳村が松山を視界に収める。

「松山警部補」

「はい!」

 芳村に呼ばれた松山が中に入って来た。会議室の異常な空気を感じつつ、おっかなびっくりな足取りで堂本と芳村の所まで辿り着く。ストレチャーの死骸を見た瞬間に、松山も硬直してしまった。

「私はこれから堂本警視と共に県警本部へ向かう。何があったかはそこのテーブルにある上申書と、鈴森から聞いてくれ。それと、私が不在の間は刑事課を任せたい。宜しいか」

「松山警部補、現時刻を持って伊達署刑事課長職を一旦お預かりします。因みにお帰りは」

「分からん。今日は戻れないかも知れないからそのつもりでいてくれ」

「行くぞ」

 2人は補佐役の1人と共に会議室を後にした。外に居た刑事たちは当然、説明を求めようとしたが堂本の気迫に押されて躊躇した。結局誰も声を掛ける事なく、3人は県警本部へ車で向かう。

 残された男たちは上申書のコピーをまた数部ずつ印刷し、全員で目を通した。信じられない事ではあるが、目前に鎮座する死骸が否応にでも存在感を引き立て、自然と空気は沈み込んでいった。最悪、これを相手に自分たちが矢面に立たねばならない可能性を考えると、言葉を発するのも億劫だった。


 コピーを読んで鈴森からも詳細を聞いた松山は、取りあえず署長にも話を持ち掛けた。芳村が勝手な行動に出た事へ一旦は激昂したものの、タイミングよく堂本からの連絡が入った事で怒りの矛先を収める。

 しかし安堵するのも束の間、言いようのない不安が伊達署全体に広まり始めた。まず非番で帰宅している者、休みの者の居場所確認と拳銃保管庫の開放。勤務中の全署員に対し防護装備を手元に集めておくよう指示が出された。また、災害用の備蓄品や器具類の点検も始まっている。

 警ら中の全パトカーには一斉帰署が命じられ、戻って来た署員たちは交通課長による状況説明を口頭で受ける。数人単位で会議室の死骸を見た後、防護装備や予備の弾丸を携行した状態で新興住宅地周辺の警戒に向かった。


 その頃、県警本部に到着していた堂本と芳村は、登庁して間もない平戸ひらど刑事部長と協議に入っていた。

「…………こんなものが大量に潜んでいると?」

 当然、平戸の目は冷たかった。しかし、伊達署捜査本部とのテレビ電話で大勢の捜査員に囲まれる死骸を見た瞬間、平戸は硬直した。

「……に、偽物では」

「残念ですが県内にこの手の物を作れる企業はありません。また、少ない時間ではありましたが、関東圏の企業にこういう死骸を作る作業の発注があったかを確認した所、今の段階では皆無でした」

 詳細は伏せているが、堂本の指示によって県警捜査一課は可能な限りの裏取りを行った。所謂”特殊造形”と呼ばれる部門を取り扱う関連企業において、巨大なムカデやその死骸を作る作業は行われていない事が分かった。

 ここまで来ればもう、この死骸が人の手によって作られた無機物ではなく、こういう姿形をした生物の死骸であると言い切れるだろう。だが、平戸は食い下がった。

「まぁ待て。何所かの大学か病院施設に持ち込んで検査しないと」

「事故車のバンパーにはくっきりと跡が残っていました。ドラレコの映像も確認済みです。こちらをどうぞ」

 芳村が差し出したタブレットには、事故車のドラレコから取り出したデータが入っていた。それを再生させると、確かに曲がり角から細長い何かが飛び出して来て、車は急ブレーキを踏んだが間に合わず、後ろ半分に追突して横転。車内で運転手の困惑する声もしっかり記録されていた。

「……運転手は映像関係の仕事を?」

「氏名、高田信之たかだのぶゆき。職業、ビル管理業務。市内病院に勤務。引継ぎの後、帰宅途中の事故でした。携帯の動画も禄に撮った事がない男のようです」

 あくまでも認めようとしない平戸に対し、堂本と芳村は外堀を埋めていった。押し問答が30分近く続き、刑事部長室の外で一課の捜査員たちが様子を窺い始めた頃、ついに平戸は折れた。

「…………分かった。だがもし、この読みが外れたらどうする。どう責任を取る」

「その際は私のクビでもって収めて下さると幸いです。これで何もせずに最悪の事態を招いたらそれこそ、平戸刑事部長殿だけでなく、県警の大勢が職を失う結果になるでしょう。まぁ、生きていれたらの話ですがね」

 半ば投げやり気味な芳村を堂本が小突いた。それを余所に平戸は立ち上がり、何所かへと内線を掛け始める。

 全て違う内線の番号を押す事、約10回。刑事部長室のドアが開いて立て続けに数人が飛び込んで来た。平戸の態度から察するに格下か同格である事が窺える。

「集められるだけ集めた。残念だが本部長は県外で、戻られるのは明日の昼だ。今はまずこの面子で話しを詰めていきたいと思う」

 刑事部長室へ新たに集まったのは、警務・生活安全・地域・交通・警備部の各部長。警備部理事官。警備部災害対策課長の計7名となった。取りあえずでも平戸が舵取りを行う。

「朝からの急な参集に感謝する。現在、伊達署管内において発生中の連続行方不明事件は諸君らも周知していると思うが、誠に信じ難い事であるがその被疑者は人間でない可能性が浮上した」

 芳村は再びタブレットの映像を全員に見せた。誰も彼も、目を大きく見開いて固まってしまう。

「……もう1度見せてくれ」

 そう言った交通部長がタブレットを手に持って何度も再生を繰り返す。フェイクであると思いたいのだろうが、ドラレコ特有の広角気味な画角と作り物にしてはリアル過ぎる横転時の車の挙動や衝撃、フロントガラスのヒビが全てを裏付ける十分な要素として存在している。

 横から画面に見入っていた警備部長が呟いた。

「相応には堅そうだが防弾装甲のある特車なら体当たりで何とかなるかも知れんな」

 それを聞いた芳村が警備部長の言った選択肢をしれっと潰す。

「まだ未確定の要素ですが、この生物は強い溶解性のある液体を体外に吐き出す機能を備えていると思われます。2件の現場でそれを採取しました」

 7人の視線が芳村を貫いた。災害対策課長の顔色が見る見るうちに悪くなっていく。

「そんなのを手当たり次第に撒かれたら避難誘導どころじゃない。こっちの命だって危ないぞ」

「行方不明者は26名だったか。数から考えても人を食っている可能性は高いな」

 生活安全部長の発言で部屋の空気は瞬間的に冷え切った。生身で相手をするべきではないこの存在にどうやって立ち向かうか。それだけが全員の頭を支配している。

「至極、単純な疑問ではありますが、陸自なりに協力を依頼しては」

 警備部長の隣に座っていた警備部理事官が、誰でも辿り着くであろう答えを口にした。

「出動の名目は何だ。治安と災害、どちらになる。熊ですら治安の事例は無いぞ」

「ですがこんなのが100も出たとなれば明らかに我々の領分ではありません」

「だからと言って簡単に出動する事は有り得ん。少なくとも、ある程度の被害が出なければ検討にも上がらんだろう」

「本部長に直訴して県からの要請と言う形を取れば」

「その本部長は明日の昼まで不在だ。今ここで我々が成すべきは、それを実現させるために必要な資料と文書の作成。そしてシミュレーションだ。午後一で会議室を開けさせるからそれまでは我々だけでやるぞ」

 警備部長と理事官の会話を平戸が打ち切る。堂本と芳村を含めた9人がやり取りを行う傍ら、平戸は再び受話器を持ち上げて各課の内線番号を押し始めていた。

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