県警本部1

福島県警察本部 第一会議室

 時刻は13時となり、刑事部長室に集まっていた面子は手早く昼食を済ませ、この第一会議室に移動していた。ここからは総務課長を筆頭に地域企画課、総合運用指令課、組対、機捜隊に交通規制課、警備課長や機動隊副隊長などが新たに加わる。

 本部長が不在のため、現状のトップとして君臨する吉田参事官にはまだこの件が伝えられていない。全体の方針が今日中に決まるとも思えないが、想定される被害を可能な限り叩き出すのがこの集まりの目的である。その上で本部長と参事官に対して上申を申し入れ、県警としての対策をまず打ち出す事が望ましかった。県や消防、病院関係を巻き込むのはそれからになるだろう。

「刑事部長の平戸です。これは捜査一課長の堂本と、伊達署刑事課長の芳村警部です。まず本日正午から急にお集まり頂いた事に感謝申し上げます。現状としまして、部長課長クラスでの事態把握が必要と判断したため、このような場を設けるに至りました。お手元の資料に手を付ける前に、芳村警部から説明を」

 指名を受けた芳村は立ち上がり、会議室に集まった面々を一通り見渡してから喋り始めた。

「伊達署刑事課長、芳村警部であります。ここ最近、当署の管内で発生中の連続行方不明事件は周知の事と存じます。実は本日未明に発生した単独事故におきまして、横転した事故車運転手の証言及びドラレコの映像から、事件と非常に密接な関係を持つ可能性が極めて高いと思われる、実行犯が浮かび上がりました。まず本件における被害状況を資料に纏めて御座いますので、そちらをご覧下さい。今から10分程をその時間と致します。読み終わりましたら1度だけ挙手をお願いします」

 資料を捲る音が静かに響き渡る。組対課長や機捜隊の隊長は小声で何か意見交換をしており、険しい表情で見続けていた。打って変わって総務課長と地域企画課長は立場上の違いか、そこまで深刻な顔ではない。

 10分と経たずに挙手が続く。最後に手を上げたのは機動隊副隊長だった。内心、厄介な事態への出動を予感してか、その表情は固くなっている。

「ありがとうございます。続けて、本日未明に発生した事故車のドラレコから抜き出した映像をご覧下さい」

 会議室のスクリーンに、あの映像が映し出された。塀で見通しの悪い角から姿を現した、細長くて足が無数に生えた何かが道路を渡り切る前に車は衝突、横転。ひっくり返った衝撃でフロントガラスにもヒビが入り、恐怖に慄いた運転手が独り言を繰り返す一連の映像に、全員の視線は釘付けとなった。

 到底信じられない映像を見たせいか、思わず立ち上がった機動隊副隊長は芳村に問い掛けた。

「……さっきのは何です」

「まだ正体は不明です。現場で半分だけの死骸を回収しました。それでも長さは1m弱あります。恐らく、全長は2mか3mぐらいではないかと推測されます」

「伊達署と映像が繋がっております。そちらにある死骸の様子をご覧下さい」

 堂本が事前に用意していた大型モニターを全員の前に移動させた。パソコンから伊達署に居る本部班の捜査員と回線を繋ぎ、そのLIVE映像をモニターへ出力する。

「捜査一課の須田すだです。これより皆様に、現場で回収された死骸をご覧いただきます」

 モニターに1人の刑事が映り込む。堂本らと共に伊達署捜査本部に詰めていた県警捜査一課の刑事だ。彼が持つタブレットによって死体安置所に保管されている例の死骸が生の映像として、各課長陣の目にも映り込んだ。

 会議室の空気は一段と張り詰め、当人たちは小声のつもりでも何かを話し合う声量は次第に大きくなっていった。収集が付かなくなる前に平戸が口を挟む。

「ご覧のように、あの映像はフェイクでもなんでもありません。芳村の説明を続けます」

「はい。ここからはまだ確定した話ではありませんが、あの生物はお手元の資料にも記載があります溶解性のある液体。これを体外へ排出する機能を備えている可能性が非常に高く、またこれまでの行方不明者総数26名と言う現状を鑑みても、人を襲って捕食しているとの結論が合理的であると判断しました」

「あれが複数居ると断定出来る決定的な証拠はあるのか」

 総務課長が口を挟んだ。

「まだありません。あくまで、被害の規模や現場に残されていた痕跡等を考えての状況証拠になります。ですが考えていただきたい。あれがもし、100や200と現れたら、我々は市民を守る事が出来るでしょうか。このまま何もせず被害が現実のものなり、全てに一応の決着が着いた時、まず針の筵にされるのは我々、警察です。警察は何をしていた。どうして存在を知っていながら、何も策を講じなかった。あれだけ人死にが出た責任の多くは警察にある。そんな事を延々と言われ続けるんだったら、さっさと首でも吊った方がマシではありませんか」

 話が変な方向に行き始めたのを悟った堂本が芳村を無理やり座らせた。入れ替わった堂本が話を続ける。

「率直にお尋ねします。機動隊として、あれを相手にする事は可能でしょうか」

 視線が機動隊副隊長に集中する。だがこの質問に関して、警備部長的にはNoだった。1匹や2匹ならまだいいとしても、隊員の数を上回るような場合は現実的に対処など出来ない。

「課長と部長も同じような事をお考えかと思いますが、資料に記載されているのが事実だとすると、1匹2匹ならまぁどうにか出来るでしょう。ですがそれ以上、5匹となればもう分かりません。銃対を全面に出したとしても、あれに9mm弾がどれだけ有効か判断は出来ません。我々に対抗出来る手段は殆どありませんね。狙撃でチマチマやっている内に被害は拡大。何人が犠牲になるか想像も付かないです」

「この場合、隊員の数どうこうではない。我々は人間を相手にする事が前提とされた組織であり、そういう装備をしている。未知の生物については範囲外だ」

 警備部長が言葉を付け加えた。単純に考えても警察とはその言葉通り、犯罪者を相手にするための組織だ。災害にも対処はするが、それとはまた話の次元が異なる。

「一旦、決を採りたいと思います。警察として、これを相手にする事は得策ではないと思う方、挙手を」

 平戸の進行によっては会議は一歩前に進んだ。当然、この言葉には全員が手を挙げる。

「ではあくまで警察が対処すべきと思う方。まぁ、居ませんね」

 必然的に挙手する者は居ない。この会議は堂本の提案でカメラを回してあるので、後から手のひら返しをする事が自分の立場を危うくする策を講じてあった。

 これで"警察として対処する事が出来ない存在"に対し、どうやって自分たちの被害を少なくしつつ住民の避難をスムーズに行うか、最もミソとなる部分のシミュレーションが開始された。


 テーブルに広げられた地図。件の新興住宅地と後方にハイキングコースのある山を背後に、メモ帳を千切って三角に切り出した10枚の紙が4分の1円状に置かれていた。赤ペンで"E"と書かれたそれは敵を意味している。

 対して、四角に切り出された6枚の紙には"PC"と書かれていた。これはパトカーの略称だ。

 ストップウォッチを右手に持った芳村がテーブルの傍に立って話し始める。

「現在、住宅地の周辺を6台のPCが警ら中です。これは正しく今現在の状況になります。敵側の1枚はこれで10匹ぐらいの数とし、合計で100匹前後が出現した場合を想定。時間は今から1時間のリアルタイムで進行。一世帯が犠牲になるのに5分掛かるとします」

 嫌なシミュレーションだと誰もが思った。一応、警備部長の根回しで機動隊は出動待機に入っており、銃対も招集が完了。隊舎のある場所から現場までの移動時間も考慮されているので、到着するまでのタイムラグも存在した。

「我々の行動がどう開始されるかは、この鉛筆で決めましょう。番号は1と2のみです。1はPCが生物を確認。2は住民からの通報とします。使うのはシミュレーション開始から、まぁ、取りあえず5分後にしましょう」

 四角形の鉛筆の側面には1と2の番号が書き込まれている。総合運用指令課全体にはまだ本件が伝えられていないので、住民からの通報に対しては通常のマニュアルに沿った対応がされる事だろう。指令課長に通報の内容が伝わるまではどうしても時間が掛かる。

 PCからの入電では即座に行動が起こせるも、何れにしろどうやって住民の避難を進めるかが重要な鍵と言えた。

「警務部長殿。この周辺にある全世帯の情報が記載された資料の用意は宜しいでしょうか」

「大丈夫だ。始めてくれ」

 新興住宅地と周辺住宅が山に近い順に打ち込まれた紙を持った警務部長が答える。急ごしらえだが、世帯数の情報を確認するには手っ取り早い。

「ではこれより、シミュレーションを開始します。よーい、スタート」

 ストップウォッチのボタンが押し込まれる事で時間が進み出した。会議室がまだ沈黙に満ちる中、芳村は敵の紙を少しだけ前に押す。

 時間が経つのがこれほど遅いのだろうかという感覚に全員が陥る。ようやく5分が経過した段階でついに鉛筆が転がされた。

「2番、住民からの通報が入りました。指令課長に本件が伝わり、更に我々が把握するまで5分とします」

 更に5分経つのを待つ。焦っても仕方ないが、会議室の焦燥感は高まっていった。

「5分経過しました。生物群が民家を乗り越えつつ内部へ侵入し民間人を捕食中です。広範囲に渡って状況が進行しつつあります」

 ここまでで10分が経過した。犠牲者の数は既に100を少し越している。待ってたと言わんばかりに警備部長が喋り出した。

「警ら中のPCは住民へ避難を呼び掛けつつ生物と距離を取れ。拳銃の使用については各自の判断に任せるが接触は可能な限り避けろ。機動隊と銃対は直ちに出動。同じくやむを得ない場合以外は接触を禁じる。それと航空隊だ。ヘリからの中継が欲しい」

 取りあえず順当と思われる指示を出した。だがこれは、今の状況を知っているからこそ出せる内容でもある。何も知らないままそんな状況が起きた時、果たして危機感を持つ事が出来ただろうかと、警備部長自身も考えていた。

「伊達署の人員はどうされます。部隊到着まで約40分程度は掛かりますが」

「避難の初期対応へ向かわせよう。状況を幾分か知ってるだけ動きはいい筈だ」

「承知しました。課長、伊達署を除いた県北の全署及び周辺の交番、駐在所に対して非常警戒を発令。各署長には私が状況を説明しますので、交番と駐在所への連絡をお願いします」

「はっ」

 隣に座っている理事官も的確に補佐する。しかし、1時間のリアルタイムで行うシミュレーションで、40分間の空白をどう対処するかは大きな問題だ。今すぐにでも本隊を伊達署に移動、待機させておくべきではとの考えも当然浮かんで来る。

 一方、警務部長は冷や汗を流し始めていた。既にシミュレーション開始から15分が経過。犠牲者の数は300に迫り、世帯数の書かれた資料も6枚目を捲る直前だった。

「伊達署から人員が急行します。5分後の到着と想定」

 芳村の声で警務部長は必然的に6枚目と対面せざるを得なくなった。次第に胃が僅かな痛みを発し始め、制服の上からそっと手を当てて痛みを宥めようとする。

 再び何も出来ない時間が流れた。ようやく5分が経過し、伊達署の人員が周辺に到着し始める時間を迎えた。

「伊達署陣営が到着、避難誘導を開始します。一世帯の避難が終わるまでは、2分半としましょう」

 地図上でまだ被害の出てない地区の避難誘導が始まった。警備部長の指示によって伊達署陣営は最も生物群が突出している所から300mの距離へ進出。そのラインから手前の避難を急がせると共に、向こう側に関しては拡声器を使用した呼び掛けのみの実施とした。

 現時点で20分が経過している。機動隊と銃対の到着まで残り30分。ここからはヘリが先に到着し中継の映像を見ている体で進められた。

「航空隊より入電。マンション屋上に複数の住民が避難している模様。一帯は生物の波に飲まれていますが、どうされますか」

 芳村は態と決断を迫るような発言をした。これには警備部の3人も顔をしかめたが、想定される事態ではあるため、誰も咎めるような事は言わなかった。

「……ヘリとパイロットを失うわけにはいかん。下手に救助へ向かえば2次災害を誘発させる上、もし集団の中に墜落でもしたら助けるのは不可能だ。ヘリからの映像も見られなくなる。何もするなと伝えろ。この命令は記録に残して構わない」

「承知しました。指令課長、回線をこちらに下さい」

「あ、ど、どうぞ」

 思ってもいない事態に総合運用指令課長も言葉が詰まった。理事官は苦い顔で警備部長の言葉をそのままヘリに伝える事で自身の役割を果たし、水を一口飲み干していつもの表情へ戻った。

「避難の状況はどうだ」

「概ね順調に進んでおりますが油断は出来ません。後続部隊の展開地区はどの辺に致しましょう」

「伊達署陣営の後方、いや、入れ替わる形が理想だな。そうすれば非常線の構築もしやすい……筈だ」

 しかし、スムーズな入れ替わりこそ至難の業である。接触すれば一方的な戦いになるのは目に見えていた。波に飲まれるか、包囲されて蹂躙されるか。いずれにしろ、その先に待っているのは死だ。

 そして同時に、鈴森の意見を参考に芳村が考えた、避難誘導中に起こりえる事態の畳み掛けが始まった。これには堂本も加わり、現状での対処能力を見極める参考とする。最も、吉田参事官を交えない状態での進行となるため一部は"現場の判断"として処理する事になるが、今この瞬間に起きた場合の想定でもあるので、大きな問題ではなかった。

「指令センターより入電。波に飲まれつつある住宅地から110番通報の急増で回線がパンク寸前です」

「出なくていい、収拾がつかなくなる。今の我々にあの集団を退けて助けに行ける手段は無い」

「各所で避難民の車同士による衝突事故が発生、一部は火災を伴っている模様」

「消防に連絡して通報があっても部隊を出すなと伝えろ。救急車もだ。それと可能な限り消防としての機能を維持したまま退避するよう通達。これは県警本部長の要請であると言っていい。理事官、消防に説明を頼む」

「承知しました」

「PCから避難と救助のどちらを優先するべきか方針を示してくれと言って来ています」

「臨場中の全係員にあっては避難誘導及び自己の安全確保を最優先とする。救助は状況を見つつ可能であれば実施。ただし、接触の危険が高いもしくは、接触が確実となった場合は救助活動を中断。速やかにその場から離れる事。これを絶対厳守として欲しい」

「はぐれた子供を探して欲しいとの申し出がありますが」

「探している間に接触すれば逃げられなくなる。何度も言うが避難誘導と自己の安全確保が最優先だ。とにかく今は逃げろと伝えろ。必要なら私が後で直々に頭を下げる」

「ヘリからの報告。渋滞が発生しつつあります。幹線道路も動きが悪く、後続の到着に支障が出る可能性が」

 ここでついに警備部長の口が止まった。現状でシミュレーション開始から30分が経過している。機動隊と銃対の現在地は、残り数キロに差し掛かっていた。

 芳村は警備部首脳陣が次に発する言葉を待ちつつ、地域部や交通部を横目で見やる。この事態における避難誘導は警備部だけで完結出来るものではない。県警全体として動かなければならない状況で、心の何所かで"矢面には立たないだろう"と考えている連中がどう動くか。内心、見物みものだと考えていた。

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