蹂躙5

 生物の群れが入り込む踏切から北に約1キロ。ここには入院施設を備えた病院があった。ほぼ僅差で到着した2機第1小隊は正面出入り口付近に人員輸送車を停車させ、小隊長の八巻と4人の分隊長が降車。目の前に居る白衣を着た男へ足早に近付いた。

「第2機動隊の八巻と申します」

藤元ふじもとです。副院長をしております。院長は医師会の呼び出しで県庁に行っておりまして」

 相馬知事が開いている関係機関を集めた会議に呼ばれたのだろう。何ともタイミングの悪い事だ。

「連絡はあったかと思いますが速やかに皆さんを避難させる必要が生じました。一先ず入院患者を優先しますが問題はありますか」

「ウチは内分泌外科しか病棟がないのと最長でも2週間程度入院される患者しか居ませんので、そんなに多くはありません。今は9名だけですが術後で間もないためまだ動けない方が4名居ます。残りの5名に関してはこちらの車両で移動させます」

「因みに移送先は」

「北福島医療センターです。ここから10分程度の位置にあります」

「そこから動かせない患者さんのために車両を借りる事は出来ますか」

「あっちも警戒しているようで可能なら人員を動かしたくないと言っていました。取りあえず1台だけ寄越して貰う承諾は得ましたが、この状況だと」

 何だ。何をするべきだ。その1台が途中で停まらないように出来るだけの権限が自分にあるのか。一旦警備部預かりとなった身分で可能な事なのか。分からないがまず行動だ。

「至急至急、2機第1小隊八巻より古川隊長。現在地は大野クリニックです」

「古川だ。避難誘導の詳細は聞いている」

「入院患者を移送させるための車両が必要です。取り急ぎ1台は北福島医療センターから出せるそうですがこれを交機のPCで先導させるのは可能ですか」

「本部へ問い合わせる。他に何かあるか」

「動かせない患者が4名、内1名をその車両に乗せられるとして残り3名をどうにかしないといけません」

「了解、少し待て」

 返答があるまでに出来る事を考える。手数は4個分隊しかない。

「第1分隊前へ、周囲を警戒。銃は抜いていいぞ。第2分隊はここから北へ500m地点の高校へ行って避難を促せ。避難先は更に北へ2キロの所にある中学校。高校が終わったら約400m東の保育園と支援学校も同様。避難先は同じでいい」

「もう少し東へ行くと小学校もありますが……」

 第2分隊長がメモを取りながら必死の形相で聞いて来た。位置的には伊達署の方が近い。しかし保原総合公園の手前で足踏みしている集団がどう動くか分からないのがネックだ。北進されると小学校が飲まれる可能性は高い。

「……そっちは伊達署に頼んでみる。取りあえず今の命令を実行してくれ」

「了解、向かいます」

「第3分隊は西にある別の小学校だ。駆け足なら5分程度で着ける」

「避難先はどうしますか」

 出動服のポケットから周辺の地図を取り出した。第3分隊が向かう小学校の近くには避難場所に出来そうな場所が見当たらない。南西方向にまた違う小学校があるが今はそこへ向かう余力はなかった。こっちは1機の小隊に頼むとしよう。

 文字通り目を皿にして地図を睨む。体温が上がるのを感じる。自分を覆っている防護装備と出動服が鬱陶しい。脱いでしまいたい衝動に駆られるがそうもいかない。

 ここで八巻は小学校から真北のとある場所に刺股の記号を見つけた。これは消防署を示す記号だ。しかしこんな所に消防署は存在しない。これは一体……

「……消防団か」

 一寸の光が見えた八巻は伊達署に連絡を取り、指令センターとしての機能を最低限残している消防本部に要請を出した。

 本件において「消防団員の招集及び事前の待機は行わない」とする通達が行き渡っているので八巻の見つけた屯所は無人であった。相手が相手な上、消防団員はそもそもが一般人だ。特別職の非常勤公務員という位置付けではあるものの、法的な拘束力は存在しない。

 現段階では既にあまり意味を成していないが、当初存在した"一般人の被害を最小限とする県全体の方針"を実現させるための判断によるものだった。

 古川隊長の返答が入る前に伊達署から応答があった。指令センターと直接話せるようにするため周波数帯を防災相互波に合わせろとの指示が入る。持っていた携帯無線機の周波数を急いで相互波に合わせると、継続的に指令センターから流れている通信を拾う事が出来た。

「こちらは消防指令センター、待機中の第2機動隊第1小隊、聞こえたら応答願います。こちらは」

「第2機動隊、第1小隊の八巻です。どうぞ」

「了解、支援情報になります」

 指令センターからの要請で屯所近辺に住む団員3名が急遽出動の準備をする事になったそうだ。今から第3分隊が向かう小学校の児童と教員を途中で出迎えて先導するように指示が下りたと聞く。

 避難先はさっきと同じ中学校だ。バラバラになると後で状況が把握し難くなる。

「ではこちらの人員を向かわせて避難を促します。よろしくお願いします」

 交信を終わらせ、改めて第3分隊に向き直る。

「聞いた通り、途中で消防団の出迎えがある。指示したルートで行けば落ち合える筈だ」

「分かりました」

 ここで古川に連絡した件を思い出した八巻は周波数帯を元に戻した。何度か呼び掛けられていたらしく、消防のように継続的な声が聞こえる。

「古川より八巻、聞こえたら応答しろ。繰り返す」

「八巻です」

「無事か。少し長くなるが説明するぞ」

 北福島医療センターから大野クリニックまで移動予定の搬送車両は医療センターの東に位置する長岡駐在所のPCが先導を担当。保原方面の交機と機捜は交通規制実施のため全力で引き上げの最中であり、これを待つよりも早いとの結論になった。

 続いて残りの患者についてだが、民間救急事業を行っているタクシー会社数社から高規格救急車と同じレベルの機材を積んだ患者搬送車両を借り上げ、交通部の警官が運転を担当する運びとなる。

 行きが空荷であるのを体良く利用して堂本一課長が特殊犯ことSITの捜査員を完全装備で乗せる事を提案した。現地での避難誘導に参加させて1機及び2機を支援。場合によっては所持する拳銃で露払いを行う。機捜が使うP230は火力に乏しいため、万一に遭遇すると生存性が危ういとの判断もあった。

 既に機動隊だけでは手が回らなくなり、警備部に属する他の公安・外事・警備(SP)の人間を引っ張り出す訳にもいかなかった。

 同じく警備部の災害対策課は本件の収束後に必要な存在のためここからも人員の抽出は出来ない。

 となれば、他で荒事に慣れているのは刑事部だけだった。組対からも名乗りを上げる声があったが、威嚇や腕っぷしだけでどうにかなる相手ではない。何かあった時の後詰として待機が命じられる。

 県警本部で待機中の2機第2小隊も直ちに伊達市まで進出。八巻たちから見て南西方向にある小学校の避難誘導に向かうそうだ。

「搬送車両は何台ですか」

「3台だ。1時間以内には到着する」

 1時間。搬送車両が到着した時、果たして生きているだろうか。そんな考えが八巻の脳を支配する。自分だけではない。部下も何人が生きているだろうか。貪られてゴミ屑のようになった十数体の死体が転がっているのではないか。想像したくはないが、受け入れ難い最期を思うと「了解」の声は出なかった。

「ヘリで空輸と言うのは」

「ドクターヘリは1機しかない。下手には動かせん。もし本当に危険な時は屋上へ退避しろ。取り残された警官と術後患者が居るのを利用して救助を優先的にして貰える可能性がある」

 思わずその選択肢を選びたくなるがそうもいかない。最悪の場合は古川隊長の指示に従うとして、避難誘導を継続する事にした。第2分隊と第3分隊を命令した場所へ向かわせると共に第4分隊へ動かせる術後患者の移送を手伝うように命じる。

「他に患者は居ますか」

「全員帰しました。市内から出るように言いましたが正直、もう会えない方も居るでしょうね」

 病院に居た所で安全が確保される訳でもない。だったら車で少しでも遠くへ移動した方が生き残る確率は上がる。後は病院関係者も逃がせれば御の字か。

 

 少し時間が流れた。支援学校から更に東へある小学校には引き上げ中の交機が何台か向かって避難誘導をするそうだ。八巻たちはノータッチで構わない。

 伊達署に保護した避難民は官舎住まいの世帯が先導して一路、市役所へ。こっちは腹を括った市長以下、総務・市民生活・健康福祉・教育等の部署に所属する人間が最低限残る。伊達署から来た人間を含めた職員全員は市内北東のJA資材センターへ移動。交機が向かった小学校の児童と教職員もそこへ行く。

 病院関係者も動かせる方の患者と医療物資を乗せて北福島医療センターへ向かった。副院長と各診療科の責任者が残って搬送車両を待っている所に1機第2小隊が到着する。

「第2小隊の雨谷です。状況は」

「動かせない術後患者のための搬送車両を待っています。こちらは周辺の学校や保育園に避難誘導を実施しました」

「道すがらで介護付き住宅に声がけしましたがこの辺の老人ホームはどうなってます」

 ここで八巻は優先順位の事を思い出した。すっかり頭から抜け落ちてその次の順位になっている学校を先に避難させてしまったのだ。

「……すいません、慌てて優先順位を」

「了解、ではそちらへ行って下さい。ここは我々が」

「分隊に近くのホテルへ避難誘導を命じているんです。そこから戻って来るまでは」

「こちら第3分隊、遭遇しました!」

 西方向の小学校へ向かわせた第3分隊はその戻る途中にあるホテルの避難誘導に当たっていた。しかし敵集団はその付近にまで進出しているらしい。

 受令機を掴んだ八巻は冷静に努めながら交信した。

「避難誘導は中断して直ちに後退、急げ」

「囲まれそうです! 車両を」

 通信はそこで切れた。そして微かに発砲音が聞こえる。放心している八巻を余所に雨谷は地図を取り出して位置関係を確認。自分たちが今立っている道路とホテルのある道路は交差点で繋がっていた。そこから北へ向かうと老人ホームがある事にも気付く。

「他の分隊は揃ってるな」

「……はい」

「今すぐにこの老人ホームへ行け。今居る道路と交差していて、老人ホームはホテルの北にある。交差点から状況を確認してダメそうなら振り返らずに老人ホームへ行くんだ。いいな」

「…………見捨てるんですか」

「そうなるかは自分で判断しろ。ロクに慣熟の期間もないまま編成されて気の毒だとは思うが死人は最低限にしないといけない。時間は無いぞ」

 もう目の前に居るこの男に指揮権を預けてしまおうかとも思うが、上申した所で受理はされないだろう。自分がやるしかないのだ。

「向かいます。各分隊乗車」

 乗って来た人員輸送車に3個分隊を乗せた八巻はホテルとの道に繋がっている交差点を目指した。細い路地から逃げようとする人々が飛び出す度に一時停止を余儀なくされ、交差点に着くまで5分近くも掛かる。やっとの思いで到達した交差点で停車を命じた八巻は車外に飛び出してホテルの方を注視した。

 道路に点在する巨大なムカデ。数は10匹以上。既に弾丸も尽きたであろう第3分隊の隊員たちは、まだ数名が無事に見えた。

 1人はムカデの顔面へ大盾の角をぶつけて怯ませ、頭を何度も踏み付けていた。別の個体が襲い掛かるも出動靴で下顎を蹴り上げた後に上から頭を踏み付けて触角を引き千切る。

 もう1人は足から血を流す仲間に肩を貸してこちらへ向かっていた。大きく手を振って後退を促す。

「戻れ! 早く!」

 奮闘していた1人も声に気付いたのか、血を流す仲間の空いている肩を抱いた。2人で担ぐ事でスピードアップし無事に人員輸送車へ。

 最後尾でおっかなびっくり殿となっていた別の隊員は3~4匹に群がられて姿が消えた。あれはもう間に合わない。

「収容完了、老人ホームへ行くぞ」

 たった3人にまで減った第3分隊を乗せた人員輸送車は雨谷から言い渡された老人ホームへ向けて発車。聞きたくはないが状況を確認する。

「遭遇時の状況を話してくれ」

 足から血を流していたのが分隊長だった。濃紺の出動服は裂けており、そこから出血している。後ろから噛み付かれたようだ。

「ホテル内部に隊員を送り込んで避難誘導をしていた所、急に後ろから……」

「囲まれそうになったのを何とか脱しましたが他の者は群がられて」

「いい、分かった。今から老人ホームへ向かうが車内で少し休んでいろ。誘導には加わらなくていい」

 他の分隊に手当てを命じて暫し揺られる。老人ホームは既に避難の準備を終えており、道路には数台のワゴン車がハザードを点けて待っていた。

 降車して話を聞くと、施設長はもう何時でも出られると答えた。有難さを感じつつ避難先の中学校を指示すると車列はそこを目指して走り出す。

 ここはこれでいい。次は何をするべきだ。


 同時刻、銃対の第1第3分隊は件の場所で集団と接敵。何体か仕留めるもそれ以上は叶わずに後退。竹内の命令で大野クリニックへ転進し搬送車両の導線を確保するべく移動した。大塚館方面の農道に居た第2第4分隊は伊達署へ退避。向かって来るか分からない前方の敵集団に備える。

 銃対の後方で避難誘導に当たっていた1機第3小隊は伊達署官舎の世帯を含むJA資材センターへ向かった避難民警護のため移動。何かあれば必要な場所へ向かう態勢を整えて待機に入った。


県警本部

 航空隊ヘリあづまから送られて来るリアルタイムの映像を見ながら小野本部長以下の重職にある人間たちは各方面に指示を飛ばしている。

 特に市内へ入ろうとしている搬送車両の車列には神経を使った。

「交機はまだ展開が終わらないか」

「先々で遭遇してしまい大きく迂回する車両が後を絶ちません。下手すれば意味のない事に……」

 表面上はそう感じさせないが小野も内心は焦っていた。1機第1小隊の壊滅に伊達署へ迫りつつある敵集団。大野クリニック前の小隊。そして搬送車両。考えていた最悪のケースよりも悪くなりつつある現状。果たして陸自の到着まで支え切れるのだろうか。

「刑事部長」

 能面のような顔になった機動捜査隊長が平戸刑事部長に近付いた。何か耳打ちしている。小野はもうそこで本能的に「良くない報せ」だと分かってしまった。

  しかしそれは平戸の口を介して聞かなければならない。問題なく動いている指揮系統とはそういうものだ。

 2~3分後、平戸は1枚の紙切れを持って小野の元へやって来る。

「機捜11、路線バスの添乗員と乗客の避難誘導中と連絡がありましたが以後、通信が不通です」

「…………個人用受令機への呼び掛けは続けてくれ。落ち着いたら連絡があるかも知れん」

「承知しました」

「こちらあづま、伊達署前方の敵集団が北側へ迂回しつつあります」

 全員の目がモニターを向く。炎で前進を阻まれていた集団は銃対の攻撃がなくなった事で移動を開始。150号線の上を悠々と進み始めた。

「……何か連絡はいいのか」

「最悪の場合、変に名残惜しくなるだけです。連中が行かない事を祈ります」

 堂本が芳村にこっそり聞いたが芳村は涼しい表情だった。今、伊達署は大忙しの筈だ。そこへ県警本部と言う現状は安全な場所に居る自分が何か連絡をした所で状況は変わらない。芳村はそう考えていた。

 向こうは向こうで何かしら考えているに違いない。それに期待するしかなかった。



追記

一応ですが補足になります


第2機動隊:"常設"の第2機動隊を持たない県警が状況に応じて編成する臨時の部隊です。"機動隊経験者と若手警察官"で構成されています。普段は自分が所属する課の仕事をしています。


県警によって第1第2機動隊が常設の場合、この第2機動隊に相当するのは第3機動隊となります。第3機動隊まで常設だったら第4機動隊になるようです。

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