蹂躙1
伊達署からサイレンを鳴らして突っ走る車列は新興住宅地に達した。しかしそれよりも前に現場空域へ到着していた航空隊ヘリ"あづま"から嫌な状況を聞かされる。
「あづまより各移動、最も奥まった地点にある住宅周辺に複数のムカデを視認。動きはそれぞれ異なるため予想される移動先も分からない」
「伊達1分隊了解。森を背にした住宅周辺の警戒を強化してくれ。残っている住民たちを逃がしたい」
「あづま了解」
林道の出入り口近くでは既に第3分隊が拡声器を使用した避難の声掛けを始めていた。曲がり角の先はムカデが5匹。最初の報告よりも増えたらしい。鈴森は第3分隊長の石上に近付いた。年は石上の方が2つ上だがほぼ同期。タメ口の仲だ。
「石上、玄関先にムカデが居る世帯は何所だ」
「1つは角の手前から6つ目。もう1つはムカデが動いた隙に家を飛び出したから保護した。所がその途端に数が5匹に増えやがった。全部がその6つ目に集まってる」
「分隊長、林道に新手です!」
鈴森とも石上とも名指しされずにただ分隊長と呼ばれたため、2人は同時に林道の方を見た。先頭は3匹。奥にはもっと居る。こちらへ向かって来ていた。
「数えてる暇は無さそうだな」
「後退する、PCを下げろ」
「向こうからも来たぞ!」
林道を正面に見て右側。左の通りに行く角よりも手前にもう1つ角がある。そっちへ延びている通りにも数匹が姿を現した。タイミング悪く残っていた世帯が出て来て鉢合わせとなり、家の中へもう1度逃げ込もうとしたがドアを閉めるのも間に合わず、数匹のムカデは家人を追い掛けて家の中へ雪崩れ込んでいった。
それからほぼ間を置かずに別の集団も出現。幾分、距離が近い。
「銃対は」
「俺らが真っ先に飛び出しちまったからな、到着にはもう少し掛かるぞ」
「この通りに車両がこれ以上来ると身動き出来なくなる。何台かバリケードにしてしまおう」
「意味あるかそれ」
「10秒でも移動を妨害すれば色々変わって来る、急げ」
まず第3分隊のPCで右の通りを塞いだ。続いて第1分隊の覆面車が前方を封鎖。既に先頭のムカデは舗装された部分にまで来ていた。距離にして10m程だ。早く逃げなければ危ない。
「全員後退! 公民館まで下がれ!」
接近中の本隊には状況を説明し公民館で合流する事となる。それよりも先に到着していたのが滝口警部率いる第4分隊だ。避難して来たであろう世帯が幾つか見受けられたが、ここに居るのは危険だから逃げるように促す。
と、ここで1台の覆面車がやって来た。助手席から降りたのは堂本の命令で動画が撮影された家に向かった筈の田村警部補だ。駐車場に居た滝口警部が出迎える。
「無事だったか」
「警部、さっきのが例のムカデですね」
「動いてるのを見たのか。俺はまだ半分の死骸しか見た事がないんだがな。それよりここは危険だ。本部に戻って課長の指揮下に入れ」
「何か手伝わせて下さい。伊達署の連中に有無を言う暇もないまま遠ざけられてしまったんです」
「当たり前だ。何の装備も無しに戦える相手じゃないんだぞ」
公民館の駐車場に新たな覆面車が滑り込んで来た。降りて来たのは鈴森だった。
「田村警部補、田村警部補!」
鈴森は開口一番にそう叫んだ。理由はよく分からないが田村を探しているらしい。
「ここだ!」
腕を上げて答えた。鈴森の視線が田村を捉える。公民館から逃げていく複数の世帯と制服警官の間を縫って田村の元までやって来た。
「伊達署強行犯係の鈴森です。警部補たちは急いで本部へ戻って下さい。そんな恰好では危険です」
そんな恰好と言うが、鈴森たちも大盾を持ち私服の上から機動隊のヘルメットにベストを着ている滑稽な恰好だった。ある程度は身を護れるだろうが、何もないよりはマシなレベルである。
「課長から拳銃携帯の許可は出ている。何も出来ない訳じゃない」
「いいから逃げろ、お前さん方じゃ足を引っ張るだけだ。邪魔になる」
「警部!」
「死に急ぐ必要はない。もし俺たちが全員食われたら出番が回って来る。そうならないようにするが、そうなった時のための人員が必要だ。早く逃げろ」
鈴森に対して威圧的な態度に出る田村警部補に滝口警部が迫った。階級が1つだけ違うとは言えベテランに逆らえる筈もなく、ばつの悪い表情を浮かべて押し黙り自分たちが乗って来た覆面車へ早々に引き返してこの場から走り去る。
「済まん。悪いヤツじゃないんだ。何かしたいって気持ちはあるんだろうが、あの格好じゃ棺桶に入るのを速めるだけだ」
「我々もそこまで防御力が高いって事もないですけどね」
「誰も居なくなった刑事部を立て直せるとしたらアイツぐらいだ。こんな所で死なれちゃ困るんでね」
「警部がその地位に収まれば宜しいのでは?」
「俺が? 冗談だろ。あと5年で定年だ。そんなのが上に居座っちゃ迷惑になる」
「警察官の定年、65まで延長されましたよ。最後に花咲かせるのも一考じゃないですか」
「もう十分この組織に仕えた。老兵は何とやらって言うだろ」
少し遅れて第3分隊も到着。もう何台かPCをバリケードにしたらしく、駆け足でやって来る警官も目立った。貴重な移動手段を景気よく使い捨てて大丈夫なのか不安を覚えるが石上の表情には余裕がない。今ここで何か問い詰めるような事をすればこちらの連携が崩壊する可能性がある。
滝口警部はここで鈴森と石上を集めて分隊長会議を開いた。立ったまま全員に見える所で行う。共通認識を持たせるためでもあった。
「石上分隊は残っているPCに分乗して直ちに住宅地から出ろ。そして外周に非常線を張るんだ。外出していてこの騒ぎを知らない住民たちをここへ戻らせるな。私服刑事がやるより制服警官の方が異常を感じ取らせやすい」
「しかし、まだ残っている人たちが」
「当初の予定通り活動は拡声器を使用した避難の声がけに留める。我々の安全が最優先だ。そのためにも、余計な民間人がここに来るのは拙い」
「……了解しました」
「鈴森分隊は本隊の到着後、第4分隊と共に避難の声掛けをしつつ住宅地を抜ける。それまでは警戒監視を怠るな」
「了解」
一旦は混乱に陥り掛けたこの状況を滝口警部は見事に収めた。しかし、凶報が飛び込む。
「こちらあづま、北西方面に大規模な集団を確認。数は不明。それと公民館の裏の通りにまで来ているぞ」
北西方面に大規模な集団。いや、これはまだいい。距離がある。その次、公民館の裏にまで来ている。聞きたくない言葉だった。駐車場に居る全員が公民館の裏を注視する。
居並ぶ一軒家の1つ。2階の小窓が突然開いた。寝間着姿の中年男性が悲鳴を上げている。どうやっても小窓から出られるような体型ではないが、そこから出ようと必死なのは分かった。何より、血まみれなのが全てを物語っている。
上半身が少しだけ何とか出たものの、後ろから急に引っ張られたのか窓の手すりを両手で掴んだ。腕の力だけで抵抗しているらしい。だが2枚建ての室内側に謎の液体が飛び散ったのを最後に、両手は手すりから離れて家の中に消えた。続いてそこから触角を上下に動かしたムカデが姿を現す。手すりを乗り越えて器用に体を折り曲げ壁伝いに外へ出たが、自重で落下した。塀の向こうに落ちたのでどうなったかは分からない。大きさは4m程度と見た。
続いて隣の家のどちらか。これも塀で状況が分からないが窓ガラスの割れる音と叫声が響き割った。気が狂ったような絶叫が木霊する。こちらに面している複数の透かしブロックから血や肉片が飛び散り、駐車場のアスファルトにその飛沫を広げた。さっきまで聞こえていた声も次第に遠ざかる。
またどの家か分からないが若い女性の悲鳴が上がった。続いて年老いた男性や明らかに幼い子供の声も聞こえる。何も出来ないまま、見えない所で人が食われていくこの現状。彼らの全身にやりきれない力が入る。
「塀から離れろ。こっちに来たら逃げようがない」
「下がれ、駐車場から出ろ」
滝口と鈴森の声で刑事たちは次第に公民館の敷地から出始めた。そこへワラワラと逃げて来た複数の新たな世帯が登場。それらを受け入れて後方へ逃がす中、最後尾に居たジャージ姿の40代らしき男性がクワを振り翳して接近する生物の頭を次々に叩き割っていた。
しかしそれも長続きはせず、死骸を乗り越えて迫る生物に押し倒されてしまう。
あっという間にムカデの波に飲まれ隙間から血が噴き出した。クワを離さない右手だけが動き回っているが、それも長くは続かなかった。
次第に周囲を同様の悲鳴や叫びが包み込んだ。あまりにも理不尽な暴力と殺戮。理性なんてものは連中に全く存在しない事をまざまざと見せ付けられた。人間はただの餌に過ぎないらしい。いや、他の小動物を食らい尽くした末に我々がその側に回ったのかまでは定かではない。何れにしろこれは熊なんて大した害にすらならない存在だ。圧倒的な数が迫ればヒグマとて肉塊と化すだろう。
「竹内から伊達警各分隊長あて、急な命令変更だが集団の方へ対処に向かう事となった。そっちの状況は」
目の前で起きている受け入れ難い光景が竹内隊長の声によって我に返る。真っ先に思考を取り戻した滝口が答えた。
「滝口です。こっちは予定通り避難を呼び掛けつつ後退します」
「よーしみんな落ち着け。石上、早く行け」
「分かった。全員乗車!」
「第1分隊は第4分隊と共にこのまま距離を保ち後退、左右に警戒しろ」
鈴森が本人も望まないリーダーシップを発揮して行動を開始。第3分隊は住宅地から抜け出て数キロ走った所で非常線を展開。戻って来ようとする住民や何も知らない運送業者、郵便局員等に対して状況説明に努める。
第1第4分隊は拳銃で応戦しつつ公民館から撤退。移動の傍らで新たな世帯を保護しながら住宅地を抜け出し始めていた。
もう少しでここから出ようとする瞬間、先に避難を促した複数の世帯が二の足を踏んでいた。不安げな表情を浮かべる彼らの波を縫って前に出た鈴森と滝口は見たくない光景を目の当たりにする。そこには、ムカデが5匹ばかり存在したのだ。
「……どうします」
「残ってる覆面車は」
「3台です」
「1台で1匹ずつ仕留めろ。残り2匹は人海戦術だ。全員腹括れ」
滝口警部の命令で鈴森の第1分隊が持つ最後の覆面車3台が突撃を開始。通りを抜ければそこからは田園地帯だ。
衝撃でバンパーを凹ませながらムカデを轢き殺した覆面車は休耕地の田んぼに没する。残った2匹に総勢約30名の刑事たちが取り付いた。零距離からニューナンブとエアウェイトを撃ち込み、大盾の角を頭部へ執拗にぶつけたり鉄板の入った安全靴で力の限り蹴り上げる。
殆ど奇声に近い声を上げながら攻撃は続いた。いや、これはもう集団暴行に近い何かだったが、こちらを食おうとする存在に情け容赦など必要はない。人間のように取り押さえた所でどうとなる相手ではないのだ。
生物の顔面に大盾を振り下ろしていた刑事が履いている安全靴の先端に吐き出された溶解液が付着。白い煙と共に皮の部分が溶け始めた事に気付いて尻餅を付いた。
「あぁ畜生!」
「脱げ、早く!」
紐を解いて脱ごうとするも上手くいかない。それに気付いた何名かが彼を引き摺って生物から距離を取る。紐を解くのを手伝い、間一髪で脱げた安全靴を田んぼの方に放り投げた。幸いにも溶解液は皮膚にまで到達していない。
「顔の前に立つな、左右から取り囲め!」
関節に大盾の角を捻じ込んで上から体重を掛けると千切れはしなかったが鈍い感触が伝わる。無数の脚を踏み付け、勢いに任せた数名が手で引き千切った。意外と簡単に出来たのが彼らの勢いを強める。数分後、脚を殆ど失って移動手段を封じられ、タコ殴りにされて動かなくなった2体のムカデが転がっていた。
「誰か、弾残ってるか」
肩でしていた息が落ち着き始めた全員を見渡して鈴森はそう聞いた。各々が自身の拳銃や弾丸を入れていたポケットを確認する。2名だけが手を上げた。
「1発だけ」
「自分も」
「トドメ刺しとけ。顔のど真ん中だ。終わったら逃げるぞ」
2名はムカデに近付いて頭部に銃口を向けた。撃鉄を起こし、両手で銃を握り直して狙いを定める。発射された弾丸は貫通しなかったが、入射孔からは出血が見られた。アスファルはすっかりムカデの血で染まっている。
何回かムカデを蹴って見るも全く反応は無い。死んだようだ。長居は無用とばかりに走り出す。
「第3分隊と合流する。後方の警戒も忘れるな」
「警部、あれ見えますか」
先頭を行く滝口の横を走る鈴森が何か言った。振り向いた滝口は鈴森が指差す方向を見やる。そこには田んぼが広がっているだけだが、地面が不気味に蠢いているのが分かった。あづまの報告にあった北西方面に出現した集団に間違いない。何所へ行こうとしているのだろうか。
「なんて数だ、何所から湧いて出て来やがった」
「あの山の中にまだまだ潜んでるんですかね」
「警察の仕事じゃないなこりゃ。早く陸自の力が欲しい所だ」
あんな数と戦うのは不可能だ。2匹を相手に約30名がギリギリで勝てたのも奇跡に近い。とにかく今は合流する事だけを考え、両足を無理やり前に動かすしかなかった。
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