蹂躙2

 左右に田畑が広がる片側一車線の道路を3両の青い人員輸送車がサイレンを鳴らして疾走する。凡そ似つかわしくない光景だ。

 第1第4分隊が徒歩で移動している最中、本隊は北西方面に出現した集団の進行方向にある住宅地へ到着しようとしていた。だがこれは生物集団の方が僅差で早かった。何も知らない住民が歩いている所に大量のムカデが殺到。一瞬で地獄絵図が展開された。

 そのちょうど反対側から人員輸送車が住宅地へ次々と入って行く。ここからは時間との勝負だ。

「全員降車、直ちに避難誘導を開始する」

「全員降車!」

 けたたましいサイレンと共に住宅地の中へ入って来た人員輸送車に人々が驚く。車内から飛び出した機動隊員たちは目を白黒させている住民へ急いでここから逃げるように促した。

 何が起きているか分からない住民たちの反応は薄く、動きが悪かった。住宅地の反対側で何が起きているか分かっていないので無理もない事だが、時間も多くは残されていない。そこに発破を掛けたのが勢いよくバックして来る軽ワゴンである。後ろから追突された住民数名が突き飛ばされ、恐らくそれに驚いた運転手がハンドルを余計に切った事で民家の塀に激突し停車した。

 軽ワゴンのフロントガラスには全面にヒビが走っていた。ボンネットも大きく凹んでおり、見た事のない色の液体が付着している。何かとぶつかった事を暗に物語っていた。その混乱が収まらない内に今度は衣服が血で染まった住民が押し掛けて来た。何人かは足を引き摺ってもいる。

 先頭の人員輸送車から降り立った一機第1小隊長こと野口警部は隷下の分隊長たちが固まっているのを見て指示を飛ばした。優先順位を付けなければ彼らも隊員たちに命令が出来ない。

「怪我人を車両に乗せて保護。ある程度の人数になったら伊達署まで戻る。第2、第3小隊長、意義は」

「意義なし」

「了解」

 負傷した民間人を人員輸送車に収容する作業に追われた。今、自分たちと生物群の距離がどれだけあるのかも分からない状態である。下手すれば逃げ遅れる可能性もあった。

 航空隊の"あづま"より周辺の状況報告が入って来ない事から、近くには居ないのだろう。しかし装備や人員の面で考えると伊達警備隊は自分たちより圧倒的に劣る。向こうに張り付いていた方が理に適っているも、空の目が欲しいのは明らかだ。もし手が空いているならと考えた野口は運転席の受令機を手に取って交信を試みた。

「こちら機捜11、伊達第1第3、及び第4分隊と合流、離脱支援のため後方警戒を実施」

「機捜12は交機03と共に県道387号線で非常線を展開中、異常なし」

「機捜隊長より機捜各車、拳銃使用は各員の判断に委ねるが安全第一で臨まれたい、以上」

「金原田地区発の110番が更に複数入件中、至近のPCは警戒願う」

「交機02、北西方面に出現した大規模な生物集団の一部を視認、このまま監視に当たります」

 無線から取捨選択に迷う情報が次々に雪崩れ込む。"あづま"が呼び掛けに答えてくれるか微妙だ。

「二機第1小隊長から一機の応答可能な各指揮官当て、応援が必要であれば向かいます、どうぞ」

 野口は咄嗟にその交信を拾った。今ここに一応の形をしているとは言えほぼ寄せ集めの部隊が来るのは拙い。

「こちら一機第1小隊長、そちらの現在地は」

「伊達署まで移動完了です」

「待機願います。何かあれば竹内からそちらの古川隊長を経て指示が出る筈です」

 指揮系統の全体像がボヤけている感じがした。一機、二機、銃対、伊達警備隊の4つを纏める存在は誰なのだろうか。全員が今回における県警の方針に従っているだけで、具体的な命令の下で動いている訳ではないように思えてしまう。

「小隊長、第3小隊の車両が伊達署に戻ります。車両収容分と徒歩移動する住民の護衛で第3小隊も分割すると」

「分かった」

 交信を終えて車外に出た。"あづま"は一旦後回しにする。通りをバックして方向転換の後に走り去る人員輸送車を見送って状況の再確認を始めた。

「どんな感じだ」

「人の流れが疎らになって来ました。頃合いと思われます」

「撤収用意、最後尾の車両から直ちに方向転換しろ。1両ない分は2両のどれかに乗り込め」

 1台を伊達署に戻してしまった関係上、それに乗っていた隊員たちは残りの2両に分乗するしかなかった。詰め込めば何とかなるだろう。

「分隊長、もう1人だけ構いませんか」

「早くしろ。逃げ遅れるなよ」

 T字路の角から這ってこちらに来ようとする住民の上半身が見えていた。あれを最後にこの住宅地から逃げようと考えた機動隊員は同僚数名と共に救助へ向かう。盾を脇に抱えて走り、曲がり角までもう少しと言う所で住民が急に角の向こうへ引き戻された。何が起きたのか分からず、確認のため角の向こうに出た瞬間、想像を絶する光景に硬直した。

 通りはアスファルトを埋め尽くすムカデで満ちており、住民を引っ張ったのはその内の1匹だった。片足に噛み付かれたままズルズルと集団の中に引き摺られていく。隊員たちはあまりにも咄嗟の出来事で足が動かず、逃げようと思考しながらも反射的に拳銃を握って撃ち始めた。

 威力と命中率以前にこの数。到底、捌ける量ではない。

 足を引っ張られた住民は隊員たちの目の前で貪られていく。ここでようやく"次は自分たちだ"との意識が芽生え、同時にあの住民が引き戻された事に警戒心を抱かなかったのを後悔した。

 半ば恐慌状態のためシリンダーの弾丸は瞬く間に尽き、ポケットの次弾を取り出す事は叶わず、彼らもムカデの波に飲まれた。

 飛び掛かって来たムカデの重さでそのまま押し倒され、上半身を無数の脚で包み込まれる。ヘルメットが牙でガリガリと擦られた。右腕を自分とムカデの間に捻じ込んで何とか剥がすも左腕が別のムカデに噛まれて力任せに引きずられてしまう。プロテクターに牙が食い込んで抜け出す事が出来ない。取り外せば何とかなるかも知れないが、体の上を別のムカデが乗り越えていくのを見たせいで冷静な判断も叶わず、ただ悲鳴を上げてのた打ち回る存在になり下がった。

 また別の隊員は足に噛み付いて来たのを蹴り上げて撃退するも2匹3匹と寄って集られて倒れ込んだ。首の隙間に牙を突き立てられて出血し、顎紐が同時に切られた事でヘルメットが脱げる。下には出動帽を被っていたがその上から頭に噛み付かれ振り解こうとするも、急速に失われていく血液によって全身に力が入らない。

 1人は盾を捨ててなりふり構わずT字路の先、野口達から見て直進方向へ走った。もう1人は最後尾に居たため襲われている2人とは少し距離がある。その分で思考が再開する時間を得られた。

 選択肢は1つ。部隊に合流する事だ。輸送車の方を見ると分隊長が手招きしている。あそこに戻ればいい。

 2台目の人員輸送車も方向転換を始めた。乗り遅れる訳にはいかない。大急ぎで分隊長の所へ辿り着き、呼吸も落ち着かないまま1台目に乗り込んだ。

「何を見たかは聞かん。今は忘れろ。まず逃げるぞ」

「撤収だ、出せ」

 エンジンが掛かり、1台目も方向転換のためバックした。後方の曲がり角へ車体を入れてから元居た通りの反対方向へ出るためだ。路線バスと同じ車体。トラックなどがそうであるように、方向を変えるのは時間が掛かる。

 曲がり角へゆっくり入って車体を全て通りに収める。それから少し直進してハンドル切りながら出たが、正面の通りからこちらに別の集団が近付いて来るのを運転手の隊員は見てしまった。

 焦るあまりハンドルを切り過ぎ、車体の右側面と左後方の角が塀に当たる。当然だがこれでは逃げられない。

「落ち着け、少し下がってもう1度切り返せ」

「すいません」

 再チャレンジ。出られそうだったがまたつっかえた。3回目。1回目と同じように車体が当たる。4回目。もうタイヤの下まで集団が来てるがこれも出られない。左側面にムカデの壁が出来始めた。

「こちら第2小隊長。大丈夫か」

「構うな! 早く逃げろ!」

 野口が2号車に返事をした瞬間、誰かが悲鳴を上げた。そしてガラスの割れる音がする。それが何を意味しているのか。口にしなくても分かっている事だった。

「外に出ろ! 走れ!」

「降車! 降車!」

 反対側の窓を開けて外に飛び出す。視認性を高めるため投石防護用の金網を外していたのが幸いだった。しかし、全員が出られた訳ではない。乗っていた20名弱に対して外に出れたのは約半分だ。装備も何も放り投げて住宅地から脱出し、1号車を気に掛けて住宅地の手前で待機していた2号車と合流出来た隊員たちの中に、野口小隊長の姿はなかった。

 

 この時、銃器対策部隊は住宅地の右側へ回り込んでいた。MP5の射程ギリギリから集団に攻撃を加えて誘引し避難の時間を稼ごうという作戦だ。所が思っていた結果にはならず、集団は仲間の死体を踏み付けながら前進し続けている。

「弾の無駄だな」

「ですがこれ以上近付けば危険です」

 前に出る事は出来ないが、退けば作戦にならない。隊員たちの足元に増えていく空の弾倉と薬莢を見ていた小埜澤は内心で選択を誤ったと考えていた。とは言え大志田の言葉通り、これ以上の接近は危険を伴う。何しろこっちは伊達警備隊よりも数が少ないのだ。判断を間違えれば一瞬で壊滅する。

「本隊の状況はどうだ」

「第3小隊の車両が怪我人を乗せて伊達署まで戻り出しているそうです。住民たちも目に付く限りではこの住宅地から逃げられたみたいです」

「手の届かない所でどれだけ死んだかと思うと何を言っていいか分からなくなるな。ここから出た住民たちの護衛はどうなってる」

「確認します」

 大志田が第3小隊長に確認を取った。怪我人を収容した人員輸送車に1個分隊、徒歩移動の住民に1個分隊が護衛についており、小隊を分割したそうだ。残っているのは2個分隊になる。

「第3小隊は人数を半分にしたとの事。車両に1個分隊、徒歩の住民たちに1個分隊をつけたそうです。尚、伊達警第2分隊が途中まで出迎えに来ていると」

「口出し出来る事じゃないが避難民の収容先も調べておかないといかん。もしかすると警護が必要になるかも知れんぞ」

「何だかんだまだ決まっていない可能性がありそうですね」

「同感だ」

 そのまま暫く攻撃を続行する。数分後、自分たち以外の銃声がしたのを、隊員たちは薄っすらと耳にしていた。これは小埜澤と大志田の両名も聞いている。

「……向こうも接触したのか」

「まだ情報は流れて来ませんが時間的にはそろそろと思われます」

 よく分からないが嫌な予感がした。小埜澤は全分隊に射撃中止を下命。分乗して来た2両の小型警備車に乗り込んで弾丸を補給させた。その後はガンポートから見える範囲での攻撃に留める事を厳命する。

「……隊長」

 無線を聞いていた大志田が小埜澤に近付く。その表情は文字通り、苦虫を噛み潰したものだった。何事かと思考を巡らせるか今の状況を考えると良い報せはありえない。

「包み隠さず言え」

「野口小隊長の1号車が逃げ遅れている模様。方向転換が上手くいかず、生物の波に飲まれる寸前らしいと」

「具体的には分からんのか」

「2号車と1号車の間には既にかなりの距離が出ているのでしょう。2号車から正確に見えている訳でもないと推測します」

「くそ」

 小埜澤は無線機を手に取って野口との交信を試みた。しかし同様に無線を聞いていたであろう多くの覆面車やPCが状況を確認しようとしたらしく、あちこちから呼び掛けが始まっている。これでは個人同士のやり取りなんて不可能だ。

「移動するぞ。一機が入って行った通りの入り口まで回せ」

「了解」

「射撃中止、到着までに撃った分を込めておけ」

 2両の小型警備車は逃げる事を考えて予め移動ルートに向けて駐車してあった。そのため移動はスムーズに行う事が出来た。住宅地の外周を走って一機が入って行った通りの入り口に達すると、右手の奥で道路を塞ぐように停まっている人員輸送車が見える。

 車内はムカデで満たされていた。あの中に人が居ても判別は無理だ。諦めるしかない。

「……遅かったか」

「向こうには2号車と……恐らく第1小隊の隊員も居ますね」

 大きさ的に車体の下を潜る事は出来ないらしく、ムカデは人員輸送車の窓からボトボトとこちら側に出ていた。2両で通りを塞いでの攻撃を下命。車体の左側に位置する装甲で覆われたドアから外に出る。

 アスファルトに座り込んだ機動隊員数名に近付くも、彼らは動こうとしなかった。こちらを見ても反応が薄い。何より野口の姿がない事に焦りを覚えた。

「野口はどうした!」

 誰も問い掛けに答えない。唇が細かく震え、全員が今にも泣き出しそうな顔をしている。そこへ第2小隊長こと雨谷あまがい警部補がやって来た。小埜澤の肩に腕を回して通りの方を向かせる。後ろの隊員たちに聞こえない声量で話し始めた。

「間に合わなかった。あの有様だと話も聞けない。取りあえずこっちの車両に収容して伊達署に戻る」

「…………何が起きた」

「方向転換が上手くいかなかったようだ。仮に運転手が生きていても責められる事じゃない。俺だって目の前に迫っていたらと思うと分からん」

 ほぼ1個小隊が小隊長と共に喪われた。一機は約3分の1の戦力減。それがこの事態の中盤頃であればまだ納得出来たかも知れないが、本格的に始まり出した最初の局面においての出来事だ。練度の高い部隊でこの損耗は中々受け入れられるものではない。

「言い合いも追及もするな。竹内隊長には俺から一報を入れる。その後でそっちに何か指示が出る筈だ。それまで足止めを頼むが無理はするなよ」

「……分かった」

 両者は別れて歩き出した。片方は部隊を伊達署に戻すため。もう片方は迫りつつある生物集団を足止めするために。

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