蹂躙3

 第2小隊長の雨谷によって齎された報告は伊達署に陣を構える警備本部の空気を重く落とし込んだ。隣でやり取りを聞いていた平山の顔は引き攣っている。

 しかし竹内は一切を表情に出さず、足止めに残った銃対へ指示を飛ばした。

 手に持っている受令機が僅かに軋む音を立てたのは意外と誰にも聞こえなかったらしい。

「見える範囲で数は分かるか」

「30まで数えた所で諦めました」

「直ちに後退、保原総合公園に行ってくれ。補給も用意させておく」

「了解、向かいます」

 銃対との交信を終えた竹内はテーブルに周辺の地図を広げた。それから他の部隊の現在地を確認する。周りには機動隊副隊長の麻生と伊達警備隊第2分隊長こと柳沼警部補、第5分隊長の橘内警部補も集まった。

 これに加え人数が最も多い第4分隊の中でここに残っている2人の班長も隙間に体を突っ込む。

「第3小隊、現在地は」

「伊達署までもう直ぐです。住民の保護をお願いします」

 後ろのホワイトボードに一課の刑事が部隊の状況を書き込み始めた。これとは別で平山が地図上に現在地の分かっている部隊をボールペンで記していく。

「了解。それが済んだら弾薬を積んで保原総合公園に行って欲しい。銃対への補給を行う」

「分かりました」

「第3小隊が見えました」

 外を見ていた柳沼警部補が第3小隊の到着を伝える。1台の青い人員輸送車が伊達署の敷地内に入り、車体中央のドアから収容していた住民たちを下ろし始めた。平山は内線で1階受付の係員に住民の受け入れを指示。更に残っている刑事課の捜査員たちへも手助けするよう命じた。

 伊達署の1階が俄かに慌ただしくなり、窓ガラスを通して下階からの声が僅かに聞こえて来る。


 第3小隊長を務める葛西かさい警部補は停車と同時に住民を伊達署に誘導するよう各分隊長たちに命令。更に数名を徒歩移動している者たちの出迎えに向かわせた。

「担架を取り急ぎ4つ、それと軽傷者数名、医務室を開けて欲しい」

 正面入り口から飛び出して来た警務課の係員たちにそう伝えた。自分で歩ける者は受付の椅子に座らせ、そうでない者は機動隊員たちが抱えたり背負ったりして署内に運び込んでいく。

 担架を手に取って戻って来た係員たちが足を怪我した住民を乗せて医務室への収容を開始する。

 入れ替わりで第2分隊の刑事たちが実包が入った無数のケースを外に積み上げ始めた。銃対に渡すための弾薬だ。これを積んで保原総合公園に行かなくてはならない。銃対はまだ時間稼ぎのため現場に残っている。消耗が激しい筈だ。早く届ける必要がある。

 しかしこちらも無尽蔵に体力がある訳ではない。

 住民たちを伊達署の人間に明け渡し終わった者は少しでも休息を取れと触れて回った。それが終わるとヘルメットの顎紐を緩めて頭から外し、中に被っている略帽を正して警備本部のある上階を目指した。

 無線で状況は終始把握していたが、第1小隊がどうなったのかこの耳で聞かなくてはならない。ノックも手短にドアを開け放って中に踏み込んだ。

「葛西です。第1小隊の件で」

 本部に居る全員の視線が葛西に集中する。一瞬だけたじろぐも足を進め、竹内の所まで来た。振り向いて葛西と目を合わせる竹内の表情は固い。

「第1小隊に関しては無線で聞いた通りになった。落ち着くまで小隊番号の繰り上げや指揮系統の変更は行わないものとする。今は考えなくていい。隊員の装備に問題はあるか」

「……いえ」

「トイレ等が済み次第に保原総合公園へ向かってくれ。まだ始まったばかりだぞ」

「…………了解」

 やはりあのやり取りは現実なのだ。どう言っても何も変わらない。過去の事と割り切るしかない。自分たちも同じ事にならないようにする。今はそれが大切であると葛西は飲み込んだ。

 1階に戻るとケースの積み上げは終わっていた。車内へ運んでいる内に徒歩移動していた隊員たちと住民も伊達署に到着。小隊としての陣容が整うとまた人員輸送車に乗って、命令通り保原総合公園を目指して走り出した。


 現場から戻った葛西の登場で警備本部が張り詰めるも、竹内は見事に収めた。今は第1小隊の顛末に悲しみや後悔を感じている暇はない。各部隊の状況を把握し、敵の動きも確認しなければならないのだ。

 ホワイトボードに書き込まれた部隊の状況と平山が地図に書き込んだ現在地。それが竹内や麻生の中でも共有され始める。


1機第1小隊・生存者8名(3名は第2小隊の隊員)

1機第2小隊・第1小隊車に乗っていた隊員数名の安否不明 伊達署まで後退中

1機第3小隊・伊達署まで後退の後、弾薬を乗せて保原総合公園に移動中

銃対・保原総合公園へ向けて移動中

伊達第1・3・4分隊 大塚館周辺に移動集結、待機中

2機第1小隊・伊達署 庁舎裏で待機

2機第2小隊・県警本部 待機


 第3小隊と銃対はいいタイミングで落ち合える筈だ。問題は補給後の銃対をどうするかだが、障害物のないフィールドで数に物を言わせる集団に対抗は出来ない。しかし直接的な火力は彼らしか居ないのだった。


 伊達3個分隊が居る大塚館は大塚古墳群と呼ばれる地域の一部で、かつてはそこに城が立っていたらしい事が分かっている。位置としては保原総合公園から東に700mばかりの所にあった。当然だがここも何もない平野部だ。ベテラン揃いの刑事たちと警らのエキスパートが集まった所で何かが出来る訳ではないし、さっきまでの戦いと移動で消耗仕切っている。

 鈴森と滝口を始めとする刑事たちは自分たちを尻目に伊達署を目指して走り去って行く人員輸送車と後続する2両の小型警備車を見送り、生物の群れが迫りつつある東に向き直った。流石に距離が開いているので集団の姿は見えない。

 しかし、ここで何かしらの時間稼ぎが要るのは明らかだ。

「ここに来ると思うか」

「分かりませんよそんなの」

 第1分隊を率いる鈴森は自身が勝手に副分隊長として指名した武藤に対して聞いた。連中がどういう思考で動いているかなんて分かる訳がない。移動ルートの予想は不可能だ。

「鈴森巡査部長。取りあえず周辺の住民を逃がそうと思うが何か意見は」

「ありません。見張りを何名か立てて避難を急がせましょう」

「ではこっちも」

「第3分隊は足の不自由な高齢者を乗せて伊達署まで先に行ってくれ。PCは君たちの分しか残っていないからな」

 新興住宅地から脱する際、覆面車は全て質量兵器として使ってしまっていた。お陰で助かったが移動手段を失う羽目になる。

「了解、急ぎます」

 手分けして民家の扉を叩き、最低限の物だけを持たせて避難を促した。納得仕切った住民は居ないが遠くから聞こえる銃声やサイレンで異常は感じ取っていたらしく意外と素直に従う。

 滝口が言う通り足腰の悪い高齢者をPCに乗せた第3分隊は真っ先に走り去る。続いてその家族たちも移動を始めた。

「鈴森です。大塚館周辺の住民をそっちへ逃がしたので保護願います」

「住民に関しては了解した。周辺の状況はどうだ」

 無線の向こうに居るのは平山だ。後ろの方から聞こえる声が焦燥感を煽る。伊達署もかなりバタ付いてるようだ。

「まだ静かですね。我々はどのタイミングで戻ればいいですか」

「それなんだが第1小隊の件は聞いているな」

「オブラートに包んでも包み切れない件は知ってます」

「では説明を省く。現状、暫定的にだが大塚館の辺りを警戒線とする事になった。ヘリの支援も付ける。今こっちでどの範囲までを2個小隊と銃対で護るのか打ち合わせしながら消防に機能移転の件を通達している所だ」

「因みに県警本部からは何か」

「知事の方へ連絡はしたそうだ。待つしか出来ないがな」

「皮肉なもんですね。我々が矢面に立たない計画を立案したのに本末転倒じゃないですか」

「可能性としては最も高かった事態だ。今更どう言っても始まらん」

「因みにですがある程度の裁量権は貰えると考えていいですか」

「必要だと思う事は実行しろ。事後報告で構わん」

「了解、そのようにします」

 通信を終えた鈴森は携帯を取り出して地図アプリを立ち上げ、自分たちがいる周辺の様子を確認した。

 だがそれも束の間、聞きたくないニュースが飛び込んだ。

「こちらあづま、生物集団が伊達市に向けて移動を開始。一直線に向かってる」

 航空隊ヘリ"あづま"からの報告を聞いた事で分隊に動揺が走る。武藤は思わず後ろに居る鈴森を見やった。鈴森だけがただ1人、この状況の中で連中の行動を妨害する方法を考えている。そんな気がしたのだった。

「どうします、だだっ広い田んぼに連中の勢いを殺すものなんてありませんよ」

「……あるにはあるな。警察がやっていい事じゃないが」

 鈴森は民家に停まっている車を見ながらそう言った。田舎特有の数台持ち。家族が多いほど車の数も増える。少なくても2~3台。多ければ4~5台。悪手である事は分かっていても、敵集団の前進を阻害して且つこの場に居る全員に死人を出さず伊達署まで連れ帰る方法としては最善に違いない。

 幸い、最も近い民家の敷地に灯油ポンプとポリタンクが見える。あれを借りる事にしよう。

 鈴森はそう判断して部下たちに向き直った。

「道路にガソリンを撒け。車1台を吹っ飛ばしたら流石に高くつくが運転席側の窓ガラスせいぜい12~3枚。どんぶり勘定でも200万程度あれば直せる額だ」

「正気ですか?」

「俺に銃で脅されたと言えばいい。残弾は離脱時の混乱であるかもないかも分からないから取りあえず従ったと証言しろ。議論している暇はないぞ」

 走り出した鈴森は1台に近付き、エアウェイトの台尻で運転席のサイドガラスを叩き割った。車内に腕を伸ばして内鍵を開けてドアを引っ張り、給油口のレバーを探し始める。横に居た宮本が思わず嘆いた。

「無茶苦茶な……」

「ガムテが居るか? 実際に手口としては確立された方法だ」

「躊躇しない所が何かを物語ってますね。もしかして更生したクチですか」

「そこまで話す義理はないな。いいからやれよ」

「巡査部長、まず俺に相談して欲しかったな」

「中堅が命張らなきゃ誰も着いて来ませんよ。警部は逃げ遅れの捜索で知らなかった事にしといて下さい」

 あちこちでガラスを割る音が聞こえる。中には防犯ブザーが作動してけたたましい音が鳴り響くものもあった。だが気にしている暇はない。ドアを開けて給油口のレバーを引き、大急ぎでガソリンを搔き集めていく。

 鈴森率いる第1分隊はスムーズにポリタンクをガソリンで満たしては道路に運んでいった。しかし第4分隊はこの行動に抵抗感を覚える者が多く、あまり気が進まないらしい。

 仮にも県警捜査一課の人間が窃盗の真似事に手を染めるなど、普通に考えれば誰がやりたいものか。

 とは言え誰もこの状況を劇的に変えられる手段を持ち合わせてはいない。そう考えれば今は自らの行いに目を瞑るしかなかった。

「警部、煙草ありますか」

「最近はアイコスばっかりで肩身が狭いんだ。無駄遣いするなよ」

 滝口はそう言うと内ポケットからソフトタイプのセブンスターを取り出して鈴森に手渡した。既に10本ばかり吸っているようで中にライターが入っている。好都合だ。 

「そんなに広くなくていい。せいぜい1mぐらいの幅で道路に撒け」

 新興住宅地の方向から伸びる県道150号線と大塚が接する最初の分岐点から大塚館に掛けた道路にガソリンを撒いていった。ガソリンは常温でも発火する可燃性ガスを放出している。そこへライターでも近付けようものなら一瞬にして火が点くだろう。

 鈴森は少し曲がったセブンスターに何の躊躇いもなく火をつけ、2~3回ふかした後に放り投げた。

 モーゼの十戒とはまた違うが、田園の中を突っ切る1本の道路に撒かれたガソリンが火をリレーしていった。その距離、約500m。曲がり角もなぞるように火の手が上がる。瞬く間に登る黒煙と鼻を突くガソリン臭が周辺を支配した。

 目の粘膜も刺激され、居合わせた刑事たちは目頭を抑えながら後ろに下がっていった。

「よーし燃えろ燃えろ」

「後で問題になりますよこれ」

 またもや武藤が鈴森に問い掛けた。やってしまった事を今更どうこうは言えない。しかし自身が背負う職業に対して背徳的な行為であるのは間違いなかった。

 それが急激に武藤の罪悪感を募らせていく。

「一帯に火の手が回って結果的に連中を押し返せればめっけもんだ。さすがに阿武隈急行線を越えるような延焼にはならんだろ。署に戻るぞ」

「事後報告でもこんなの聞いたら副署長怒りませんか」

 武藤の言葉など露知らず、燃え上がる炎に背を向けて鈴森は駆け足を始めた。それに続いていく第1分隊を見た第4分隊の刑事たちも同様に駆け出す。急がなければお陀仏だ。第1小隊の二の舞は避けなければならない。

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