第2話

 固唾を呑む音が、広間に響く。


俺の指し示す方向へ、皆が歩き出した。


玉座の背にある壁には、その全面に複雑な文様が刻み込まれている。


今は何の役にも立たないただの凹凸だが、これらは全て、一種の魔方陣のような役目を果たす。


「すげぇな。さすが世紀の大魔王の城だ。ここからどんな魔物でも呼び寄せられる」


「それが強さの秘密ということか。魔力を結晶化して保管したり、分け与えたり。能力を分散することで、全滅することを回避していたんだ」


「だから中央議会は、悪夢があるかぎり安心できないのね」


 俺はその壁の一部に手をかざす。


呪文を唱えた。


緑の光りが、凹凸に沿って走りだす。


壁の一部が長方形に切り取られ、音も立てず開いた。


「この奥か?」


 俺は何も言わず、三人を見上げた。


歩き始めた後ろから、彼らがついてくる。


そうだ。


そうやって、黙ってついてくるといい。


お前たちはきっと、エルグリムの悪夢を実際に目にした、最初で最後の人間になるだろう。


この先も全て、魔法石を魔力でもって磨いた通路になっている。


俺がいなければ、決して中には入れない道だ。


黒く光り輝く、魔法で塗り固められた通路を進んでゆく。


目の前に、再び扉が現れた。


「この先か?」


 ディータが真っ先に飛びついた。


そこに刻まれた魔方陣を、かぶりつくようにして眺めている。


「す……、すっげぇなこの模様。こんな術式、見たこともないぜ……」


「どうやってこの封印を解く? 一度本部に戻って、ユファさまの指示を……」


 そう言ったイバンの隣で、フィノーラは勇者の剣を抜いた。


「そんなの、ぶち壊せばいいのよ」


「おい、やめろ!」


 刃こぼれしている剣先を、思い切り扉に叩きつけた。


耳を切り裂くような高い高音が、周囲に響き渡る。


大の男二人が呆気にとられるなか、俺はつい腹を抱えて笑ってしまった。


「あはははは。だからどうして、お前はそう乱暴なんだ!」


「うるさいわね、やってみなくちゃ分からないでしょ」


「勇者の剣なんだぞ、もっと大切に扱ってくれ」


 扉には傷一つ入っていない。


当たり前だ。


そんなもので壊れるくらいなら、もうとっくにここも見つかっていただろう。


「じゃあどうやって開けるのよ! また転送魔法を使うっていうの?」


「つーか、だったら最初っから、大魔王のところじゃなくて、悪夢のところへ行きたいって願えばよかったんじゃね?」


「そんな単純なことではないのだろうな、きっと」


 笑いすぎて腹が痛い。


もういいや。


扉に手をつくと、それはスッと開いた。


「……。開いたな」


 ディータはため息をつく。


イバンは静かに首を横に振った。


「何が起きた?」


「扉を開いたんだよ。俺が。悪夢へ向かうために」


「……。とにかく、先へ進みましょうよ」


 扉の向こうは、むき出しの地層がそのままになっている。


ここからはまた、蟻の巣のように複雑なダンジョンだ。


支給品の松明で進むとか、そんなダルいことを言い出したから、暗視魔法をかけてあげる。


「ナバロはこの魔法で、落とし穴から決戦の間まで来たのか?」


 イバンが言った。


「王の間だよ。決戦の間だなんて、そんな縁起の悪いことを言わないでくれ」


「そういう魔法を知っていたんなら、最初からかけてくれればよかったのに」


「なんだか急に、思い出したんだ」


 悪夢はもうすぐだ。


「フィノーラ、そっちじゃないよ。ディータも間違ってる。イバン、その先には罠が仕掛けてあるから、武器が呪われてしまう。悪夢はこっちだ」


 むき出しの土は、酷く乾いていた。


地表は草も木も生えぬ程の岩盤で覆われているのだ。


岩の割れ目から染みこんだ水は、地下を流れる大水脈となって、この地を抜けグレティウスの城下町まで続いている。


ここにはもう、魔物たちの気配すらない。


「ナバロは、悪夢の臭いを感じているの?」


 ふいに、フィノーラが言った。


「まるで場所が分かるみたい」


「感じるね。強い魔法の香りを。この城全体を覆う魔力の中でも、ひときわいい匂いがしている」


「ディータには分かるのか?」


 イバンの問いに、彼は首を振って笑った。


「魔王の力にかき消されて、そんなのサッパリ分かんねぇよ」


「だけどここにも、聖騎士団の連中がかけた結界が、効力を発揮しているわ。どうしてかしら」


「……。エルグリムが、死んだからだろ」


 土塊の狭い道を、歩いては曲がり、上っては下りる行軍が続く。


俺以外の三人には、うっすらと汗が滲み始めた。


「しっかし、熱ぃな」


「空気が悪いのよ。吐きそう」


「もう少しだ。頑張ろう」


 お前たちさえ来なければ、もうとっくに終わっていた話だ。


こんな迷路、作った俺ですら、まともに歩いたことなんてなかったのに。


どうして俺は、こんなことをしているんだろう。


「なぁ、悪夢を見つけたら、本気でどうする?」


 ディータはそう言って、流れる汗を拭った。


「かち割って山分けとか、やっぱナシ?」


「……。割ること自体には賛成よ。だって見つけたら、即刻割るように、ハンマー持たされてるんだから。そうよね」


「……。そうだな」


 最後の角を曲がる。


それまで狭かった通路が、一気に広がった。


悪夢を守る魔方陣である柱が、二重列柱の対となり、一直線に建ち並ぶ。


この気配を、ようやく三人も感じ取ったようだ。


奥に続く深い暗闇に、目を向ける。


「この先か……」


 俺には聞こえる。


悪夢がそこに存在し、絶え間なく呼んでいるのを。


それと一つになれば、俺は蘇る。


もう魔力が尽きることはない。

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