第4章 第1話

 ふと気がつくと、どうやら俺は、ディータの腕に抱かれているようだった。


荷馬車に乗せられているのか、ガタゴトと揺れている。


頭上では罵声が飛び交っていた。


「あんな魔剣で、子供に向かっていくヤツがあるか!」


「だったら、どうすればよかったんだ。お前こそ、ヘタな反射魔境かけやがって」


「死んだらどうするつもりだった!」


「そんな失敗をこの俺がするように見えるか。お前こそ、なんでちゃんと魔法の使い方を教えていない。その方が問題だ」


「これから教えるつもりだったんだよ」


「またそれか。お前はいつだってそうだ」


 全身がダルくて重い。


魔力酔いだ。


わずかに体を動かす。


「うっ……」


「気づいたか? おい、ナバロ。俺が分かるか?」


 目を開ける。


やっぱりディータだ。


俺は小さくうなずく。


「あぁ! よかった。お前はやりすぎだ。心配させるなよ」


 男の腕に、ぎゅっと抱きしめられる。


それはそれで悪いとは思わないが、ちょっとうっとうしい。


聞き慣れない、大きなため息が漏れた。


「あぁ、助かった」


 ディータの向かいには、あの魔剣を持つ聖剣士がいる。


その男の手が、俺の額に触れた。


「全く。生きた心地がしなかったぞ。熱はないのか? 水は?」


「ほしい」


 起き上がる。


渡された皮袋に口をつけた。


いつの間にか辺りは、すっかり夜になっている。


「気分はどうだ」


「最悪」


 俺はその水袋を聖剣士に戻した。


ディータの膝上に抱かれたまま、ぐったりとしている。


荷馬車は大きく傾いた。


どこかの敷地に入ったようだ。


懐かしいような臭いに混じって、吐き気がするほどの腹立たしい結界が張られている。


この聖騎士団の荷馬車で運ばれなければ、決して侵入出来なかっただろうし、しなかった場所……。


「着いたぞ。歩けるか」


「分からない」


「いいよ。俺が抱いていく」


 荷台のホロが巻き上げられる。


踏み台が用意され、俺はディータに抱きかかえられたまま、そこに降りた。


ぐるりと高い城壁に囲まれた馬車寄せに、かがり火が焚かれている。


聖騎士団の剣士、魔道士たちが、ぎっしりと辺りを埋め尽くしていた。


「なんだここは」


 その異様な光景に、思わず声が出る。


ディータは皮肉たっぷりの笑みを浮かべた。


「ナルマナの、聖騎士団本拠地だ。ナバロ。ここじゃ大人しくしとけよ」


 俺たちは魔剣の騎士に誘導され、馬車寄せから城内へと向かっていた。


この城は知っている。


昔、俺の建てた城だ。


扉が開く。


「ディータ!」


 女が飛び出してきた。


「今度は何をした!」


 長い赤毛の波打つ髪に、同じ赤茶けた目をしている。


軍服と、胸に並んだ勲章の数は、ここの団長か? 


靴音高らかに歩み寄ると、階段の上から俺たちを見下ろした。


「本当に子供と……。どうして連れてきた。知り合いなのか?」


「俺の子だ。イェニー」


「……。は?」


 赤毛の女の赤い目と、俺の視線がぶつかる。


「こいつはいま、魔力酔いを起こして動けないんだ。ベッドを用意してくれ」


「お、お前……に……。こ、子供? 一体、いつ……」


 魔剣の男は女の隣に並ぶと、彼女を見下ろした。


「イェニー団長。落ち着いてください。彼らの年齢を考えると、どうしてもおかしいでしょう」


 ディータは女を無視して、そのまま城内に入った。


構わず歩き続ける俺たちを、女は追いかけてくる。


「待て、ディータ。なぜお前が、そんな子供を連れている?」


「いいから、ベッド用意しろよ。それとも医務室の方がいいか?」


「そ、そうだな。い。医務室なら……」


「団長。コイツには累積警告が溜まっています。子供はともかく、せめてディータは地下牢に」


「そ、そうだな。キーガン。ディータ、子供はこっちで預かる。お前は地下牢に……」


 ディータは俺を抱きかかえたまま、団長と魔剣士を振り返った。


「こんな子供を、一人で置いておけるか!」


「し……、しかし……。そ、それは本当に、お前の子なのか?」


「それになんの問題があるんだ?」


 女はよほど、俺のことが気になるらしい。


ディータは支離滅裂、意味不明ながらも、女に対して強気な姿勢を崩そうとはしない。


「い……、いつの間にそんな子供を……」


「イェニー団長。判断が難しいのなら、せめて結界を張った地下の個室に収監しては?」


「そ、そうだな。そっちに案内しよう」


 ようやく女が、先になって歩き出した。


キーガンと呼ばれた魔剣士は、俺たちを見下ろし、ため息をつく。


「ついてこい。イェニー団長の温情により、お前たちは地下牢に繋がれることを免れたぞ」


「フン。当たり前だ! なんで俺が、そんなところに入れられなきゃならん」


 ようやく移動先が決まった。


いくつもの廊下を渡り階段を下り、地下へ潜る。


内装はすっかり変えられているが、城の構造なら覚えていた。


やはりこの城はかつて、俺の建てた城だ。


この辺りに巣くう魔物たちに与えたら、よほど気に入ったのか、周囲を襲い奪いつくしたあとでも、長らく根城にしていた。


彼らは勝手に地下も掘り進め、そこはすっかりダンジョン化していたはずだ。


 むき出しの地層をそのまま残した階段を下りていく。


灯りが灯されているのは、ここの魔道士たちの力か。


地下深くにまで及ぶ結界は、ずいぶんと根深い。


「ここだ」


 団長のイェニーが、鉄格子の扉を開ける。


牢獄にしてはずいぶんといい造りだ。


ベッドにサイドテーブル、床にはラグマットが敷かれ、小さなもの書き物用の机と本棚まである。


俺を抱き抱えたままディータはそこに入ると、俺をベッドへ寝かせた。


この城に入った時から、ずっと気になっていた。


聖騎士団には魔道士も所属している。


その魔道士たちが何人も協力し、それぞれのやり方でこの城に強固な結界を張っていた。


地下ではそれが、より強固になっている。


この檻の鉄格子も、普通の金属などではない。


魔法の“臭い”を察知し、無効化する呪いをかけてある。


ここは、魔道士専用の牢獄だ。


「おい。コイツをここに寝かせるのはいいが、俺のベッドがねぇじゃねぇか」


「わ、分かった。あとでもう一つ持って来させよう」


「イェニー団長。コイツは床で寝たので十分です」


 ディータは椅子をベッド脇まで引き寄せると、そこに腰掛けた。


なぜかイェニーとキーガンまで、牢の中に入ってきている。


むき出しの土壁に鉄格子と見張り番さえいなければ、普通に宿の一室だ。


「で……。この子供はなんだ」


「しつこいなイェニー。俺の子だって言ってんだろ」


 女はビクビクしながら、俺の顔をのぞき込む。


「と、歳はいくつだ」


「……。十一」


「十一? だとすると……、ディータが十五の時の子か」


「ありえなくはないだろ」


 突然、イェニーはもの凄い剣幕でディータの胸ぐらをつかむと、グイと引き寄せた。


「貴様、いつの間に! あれだけしておきながら、よくもそんなことが!」


「俺がどこで何をしようと、お前には関係ないだろ!」


「関係はないが、ないわけではないと言ってるだろう!」


「なにがどう関係あって、なにがどう関係ないんだ!」


 そのディータの言葉に、急にイェニーは頬を染めうつむき、その手を緩める。


「そんな……ひど……。ち、違う。ほ、本当にお前の子供なら、まずはお祝いしないと……」


「は? なんでお前に祝われないといけないんだ」


「だ、だって、仮にもお前の血を分けた子供なら、私もそれを受け入れ、我が子として育てなければ。たとえそれが、他の女との間に出来た子でも、やはり……」


「団長。しっかりしてください。まずは騒動の取り調べを」


 モジモジとはにかむイェニーに対し、キーガンは慣れっこなのか、表情一つ変えることなく、ごく冷静に対応している。


「え、えっと……。ディータは、いつになったら私にプロポーズと愛の言葉を……」


 不意に、牢獄の入り口から強い魔法の臭いがした。


ディータもその気配に気づき、顔を上げる。


開け放しにされたままの牢の前に、その女は現れた。


「ほら。ソファを持って来てあげたわよ。どうせいるだろうと思って」


 魔道士だ。


グレーの真っ直ぐな髪に、同じ色の法衣を纏っている。


やや灰色がかってはいるが、鮮やかに光る緑の目をしていた。


「モリー。あまり団長を甘やかすな」


「まぁ、キーガン。そんなことを言って、どうせイェニーに泣きつかれて、夜中に一人でこっそり運ぶはめになるのは、あなたよ」


 魔力でソファ二台とそのセットになったローテーブルを浮かべている。


それを器用に傾け、牢獄の入り口をくぐり抜けると、ラグマットの上に並べた。


「はい。毛布も持ってきてあげたわ」


「やぁ、モリー。久しぶりだね」


「本当ね、ディータ」


 灰色の魔道士から、ディータは毛布を受け取った。


この女からあふれ出る“臭い”は相当なものだ。


自ら魔法石を摂取するだけではない、他人から魔力を奪い取って力を増してきた魔道士だ。


ソファを並べる手際といい、ディータ以上に、よく出来る魔道士なのは間違いない。


「あなたのことは、いつも気にかけているわ」


「そうかい。ありがとう。おかげで苦労しているよ」


 ディータとモリーは、にっこりと微笑みあう。


そのモリーは俺を見下ろした。


「この子は?」


「拾ったんだ」


「どこで」


「街中で歩いてるのを見つけた」


 モリーはじっと俺の目をのぞき込む。


「まぁ、素敵な緑の目ね」


 横で聞いていたイェニーが、悲鳴をあげた。


「さ、さっきは俺の子だって言ったじゃないか!」


「うるせぇ、お前は黙ってろ」


「イェニー団長。落ち着いてください。明らかに顔が違います。この男とは全く似ているところはありません。それに……」


 キーガンはその目をディータに向けた。


「コイツの子が、あんな魔力を持っているはずがない」


 キラキラと輝きを増した赤い目が、俺を見下ろす。


「え……? ほ、本当にディータの子供じゃないんだな?」


 俺は仕方なくうなずく。


「そうかぁ! ようこそ我が団城へ! 歓迎するぞ」


 思いっきり抱きつかれた。


こういうのは本当に、苦しいからやめてほしい。


イェニーは、まだ俺の頭をなで回している。


モリーが言った。


「あの地鳴りはこの子が?」


「そうだよ」


 ディータはため息をつく。


「まさか本当に、現れるとは思わなかった」


 イェニーはようやく俺を放すと、枕元に腰をかがめ、横になっている俺と視線を合わせた。


「もう体は大丈夫なの? 具合の悪いところはない? お腹は空いてないの? 困ったことがあれば、何でも言ってくれれば……」


「だめよ、イェニー。ちゃんと仕事して」


「小僧。どこから来た。家は?」


 甲冑を身につけたままのキーガンは、一人離れた位置で腕を組む。


「両親が心配しているだろう。連絡くらい入れておいてやる」


「はっ、だから言っただろう。この子の親は、今日から俺だ」


「そ、そうなのか? ディータ。分かった。だったらこんなところではなくて……」


「ふざけるな。そんな言い訳が通じるのは、うちの団長くらいだ」


「そうよ、イェニー。ちょっと落ち着いて」


 モリーが呪文を唱える。


緑灰色の目が、妖しい光を放つ。


それはとても複雑で強力な呪文だ。


「そうね、ディータが見張っていてくれるというのなら、ここで任せておいてもいいわ。じゃなきゃ、本当に一番奥の地下牢に、鎖で繋いでおいたかも」


「おいモリー。やめろ」


 ディータの言葉を、その魔道士の女は無視する。


「大地を揺るがすほどの魔力を、この体に貯め込んでたですって? ありえないわね。だけど信じるわ。だって私にも聞こえたんですもの、この子の声が」


 封魔の呪文。


体がズシリと重くなる。


これは彼女の力だけではない。


長年にわたってこの城にかけられ続けている呪いのせいだ。


その魔法が、この結界の中にいる限り、魔道士たち個人の能力を、強く強く増長させている。

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