第2話

「辛いわよね。分かるわ。さっきあれだけの魔力を解放したんですもの、立ってもいられないのでしょう? タイミング良すぎて助かるわー。おかげで私の手間が省けたし、あなたに酷いことをしなくてすむ。悪いけどここにいる間は、ずっとその状態でいてね」


 魔力を補給するには、原則として魔法石を摂取しなければいけない。


その力を魔力に変えて体に馴染ませ、蓄積する能力のある者だけが魔法使いになれる。


それでもなお、より多くの力を望むのなら、自らの体以上にその力を保有する『入れ物』を作るか、他から奪えばいい。


「一度貯め込んだ魔力はその人自身のもの。それを使って解放しない限りは、そこにとどまり続ける。その流れを止めたわ。枯渇寸前だもの、コップの上に蓋をするようなものね。喉が渇いても水は飲めない。つまり、あなたの魔力は今のまま、回復しないってことね」


 魔道士モリーはにっこりと微笑む。


「大丈夫よ。止められはしても、なくなりはしないわ。魔力ってね、なくても案外、人って生きていけるものらしいわよ。私はやったことないから、知らないけど」


「これだから魔道士は嫌われるんだ」


 キーガンはベッドに近寄ると、俺の腕を持ち上げた。


その手を放した瞬間、バタリと棒切れのようにマットへ落ちる。


「気力も体力もつかない子供に、本当にあんな力があるものなのか?」


「魔道士を甘く見ちゃダメよ、キーガン。あれはとても恐ろしい予兆なの。あなたたち剣士には、分からないでしょうけど」


 そう言うとモリーは、くるりと背を向けた。


「さぁ、もう戻りましょ。時間外労働なんて、無能な人間のすることだわ」


 俺はベッドの上で、何とか寝返りをうつ。


モリーのかけた呪文は、声まで塞いでいた。


「そ……、そうだ……。ふざけるのも……大概にしろ」


「まだしゃべれるの?」


 かすれた声で呪文を唱える。


モリーのかけた呪いは解けた。


ふわりと体が軽くなる。


とどまっていた魔法石の力が、体を巡り始める。


「封魔の術が聞いて呆れる。これだから聖騎士団所属の魔道士なんて……」


 ドンッと、体に重みが増す。


俺は再び、マットに叩きつけられた。


「か……、な……」


「やれやれ」


 ディータがため息をつく。


「ここの魔法はな、魔力をそのまま返すタイプの封魔術なんだよ。強い魔法を使おうと思えば使うほど、圧力も強くなるってわけ」


「ゴメンね、坊や。ディータは置いてってあげるから、大人しくしていなさいね。それなら寂しくないでしょ」


 久しぶりだ。


この感覚。


この鼻をつくムカムカとした臭いは、あのユファとスアレスに、その腐臭が近いせいだ。


『力よ、動け!』


 衝撃魔法。


ドンと空気が震える。


この地下に流れる魔力の向きを変え、それを操る。


『ここに留まる全ての力よ、元の主の元へ帰れ!』


 とたんに空気は、重く熱く熱を持ち始める。


抗いあう魔力と魔力が、せめぎ合う熱だ。


「俺自身の魔力じゃないのなら、それも可能なはずだ!」


「他人の魔法を、魔力で動かすですって?」


 再び呪文を唱える。


ここに仕掛けられた魔法が、ゆっくりと、だが確実に動き始めている。


キーガンが吸魔の剣を抜いた。


古い魔法の残りだ。


どこからか飛んで来た、見えない刃が空を斬る。


キーガンの剣はそれを弾いた。


「ちょっと! ここは狭いんだから、暴れないでよ」


 モリーの呪文。


再び抑えつけられるその強い重みに、俺はガクリと両手をついた。


これ以上は無理だ。


完全に動けなくなった俺の赤い髪を、モリーが掴む。


その親指の腹で、優しく目元を撫でた。


「今が勤務時間外でよかったわね。そうじゃなきゃ、キミは死んでたかも」


「お前が強がっていられるのは、この城の中だけだ。外に出れば、その能力の、半分も出せないだろう?」


「うふふ。確かにそうかもね。なら城外に出て試してみる? ……な~んて、言うと思ったのかしら」


 モリーの呪文。


その言葉に、俺の全身の体液は逆流した。


「うっ……」


 意識が飛ぶ。


一瞬、目の前が真っ黒になり、戻った時には鼻血が吹き出した。


棒きれのように、ベッドにバタリと倒れる。


「モリー、やり過ぎだ」


 キーガンが動いた。


その拳は、ディータの腹をドンと殴りつける。


抵抗出来ない彼にさらに肘打ちを加え、地面に叩き落とした。


「お前はこの城の特殊性をよく分かっているだろ。この子にもそれを、ちゃんと教えといてやれ」


 ディータの動きも鈍い。


ここでは結界の魔法が、見えない手かせ足かせとなって囚人の動きを封じている。


「今日はもう遅い。しっかり休んでおけ。そうじゃないと、明日から地獄を見るぞ」


 三人はようやく牢を出て行く。


ふいにイェニーが振り返った。


赤らんだ頬で、はにかみながらディータを見つめている。


彼女はもじもじと、小さな声でつぶやいた。


「ほ、他になにか、用事はないか?」


「は?」


「な、何かあったら、いつでも私を……、その、頼ってもらってもかまわない」


「俺には、お前の顔を見られただけで十分だよ」


「そ、そうか」


 イェニーは顔を真っ赤にして、そのままモジモジとしている。


「もう行くわよ、イェニー。しつこい女は、ディータは嫌いだってよ」


「イェニー団長。しっかりしてください」


 モリーとキーガンは、それでも動こうとしない彼女を連れ、ようやく出て行った。


ブツブツと抗議を続ける彼女の声が、地下牢に響いている。


ディータはやれやれと首を横に振った。


彼らの気配が完全に消えるのを待って、俺はゆっくりと体を動かす。


起き上がろうにも、体がいうことを聞かない。


重厚な鎧を全身にかぶせられているようで、何をするにも体が重い。


「魔法を使おうとするな。自分の体が持つ、本来の筋力だけで動くんだ。そうすれば、普通に動ける」


 ディータに言われ、俺は少し頭で考える。


誰にもその正体がばれないよう、ずっと姿を隠す魔法を自分自身にかけていた。


魔道士ならだれでも、自分の体に何らかの魔法はかけている。


これを解いていいものなのか? 


ゆっくりと腕を曲げ、膝を動かし、腰を落とす。ようやく起き上がれた。


「魔力に似合わず、その体だけは本物なんだな」


 その問いにだけは、答えない。


「その体が本物じゃなきゃ、誰も疑いやしないさ」


「ずいぶんと彼らと、仲が良さげじゃないか」


「腐れ縁だよ。しかも聖騎士団だぜ? 反吐が出る」


「仲間になれば、もっとラクに生きれるだろ」


 ディータからの返事はない。


じっと自分の手を見る。


何の魔法もかかっていない、自分自身の手だ。


見慣れているはずのその手が、いま初めて見るもののような気がした。


「しかし、この結界のかけ方は異常だな」


「まぁな。聖騎士団の団城なんだ。こんなもんだろ」


 ようやくディータと二人きりになった。


まぁ、見えない所に見張りはいるんだけど。


ディータはソファにドカリと腰を下ろす。


俺はベッドから立ち上がった。


「ふぅ。大丈夫か?」


「なんとか」


 俺は、自分で自分の体を確かめている。


大きく息を吐き出し、そのまま目を閉じた。


「まぁ今日はゆっくり休め。ある意味ここは、世界で一番安全な場所だ。腹が減ってるなら、何か運んでもらうか?」


「いや、それは大丈夫」


 改めて、ゆっくりと辺りを見渡す。


いつも何らかの魔法を自分にかけていたから、体一つで動くなんて、滅多にないことだった。


足の感触を確かめながら、一歩一歩を慎重に踏み出す。


魔力による灯りが消され、すっかり薄暗くなってしまった、地面に穴を掘っただけの天上を見上げる。


ふと自分の足元をじっと見つめた。


二本の足が、真っ直ぐに伸びている。


「どうした。そんなに自分の体が不思議か?」


「慣れないんだ。自分のものなのに、そうじゃない気がして」


「お前は魔力と体のバランスがおかしいからな。間違っているとも言っていい」


 ディータはソファに寝転がると、ゆっくりと俺の全身を観察している。


「どこでそんな呪文を覚えた」


「……。覚えたんじゃない、自分で考えたんだ」


 そんなこと言っても、この十一歳の見た目では誰も信じない。


エルグリムの時から、もう何百回何千回も繰り返し、聞き飽きた言葉だ。


「秘密の魔道書を拾ったわけでも、大魔道士の魂に触れたわけでもない。俺自身が、元からこういう奴だったってだけだ」


 いつだって俺は、俺でありたかっただけなのに……。


「もしかしたら、もっと違うやり方があったのかもしれないな」


 この薄暗い地下室は、押し込められていたあの牛小屋を思い出す。


今の方がずっと広く快適で居心地のいいのが、どうしようもなく不思議なくらいだ。


「ディータはなんで魔道士に?」


「俺? 俺は……。そうだな。俺がまだお前ぐらいだった頃は、大魔王エルグリムが幅を利かせてたんだ」


 ディータはごろりと仰向けになると、目を閉じた。


「そりゃあ強かったぜ。誰も逆らえやしなかった。恐ろしかったし怖かった。今じゃ信じられないだろうけど、普通に魔物が空を飛び、路上で人を襲っていたんだ。それでもな、俺は……。俺は、嫌いじゃなかったんだよ。魔物もモンスターもね。賢くやる人間ってのは、どんな時代でもいるもんさ。それなりにたくましく生きてたんだ。ナルマナに来る前は……。まぁいいや。そんなこと」


 彼は肩肘をつくと、そこに頭を乗せた。


「魔道士の王様がこの世を治めているのなら、魔道士になりたいと思うだろ? いつか沢山のモンスターたちを従えた、カッコいい魔道士になるんだって、そう思ってただけだ。なにをバカなことをって、いつも賢い大人には怒られていたけどな」


「エルグリムは嫌われ者だったから」


「それで、聖剣士に殺されちまったしな」


 俺はベッドに寝転がった。


闇に慣れた目に、ぼんやりとディータの靴裏だけが見える。


「なんで俺について来た?」


 その柔らかな闇の中で、彼はフッと鼻で笑う。


「聞きたいか? おっさんの戯れ言を」


 俺はゴソゴソとベッドに潜り込む。


「今聞かないと、もう聞くことはないと思う」


 彼の深いため息が、闇夜に響いた。


「そっか。まぁそれもそうだよな。……。俺は……、もう死のうかと思ってたんだ。こんな意味のない人生を送るなら。占い師が自分の未来を占うって、どういうことだか分かるだろ?」


「……。自分の死期をみること」


「そう。そうなんだ。俺は突然、自分の死ぬところが見たくなったんだ。お前と出会ったあの近くの橋の上でさ。ちょうどあの時、俺はそこで自分の最期を占ったんだ」


 ディータは、自分のカードで自分を占った。


このまま川に飛び込んで死ぬと出たら、本当にそのままそこで、死ぬつもりだった。


「そしたらさ、裏路地へ行けって出たんだ。すぐに分かったよ。その瞬間、強い魔法の気配を感じたからな。俺はそこに、運命の女神でも待ち構えているのかと思って、行ってみることにしたんだ」


 あのごちゃごちゃとした汚い路地裏で、俺たちは出会った。


「すんげー期待して行ったのにさ、居たのはお前みたいなクソガキで、がっかりだよ」


 そう言って、ディータはクスクスと笑う。


彼はもう一度寝返りをうつと、今度は背を向けた。


「それだけのことだ。何度も言ってんだろ。ただの暇潰しだって」


「死ぬつもりだったのか」


「あぁ、もういいだろ。寝言みたいなもんだ。さっさと寝ろ。明日はここを抜け出すぞ」


「……。どうやって?」


「それを考えながら寝るんだよ。難しいこと考えてたら、すぐに寝られるだろ」


 ディータの上着の内ポケットには、自分の魔力を封じ込めたカードが入っていることを、俺は知っている。


ディータの魔力はそれに分離して保管しているから、発動させなければここでも影響はないんだ。


「何もしないというのも、作戦の一つってこと?」


「当然だ」


 だけど、あの連中との仲の良さなら、彼らも知ってはいるのだろう。


それでもカードは没収しないのか、していないのか……。


「おい、寒くねぇか?」


「うん。大丈夫。ディータのとこのベッドより、ずっといい」


 ここは温かい。


誰かの魔法に包まれて眠るのも、悪いことではないのかもしれない。


見張られているんじゃなくて、見守られているんだ。


そんなことを、俺は生まれて初めて思っている。


それに何だかここは、懐かしい臭いがする。


昔訪れたことのある、よく知った城だからなのかもしれない……。

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