第3話

 朝になって、食事が運ばれてきた。


囚人用とはとても思えない、随分と豪華な朝食だ。


大きな銀のプレートに乗せて運ばれてきたそれには、肉に魚、フルーツに野菜類、小さなクッキーにプリンやゼリーまである。


取っ手のついた壺には、水の他にも五種類の飲み物が用意され、飲み放題だ。


俺はスライスされた三種類のパンの一つに、ハムとチーズを挟んだ。


焼いた肉の塊もきれいに切り分けられ並べられている。


テリーヌを遠慮なくむさぼるディータを、番兵たちは妬ましげに見ている。


「何だよ。お前ら飯は食ったのか?」


「仕事中だ」


「何なら一緒に食うか? 入って来いよ」


「それは無理だ」


「だったらせめて、こっちに来い。そっからじゃ手は届かねぇだろ」


 戸惑う番兵たちに、ディータは何でもないことのように言った。


「イェニーには、俺から言っておいてやるから」


 これらは全て、イェニー団長からの差し入れだそうだ。


なかなかに愛されている。


「ナバロ。食い終わったら作戦会議だぞ」


「なんの?」


「脱獄計画だよ」


 俺たちは牢獄の中にいて、檻の向こうにいる番兵二人と、一緒に飯を食っている。


「そうだよなぁ、番兵さん。入れられた牢からは、自力で脱出しないとなぁ」


「また団長が泣くぞ。いい加減諦めて、一緒になってくれ。俺たちのためにも」


「お前さえ犠牲になれば、他は全て上手くいく」


「俺は関係ねぇよ」


 ふわりと魔法の臭いが漂ってきた。


それに気づいたディータも顔を上げる。


モリーだ。


「まぁ! 私はこの団城における服務規範の徹底について、いま一度審議会にかけなくちゃいけないわ」


 そう言うと彼女はしゃがみ込み、檻の隙間からカボチャのパイを手に取った。


香ばしい焼き色のついたそれを、もしゃもしゃと食べ始める。


「あら、おいしいわね」


「主席魔道士さま自ら、何の用だ」


「ディータも食べた?」


「質問に答えろ」


「ふぅ。食べ終わるまでちょっと待ってよ。相変わらずせっかちね」


 モリーは最後の一口を食べ終わると、指についたパイクズを舐めている。


「今朝一番に、女の子がお城に乗り込んで来たの。黒髪のとってもかわいい魔道士よ。ディータ、あなたの知り合い?」


「残念だが、かわいい女の子の知り合いは多くてね。もちろん君もその一人だよモリー」


「ナバロの姉だと名乗ったわ」


「お前、姉さんがいたのか!」


「……。あぁ、まぁ、うん……」


 フィノーラか。


どうして追いかけて来た?


「もっと早く言えよ!」


「その様子だと、ディータも知らなかったみたいね」


 俺は骨付き肉を手に取った。


丁寧に一口大にカットされたそれには、何かのソースがかかっている。


随分クセのある味だが、悪くはない。


「ルーベンの正式な通行許可証を持っていたわ」


「なんだよ。だったら何の問題もないじゃないか。さっさとここから出せ」


「いま、イェニーが丁寧に取り調べているわ。あなたと彼女の関係について」


 ディータの手から、持っていたフォークがこぼれ落ちた。


盛大にため息をつく。


「またアイツか!」


 俺はもう一本の、違う骨付き肉に手を伸ばす。


うん。


これは香辛料がしっかりきいているうえに、肉自体にもクセがなく美味い。


「いま上は、すっごいピリピリしてるわよ。あんたは早くそっちに行って、何とかしてきなさいよ。いつものことじゃない」


 そう言いながらも、モリーは別のクッキーに手を伸ばす。


それを口の中に放り込むと、プレートに添えられていたナプキンで指先を拭った。


ディータは俺を振り返る。


「お前の姉ちゃんなんだろ? 一緒に行くか」


「あら、この子はダメよ、ディータ。あなたたち、中央議会から緊急通告が出てるって、知らなかったのね。とっても優秀な我がナルマナの聖騎士団は、手配書に描かかれた少年と、よく似た男の子を昨晩確保したわ」


 モリーはにっこりと微笑んだ。


「だから私が、今から取り調べをするの。お迎えに来たのよ。さ、行きましょ」


 差し出されたモリーの手を、ディータはパッと遮った。


「待て。どういうことだ」


「これはどれだけあんたが暴れても、イェニーに泣きついたってダメな話よ。ユファさまからのお達しだもの」


「ユファさまの?」


 大魔道士エルグリムだった俺を、倒した勇者スアレス。


それに予言と加護を与え、最大攻撃魔法を与えたのが、ユファだ。


当時は五歳程度だったと聞いている。


今頃は十七になるかならないかの占い師だ。


ディータは呆れたように首を振る。


「ライノルトの大賢者さまは、なんて言ってんだ?」


「ユファさまは、エルグリムの悪夢を見たそうよ」


 その言葉に、ディータはチラリと俺を見た。


一瞬目が合う。


「は? そりゃもう、とっくの昔に終わった話だろ」


「私たちにとってはね。だけど、エライ人たちはまだ、その存在を信じている。大魔王最期の地、グレティウスから遙か南西の方角に飛んだ魂は、そこで復活の時を待っているってね。どうもそれが、最近になって本当に蘇ったと考えてるみたい」


「面倒くせぇ年寄りどもだな。それで子供狩りとはね。頭大丈夫か」


「守りたいのよ。今の平和な時代をね。その気持ちは私も同じだから」


 モリーの緑灰色の目が、深く強く輝く。


「だからゴメンね。私にはあなたが、今後エルグリムのようになりうる脅威かどうか、確かめて報告しなければならない義務があるの。来てくれる?」


 俺はフウと一つため息をついてから、食べていたポテトパイのクズを払った。


どうせ拒否したくとも、出来ない話しだ。


だったら、さっさと済ませてしまった方がいい。


今後の手間が省ける。


「いいよ。いくらでも調べればいい。自分では手を下さず、他人に任せてその後ろに隠れているような連中に、何が出来る」


 俺は立ち上がると、彼女に手を差し出した。


「行こう」


「あら、カッコいい。こういう人間は、大人も子供も大好きよ」


 手を繋ぐ。


モリーはしっかりとそれを握り返した。


「さぁ、行きましょう。椅子に座っているだけの、簡単なお仕事だから」


 モリーと檻をくぐる。


この地下牢に張られた結界の強さは、ただ捕らえられた囚人を拘束するためのものではないようだ。


「俺も行く」


 ディータも立ち上がった。


「ナバロが本当にエルグリムの生まれ変わりとなる存在なのか、確かめたい」


「あら」


 モリーが振り返った。


「あなたはそんなこと言ってる余裕、ないと思うわよ」


 地下牢へと下る階段を、一人の聖剣士が駆け下りてきた。


「ディータ! 上で団長と、お前の知り合いだという女性が揉めている。何とかしろ!」


「知るか! お前らでカタをつけろ。俺はナバロの方に……」


 その男はディータの胸ぐらを掴むと、思い切り引き寄せた。


「もうキーガンでは抑えられなくなってるんだよ。オマエが来い」


「だからなんで俺が、いつもアレの相手をしないといけないんだ」


 もみ合う二人に、モリーはヒラヒラと手を振った。


「じゃ、そういうことで。よろしくね」


 ディータはまだ何かを叫んでいたが、この城の結界とモリーの魔法のせいで、抵抗が出来ない。


階段を上がる俺たちの後ろを、聖剣士の男にそのまま引きずられていく。


「私たちはこっちよ」


 廊下に出たところで、俺たちは二つに分かれた。


彼女の白く細い手に引かれ、赤い絨毯の上をゆっくりと歩いてゆく。


彼女の灰色の真っ直ぐな髪がサラリと流れた。


繋いだ手に導かれるまま、城の外へ出る。


小さな庭の緑の芝は、朝日にキラキラと輝いていた。


狭い庭をぐるりと囲む高い城壁からは、空しか見えない。


ここは、ナルマナ聖騎士団の団城だ。


あちこちに武器や、呪いのかけられた道具が並べられている。


不意に、城門付近で爆発音が起こった。


振り返ると、団員たちは続々とそちらに集まっている。


「向こうは、あなたを助けにきたお姉さんの相手で精一杯よ。イェニーが疑ってるの。お姉さんとディータが付き合ってんじゃないかって。本当にバカよねぇ。ここにこんないい女がいるってのに。私には見向きもしないのよ、イェニーったら」


 一旦庭に出たモリーは、再び南に位置した門から城内に入る。


「だから、邪魔が入らないうちに、さっさと済まそうと思って。そうすればあなたもお姉さんも、早く帰れるか一緒に捕まるか、はっきりするもの」


 ここは魔法の臭いも剣士の臭いも、強すぎるそれぞれら全てが混ざりあって、息が苦しい。


「怖がることはないわ。ライノルトにある中央議会の、大賢者ユファさまの予言よ。間違えっこないですもの。あなたがそうじゃないってことを、ただ証明するだけ」


 二人きりで通された部屋は、実に簡素な部屋だった。


テーブルに椅子、それと向かい合うように、一脚の椅子が置かれている。


シンプルな白木に青に濃く染められた皮が張られた、どこにでもあるような椅子だ。


「そこに座って」


 モリーの手が離れた。


強い結界が張られたこの部屋では、体が動かせない。


呪文を唱えようにも、声すら出せない。


俺は白い椅子をにらみつけた。


「そうよ。それは呪いの椅子。分かってて座るのは、怖いわよね。だけど、それに座る前からそうと気がつくなんて、そんな子は初めてよ。やっぱりあなたは、ちょっと違うみたい」


 モリーは向かいのテーブルに座った。


そこに置かれてあった書類を手に取る。


「魔法は使えないわよ。地下で散々味わったでしょ。自分の足で歩くのよ」


 深い濃く緑灰色の目は、それなりの訓練を受け、しっかりと魔力を貯め込んだ者の目だ。


ここの主席魔道士というのも、うなずける。


その自信も、ハッタリなどではないのだろう。


俺はゆっくりと片足を動かす。


生身のこの体に宿る十一歳の筋肉だけを使っても、動けないわけではないのだ。


「そうよ。上手上手」


 モリーの視線は、手元の書類に向いたままだ。


床にはべったりと魔方陣が書かれている。


見えないように小細工しているつもりだろうが、俺には分かる。


そこから椅子を引き寄せようとしても、この位置から動かせないのは、コイツのせいだ。

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