第3話

「ビビ。お前が連れてきたというのは、その少年か」


「お父さま。どうされたのですか?」


 ビビとは似ても似つかない、巨体に筋肉質な男だ。


彫りの深い目で、俺をにらみつける。


「名は何という。ナバロだったか? いや、そんなことはどうでもいい。今すぐ聖騎士団の本部へ行ってもらおう。連行しろ」


 魔道士二人が呪文を唱える。


拘束呪文だ。


俺はその術先をビビにすり替える。


「きゃあ!」


 彼女の体が、テーブルに座ったままの状態で固定された。


「か、体が動かなくなりましたわ!」


「ナバロ以外の者は、外に出ていろ!」


 俺はテーブルに飾られた、魔法石の結晶を手に取った。


それを懐に入れると、ぴょんと飛び上がる。


「待て!」


 簡単な魔法だ。


領主率いる聖騎士団の前に、軽めの静電気を流す。


「うわぁ! イバン、ビビを連れて避難を!」


 父親である領主が叫んだ。


魔道士からの攻撃魔法が飛んでくる。


どうやら標的は俺らしいが、なんだコレ? 


空気玉か何かか? 


威力も弱ければ、意志のはっきりしないヘタな魔法だ。


これで聖騎士団の魔道士とは、情けない。


ビビの盾になるよう回りつつ、それを跳ね返す。


イバンは、魔法で固まったままの彼女を抱き上げた。


「私はここに残ります!」


「お父さまの命令です。一旦避難します」


「嫌です!」


 次は何の呪文のつもりだ? 


いつまでたっても、もごもごと考えている魔道士の口を封じる。


「やはりお前は、ただの魔法使いではないな」


 領主は剣を抜いた。


その刃先が空を切る。


だけどまぁ、十分届かない位置にいるから、全然怖くはないよね。


ビビを抱き上げたイバンが、走りだした。


食堂を抜け、廊下へ出る。


俺はその後ろに続いた。


「待て!」


 領主と聖剣士たちが、追いかけてくる。


呪文を唱えた。


彼らの足元を固める呪文だ。


勢いよく床に転がる。


「クソ! 早く魔法を解け!」


 ダメだ。 楽勝すぎる。


俺たちは廊下を駆け抜ける。


「おい、ナバロ。お前がついて来んなよ」


「ビビの周辺以上に、ここで安全なところがあるか?」


「まぁ素敵! いいわよ、ナバロ。ずっと私の側にいて!」


「なにを言ってるんですか、お嬢さん。冗談じゃないですよ」


「ならば、拘束魔法を解いてやろう」


「いや、逆に面倒だから解くな」


 蝋人形のように固まっていたビビの腕が、ふっと動いた。


「もう解いた」


「すぐにかけ直せ」


「イバン、下ろして!」


 暴れ出したビビを抱いたまま、イバンは玄関ホールへ出る。


背後から矢が放たれた。


振り返った瞬間、それは空中でピタリと止まる。


フィノーラだ。


「ひどいじゃない。私を置いて行かないでよ」


「お前までついて来たら、意味がないじゃないか」


「いちおう? ビビさまの護衛だし?」


 イバンは愚痴をこぼしながらも、そのまま走り抜け玄関ホールへ出た。


騒ぎを聞きつけた聖剣士たちが、外からも駆けつけ始めている。


「イバン、何事だ!」


「……。あぁ、ビビさまを連れて、避難中だ」


「そ、そうなのか?」


「見て分からないか」


 イバンは、抱きかかえているビビを見せる。


その後ろには、フィノーラと俺がいた。


「そ、そうか。ならば、こちらへ……」


 居並ぶ聖剣士たちの前を、素通りする。


俺たちはそのまま、中央ホールの階段を駆け上がった。


「待って。そうだわ、イバン。こっちではなくて、地下牢へ逃げましょう。もう随分使われていないし、そこなら私たち四人で隠れていても。十分籠城出来るわ」


「なるほど名案です。では、ここからぐるっと回って、三階のビビさまのお部屋へ」


「どうしてよ!」


 ホールには続々と、聖騎士団の連中が集まってきていた。


イバンはビビを抱えたまま、階段を駆け上がる。


「だからナバロ、お前がついて来んなって」


「館の外へ出たい。案内してくれ」


「それは無理だ。私はビビさまの部屋へ向かう」


 術の解けた領主がホールへ駆けつけ、俺たちを見上げた。


「あの少年だ! ヤツを追え!」


 衝撃魔法が飛んでくる。


風を小さく丸めたものだ。


だが狙いが悪い。


標的の設定の仕方がヘタなのだ。


これでは俺だけでなく、ビビやイバンにも当たってしまう。


その空気弾を消滅させようと、俺が呪文を唱えるよりも早く、フィノーラが呪文を唱えた。


弾き返された弾は、ホールの壁に弾け飛び、立派な装飾を傷つける。


「えぇ? お前の魔法は、雑過ぎるな」


「うるさいわね。このままじゃ、ビビにも当たるでしょ」


「私は先に行くぞ」


 再び走り出したイバンの後ろに、俺とフィノーラはついて行く。


「だから、あんたが大人しく捕まりなって!」


「やだよ、面倒くさい」


「カズといい、今回といい、一体なにしたのよ」


「心当たりが、ありすぎて……」


 イバンに抱えられたまま、ビビは後ろをのぞき込んだ。


「追いかけて来たわよ!」


 魔道士は、炎の呪文を唱えている。


こんな狭い廊下で、正気か? 


次の瞬間、敷き詰められた絨毯に、二本の火が走る。


黒くくすぶるその線に、フィノーラは何か唱えようとしている。


「待て。単純に返すな。廊下が燃える。気体を操れるのなら、空気の流れを止めればいい。そうすれば火は消える」


 フィノーラの呪文。


炎は増幅され、後方に向かって火を噴いた。


「なんでこっちがそんなことまで、気にかけなきゃなんないのよ」


「きゃー! カッコいい! 私もそれやりたい!」


「絨毯が燃えた!」


「あら、ナバロはそんなことを気にかけてくれるの?」


 イバンに抱きかかえられたまま、ビビはにっこりと俺を見下ろした。


「そう。いい子なのね」


 その仕草に、なぜかうつむいてしまう。


いや、違う。


そうじゃない。


俺だって、自分の城が荒らされるのは、嫌だったから……。


「止まれ!」


 行く手を塞いだのは、ビビの父親だった。


「少年、大人しくこっちへ来るんだ」


「お父さま、おやめください。ナバロに、なんの罪があるというのですか!」


「お前は黙ってろ!」


「嫌です!」


「イバン、ビビはもういい。その少年を捕らえろ」


「……。ですがビビさまが……」


「ダメ!」


 ビビは、イバンの首にしがみついた。


領主である父親の後ろには、聖剣士と魔道士がいる。


背後も塞がれた。


「イバン、何をしている。早くしろ!」


 その声に、彼は抱き上げていたビビを、ゆっくりと下ろす。


「ビビ、こっちへ来なさい」


「嫌です!」


 彼女は両手を広げ、父親たちの前に立ち塞がった。


「この子が、何をしたというのですか!」


「それをこれから審議するんだ」


 前後に迫る聖剣士たちが、一斉に剣を抜いた。


魔道士たちも控えている。


イバンはささやく。


「ナバロ。ここは一旦、大人しく捕まらないか? 私たちが、悪いようにはさせない。必ず助け出す」


 ビビも目を合わせた。


俺に向かって、小さくうなずく。


「悪いがそれを素直に信じられるほど、まっすぐに育ってないんでね」


「ならば、戦うしか道はない」


 さて、どうしようか。


イバンが腰の剣を抜いた。


と、不意にビビの手が、俺の腕を掴む。


「ナバロ、こっちです!」


 そのとたん、すぐ脇にあったドアが開かれ、そこに引きずり込まれた。


「ビビさま!」


 部屋に入るなり、彼女は鍵をかける。


「ビビさま! 開けてください!」


「いやよ!」


「イバン、ちょっとどいて」


 フィノーラだ。


ドアを塞ぐビビの体が、ガクガクと震えて始める。


呪文で扉を開放しようとしているんだ。


「ナ、ナバロ、何とか……、おねが……」


 ビビの願いに、俺は呪文を唱える。


「コラー! ナバロ、魔法を解きなさーい!」


「これで、しばらくは大丈夫だ」


 ほっとしたのか、ビビは俺に近寄ると、視線を合わせた。


「あなたは本当に、魔法使いなのね」


 無邪気にキラキラと輝く目が、俺には妙にうっとうしく眩しく感じる。


「頼みがあります。私を一緒に、連れて行ってください。ここから出たいの」


「嫌だ。面倒くさいし、邪魔だし」


 荷物にしかならないお供など、ゴメンだ。


この体をしっかり休ませ、ようやく取り戻した体力を、残しておきたかったが、こうなっては仕方ない。


「私は! いつもここでは、邪魔者扱いなのです。厄介な、困った置物なのです」


「だろうな」


 だけど、その境遇は昔の俺と、正反対だ。


雑用品を並べた物置部屋には、タオルやシーツ、掃除道具や工具類が並べられている。


狭い裏路地に面した窓際には、長い梯子が立てかけられていた。


扉は激しく叩かれ続けている。


「私は……。だから、一人前になりたくて、誰の荷物にもなりたくなくて……。魔法石を取り寄せ、体に馴染ませようとしていたのです。だけど、元々の体が弱く、そのせいで取り込んだ魔力は、全て吸い取られてしまって……。おかげでこうして、元気に動けてはいるのですが、ただそれだけにしかならず、私は……」


 強烈な眠気が襲ってくる。


やはり子供の体は不便だ。


体力がいくらも持たない。


俺は小さな窓から、外へ身を乗り出す。


乗り移れそうな屋根が目の前にある。


「……。一緒には、連れて行ってもらえないのね」


「断る」


「分かったわ。準備するから、ちょっと待ってて!」


「いや、だから断るって……」


「ナバロが置いて行っても、私は勝手に付いていくだけよ。だから何も気にしないで」


 いや、待たんけど。


もう一度、窓から外をのぞき込む。


ビビは、タオルやらシーツやらの積まれた棚の奥から、ボロ布の鞄を取りだした。


それを肩にかける。


「コラー! あんた、本気でビビさまと閉じこもる気なの?」


「ナバロ、ここを開けろ! このままでは、お前が不利なだけだ」


 ドアを蹴破ろうとしている。


魔道士たちも呪文を解こうと、躍起になっている。


まもなく扉は開かれるだろう。


「ビビ。これは、魔法石をいただいていく礼だ」


 俺は食堂から持って来た魔法石を取り出すと、その一部をバキリと折ってかみ砕く。


彼女の胸に手を当て、呪文を唱えた。


「腕のいい魔道士に、治療をさせているな。それは確かだが、気の巡りが悪いから、それ以上よくならないんだ」


 ビビは、かざした俺の手を握ると、苦しそうに表情を歪める。


あのヤブ医者は、もしかしたら俺の正体を見抜いたのかもしれない。


たいしたものだ。


「お前の病はお前のものだから、それ自体を治すことは出来ない。だがちょっと『仕掛け』を変えてやればいいんだ。これで、普通に動けるようにはなる。魔法石の摂取が条件なのは、変わらないが」


 視界が歪む。


寝落ちしそうだ。


これ以上、意識を保つのは難しい。


扉の向こうから、フィノーラとイバンの声が聞こえる。


「ちょ、ナバロ! あんた、どんな魔法使ってんのよ!」


「魔法の使えない、私にも分かる。とんでもない気配だ!」


 扉の呪文が破られそうだ。


これだから、子供の体は厄介なんだ。


もう体力が持たない。


フィノーラの魔法が、俺の術を解除しようとしている。


イバンはその巨体を、激しく扉にぶつけている。


「ビビさま!」


 体がだるい。


急がないとマズい。


俺は梯子を窓から外に出すと、それを階下へ落下させた。


「ナバロ!」


「お別れだ。ビビ」


 扉が破られる。


「待て!」


 イバンの剣先が、空を切った。


俺は窓から外へ飛び出す。


ふわりと体を浮かせ、隣の屋根に飛び乗った。


窓枠に飛びついたイバンが、そこから身を乗り出す。


「ナバロ! そこから動くなよ。この私がちゃんと、お前を……」


「どいて!」


 ビビはイバンを押しのけた。


「どうしても、連れて行ってはもらえないのね!」


「邪魔なだけの供はいらない」


「魔法が使えたら、私だってどこへでも行けた! 何にでもなれた! 私の自由を、あなたの自由をなくさないで! またいつか、ここへ戻ってきて。私にそれを見せて!」


 フィノーラが呪文を唱える。


「ちょっとそこを、どいてもらえますかね、ビビお嬢さま!」


 イバンはとっさに、ビビを奥へ引き込んだ。


そのとたん、窓側の壁が吹き飛ぶ。


「フィノーラ。お前の魔法は、がさつすぎ」


「待ちなさい!」


 また衝撃魔法だ。


ありがたい。


それが打ち込まれる前に、シールドを貼る。


フィノーラの放った魔法の風を受け、夜空に舞い上がった。


「……。ナバロ、逃がさないわよ!」


 後はそのまま、調整した風に乗って、飛ばされておけばいい。


ゆっくりと漂う夜空に、ルーベンの町が広がる。


「待て!」


 フィノーラは、屋根へ跳び移った。


足で走って、追いつけるとでも思っているのかな。


と思っていたら、彼女は魔法で高く飛び上がる。


フィノーラが何度、シールドに衝撃魔法を打ち込んでも、それは俺が逃げるための、追い風にしかならないんだけどなぁ。


「あぁ、そうか。ついでに自分も、あの館を出るつもりだ……」


 ルーベンの田舎町を、月明かりが照らしている。


俺はフィノーラの起こす風に乗って、ふわふわ空を飛んでいて、彼女はその後を、飛び跳ねながら追いかけて来る。


「……。あんた、本気でグレティウスに行くつもり?」


「そうだけど」


 寝落ちしそうだ。


この体、もうちょっと使えるようにならないかな。


困ったもんだ。


だけど今は、そんなこともなんだっていいや。


もう町外れまできたし。


その辺の茂みにでも、身を隠して眠ろう。


いつものように魔法で目隠しすれば、獣やモンスターにも見つからない。


「お前は、あの館に戻らなくていいのか?」


「あんた、私と組まない?」


「それで俺に、どんな利点が?」


「子供一人で、何が出来るの。私といれば宿も取れるし、家出少年には、ならないわよ」


 意識が薄れる。


もうダメだ。


フィノーラの腕が、ゆっくりと落ちてゆく俺の体を受け止めた。


そのまま屋根から地上へ下りる。


「あんたの体、もう動けないってバレバレよ。容積の小さい子供の体で、でかい魔法使いすぎ」


 触れた肌から伝わる体温が、やけに生々しい。


完全に意識が落ちる。


次に俺が目を覚ました時には、温かいベッドの上だった。

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