第3章 第1話

 ガラス窓の向こうから、昇ったばかりの朝日が見える。


まだ多少の疲れはあるものの、随分と楽になった。


その回復の早さには、感心する。


 狭い部屋にベッドが二つ。


窓には小さなテーブルと、椅子が二脚ほど。


外にはすぐ目の前にまで迫る、山の緑が広がっている。


どうやら行きついた町外れで、宿をとったらしい。


フィノーラの姿は見えない。


俺は起き上がると、部屋を出た。


「もう起きて大丈夫なの?」


 廊下に出たとたん、そのフィノーラと鉢合わせる。


「ここを出る。世話になったな」


 彼女は両腕に、衣類やら食料を抱えていた。


その真横を通り抜ける。


「宿の女将さんに、挨拶くらいしていきなさいよ」


 階段を下りると、すぐに帳場に出た。


気の強そうな女将が立っている。


「おや、坊ちゃん。もう動けるようになったのかい?」


 その手は俺の頭を抑えこむと、ぐりぐりとなで回した。


「全く。いいお姉ちゃんだね。出発の準備を手伝ってきな。朝食はその後だよ」


 にっこりと、人当たりのよい笑顔を俺に向けた。


その手をパンと振り払う。


「なんだそれ。俺はもう先に行くんだ」


 冗談じゃない。


あんながさつな女など、連れて歩く方が面倒くさい。


宿の女将に背を向ける。


聖剣士たち追っ手が来る前に、さっさとここを抜けだしたい。


「まぁー! 本当にきかん坊だね」


 女将はその俺を、背中から高く抱き上げた。


「うわっ、おい、離せ!」


「ちょっとは、抱っこくらいさせておくれよ。うちの子は、もうすっかり大きくなっちゃってねぇ」


 頬にキスされた! やめろ!


「あ、捕まえてくれたのですね。ありがとうございます。お世話になります」


 すっかり旅支度を調え、フィノーラが出てきた。


「あら、もう行っちゃうの? 少し待てば、食事が出来あがるのに。食べていきなよ」


 抱き上げられた腕から逃れようともがくも、そう簡単には抜け出せそうにない。


「夜中に押しかけておいて、お世話になりました。この子も、じっとしていられない子なので。母の様態も気になりますし……」


「そっか。お母さんの具合が悪いんじゃ、しょうがないわね」


 ようやく床に下ろされた。


女将はため息をつくと、俺たちを見つめる。


「平和な時代になったものね。子供だけで旅が出来るなんて。憎きエルグリムの暗黒時代を乗り越えた、私たちですもの。きっとお母さまはよくなるわ」


「ありがとうございます」


「気をつけてね。帰ったら、また寄ってちょうだい」


 宿の外まで見送りに来た女将に、フィノーラは手を振った。


そのまま山を越える街道へと入ってゆく。


人通りは少ないとはいえ、ゼロではない。


踏みならされたむき出しの土を踏みしめ、歩いてゆく。


「こんな堂々と街道を通って、大丈夫なのか? お前はビビの館へ戻れよ」


「戻ったわよ」


「は?」


 フィノーラは大あくびをした。


「じゃなきゃこんな呑気に、街道通って移動できると思う? 全くこれだから子供は……」


 ガラガラと音を立てて走る荷馬車と、すれ違った。


「ぶっ倒れたアンタを宿に預けてから、すぐ館に戻ったわよ。それで、ビビさまからの手紙も預かってきた」


「は?」


 だからと言って、こんな紙切れを渡されても困る。


「定期的に、連絡寄こせって。街道を抜ける通行手形を出してもらったのよ。ルーベンの正式な許可証よ。これでどこへでも行ける」


「そんなもの不要だ」


 関所はすり抜ければいい。


金なら店先で盗むか、魔法で芸でも見せればいい。


占いでもしてやれば、すぐに金は手に入る。


「お前はこれから、どうするつもりだ」


「私もグレティウスへ行く」


「なんだ。お前も『悪夢』が欲しいのか」


「それは違う」


 日が昇るにつれ、気温は上がってきた。


人通りも次第に増えてくる。


ゆっくりとした坂道を、フィノーラと並んで上ってゆく。


「私は……。『悪夢』を破壊する」


「どうして?」


「ナバロは信じる? 中央議会の言ってること」


「まだ見つかってないんだろ?」


「それは信じてる」


 整備された街道は道幅もあって、所々に店も並んでいる。


次の街は、この峠を二つ越えた先にある。


「エルグリムの残した遺産よ。それがまだ見つからないなんて。だけどもし見つかってたら、もうとっくに世界は、変わっていたのかもね。新政府に不満はないけど、他の誰かに見つかって悪用されるくらいなら、私が先に見つけて、ぶっ壊してやる」


「フン。誰もが血眼になって探しているのに、まだ見つからないものを、お前が見つけられるとでも?」


 フィノーラは立ち止まると、じっと俺を見下ろした。


「あんたと一緒なら、見つけられる気がする」


「じゃあもし、俺が見つけたとして、どうする? 俺はそれを、独り占めするかもしれないぞ」


「そうはならないでしょ。多分私だけでも、あんただけでも、見つけるのは無理」


 上り坂がきつくなり始めた。


道幅も狭まり、街道沿いの商店も寂しくなり始める。


ここから先は、本当に山の一本道だ。


「誰かに支配される世界なんて、ゴメンだわ。そんなモノになりたがる奴がいたら、そうなる前に私がぶっ殺す」


「だったら、なぜ聖騎士団に入らない。お前のその魔力なら、十分入れるだろ」


「あいつらのことは、反吐が出るほど嫌いなのよ。分かるでしょ」


「……。お前の好きにしたらいい」


 山道に入ったとたん、人の気配も一気に減少した。


俺は魔法を使い、高く飛び上がった。


フィノーラもついてくる。


「さっきまで、聖騎士団の連中と一緒だったじゃないか。聖剣士は、嫌いなんじゃなかったのか?」


「だから利用するのよ。悪い?」


「まぁ、今はどこへ行くにも、聖騎士団の許可がないと動けないからな」


「あいつら絶対、エルグリムの悪夢を見つけたって、破壊なんかしないわ。利用するつもりよ」


「その方が賢いもんなぁ」


「あんたが、グレティウスに行く目的はなに?」


「そりゃ憧れの街だからさ。魔道士なら、一度は行ってみたいと思う。そうだろ?」


 魔法で体を浮かせ、地面を蹴る。


背に羽が生えたかのように、一歩一歩を飛び跳ねながら進む。


てくてく歩けば数日はかかる行程も、呪文を唱えれば何てことはない。


フィノーラの腕は、悪くない。


流しの魔道士としては、いい方ではないだろうか。


よく訓練されている。


だけど俺の配下におくには、まだ十分とは言えない。


「なぜ聖剣士を嫌う。誰からも、信頼される存在じゃなかったのか」


「言ったでしょ、嫌いだって。そういうアンタはどうなのよ」


「はは、嫌いだな」


「でしょ。だから組もうって、言ってるのよ。聖騎士団を、本気で嫌いだって言える人間じゃないと、私は信じない」


 山頂までたどり着いた。


木々の間から、遠くナルマナの街が広がる。


「ここから先は、首都ライノルトまで続く道よ」


 ライノルトか。


かつては誰も知ることもない、それはそれは小さな町だった。


勇者スアレスが生まれた村から、一番近い町だったというだけの場所。


「俺はライノルトに興味はない。ここでお別れだ」


「ちょ、待ちなさいって!」


 姿を消す。 瞬間移動だ。


この体ではあまり遠くまで行けないが、この女をまくくらいのことは出来る。


山道を離れ、密林の間をすり抜けてゆく。


 そういえば、かつてライノルトには、巨大な魔球を落として完全に破壊したことがあったが、そこから復興させたのだろうか。


ご苦労なこった。


「いや、破壊したからこそ、新しく復興出来たのか」


 深い森の中で、一つ息をつく。


普通の人間なら、三日はかかる山越えだ。


関所? 通行手形? そ


んなもの、俺には必要ない。


整備された道しか進めないようなやつに、用はない。


 短い距離での瞬間移動を繰り返し、密林の中を進む。


魔力の臭いに気づいた動物たちは、驚き慌てふためいて、逃げ去ってゆく。


そう、これこそが、俺に対する正しい反応だ。


微笑みかけるなんて、ありえない。


汗が流れる。


尋常ではない量だ。


全身がだるく重みが増してくる。


クソ。


こんな移動など、何でもないことだったのに……。


館から盗み出した魔法石を、いくら摂取してもダメだ。


まだ幼い体が、この力に耐えられるだけの体力を持てていない。


息が苦しい。


全身の重みに、ついに足が止まった。


 心臓がズキリと痛む。


荒れ果てた、むき出しの地面に倒れた。


脈打つリズムは不規則で、強烈な痛みを伴う。


手足まで震えている。


俺はそこにうずくまると、繭のように体にシールドを張った。


意識レベルを下げ、回復に全てを注ぐ。


見た目は岩に偽装してあるから、そう簡単には見つからないだろう。


魔力の使い過ぎだ。


無理なんてしているつもりは微塵もないが、どうしても体がついてこない。


やろうと思えば出来るはずのことが、何にも出来ない。


その苛立ちに、腹立たしさに震えている。


 しばらく回復に集中し、意識を取り戻した頃には、すっかり日は落ちていた。


密林の森は真の暗闇で、覆い茂った木々に、空もほとんど見えない。


月も細いこんな夜には、一人で殻にこもっているに限る。


梟が闇夜を滑空する。


俺が擬態している岩の前に現れたネズミを捕らえた。


その鋭いくちばしで、皮を食いちぎり飲み込む。


こんな光景を目にするのも、何年ぶりだろう。


遙か昔の、エルグリムがまだ幼かった頃を思い出す。


今よりもずっと体は傷だらけで、常にどこからか血を流し、腹を空かせていた。


皮膚は黒く固くこわばり、骨と皮ばかりだった。


 俺は新しく手に入れた十一歳の、その柔らかい肌に触れる。


ここは暖かくはないが、俺を傷つけるものは、もういない。


それだけで十分だと満足出来るほど、俺はバカではない。


残った魔法石を取りだし、その全てをかみ砕く。


朝になったら、ナルマナの街へ下りよう。


どこかでちゃんとした食事を取らないことには、実体である体が持たない。


街へ下りたら、まずは簡単な芸でもして、金を稼いで……。

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