第3話

「ねぇイバン。悪夢が割れたら、エルグリムはどうなるの?」


「魔力を失う。今度こそ、本当に滅びるだろう。その力の根源を、失うことになるからな」


「それが本当の最期だってことか」


 ディータの緑に強く輝く目が、チラリと俺を見た。


「ナバロはどう思う?」


「割ればいいじゃないか。少しくらい、分け前をもらってもいいだろ」


 俺の本体。俺の魂。


数百年の時を生かし続けた、その力の源。


「きっと、キレイに割れて砕け散るだろうな……」


「だといいだろうな」


 立ち並ぶ列柱の先の、行き止まりについた。


その広間には、巨大な扉が立ち塞がる。


この扉の全てが、悪夢を守る魔法石だ。


一面に敷かれた魔法陣は、なに一つ欠けてはいない。


俺の描いた結界が、無傷のまま残っている。


「す……、すごい……。ついに来たのね……。ちょ、鳥肌たってるんだけど!」


「俺もだ。こんなビリビリするのは、初めてだよ。エルグリムの力を、この扉の向こうから全身に感じるね。怖いくらいだ」


 俺はぼんやりと緑に光るその魔方陣の中心に、真っ直ぐに左手を差し出す。


その意志を、悪夢へ向けた。


『さぁ。悪夢よ、その姿を見せよ。永い眠りの時は、いま終わりを迎えた!』


 光りが走る。


轟音が鳴り響いた。


扉に描かれた模様が、ゆっくりと動き出す。


その光りは歯車のように回転し、中心に集約されてゆく。


やがでそれは、扉中央を貫く真っ直ぐな線となり、静かに開き始めた。


「これが……悪夢への扉なのか!」


 走り出そうとしたディータの前に、剣が振り下ろされる。


「フィノーラ……。お前……」


 彼女は勇者スアレスの剣を、ディータの前に構えた。


「悪いけど、これから先は、誰にも邪魔させない。私が一人で行く」


「どういうことだ」


 イバンはハンマーを構えた。


支給品とはいえ、賢者ユファの呪いがかかった聖槌だ。


「あんたたちには渡さない。私が一人で壊す」


「なぜそれをお前が判断する。悪夢は誰のものでもない。この世から消えてなくなるべきものだ」


 ハンマーを持つイバンは、ジリジリとフィノーラとの間合いを詰める。


くだらない。


「おい、ちょっと待てよ。貴様ら、あの悪夢が誰のものだか、忘れてないか?」


 魔力解放。


もはやコイツらに、用はない。


緑の炎が全身を包む。


この地域一帯に眠った力が、死んだ魔物たちに与えた残余が、俺の元に戻ってくる。


「ナバロ!」


 フィノーラの聖剣が、俺に向かった。


「あんたには、話しがある!」


「そうか。だが俺にはない」


 ここで殺しておいた方が、この先、俺がラクだろうな。


フィノーラの振る勇者の剣が、胸のすぐ手前を横切った。


「その力を制御出来ないのなら、あんたは悪夢を持つべきじゃないわ!」


 振り下ろされる勇者の剣を、イバンのハンマーが受け止めた。


「なぜそんなことを、お前が決める!」


「言ったでしょ。私は聖騎士団なんて、大っ嫌いだって!」


 フィノーラの聖剣は、イバンに向かう。


「あんたたち聖騎士団の連中が、エルグリム狩りにかこつけて魔道士の子供たちにしたことを、私は一生忘れない!」


 火花を散らし、聖剣と聖槌が交差する。


「そんな連中に悪夢を渡すくらいなら、私がもらう!」


 くだらない。


ふわりと体を宙に浮かせる。


先へ急ごう。


コイツらを黙らせるためにも、俺には悪夢が必要だ。


扉の奥へと飛ぶ。


フィノーラの言う通りだ。


そもそも俺に、こんなものを作らせたあいつらが悪い。


 遠い記憶が蘇る。


魔道士の子供が忌み嫌われ、悪魔の子として葬られていた時代の話しだ。


逃げることを覚え、自分の身を自らの力で守ることを教えたのは、何だったのか。


「そこから抜けだしたいのなら、圧倒的な力をつければいい!」


 悪夢とは、皆が言うような魔法石の結晶でも、力の残余でもない。


あれは装置だ。


有り余る魔力を蓄積し増幅させ、エルグリムの元へと送り続ける、供給機だ。


悪夢がある限り、いくら倒されても俺は死なない。


必ずこの悪夢が、俺の元へ魔力を送り続ける。


最後の扉が見えた。


その前に舞い降りる。


見上げるほどの高く頑丈な扉の前で、俺は呪文を唱えた。


『王の帰還だ。いまここに作り主は帰った。その力を解放し、我に全てを与えよ。そなたの役は目的を果たした。新たに生まれ変わり、次の使命を果たせ!』


 大地が揺らぐ。


最後の扉が、静かに開き始めた。


乳白色に濁った淡い琥珀色の、縦に長い双角錐の物体が光る。


ゆっくりと回転しているそれに、俺は一歩を踏み出す。


 パン! 


薬莢の弾ける音と、火薬の臭い。


俺はサッと身をかわした。


「チッ。さすがに避けやがるぜ」


 ディータの構えた銃口から、煙が上がった。


「おい、イバン。聖騎士団の弾丸じゃあ、悪夢は壊せないってよ」


 振り返る。


悪夢の表面に、わずかなヒビが入っていた。


「貴様ら……」


 俺のこの体が、全身が、怒りに震える。


ここまでやってきた道のりを、なんだと思っている。


お前らは何のために、俺をここまで連れてきた!


「悪夢に手を出すことは、この俺が許さん!」


 その瞬間、フィノーラの持つ聖剣が左肩に落ちた。


ギリギリと肉に食い込むそれを押しのけようとするも、力が及ばない。


「今よ、イバン。ナバロはここまでに、もう随分魔法を使っている。そろそろ体力が切れるころだわ。この強い聖騎士団の結界のなかで、よくバレないと思ったわね。あんたはあんたの意識と体を保っているだけでも、精一杯だったはずよ」


「お前……。それを待っていたのか……」


「あら、どれだけ一緒にいたと思ってるの? グレティウス入りしてから、ほとんど魔力の補給はしていないし、休めもしなかったはずよ。溶け出しそうな体を、守るのに必死だったもの。聖騎士団の中枢本部じゃ、さすがに大人しかったものね」


 ディータの銃口は、俺に向けられたままだ。


イバンはハンマーを片手に、悪夢へ近づく。


「これで本当に、ナバロの呪いは解けるのか?」


「どっちにしろ、一石二鳥でしかないだろ。さっさとやれ」


 ユファの聖槌が、悪夢の前で振り上げられる。


「やめろ!」


 風起こし。


爆風が吹き荒れる。


吹き飛ばされたフィノーラの前に、ディータが立ちはだかった。


「目を覚ませ、ナバロ!」


 撃たれた弾丸は、聖騎士団の魔法弾だ。


それはわずかな黒煙を上げ、周囲に飛散する。


魔力を封じる、吸魔の粉だ。


「クソが! これくらいのことで、俺がくたばると思うなよ!」


 呪文を、呪文を唱えなければ!


『魔力解放! 悪夢よ、力を!』


 三人は、手に持った武器を同時に掲げた。


『聖剣よ、力なきものを守りたまえ!』


 三人の声が重なる。


イバンの槌とフィノーラの剣、ディータのライフルが、正三角形のバリアを作る。


聖騎士団の紋章が光った。


聖騎士団の特有の、黄色みを帯びた緑の正三角形が、頭上を覆う。


抵抗しようにも、悪夢捜索用に支給された武器だけのことはある。


魔法攻撃に対する耐性がハンパない。


「あ……、悪夢に何をした……」


 悪夢からの返事が、返ってこない。


この忌々しいバリアに、弾かれた様子もない。


「何もしてない。大人しくするんだ」


 黄緑のバリアが、頭上に近づいてくる。


この殻を破ろうにも、この体に残った力だけでは、それも叶わない。


「ユファどもめ……」


 聖騎士団の結界は、この世界の全てを包み込んでいたんだ。


俺は知らぬ間に、その呪いに冒されていたのかもしれない。


「ナバロ! お前が死んでも死なない体なら、もう一度やり直せ!」


 ディータの言葉に、勇者の剣を持つフィノーラが動いた。


結界が落とされる。


「これでお終いよ!」


 スアレスの剣が頭上に振り下ろされた。


それを避けようとする体に、ディータの投げた双剣が突き刺さる。


聖なる呪いを受けたの剣だ。


終末の叫びが、腹を突いてほとばしる。


三人の創り出した結界が、俺の体を包み込んだ。


「ぐあああ!」


 俺を守っていた結界が、力によって破られる。


その力は全身を縛り上げ、圧迫する。


その圧力に、俺はなんの身動きも取れなくなる。


イバンは悪夢を振り返った。


その聖槌が、クリーム色の双角錐に振り下ろされる。


「もう悪夢など、ここに必要ない!」


 その瞬間、俺の中で何かが砕け散った。


それはいま俺の目の前にある、悪夢なんかじゃない。


ガクリと膝をつく。


体から全ての体力が奪われてゆくのは、いつものアレか? 


鉛のように重たくなった体が、ずしりと地面に倒れる。


「ナバロ!」


 フィノーラの手が、俺を抱き上げた。


あぁ、そういえば出会った時から、俺はこの手に助けられていたっけ。


イバンの顔が、ディータの顔が、順番にのぞき込む。


伸ばしたその小さな少年の手は、本当に自分の手か? 


力なく震えるそれは、ぱたりと落ちた。


俺は大魔道士エルグリムだ。


巨悪をなし、誰からも忌み嫌われ、いつまでも憎み恨まれ罵倒され続け、決して愛されることはない。


だとしたら俺は、もう一度魔王として、復活するよりなかったじゃないか。


どうすれば、いつになったら、俺はこの世から認めらる? 


死んでもなお生き返る呪いをかけたのは、俺自身だったのか? 


それともこれが、罪にたいする罰だとでもいうのだろうか。


何に対する罰だ? 生まれたせい? やったこと? 


悪だもんな。


当然の報いだ。


だから人に蔑まれ、殺されるのは、当たり前なんだ。


それを受け入れろ。


大魔道士エルグリムだ。


俺はまた復活するだろう。


それは永遠に繰り返される、果てしない呪いだ。


誰よりも最悪で、最も許されない、汚く下劣で醜い、浅ましく卑しい下等なこの世のゴミとして……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る