第5話

「あの姉ぇちゃんも助けてやれ。知り合いなんだろ? 俺が援護する。お前を助けに来てくれたんだ」


 行く手には聖騎士団の剣士と魔道士たちが、山ほど待ち構えている。


俺は呪文を唱えた。


『いまこの瞬間に我に向かうものよ、全て地に帰れ』


 抜かれた剣や槍は、ピタリと床に張り付いた。


放たれた聖魔道士たちの呪文も、大地に向かって吸い込まれる。


ディータの呪文。


その火球は、団員たちを襲った。


「やめろよ、城が燃える」


「そう簡単には壊れねぇよ」


「違う。俺の城なの」


 ロビーに出た。


フィノーラが暴れ倒したのか、あちこちが破壊されている。


彼女の動きを抑えるための結界が張られ、その中でキーガンとイェニーは剣を抜いていた。


キーガンの吸魔の剣は、すでにフィノーラの魔力を吸い尽くしている。


「ナバロ。助けに来たわよ!」


 いや。


どっちかっていうとこの場合、俺たちが助けに来たんだけど……。


「ほらやっぱり。私と一緒にいて通行許可証がないと、捕まるんじゃない!」


 肩で息をしている。


立っているのもやっとなのだろう。


心なしか涙目のようにも見える。


誰にやられた? 


キーガンとイェニーの視線が、俺に向けられる。


「モリーは? もう審査は終わったのか」


 キーガンは、フィノーラに向かって構えていた魔剣を下ろした。


「終わったよ。問題なしだ。姉さんと通行許可証を返してもらおう」


 イェニーはディータに視線を移す。


彼はウンとうなずいた。


「そうか! ならば何の問題もない」


 イェニーはうれしそうに、その紙を差し出す。


フィノーラはそれを受け取った。


ヘナヘナとその場に座り込む。


「……。もう。ホントどこ行ってたのよ。めちゃくちゃ探したんだから……」


 白く細い腕で、自分より幼い、十一歳の俺を抱きしめる。


「お願い。私の側から離れないで……」


「まだ動ける?」


「なんとか」


 回された彼女の腕を解く。


俺が気に入らないのは、すっかり姿を変えられてしまったこの城と、聖騎士団どもの臭いだ。


チラリと外を確認する。


城内の、半壊した正門と高い壁の向こうに、わずかに空が見えた。


「自分たちの結界の中で、ぬくぬくと守られているだけの連中とは、怠慢極まりないな」


 まぁ団長が、全く魔法の使えない剣士だから、仕方ないのか。


俺はその隙間を縫うように垣間見える、わずかな空に向かって手を伸ばす。


「一度、この結界のありがたみを、嫌と言うほど味わってみるといい!」


 真っ直ぐに伸びた光りが、結界の壁にぶち当たる。


それは城全体を覆い尽くすしていた結界に沿ってドーム状に広がり、緑に輝いた。


『古の呪いを解きほぐせ! この地に再び自由を!』


 ゆっくりと、だが確実に、結界の強度が弱まっていく。


溶けるように消えていく光に、体が軽くなった。


大地が揺れる。


その轟に、俺はもう一度叫んだ。


『我らが根城を取り戻せ!』


 幾重にもわたってかけられた、古い古い魔法。


その結界が、徐々に溶け始める。


魔道士たちは血相を変え、結界を維持する呪文を唱え始めた。


「そうはさせるか!」


 一気に魔道士どもをなぎ払う。


吹き荒れた一陣の風は、玄関ホールごと全てを吹き飛ばした。


「ナバロ!」


「魔力が少し戻ってきたわ!」


 ディータとフィノーラが駆け寄る。


「ここから出るぞ」


「了解!」


 フィノーラの攻撃魔法。


その衝撃波はザコどもをなぎ倒し、次々と壁に穴を空ける。


ディータはカードを取り出した。


「やっぱり派手な姉ぇちゃんだなぁ」


「フィノーラ! あんまり城は壊さないで!」


「どうしてよ。そんなの無理!」


 歯向かう魔道士たちの呪文は、全て俺のマジックバリアではね返す。


風を起こし、足元をなぎ払い、決して結界修復の呪文は唱えさせない。


かかってくる剣士たちの相手は、ディータが引き受けた。


飛び出した無数の獣や虫たちを操り、応戦している。


不意に、目の前を黒染め剣が横切った。


「なるほど。確かにお前たちの腕は確かなようだ」


 キーガンだ。


俺の五倍はある巨体を見上げる。


「だけどな、少年。いくら正式な書類があっても、俺たちがここを通さないと決めたら、それは通れないんだよ」


 振り下ろされた吸魔の剣が、マジックバリアをたたき割る。


「残念だが、俺たち剣士は結界がなくても、動けるんだ。そんなもんに守られてなくても、能力は変わらないんでね」


 爆発音。


フィノーラの全くコントロールの効かない衝撃波が、天上に当たって破裂した。


崩れた石の破片が、バラバラと降りかかる。


「やれやれ。あのお嬢ちゃんも、元気を取り戻したのか」


 四角く表情の少ない顔が、うんざりと眉根を寄せた。


真っ青な団服に身を包んだイェニーは、その剣を抜く。


「キーガン。あの子とこの子と、どっちがいい?」


「じゃあ、黒髪の元気な嬢ちゃんとディータで。子供の相手はやりにくい」


「怪我はさせるなよ」


「……。善処します」


 吹き上がる爆風で、イェニーの赤く波打つ長い髪が舞い上がる。


「さて。モリーはどうした。君の審査をしていたはずだけど?」


 呪文を唱える。


この剣士に魔法は通じない。


「モリーは強いね。頭がいいし、勘もいい。彼女の魔力は、どこから来てる?」


「私に聞かないでくれ。分かるわけがない」


 手の平で空気の渦を作る。


それは丸い弾となり、弾け飛んだ。


無数の弾丸が、イェニーに向かう。


「君も魔道士なら、やはりエルグリムの悪夢を?」


「そうだ」


 動きが速い。


俺の意のままに動くそれをすり抜け、さらに剣で切り裂く。


十二個あったその球を、もう二つも切り裂いた。


「聖騎士団に入ればいい。ルーベンの領主に、そう誘われたんじゃないのか?」


「お前らのことは嫌いだ」


「どうして?」


 振り下ろされる剣に、さっと飛び退く。


この女、まともに俺と戦う気がない。


振り回す切っ先は、俺が避けようと避けまいと、鼻先をかすめるか、肌に当てる程度のものだ。


「どうして俺の力を認めようとしない。なぜ人の話を聞かない」


「それをモリーは、聞こうとしていたんじゃないのか?」


「あれは拷問だ」


 爆発音。


フィノーラの誤爆だ。


それをキーガンは楽々と避ける。


だけどあっちはディータの居る分、彼らの本気度は高い。


衝撃で正門が半壊している。


外が丸見えだ。


「あぁ、あまり城を壊さないでほしいな。外に出よう」


 そう言ったイェニーの手が、俺の襟を背後から掴んだ。


「なっ、いつの間に!」


 その声に、フィノーラとディータが振り返る。


「ナバロ!」


「イェニー! その手を放せ!」


 彼女は腕一本の力だけで、俺を投げ飛ばした。


呪文を唱えようにも間に合わない。


そのまま野外に叩きつけられる。


「まぁ気が済むまでやればいいさ。子供には時には、そんなことも必要だ」


 イェニーの鋭利な剣先が振り下ろされる。


俺はゴロリと横に転がった。


「はは。上手いじゃないか」


 溶け出していた結界が、再び盛り返している。


モリーとここの魔道士たちの仕業だ。


俺は起き上がると、塞がれる寸前の空に向かって手を伸ばした。


『力よ、我の元へ集え!』


 稲妻が走る。


それは呼び寄せた魔力の塊だ。


この未熟な体に収まりきらない力を、ここに集結させる。 


俺はその全てを、この城の地下に向かって叩き込んだ。


『大地を揺るがせ。もう二度と、何者にも囚われるな!』


「ナバロ、何をした!」


 城と、その敷地である全ての輪郭が白く浮き上がる。


膨れ上がったその光りは、一度吸収されたかと思うと、すぐに炸裂した。


「なんだ! これは?」


 無数の、本当に無数の光りが、足元の大地から湧き上がる。


白く透けるその儚い影は、魂の欠片だ。


人骨にドラゴン、牙を生やした猛獣たち。


怪鳥は羽ばたき、二つ首の犬の群れが駆け抜ける。


この地下に埋められ、封印されたモンスターたちの屍が、その呪縛から解き放たれ、天に還ってゆく。


声にならない雄叫びが、辺り一帯に響き渡った。


「イ……、イェニー。団城の封印が……解かれてしまったわ……」


 モリーだ。


それを守ろうと力を使い果たし、足元がふらついている。


「モリー!」


 崩れ落ちる彼女を、イェニーは抱き留めた。


「復活するわ。何もかもよ。解かれた封印は、私にはすぐに戻せない。死者の魂を留め続けた、古の呪文が……」


 灰色の魔女は、ガクリと片膝をつく。


それを見届けた俺も、次第に朦朧としてくる。


「ナバロ!」


 力を使い果たし、倒れた俺を支えたのは、フィノーラだった。


「だから、アンタは無茶しすぎ!」


 俺はうっすらと目を開ける。


未だ大地から上り行く、無数の魂の影を見る。


それは絶え間なく地下から湧き上がり、空へと消えて行く。


あぁ、これはみんな、ここで死んだものたちだ。


この地に埋められ閉じ込められたたまま、ずっと眠っていたんだ。


かつて俺と共に戦い、敗れ去った仲間たち……。


ずっとここで、解放される時を待っていたんだ……。


ディータはフィノーラにささやく。


「おい、ナバロを抱いて走れるか?」


「走れなくても、走るわよ」


「よし。ここを出るぞ。街を出る街道まで行こう」


 力を使い果たし、動けなくなった俺をフィノーラは抱き上げた。


「こっちだ」


 瓦礫の山を越え、駆け出そうとする俺たちの前に、キーガンが立ち塞がった。


「おっと。そう簡単には行かせられないな」


 吸魔の剣を鞘に収めたまま、真横に振る。


ディータの肘が、それを受け止めた。


カードの一枚を、キーガンの足元に滑り込ませる。


『伸びた蔓よ、剣士の足をつなぎ止めろ』


 次の瞬間、赤黒く伸びる魔法の蔓が、キーガンに絡みつく。


「お前の手品も、ちゃんと動くようになったのか? ならもう遠慮はいらないな」


 キーガンは剣を抜いた。


黒い剣を足元に突き立てると、それは瞬く間に姿を消した。


カードが二つに割れている。


キーガンはその剣を構え直した。


「さぁ、これ以上、手間をかけさせるな。一体これで何度目だ? 大人しく捕まっていた方が早く解放されるってのが、まだ分からないか」


 素早いその一振りに、ディータは飛び退く。


フィノーラは俺を抱いたまま、パッと走り出した。


イェニーはそれに併走する。


「どこへ行こうというのだ? そんなに急がずとも、普通に歩いて行けばいいのに。通行許可証も返しただろう?」


 すぐにキーガンが立ち塞がる。


「だめですよ団長。この子は普通じゃない」


「普通じゃないと、何が駄目なんだ?」


「中央議会から通達があったでしょ、エルグリムが復活してるって」


「それがこの子だと言うのか? 本当に? そんな風には見えないけどな」


 フィノーラの腕に抱かれ、動けない俺をのぞき込み、彼女はニヤリと笑った。


フィノーラは周囲を見渡す。


俺は残った力を総動員し、この城の魔道士たちが再び強固な結界を張ろうとするのを、阻止し続けている。


「モリーが苦戦するなんて、ただ者じゃないですよ」


「そうか。朝の二度寝の時間が来たのかと思った」


「だったらいいんですけどね」


 ディータは腰の短剣を抜いた。


それをキーガンに叩きつける。


刃と刃が重なりあった。


「おっと。お前が剣を抜くなんて珍しいな」


「素直に通してくれんなら、こんな苦労もいらねぇんだけどな」


 慌てたイェニーが、割って入る。


「ディータ! どこに行くんだ? やっぱりグレティウスなのか?」


「そうだよ!」


「いつ戻ってくる?」


「もう戻らねぇ!」


 ディータの剣は、キーガンの魔剣を弾いた。


「今度こそ本当にお別れだ。イェニー。俺はもう、ここには帰らない」


 イェニーの動きが、ピタリと止まる。


燃えるような赤髪の、その前髪が揺れた。

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