第9章 第1話

 真っ暗な闇の中を、ただひたすらに落ちて行く。


生き返るようだ。


ようやくまともに息が出来る。


呪文を唱えた。


主である、王の帰還だ。


『闇よ、我が目には真実の姿を見せよ』


 パッと周囲が明るくなった。


全ての闇を払ってやってもよかったが、ダンジョンの謎解きパズルを楽しんでいる連中の、邪魔をするのも申し訳ない。


「楽しみは、残しておいてやらないとな」


 落下地点に、ふわりと足をついた。


落ちてきた頭上にある、虚空を見上げる。


遙か上空に、俺を探す灯りがわずかに見えた。


「さらばだ」


 歩き出す。


懐かしいダンジョンだ。


ようやく解放された俺に、地下に眠る死んだ魔物たちの魂が、白い影となって寄り添う。


肩に乗ったそれに触れようとして、スッと消えていった。


あぁ、そうか。


もう死んでいたんだ。


実体のない影に触れても、それは幻覚のようなものでしかない。


「もうここには、いないんだったな」


 耳を澄ます。


城のあちこちに入り込んだ人間どもが、蟻のようにうごめいている。


ユファを始めとする聖騎士団の仕掛けた魔法が、そこかしこで作動している。


強力に張られたその結界のおかげで、魔物たちが閉め出されているのだ。


俺の身すら危うい状態で、その全てを追い払うことは難しい。


今の俺には無理だ。


やはり、悪夢が必要だ。


「大魔王の復活を、盛大に祝わなくてはな」


 呪文を唱える。


これは聖騎士団の使う魔法構文だ。


これならばこの強い結界の中でも、問題なく使える。


俺が侵入していることにも、気づかれることはないだろう。


『風よ、この身を運べ』


 大きな魔法を使ってしまっては、みんなを驚かせてしまうだろう? 


そんなことをしたら、申し訳ないだろう? 


この姿を見せるのは、完全に復活してからで十分だ。


 複雑なダンジョンを、軽やかに飛び進む。


まだ聖騎士団の連中が侵入した形跡はない。


かつてここに巣くっていた魔物たちが仕掛けた、罠やお遊び程度のパズルもそのままだ。


懐かしい光景が広がる。


あそこは反乱した鬼の群れをまとめて閉じ込め、焼き殺した広間で、この井戸は試作品の毒をまき散らし、捨てた穴だ。


処女の心臓を集めて作った人形は、あまり面白くなかったな。


人間の顔をした猿どもにそれをくれてやったら、喜んで食い散らかしていたが、あまり俺の趣味ではなかった。


頼まれて数十体は作ったが、すぐに飽きた。


そういえば、それをかわいがっていた、どこぞの人間の王も、もう死んでいたな。


今度は何をして遊ぼうか。


「あぁ、まずは、俺を殺した連中にどもに復讐だ」


 魔王の宣言に、死んだ魔物の魂が呼応する。


ほら、みんな喜んでいるじゃないか。


復讐ほど楽しい遊びはない。


まずは俺をバカにした連中、コケにした連中からなぶり殺しだ。


「そうだな。まず初めに、ユファとあの生き残った仲間たちを、何とかしないとな」


 ここで殺されたお前たちも、一緒に楽しみたいだろ? 


あいつらの仕掛けた封印を解いてやらないことには、魔王復活とはいかないじゃないか。


地下ダンジョンの最深部へとたどり着く。


ここから床にはめ込まれた魔法石に乗って、最上階の王の間へ飛ぶのだ。


「あぁ……。懐かしい……」


 山頂に位置するその場所には、明るい昼の光りが、天窓から差し込む。


黒く光る広間に使われているのは、全て魔法石だ。


その冷たい壁に、そっと手を触れる。


死闘を繰り広げたあと、そのまま誰の侵入も許していない荒れ果てた広間には、まだ勇者の剣が残っていた。


俺の体を貫き、大量の血を流させ、死に至らしめた憎き剣。


床石に突き立てられたそれに触れようとして、その手は強く弾かれた。


「クソッ。まだユファの呪いが残っているのか!」


 何とも忌々しい剣だ。


死に際の、俺の魂を転生させるために開けた穴が、そのまま生き残った仲間たちの脱出口となってしまった。


魔法と崩れた岩で、そこはもう塞がれてはいるが、結局ユファたちは、この剣を目印として、悪夢を探しているのだろう。


 呪文を唱える。


広間の滑らかな壁面に、外の風景が広がった。


かつては魔物たちが人間を襲い、街を焼き払い、逃げ惑う姿が映し出されていたビジョンに、平和なグレティウスの街の風景が広がる。


「こんなもの、誰が許せと言った!」


 かつての俺が、どれだけ望んでも手に入れられなかった光景だ。


家族の笑顔、子供の呑気に遊ぶ姿、安心して眠れる部屋、腹一杯に食べられる食事。


どれもこれもが、幻だった。


「全て破壊してやる。もう二度と、こんなものは見たくない!」


 破壊光線。


手の平から放った黒い光の筋が、その壁をえぐり取る。


俺はその矛先を、聖剣に向けた。


「うわぁ!」


 結界が、十年の時を過ぎたいまでも、そこに残っていた。


弾け飛んだ黒魔法が、その力を消失させる。


それでもなお白く光る剣に、俺は舌打ちし、背を向ける。


悪夢があるのは、この先だ。


「ナバロ!」


 ふいに、広間が光り輝いた。


その声に振り返る。


転送魔法! 


イバンにしがみつくようにして、フィノーラとディータの三人が現れた。


フィノーラは駆け寄ると、俺を強く強く抱きしめる。


何の言葉も発しない彼女の向こうで、ディータはつぶやいた。


「お前、……。大丈夫か?」


 俺の全身は、濃く緑の光りに覆われていた。


それは暗視魔法のせいだけじゃない。


ダメだ。


このままでは俺がエルグリム本人だと、バレてしまう。


意識を鎮める。


転送魔法が効いたのは、ただの人間の男の子、ナバロの元ではなく、彼らが大魔王エルグリム、その本人のところへ行くことを望んだからだ。


そうでなければ、成功しない。


「だ、大丈夫……。なんか急に、ワケが分からなくなっちゃって……」


「もう大丈夫よ。私たちが来たんだから」


「どうやって、ここまで来た……の?」


 そんなこと、出来るわけがない。


まさか、本当にバレた?


「簡単よ」


 フィノーラは片目をつぶり、ニッと笑った。


「転送魔法よ。知ってるでしょ。行きたいと思うところを、強く願うの。ナバロの魔力が強く表れていたから、探しやすかったわ」


「子供の体だからな。エルグリムの残余に、憑依されやすいのかもしれない」


 ディータはじっと俺を見下ろし、イバンはたどり着いた王の間を見渡す。


「驚いた。ここは決戦の地じゃないか」


 ディータは壁にできた、一筋の大きな傷を見上げる。


それはたったいま、俺がつけたばかりの傷だ。


「それにしても、本当にすごい戦闘が行われたんだな。百聞は一見にしかずってやつだ」


 イバンは広間中央の、床石に突き刺さったままの聖剣に触れると、あっさりとそれを引き抜いた。


「伝説の剣だ。これは持ち帰ろう。随分と古い作りだ。今の聖剣の方が、かけている呪文も作りも、改良され強くしっかりしている」


「お手柄じゃないか。これで聖騎士団の中でも、出世は間違いない」


 そう言ってニヤリと笑ったディータに、イバンは強く静かな視線を向ける。


「そんなつもりはない。この功績をたたえるとしたら、それはナバロに、だ」


「どうしてそう思う?」


 ディータとイバンの距離が広がる。


明らかにこの二人は、その間合いを取っている。


「ねぇイバン。その剣で、悪夢は壊せる?」


 フィノーラがスアレスの聖剣に手を伸ばした。


イバンは彼女の手に、その剣を手渡す。


「もちろんだ。支給品のハンマーの方が確実だろうが、これでも十分破壊できる」


「私が持っててもいい?」


「……。あぁ、いいだろう。好きにしろ」


 彼女はその刀身をゆっくりと眺め、数度振った。


俺には決して触れることの出来ないものを、聖騎士団でもない彼女が腰に差す。


ディータは俺をじっと見つめながら言った。


「もしかして、悪夢の場所が分かったのか?」


 三人の、じっとりとした視線が集まる。


あぁ、もうここまで来たら、仕方あるまい。


なんだ、そうか、もう分かっているのか。


俺は広間の奥を指さした。


「こっちだ」

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