第2話
「ここは……。ビビは、領主の娘か」
「そうよ。大人しくしイイ子にしときな」
大きな建物の正面は、役所のような働きをしていた。
吹き抜けの玄関ホール脇には、事務所のような部屋が広がり、カウンター越しに複数の人数が働いている。
そこに立つ門番の視線が、執拗に俺を追いかけた。
なるほど。
ビビが引き入れてくれなかったら、俺はここに入れなかったかもな。
あの門番は、ただ立っているだけの魔道士ではない。
よく訓練された聖騎士団の魔道士だ。
子供の体に纏うだけの力では、誰も俺の正体には気づかないだろう。
この体積では、蓄えられる魔力にも限りがある。
それは単純に、受け取れる容積の問題だ。
「馬車でうたた寝をしていたから、疲れは取れているかしら。お腹は空いてない?」
「ビビさまは、少しお休みください」
「まぁ、そんなつまらないことを言わないで、フィノーラ」
「怒られるのは、私なんですけど」
館中央の大階段から四階までが吹き抜けの構造になっていて、その両脇に広がる部屋とその壁に至るまで、ありとあらゆるところに本が並べられていた。
これらはなにかの資料や契約書の類いなのか?
見上げる俺の視界を、フィノーラは塞いだ。
「コラ。あんまりジロジロ見ないの」
人口は、一万ちょっとというところだろうか。
さほど大きな町ではないが、数年前に良質な魔法石の鉱脈が発見されてからは、随分と賑やかになった。
こぢんまりとしたところだが、それなりに発展している。
「こんな立派な町だったっけ?」
「あんたの知ってるカズ村と、一緒にするんじゃないわよ」
「ここ十年で急速にね。ナバロが生まれた頃の話しだから、分からないかもしれないけど」
廊下を奥へと進む。ここからは領主のプライベートゾーンだ。
門番も立つその城内の門をくぐる。
居住スペースと公的な部分は分けられてはいるが、簡単な結界をかけた扉一枚だけだ。
ビビやその許された者たちと一緒に、一度でも通過してしまえば、なんてことはない。
すぐに解除される。
奥へと進んだ途端、室内はそれまでの重々しく厳かな雰囲気から、質素ながらも上品なたたずまいへ内装が変化した。
廊下のガラス窓から見える、さほど広くはない敷地に、わずかながらも芝生の庭がある。
ごちゃごちゃとレンガ造りの建物が密集しているが、悪くない屋敷のつくりだ。
「ようこそ、我が家へ!」
ビビは嬉しそうに、その板張りの廊下でくるりと回った。
「さ、ナバロ。あなたのお部屋を用意させましょう。フィノーラの隣でもいいかしら?」
「なんでコイツの隣?」
「だって、姉弟ですもの」
あー。まだ続いてんだ、その設定。
てゆーか、長居するつもりはないんだけど……。
「こっちよ。階段が狭いから、気をつけてね」
勝手に案内された、滑らかな石造りのらせん階段を上がってゆく。
塔付きの納屋を改装したような建物だ。
客というより、使用人のための宿舎といったところだろうか。
塔の先端には大きな鐘が設置されてはいるが、もう鳴ることはないのだろう。
建て替えられたばかりの立派な役所側の方の先端に、これより三倍はある立派な鐘がついている。
「ふぅ。ここはいつも涼しくていいわね」
その階段を上り始めてから、わずかにビビの呼吸が荒い。
「ビビさま、ナバロの部屋は私が用意させます。ビビさまはもう母屋に戻って、少しお休みください」
「あら、どうして?」
「夕食を、イバンさまとご一緒するのではないのですか? 一度お休みにならないと、今日は長時間、遠出もされております」
「まだ大丈夫よ」
「そんなことを言って、後で後悔することになるのは、ビビさまですよ」
ビビは立ち止まった。
恨めしそうにフィノーラを見つめるも、もう一度大きく息を吐き出す。
「そうね。じゃあご忠告に従って、少し休もうかしら。フィノーラ、あとはお任せしてもよいかしら」
「どうぞ」
「夕食には、ナバロとフィノーラも一緒にね。お話が沢山聞きたいわ」
「はいはい」
「フィノーラの、これまでのお話の続きもね。ナバロも必ず来て」
「はいはい」
「えっと、それからナバロには……」
ビビは、何かとあれこれ思い出しては、そこから立ち去ることを渋っている。
いつまで経っても動こうとしないビビに、ついにフィノーラの声色が変わった。
「分かったから! どうぞ行ってください。いつもの時間に食堂へ参ります。それでよろしいですか。私たちも休みたいです!」
フィノーラの剣幕に、ようやくビビは大人しくなった。
「わ、分かりました。では後でね。ナバロもね。必ずよ」
「お嬢さまもね!」
ビビは小さく手を振って、ようやく階下を下りていった。
フィノーラは盛大にため息をつく。
その姿が完全に見えなくなってから、舌打ちをした。
「チッ。くだらない。あんたもそう思うでしょ」
フィノーラは塔の階段を上りきると、三階の廊下へ出た。
「お前、ここで雇われてるんじゃないのか」
「流しの魔道士よ。見りゃ分かるでしょ。私は日銭がほしいだけ」
狭い廊下に沿って、小さな部屋が二つ並んでいる。
「居心地は悪くないけどね。あんたはこっち」
フィノーラは奥の部屋を指した。
「鍵なんてついてないけど、気にしないでしょ。後は自分で何とかしな。時間になったら、呼びに行くから」
そう言って、すぐにフィノーラは手前の部屋へ消えた。
俺は与えられた部屋へと入る。
簡素な木製の扉は、魔法で鍵をかけろということらしい。
石造りの狭い部屋に、ベッドと机が一つだけ置かれている。
小さな両開きの窓からは、夕陽に沈むルーベンの町が見えた。
なるほど、ビビは領主の娘か。
扱いやすそうな娘だ。
それならばここを、新たな拠点とするのも悪くないかもしれないな。
近くから良質な魔法石も採れる。
どうなっているのか分からない、かつての居城を取り戻すより、新たにこの町ごと乗っ取った方がいいのかもしれない。
俺の造りあげたかつての居城は、新政府の率いる聖騎士団どもに占拠されている。
「とにかく、一度は俺の存在を知らしめておくか……。いや、まだ待った方がいいのかな?」
自分の胸に手を当てる。
この体が、それに耐えられればいいのだが……。
ここを、俺の出発の地にするのも悪くない。
「はは。退屈なお嬢さん。お礼に、楽しいことを始めようじゃないか。もう毎日に飽きることもないだろう。俺をここへ引き込んだことを、一生後悔するんだな」
町を見下ろす小さな部屋で、俺は印を結んだ。
呼吸を整える。
それだけで小さなガラス窓は、吹き飛ぶような勢いで開いた。
少し大がかりな魔法になるが、仕方がない。
まずは魔法を届かせる範囲を、どこまでに設定しようか。
呪文を唱える。
『この世界に広がる、全ての生を受けしものたちよ。我の声が聞こえたならそれに応えよ』
秘められた力が、空を越え頭上から芯を貫く。
それは真っ直ぐに大地へと繋がり、天と地と、この世の全てに広がってゆく。
『かつて……、すべ……すべ……』
俺の体を通して、入り込んでくる魔力と出て行く魔力が大きすぎる。
やはりこの体では、まだ早かったか?
大きすぎる力の流入に、体ごと流されてしまいそうだ。
視界は歪み、意識が遠のく。
やはりまだ体の方が……。
「何やってんの!」
バンッ!
突然、背後の扉が開いた。
フィノーラは俺の頭をわしづかみにすると、ドサリとベッドに押しつける。
「あんたね! どこでそんな呪文覚えたか知らないけど、何でも唱えりゃ出来るってもんじゃないのよ?」
「わ……、分かってるから……離せ!」
体に力が入らない。
抵抗しようにも、腕すら動かせない。
魔法ではね飛ばそうとしても、もはや呪文を唱える力すら残ってはいなかった。
「チビのくせに、魔法の使い方を教えてくれる人が、周りに誰もいなかったワケ? 魔法ってのはね、呪文の力だけじゃなくて、受け入れる体も必要なのよ。そんなことも知らないで……」
フィノーラのやかましい独り言は続いている。
町にいる他の魔道士にバレないよう、薄く浅く地表に呪文を這わせたつもりが、さすがにすぐ隣にいた魔道士には見つかってしまった。
このままでは、中途半端に自分の居場所を知らせるようなものだ。
一度引っ込めないと……。
息を吐き出す。
もう一度力を振り絞る。
それでも十分に、大魔道士エルグリムの復活を感じさせる、予兆にはなっただろう。
平和にあぐらをかく、かつての勇者どもめ。
再びその恐怖に怯え、震えて眠れぬ夜をすごすがいい。
安寧の日々は終わりを告げた。
俺は分散させた力を消滅させる。
フィノーラの声と重なった。
『大地より与えられし聖なる力よ。風となり空を巡り、やがて我の元へ帰る魔法石となれ』
体内から流れ出す魔力が、その動きを止めた。
パラパラと地表に落ち、拡散してゆく。
それは永い時間をかけいずれ魔法石の結晶となり、再び誰かの力となるだろう……。
「ほら見なさいよ。無駄に魔力を消費して! あんたのはただの無鉄砲。バカ。能力に見合わない呪文は、自分の体を壊すだけよ」
クソッ。
この体では、割ける魔力に限りがあるのは確かだ。
おかげでフィノーラのような並の魔道士にすら、こうやって押さえつけられたまま抵抗できない。
やりたいことが、何一つまともに出来ない。
体が大きくなるまで、まだ待てというのか?
転生を果たしてから、もう十年も待ったというのに!
「離せ!」
わずかに回復した魔力を使い、突風を巻き起こす。
フィノーラを吹き飛ばすには十分だった。
もうこれ以上、我慢は出来ない。
「邪魔するヤツは、皆殺しだ」
どの魔法を使おう。容赦はしない。
何の為に生まれ変わった?
俺は、俺の世界を取り戻す!
はね飛ばされ、部屋の隅で倒れていたフィノーラが、動き始めた。
まだ息があったか。
起き上がろうとしている。
呪文を唱え、唱え……。
激しいめまいに、バランスを失った。
意識が遠のく。
俺はそのまま、床にドサリと倒れてしまった。
「……ほら、ね。だっさ」
力の使いすぎだ。
そういえば、一昨日村を抜け出してから水しか飲んでいなかった。
魔法石だけで持ちこたえていたのに、その魔力も使い果たしてしまった。
たかだか十一歳の体では、これが限界なんだ。
「だからガキなんかに……」
視界が暗くぼやけてゆく。
そんな俺を、フィノーラはじっと見下ろしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます