第2章 第1話
目を覚ますと、俺は客間のベッドに寝かされていた。
枕元に座っていたビビが起き上がる。
「ナバロ? まぁ、気がついたのね」
彼女はうれしそうに飛び上がった。
「急いで他の皆を呼んでくるわ!」
酷い頭痛がする。
魔力酔いを起こしたのか。
クソ。
十一年使った体でも、まだどのくらいの能力を出していいのか、その限界が分からない。
というよりも、自分の力を抑えなければならないことに、何よりもいらだちと腹立たしさを覚える。
出来るはずのことが出来ないのが、何より辛い。
ベッドから起き上がろうとして、胸から異様なむかつきがせり上がってきた。
魔法によるヘタな治療を施した痕跡が見える。
チッ、どんな術をかけやがった。
ヤブ医者どもめ。
「あら、本当に気づいたんだ。まだまだ先かと思ってたのに。以外と早かったわね」
フィノーラだ。
ベッドに身を起こした俺を腕組みで見下ろし、大きなため息をつく。
「あんたさ、あんまり大人をナメてると、痛い目みるよ」
「そんなつもりはない。ただ時々……。自分の立場を忘れるだけだ」
「はぁ? 何よそれ」
扉が開く。
イバンとビビが連れ立って入ってきた。
イバンはフィノーラと全く同じ格好で腕を組み、俺を見下ろす。
「子供。お前の本当の名を……うわっ」
ビビはイバンの巨体を押しのけると、俺の手を握った。
「ね、ナバロ。ナバロは『ナバロ』っていう名前なのよね?」
「あぁ、そうだけど……」
「じゃあ、あなたはナバロなのね、ナバロなのよね」
「何が言いたい」
イバンはビビの上からにらみつけた。
「カズの村から、お前のご両親が心配して見に来たぞ。身元を確認した」
「もう大丈夫よ。あなたのお父さまも認めたの。あなたはナバロとして、ここで魔法の修行をしていいって!」
「魔法の修行?」
冗談じゃない。
俺に魔法を教えられるのは、俺だけだ。
「そんなもの、必要な……」
起き上がろうとして、自分が繋がれていることに気づいた。
目には見えない、魔法の鎖だ。
ここの魔道士がかけたのか?
かなりしっかりしている。
「なるほど。やはりそれに気づけるくらいには、魔法が使えるようだ」
「まぁ、凄いわねナバロ。あなたを診察したお医者さまが、念のためにって繋いだの。だけど分からないようにしましょうねって。それを見せられる私も辛いからって、ある程度は自由に動けるようにお願いして、あなたの体力と魔力が回復したら、すぐに……」
フン。
この程度のもので俺を縛り付けようなんて、片腹痛い。
呪文を唱える。
それは簡単に砕け散った。
「ふざけるな。俺にこんなことをしておいて、ただで済むと思うなよ」
「その減らず口がいつまで続くのか、見物だな」
ベッドから下りる。
床についた足の衝撃だけで、頭に響いた。
思わず膝をつく。
「どこで覚えたか知らんが、お前の唱える呪文は、自分の能力を遙かに超えて強すぎるんだ。物事には何事も、順番というものがある。お前はそれをここで学べ」
違う。
俺の体を、クソなヤブ医者に診せたせいだ。
薬の調合も術のかけかたも、よくはない。
あぁ、確かにこうやって、無理にねじ曲げられたような体では、この館に張り巡らされた結界を破るのは、難しいかもな。
来た時とは違う、また別の種類の結界が幾重にも張り直されている。
破ろうと思えば、出来ないこともないけど……。
「おい。ナバロ聞こえてるのか?」
「は?」
「お前はここで、魔術の訓練を受けるんだ」
「チッ。そんなものは、必要ない」
ため息をつき、顔を背けた。
体はまだ休まらないが、こんなところでのんびりしているほど、俺は暇でもない。
そんな俺を見下ろし、イバンは声を出して笑った。
胸ぐらを掴むと、グイと引き寄せる。
「まだ体が戻ってないことを、幸せに思うんだな。そうじゃなきゃ、一発ぐらいぶん殴ってやるところだ。聞きしにまさる生意気さだな。これではカズの村にいられないわけだ」
イバンは俺を突き放すと、くるりと背を向けた。
「まぁいい。お前を預かると決めたのは、俺だ。他にも何人かの先生をつけてくれるそうだ。ビビお嬢さまに、感謝するんだな」
扉が閉まる。
イバンが消えた瞬間、ビビは俺の手をぎゅっと握りしめた。
「ね、ナバロ。私もご一緒していいかしら。いいわよね? ね、私も魔法の勉強がしたいの」
「いい加減な冗談は、もううんざりだ」
それを振り払い、ベッドから抜け出す。
歩くだけで頭に響く。
俺はすぐ目の前のソファに横たわった。
「まだ辛いのね。もうすぐ先生が診に来てくださるわ。ナバロが気づいたら、すぐに呼ぶように言われていたの。お使いを頼んだから、きっともうすぐよ。ね、フィノーラ」
「えぇまぁ、そうでしょうね」
「お前の体を診ている、ヤブ医者か?」
「ちゃんとしたお医者さまよ」
何の病か興味はないが、確かにこの女から感じる命の炎は弱い。
「なぜ魔法に興味を?」
「だって、魔法が使えたら、それは素敵だと思わない?」
真っ青な目。
この女は、魔法使いではない。
魔法石を魔力に変え、体内に取り込める体質ではない。
「処方される魔法石の粉を飲んでいても、使えるようにならないのに?」
「だけど、勉強するのは自由でしょ」
「勉強ね……」
聞いて呆れる。
腹の立つほど平和で呑気な女だ。
フィノーラはため息をつく。
「いずれにしても、あんたはしばらくここから動けない。体力的にも社会的にもね」
「社会的?」
「監視がついたってこと」
「ねぇ! ナバロはどこかで、秘密の魔道書を見つけたのでしょう? じゃないと、こんな小さな子供が、あんな難しい呪文構文を整えられるはずがないって……」
ビビの唐突な発言に、フィノーラは慌てた。
「ビビさま、それは秘密にしとけって!」
「あら、いいじゃない。どうせ分かることだもの。隠してこそこそ探るなんて、私は嫌い」
俺の横たわるソファに足元に、ビビは腰を下ろした。
「みんな、その魔道書を見たがってるわ。今までにない難しいやり方だって。先生たちは、ナバロに魔法を教えるフリして、それを聞き出すつもりよ。とっても楽しみにしているわ」
俺はため息をつく。
それはエルグリムをやっていた時にも、散々言われたセリフだ。
「それをお嬢さまが、バラしちゃダメじゃん」
「私も教えてほしい。教えて欲しいのなら、素直に頭を下げるべきではなくて?」
「聞いてどうする?」
「私も、魔法が使えるようになりたい。魔法使いとしての体質を持って生まれてこなかった人間にも、魔法が使えるようになる方法はないのかしら。それを研究したいの」
「……。そんなこと、考えたこともなかったな」
だけどそれは、非常に面倒くさいうえに、厄介な頼み事だ。
それを叶えたとして、マトモに使える魔道士になるとも思えない。
適当に誤魔化して、利用するだけ利用したら、さっさと引き上げよう。
「分かった。いいよ。俺の秘密を教えてやろう」
「本当に!」
「信じちゃダメですよ、ビビさま!」
「あぁ。だたし、これから処方される薬は、俺が自分で調合する。魔法石をそのままくれ」
「ナバロは、そのまま食べてしまえるのよね」
「そう。それが俺の秘密。生まれ持った能力、それだけ。誰かに習ったわけでも、努力したわけでもない」
「だって、魔法石は魔法体質じゃない人にとっては、ただの石ころだもの」
ビビの顔色が曇る。
そうだ。そうやって悔しがれ。
「呪文構文だなんて難しいことは、考えたこともないね。自分の意志を、知っている呪文の型にのせるだけ。あとは魔力の摂取量」
「それじゃ、秘密にならないじゃない」
「そうだよ。特に秘密でもない」
「……。先に診察を受けてくるわ」
がっくりと肩を落としたビビは、静かに部屋を出て行く。
ここに残ったのは、俺とフィノーラだけになった。
彼女はため息をつくと、ドカリと向かいのソファに腰を下ろす。
「本当に秘密って、それだけ?」
「……。他になにがある」
「よっぽど恵まれた体質なのね」
彼女の持つ魔道士特有の、深い緑の目がじっと俺を見つめる。
「あの子、体が弱いのよ。だからこの館に閉じ込められて甘やかされて、世間しらすのまま、うっとうしい性格になっちゃってるのよね。魔法使いになったところで、自由になんてなれっこないのに」
「なれるさ。なろうと思えばね。そのために俺は、村を出た」
転生したんだ。
いつまでも、こんな扱いに甘んじるつもりはない。
もう一度、本来の自分を取り戻す。
それの何が悪い。
「子供になにが出来るの?」
「そういうお前だって、まだ若いだろう」
「十八よ。あんたよりは大人ね」
フィノーラの緑の目は、じっと俺を見つめる。
「カズを出て、一人でどうするつもりだったの?」
どうするも何も、やるべきことは決まっている。
まずはこの頭痛の原因となっている、ふざけた魔術を解かないと……。
フィノーラがじっと見つめる中、俺は呪文を唱えた。
ヤブ医者にかけられたおかしな術を解き、正しい流れに戻す。
全身のだるさが一気に吹き飛んだ。
「ふぅ。やっと楽になった」
「……。あんた、そうやって魔法で誤魔化してきたのね。だけど本当の体は、まだ回復してないよ。どんな魔法も、真実の姿には勝てない」
「それがやっかいなんだ」
体力と、使える魔法のバランス。
さっさと先へ進みたいが、この体が、とにかくやっかいで仕方がない。
これからどうしたものか……。
「……。ねぇ、さっきの……。その、あんたが使った魔法なんだけど……」
フィノーラの目が、くまなく俺を観察していた。
「あんな呪文、初めて聞いたわ。どこで覚えたのよ」
「……。どの魔法のことだよ」
「ぶっ、ぶっ倒れる直前のやつ! ……。普通出来ないから。あんなこと。広域魔法? 天候を操ろうとした? なによあれ。何がしたかったの? 一体、誰に、何を伝えたかったわけ? 世界に向かって、何を宣言しようとしたのよ。それとも、ただのバカ?」
あの程度の魔法も見たことがないとは、聞いて呆れる。
俺が死んでから、よほど退屈な魔道士しか、この世に存在しなかったらしい。
「子供特有の、全能感ってヤツ? 自意識過剰? だけどあんたには、それを使える可能性が確かにある。体が出来上がればね。もう少し成長すれば……」
フィノーラの視線が、じっと俺に注がれたまま離れない。
彼女は俺に、何を求めているのだろう。
「これから、どこへいくつもり?」
それには答えない。
教えたところで、コイツらにはどうしようもない。
それでも彼女が望むというのなら、まぁちょっとくらい、教えてやってもいいか。
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