本当に
【能美明日香】
「──♪」
この日のあたしは、鼻歌を歌ってしまう程度には機嫌が良かった。
今日は早起きしてヒロトのためにお弁当を作ってきたのだ。ふふっ、会心の出来。
きっと、ヒロトなら喜んでくれる。
彼好みの味付けにしたし、ハンバーグ以外にも彼の好きなものを詰め込んでおいた。
ヒロトの喜ぶ顔を想像して、あたしは気分が高揚してしまう。
学食スペースにて、二人席を確保しておいたあたしは、今か今かとヒロトが来るのを待っていた。
出入りする人を注視すること約七分、あたしはヒロトの姿を発見する。
スラッとした細身の体躯に、少しクセのある髪の毛。あ、寝癖付いてる。可愛い。
あたしは頬をだらしなく緩ませる。
っと、こんな間抜けな顔を見せるわけにはいかない。一度スマホで自分の顔を確認してから、席を立ち上がった。
「ヒロト、こっち!」
あたしが声を上げると、ヒロトはすぐに気付いてくれた。
人波を掻き分けて、あたしの元へとやって来てくれる。
「ごめん、待たせちゃって」
「ううん、あたしも今さっき来たとこだし」
──なんて、ありきたりな事を言ってみる。
急に我に帰って、頬が赤くなりそうだったけれど、こんなやり取りすら楽しくて仕方なかった。
ちなみにヒロトは四限が体育だったために、ここまで来るのに時間がかかったみたい。
「今さっきにしては、いい席取れたね」
「……分かってて言ってるでしょ」
あたしはムッと頬を膨らませると、胡乱な眼差しを向ける。……意地悪だ。あたしが、昼休みになるなり速攻で席取りしたことを見抜いている。
でも、こんなやり取りでさえ、あたしの気分は高鳴ってしまう。付き合ってる頃には気が付かなかった。失ってから気付くってのは、どうにも本当みたいね。
ヒロトはあたしの対面の席に座ると、ジッと目を見つめてくる。あまりに真剣に見つめられたので、ドキリと心臓が跳ねてしまう。
「え、えっと、お昼にしよ。ちゃんとヒロトの希望通り、ハンバーグ作ってきたから」
「ありがと」
あたしはヒロトに弁当を一つ渡す。
辺りは喧騒に包まれているのに、ドキドキとうるさい心臓の声しか聞こえてこない。
あたしは赤い顔を隠すようにプイッとそっぽを向いた。
「べ、別に、気にしなくて良いから。あたしのお弁当作るついでだし」
どちらかと言えば、ヒロトのお弁当を作るついでにあたしのお弁当を作った形だけど。
ヒロトは苦い表情を浮かべると、早速、お弁当の中身を確認する。
「うわ、めっちゃ凝ってない?」
「こ、このくらい普通じゃん?」
全部手作りだし、手間暇かかるものばっかだった。大変だったけれど、苦ではなかった。
むしろ楽しかったくらい。
ヒロトは箸を手に取ると。
「じゃ、いただきます」
「どーぞ」
ハンバーグから食べ始めるヒロト。
あたしはジッと彼が食べるのを眺めた。
「……ど、どう? 美味しい?」
「うん。すげぇ美味しい」
「そ、そっか。ま、あたしが作ってるんだし当たり前よね」
「さすがっす、明日香さん」
調子に乗るあたしを、ヒロトが煽ててくれる。
あたしは口角を緩めると、自分のお弁当を食べ始めることにした。
「──あ、あのさ、もし良かったら明日も作ってあげよっか?」
昼食をすすめながら、そんな提案をしてみる。
あたしがヒロトのお弁当を作ることになれば、昼休みの時間は一緒に居られる。その上、ヒロトの胃袋まで掴める一石二鳥な作戦。あたしってば、ホント天才♪
ヒロトの顔をチラリと覗く。
すると彼は、いつになく真剣な表情で、お弁当箱の上に箸を置いた。
「俺、明日香と話し合いたい事があるんだ」
「話し合いたいこと?」
なんだろう。
検討がつかない。
「うん。俺たちの関係って、なんかもうよく分かんないなって思っててさ」
「元カレと元カノじゃないの?」
「そう、かな。俺には付き合ってる頃と何が違うのか、もうよく分かんない」
「え、えっと、でも、ヒロトが気を遣うなって」
「そうなんだけど。こんなつもりじゃなくて……とにかくさ、今みたいなあやふやな関係でいるのは良くないと思ってる。このままだとどうして別れてるのか、分からない」
ヒロトはそっと視線を落とすと、困ったように首筋を掻いた。
あたしはギュッとスカートにシワが寄るくらい、両手に力を込める。
言うなら、ここしかない。
そう思ったからだ。
「じゃ、じゃあさ……元に戻っちゃ、ダメなの? 復縁っていうかさ──ほ、ほら、この前、口喧嘩みたいなのしたでしょ? これまであたしが文句言ったりはあったけど、ヒロトからああいうのなかったし……正直、嬉しかったとこもあって。これからは、言いたいことはちゃんと言い合お。そしたら、悪いとこあったらすぐに治せるし……ヒロトも溜め込まずに済むでしょ? だ、だから、またあたしと──」
「うん。それも選択肢としてはアリだと思う」
ヒロトは落ち着いた声で、微笑を湛えながら同意してくれる。
あたしはパァッと笑みを咲かせると、普段よりも声のトーンを跳ね上げて。
「で、でしょ! じゃあ、今からまた──」
「──別れた方がいいんじゃないかな、俺たち」
ヒロトはいつもと同じ声で、淡々としたトーンで、あたしの声を遮った。
え、えっと……え?
頬をぎこちなく歪めるあたし。
「あ、あたし達ってもう別れてるよね?」
「うん。でも、よくない別れ方だったと思う。俺が一方的に別れを告げた形で、それを明日香に強要した」
「それは、そうだけど」
「だから、ちゃんと共通認識を持った上で別れない? もちろん、今後、明日香が俺に変な気を遣ったりしなくていい。俺も明日香に気を遣うつもりないし。……ただ、別れたなりの距離感は保つべきだと思う。じゃないと別れた意味がない」
あたしの頭は真っ白になっていた。
ヒロトの言ってる事がよくわかんない。分かりたくない。
「なんで……なんで、そんなこと言うの?」
「俺は今の状況って良くないと思う。いろいろ意見もらって、自分でよく考えてそう思った」
「……わかんない。わかんないよ。何が良くないの?」
「俺たち、別れてるんだよ。今の状態はお互いの為になるとは思えない」
「じゃあ、復縁すればいいじゃん! また、あたしのことカノジョにしてよっ」
あたしはバンッと力強くテーブルを叩く。
ヒロトは努めて冷静に、落ち着いたトーンで問いかけてきた。
「これから先、俺は嫌なことは嫌って言うと思う。今回の件で、俺のよくない癖は気づけたから」
「……うん」
「でもさ、その度に、明日香は俺の言うことを素直に聞くんじゃないかな。それどころか、俺の些細な発言でさえ敏感になって、俺の言うこと聞くと思う。違う?」
「聞く、と思う」
だってヒロトに嫌われたくないから。
せっかく、ヒロトとまた関係を築くことができた。疎遠にならずに済んだのに、それを無下にする真似はしたくない。
あたしがヒロトの言うこと聞くだけで、このままヒロトと一緒にいれるなら──。
「そんなのダメだよ。また二の舞になる。今度は明日香が我慢の限界、来るんじゃないかな」
「……っ。そんな、こと」
「もちろんダメなとこは治した方がいいと思う。でも、言いなりになるのは違うでしょ」
「そう、かもだけど……」
あたしは下唇を強く噛み締めながら、絞り出すように言う。
なぜだか分かんないけど、涙が込み上げてきた。
ただただ圧倒されているあたしに、ヒロトは最後通告をするみたいに生真面目な表情で。
「今度は、
そう、告げてきたのだった。
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