妹の助言

「あぁくそ、ったく」


 帰り道。

 俺は乱暴に自分の頭を掻いていた。


 さっきの明日香の泣き顔が、脳裏に焼き付いて離れない。


 明日香は何かと涙もろい方だ。

 感動ものの映画は百発百中で泣くし、ちょっと転ぼうものなら涙を滲ませる。


 けれど、ああしてボロボロと泣き崩れる姿を見るのは初めてだった。


 少なからず、反省はしているのだろうか。


「いや反省したからなんだって言うんだ」


 誰に向けたわけでもなく呟く。


 反省するのは良いことだ。

 明日香が本当に気持ちを入れ替えたのであれば、今後、『別れる』ことを脅しに使ったりはしないだろう。


 だがそれは、新しく彼氏ができた時に意識すれば良い話。


 俺との関係はすでに終わっているのだ。


 反省したからって復縁なんて──。


「あ、兄さんっ」


 俯き加減に歩いている時だった。


 背後から聞き慣れた声が飛んできた。


「……礼奈れいな


 杉並礼奈。


 艶のある黒髪のショートカット。カチューシャで前髪を掻き上げている。

 美人の母親似で、兄の俺とは似ても似つかない。


 私立の中学に通っており、優等生ということで評判らしい。


「あれ? 今日は一人なんですね。明日香さんはどうしたんですか?」

「母さんから聞いてないのか」

「え? 何をですか?」

「その様子じゃ知らないみたいだな」


 母さんには、明日香と別れた件を報告している。


 この前みたく母さん経由で俺の部屋に来られたら厄介だからな。


 だが、礼奈には伝えていなかった。

 意図的に伝えていなかったわけじゃない。礼奈は部活や友人との交流などで忙しく、生活リズムが合わないのだ。だから、直接伝える機会を逃していた。


「明日香とは別れたんだ」

「は?」

「だから別れたの」

「え、えっと冗談ですよね?」


 礼奈はぎこちなく笑みを作りながら、ピクピクと頬を揺らす。


「冗談にしちゃタチ悪すぎないか」

「……そう、ですね」


 礼奈と明日香は仲が良いからな。


 それこそ、姉妹に近かった。

 俺抜きで二人で遊びに行ってたりもしてたくらいだ。


 礼奈にしてみれば、俺と明日香が別れたのはショックだろう。


「明日香さんから別れたいって言ってきたんですか」

「俺から、だな」


 正確には何度も別れることを脅しに使われてきた。

 だが決定打は俺だ。


「明日香さんの何が不満なんですか……兄さん」


 礼奈は呟くように、複雑な胸中を押し殺して問いかけてくる。


 別れるに至った経緯を話しても良いが、礼奈の聞きたい内容じゃないだろうしな……。


「礼奈には関係ない」

「……っ。……そう、ですか」


 礼奈は下唇を強く噛み締めると、今にも消え入りそうな声を上げた。


 しばらく無言のまま、疎らな足取りで家路を目指していく。


 我が家の頭角が見え始めた頃。

 突然、礼奈は俺の前に立つと、ビシッと人差し指を突きつけてきた。


「あ、あの、兄さん!」

「ん?」

「私、ワガママ言ってもいいですか」

「え? あ、おう」


 その突飛な切り口に少し動揺する俺。


 礼奈はキョロキョロと目を泳がせたのち、真剣に俺の目を見据えて。



「明日香さんとお友達になってください!」



 俺の頭上に疑問符が浮き上がる。

 三秒ほどしっかりとその場で硬直した俺は、眉を中央に寄せた。


「ちょっと、てか、だいぶ意味が分かんないんだけど」

「言葉の通りです。兄さんのことですから、明日香さんとは絶縁に近い形を取ろうとしてるんじゃないですか?」


 矢継ぎ早に問い詰めてくる。


 不覚にも、妹からの指摘に動揺してしまう。


「兄さんと明日香さんが別れたのは致し方ないことです。復縁を求めたりはしません。……ただ、せめて友達くらいではいてください。じゃないと、私、明日香さんとどう接したらいいんですか」

「って言われてもな……。そこは割り切ってもらうしか」

「そんなの困ります! だって、私、明日香さんのこと大好きですから」

「…………」

「一年に一回くらいの妹のワガママです。兄さんなら叶えてくれますよね?」


 礼奈は俺の制服の袖をちんまりと掴んで、ジッと俺の目を見つめ懇願してくる。


 俺は小さくため息をこぼした。


「無理なものは無理。今回ばっかりは諦めてくれ」

「……兄さんは、明日香さんに対して良くない感情しか持ってないんですか」

「は?」

「私は、違うと思います。別れちゃったんですから、今は、明日香さんの悪い部分ばっかり目についてると思いますけど……。明日香さんには良いとこいっぱいあります。だから、兄さんは明日香さんのことが好きになったんでしょう?」


 まるで諭すような物言いで優しく語りかけてくる。


 …………。


 ……そのくらい、俺だって分かっている。


 別に、明日香のことを悪者にしたいわけじゃない。


 俺が生まれて初めて好きになった女の子だ。明日香の良いとこは俺が一番知っている。


 だが、礼奈に言われるまで、すっかり記憶の外に追いやっていた。


 明日香は、自分勝手で、俺のことを都合よく扱ってきて、何かと『別れる』ことを引き合いに出してくる女の子。その認識になっていた。


 でも違う。それだけじゃない。


 明日香は笑うと世界一可愛いし、料理が上手で時間があるときはお弁当を作ってくれる。誕生日には手作りのマフラーとか、手間暇かかるものを作ってくれるし、普段は強気なくせにメチャクチャ甘えん坊だったりする。俺が病気を拗らせたときは寝る間も惜しんで看病してくれた。


 明日香の良いとこを挙げてたら日が暮れる。


「でも、俺、もう、明日香のことが好きなのか分かんないし」

「だから、私、復縁してなんて言ってません。友達になってほしいんです。妹の私が、明日香さんと気まずくならないために、兄さんが一肌脱いでください」


 礼奈はふわりと微笑むと、俺の両手を包み込むように握ってくる。


 俺はあさってに視線を逸らすと、何も言わず礼奈の手を振り解く。


「あ、兄さん……」


 モヤモヤとした気持ちを蓄えながら、普段よりも大きめの歩幅で歩き出した。

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