お見舞い

「…………」


 俺は一体、何をしているのだろう。


 現在、明日香の部屋にて、

 俺は正座をして背筋をピンと伸ばしていた。


 明日香の部屋にきたのは今日が初めてじゃない。慣れ親しんだ場所ではあるけれど、俺はかつてない緊張を覚えていた。


 初めて訪れた時よりも緊張しているくらいだ。


 疑っていたわけじゃないが、明日香は熱を出して寝込んでいた。


 幸か不幸か、明日香は俺がきたタイミングには寝ていたため、睡眠の邪魔をしないよう努めている次第だった。


「(ほんと、何してんだ俺。お見舞い品だけ渡してさっさと帰るべきだった……。でも、ゆっくりしてってね、って明日香のお母さんに言われて、引き返せなくなって……)」


 と、一人でぐちぐち言い訳しても仕方ない。


 やっぱり、今からでも帰ろう──。


 うん、そうしよう。


 そう決意を固め、立ち上がる。


「ひ、ヒロト……⁉︎ な、なんであたしの部屋にいるの……?」


 と、狙ったかのようなタイミングで、明日香が起床した。


 先日の逆パターンだな。あのときは、明日香が俺の部屋にいて衝撃を受けた。


「あ、いや、えっと、ご、ごめん! 今すぐ帰るから!」

「ま、待って! ヒロト」


 俺が荷物をまとめて部屋を出ようとすると、明日香はすかさず呼び止めてきた。


「……も、もしかしてお見舞いにきてくれたの?」

「ち、違うよ。た、たまたま明日香の家の近く通ったら、明日香のお母さんに見つかって、そのまま成り行きっていうか」

「そう、なんだ。……ご、ごめん。あたしまだ、お母さんにヒロトと別れたこと言ってなくて、あとでちゃんと伝えとくから」

「……ああ」


 明日香は顔に影を差し込むと、小さく頭を下げてくる。


 風邪も相まっていつになく萎らしかった。


「熱は、大丈夫なの?」

「うん。寝たらだいぶよくなったみたい」

「そっか」

「あ、あの、あたし、ヒロトに酷いこといっぱいしてごめんね。もう、ヒロトの前には現れないようにするから。そのくらいしか、あたしに出来ることはないからさ……えっと、それだけ。じゃ、じゃあねっ」


 明日香は弱々しい声で告げる。


 俺は胸がキュッと引き締められる。


 まさに、願ったりな展開だ。

 このまま俺がこの部屋を出れば、明日香は金輪際、俺に近づいてくることはない。


 キチンと別れることができる。


 だが、俺の足はこの部屋から出ることを拒んだ。本当にここ最近、自分の感情が迷子だ。


「一応、これ。飲み食いする元気あるなら、だけど」


 緊張を孕みながらも、俺は勇気を振り絞って切り出す。バッグからコンビニの袋を取り出すと、明日香に突きつけた。


 明日香は恐る恐る袋を受け取ると、中身を確認してから。


「……っ。あたしのために、買ってきてくれたの?」

「ち、ちがっ。偶然だ偶然。自分用で買ってただけ」

「…………。だったら、受け取れない。ヒロトが食べてよ」

「別にいいから受け取って」

「ヤだ。あたし、人のもの食べるほど食い意地張ってないし」

「お前な、病人は人のものとか一々気にしなくて良いんだよ」

「いいってば。ヒロトのなんでしょっ」

「……っ。じゃあいい。このまま持って帰るから」


 俺が袋を奪って再び帰ろうとすると、明日香はちんまりと制服の袖を掴んできた。


「や、ヤだ。欲しい……」

「な、なんなんだよ。コロコロ意見変わるな」

「だって、ヒロトが嘘つくから……」

「嘘なんかついてない」

「それ、あたしのために買ってくれたんでしょ……?」

「だ、だからただの偶然だから」

「そこにあるの、あたしの好きなやつばっかだもん。それにヒロト、チョコ苦手でしょ」


 俺は咄嗟に視線をあさってに逸らす。


 チョコレートをふんだんに使ったスイーツを持ってくるのは、迂闊だったな。


 言い逃れは出来そうにない。


 俺はコンビニの袋を再度、明日香に手渡す。


「ありがと、ヒロト」

「……どういたしまして」


 嬉しそうに笑顔を咲かせて、明日香は感謝を伝えてくる。


 俺はなんだか居た堪れなくなって。


「じゃあ、俺はもう帰るよ」

「……あ、うん。……わかった」


 お見舞いなんて長く滞在するものじゃない。


 渡すものは渡したし、さっさと帰るのが吉だろう。


 だが、ドアノブに手をかけたところで、再び動きを止めた。……このまま帰るのはダメだよな。まだ、言いたいことを言えていない。


 本当は目を見て話すべきなんだろうけど、ちょっとそれはハードルが高そうだ。


 俺は明日香に背を向けたまま。


「俺、一生関わるな、なんて言ってないから」

「…………っ」

「俺たちは別れただけ。付き合う前に戻っただけ、だから。そこのとこ勘違いしないでほしい……っていうか。……えっと、それだけ。早く風邪、治ると良いな」


 呟くように言い残すと、扉を開けた。


 俺まで熱を出しちゃったのだろうか。顔が熱い。さっさとこの部屋を出なくては。


「……ありがと」


 去り際、明日香の震えた声が俺の耳を掠めた。


 彼女がどんな表情をしていたのかは見ていないから分からない。別に、感謝される謂れはないんだけど……。


 俺は少しだけ軽い足取りで、明日香の部屋を後にした。

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