お見舞いを経て

 明日香のお見舞いに行った翌日。


 普段と変わらない時間に家を出た俺は、いつも通り通学路を歩いていた。


 ちょうど明日香の家の近くを通りかかる。

 すると、見慣れた人影が電柱の影から登場した。


「お、おはよ。ヒロト」


 栗色の髪を腰まで伸ばし、後ろに束ねたヘアスタイル。

 少し猫っぽい目が特徴的で、顔は芸能人並みに小さい。


 明日香は緊張からか頬を染めながら、チラリと俺を窺い見てくる。


「もう俺の前には現れないようにするんじゃなかったの?」

「……っ。わ、別れただけだし。そこまでする必要ないでしょ。……てか、ヒロトが昨日自分で言ったんじゃん!」

「そうだっけ」

「とぼけたってダメなんだからね」


 明日香はムッと頬に空気を溜め込む。


 俺の隣にとてとてとやってくる。

 付き合っていた頃より横幅を大きく取りながら、俺たちは通学路を進んでいく。


「……ねえ、ヒロトは新しいカノジョ作ろうとか考えてるの?」

「なんだよ、いきなり」


 そういや、この前も似たようなことを聞いてきたな。


「高瀬くんから聞いてるんだから」

「は?」

「ヒロトは次の恋愛に進もうと、カノジョ探しに躍起になってるって」

「…………」


 目的は謎だが、俺の悪友が明日香に嘘を吹き込んでいたようだ。ったく、余計なことを。


「ま、まぁ別にいいんだけどね! もう、あたしヒロトのカノジョじゃないし。ヒロトが誰と付き合おうと自由だし……。た、ただちょっと気になったというか、ざ、雑談的な……」

「高瀬のデタラメだよ、それ」


 慌てふためく明日香に、俺は端的に事実を告げる。


「え? デタラメ?」

「うん。今のとこ、カノジョを作る気はないんだ」

「そう、なんだ……。そっか」

「そういや、礼奈が明日香さんと服買いに行きたいとかなんとかボヤいてたんだ。時間があるとき、行ってあげてくれないかな」

「わかった。後で連絡してみる!」

「ああ、よろしく」


 付き合っている頃は、ほとんど毎日、明日香と一緒に登校していた。


 ここ最近だけだ。一人で登校していたのは。


 けれど、なんだかこの状況が懐かしくて仕方がない。


 別れたからって、完全に縁を切る必要はないんだよな。

 誰にでも分かるようなことを、今更ながらに理解することができた。



 ★



「おっす、ヒロト」


 自席に着くなり、悪友たる高瀬が憎たらしいまでの笑みを携えてやってきた。


「…………」

「ん? なんだよ、機嫌悪いの?」

「高瀬さ、明日香に余計なこと言ったでしょ。俺がカノジョ作りに躍起になってるとかなんとか」

「てへっ」

「殴って良いかな」

「ぼ、暴力反対。てか、もしかして復縁してたりする感じ?」


 なにを思ったのか、高瀬がそんな質問を投げてくる。


「いや復縁なんてしてないし、する予定もない」

「何かはあった?」

「何もない」

「そかそか」

「いや、ごめん……。ちょっとあった」

「お? 聞かせて聞かせて」


 高瀬は俺の一つ前の席に腰を下ろすと、背もたれを肘置き代わりにして笑みを咲かせる。


「昨日、明日香のお見舞いに行ってきた。それでまぁ、絶縁するわけじゃないってことは伝えた」

「へえ、少しは冷静になれてるじゃん。別れてお終いじゃ寂しいもんね」

「俺は元々冷静だっての。妹が、明日香にやたら懐いてるから。あんまギスギスしない方がいいと思っただけだよ」

「そかそか。取り敢えず、友達に戻った的な?」

「どう、かな。知り合いくらい?」

「知り合い、ね」


 高瀬は苦笑いしながら俺の言葉を反芻する。


 僅かに前のめりになると、高瀬はジッと俺の目を見つめて。


「明日香ちゃんって、結構、てかかなり男子人気あるからね」

「な、なんだよ、いきなり」

「ヒロトと別れてフリーになった今、明日香ちゃん狙うヤツ、多いと思うよ」

「別に、俺には関係ない話だね」


 俺は視線を斜めに逸らす。


「ま、そっか。明日香ちゃんとは知り合いだもんね」

「ああ、そもそも明日香が誰と付き合おうがもう自由なんだし」

「うん。でも、よかったよ。あのままヒロトが明日香ちゃん突き放してたら、明日香ちゃん変な男に引っかかりそうな気がしたし。今後、彼氏を作るってなったとしても、明日香ちゃんならきっと良い人選ぶだろーね」

「…………」


 高瀬はお気楽な口調で、ベラベラと口を開く。


 ……なんだ、この胸のモヤモヤ感は。


 明日香が誰と恋仲になろうが、もう、関係のない話。

 本人の自由だし、それを咎める権利は俺にはない。


 ただ、明日香が知らない男と手を繋いだりキスしたりする想像はしたくなかった。


 ダメだ。

 支離滅裂だな、俺……。


「なあ高瀬……。俺は、どうすれば、いいのかな」

「…………」

「な、なんだよ? マジマジと見て」

「あ、いや、なんかヒロトから初めてちゃんと相談受けたから」


 俺がポツリと切り出すと、高瀬は柄にもなく呆気に取られた様子を見せる。


 ポカンと口を開けて間抜け面を披露していた。


「俺って、そんなに相談してなかった……?」

「うん。だいたい全部事後報告。というか、俺から聞かないと、ほとんど自分の話してくんないし」


 高瀬はハッキリと容赦無く告げる。


「そ、そうなんだ……。そんなつもりはなかったんだけど」


 自分のことは主観的にしか捉えられない。


 俺が気がつかないところを、客観的な視点からは気がつけることもある。


 高瀬は普段の軽薄な表情を浮かべると、グッと前のめりになった。


「もう一回、明日香ちゃんとやり直してみたらいいんじゃない?」

「やり直す?」

「そ。だって、知り合いに戻ったわけだろ。また、一から明日香ちゃんのこと知っていきなよ。……あ、さっきのはタダの意地悪だからな。明日香ちゃんが人気あるのは間違い無いけど、しばらくは誰かと付き合ったりはしないと思う。だから十分に時間はあるよ」

「…………。でも、一から知ってどうするんだよ?」

「それはヒロト次第じゃん? 友達になるなり、復縁するなり、知り合いのままでいたり」

「……そんなことして、いいの、かな。俺、明日香のこと振ってるのに」

「明日香ちゃんが嫌がらなきゃいいんだよ。心配なら本人に直接聞けばいい。ヒロト、なんでも自分で思い込みすぎだかんな」


 確かに、そうだな。

 ぐうの音も出ない。


 思い込みをしちゃいけない。

 分からないなら、不安なら、直接聞けばいい。


 単純な話だ。


「ヒロトの話じゃさ、明日香ちゃんって結構早い段階から、『別れるから』って脅してワガママ言ってたんでしょ?」

「うん」

「でも、もっと早くちゃんと話し合ってたら、すぐに解決した問題な気がするんだ。だから次からはさ、ちゃんと腹割って接しなよ。それが俺からのアドバイスかな」

「……高瀬って結構、良いヤツだよな」

「なに、今更気付いたの?」

「これで女癖さえ悪くなきゃ、非の打ちどころなかったのに」

「一言余計だな……」


 高瀬はバツの悪そうな表情を浮かべる。


 俺は自然と口角が緩んで、笑みがこぼれてしまう。


 高瀬からもらったアドバイスは無駄にしないように、しないとな。


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