口喧嘩
洋服には頓着がない方だ。
これまでの人生、自分の意志で洋服を買った経験は数えるほどしかない。
母親か妹に服を選んでもらうことがほとんどだったし、明日香と付き合ってる時は、ほとんど明日香のセンスに頼りきりだった。
だから、服選びに熱中する妹と元カノの輪には参加せず、俺は近くのベンチで休んでいた。
荷物持ちとして正しい在り方である。
「──兄さん、兄さん」
ボーッとしていると、礼奈がとてとてと俺の元にやってくる。
「ちょっと来てください」
「買い物終わったの?」
「いいですから、とにかく」
「あ、ああ」
礼奈に引っ張られるがまま、ゆらゆらと歩を進めていく。
そうして連れてこられたのは試着室の前。
「どうですか、兄さんっ!」
「どうって……」
明日香は際どい格好に着替えていた。
ダメージ加工の入ったショートパンツに、ヘソを覗かせた丈の短い白いトップス。
肌色成分が多めで、なんというか、目のやり場に困る。
「な、ななな、なんでヒロト連れてくるの⁉︎ 礼奈!」
「可愛い明日香さんを見てもらおうかと!」
「み、見てもらわなくていいから! ……て、てかさ、あたしなんかよりヒロトはもっと他に時間使った方がいいんじゃないの……?」
明日香は俯き加減に漏らすと、チラリと俺を窺い見てくる。
やはり、俺と知奈美さんが付き合い始めたと誤解しているらしい。
ここは俺の口からも誤解を解きに行った方がよさそうだな。
「誤解してる。俺と知奈美さんは別に──」
「か、隠さなくていいから! 全然まったく気にしてないし! そもそもあたしがとやかく言う権利ないしね!」
「いや、最後まで聞けって。昨日のアレは、知奈美さんの冗談に少し乗ってただけだ」
「冗談……。へぇ、ヒロトは冗談に乗って……ああいうことするんだ……」
明日香はつぶやくように言う。
──なんだよ……その言い方。
確かに、軽率な行動だったかもしれない。
知奈美さんの悪ノリと理解していたとはいえ、そこに乗っかる必要はなかった。
ただ、ひとつ確かに言えるのは、悪いことをしていた訳じゃないってこと。
明日香とはもう別れているのだ。
──って、まただ。
また、溜め込むクセが出てる。
この際、思いの丈はしっかりと伝えよう。
「浮気してたって訳でもないのに、なんでそんな言い方されなきゃいけないの?」
「……ホントに、浮気してなかったの? 実は、お姉ちゃんと裏で出来てて、あたしのことが邪魔になった、とかさ」
「なに、言ってるの? 被害妄想だ、そんなの。そもそも、俺にそんな器用なことができると思うのかよ」
「思わない、けど。……でも、良くない想像ばっかりするよ、あんなの見たら。しょうがないじゃん!」
「……っ。大体、こっちはもう別れてんだよ。仮に知奈美さんとどうこうあったとしても、文句言われる筋合いはないね」
「……っ。あたし、別に文句なんて言ってない! ヒロトこそ被害妄想してんじゃないの⁉︎」
「だったらその妙な態度やめてくれないかな。普段通りでいればいいじゃんか!」
「普段通り……その普段通りってなに⁉︎ もう訳わかんないのよ! どんな態度でヒロトと接すればいいわけ⁉︎」
「どうも何も、変に気を遣われてるとこっちも話もしづらいんだよ。付き合う前に戻っただけだってこの前言ったろ!」
「は? 気、遣うに決まってんじゃん! あたし、もうこれ以上、ヒロトに嫌われたくない! また変なこと言って今度こそ距離置かれたらって思ったら、神経質にもなる!」
「は? そんな簡単に神経質になるなら、もっと早く気にしてればよかっただろ!」
「わっかんないわよ! じゃあ、ヒロトがもっと早く注意してよ! いっぱいいっぱい一人で溜め込まないでよ。それでいきなり別れられたら、あたし悪いとこ治すチャンスすらないじゃん!」
「……っ。そもそも俺のこと好きなら、簡単に別れるとか言うなよ! まず根本がおかしいんだよ!」
「じゃあ、勝手に他の子と仲良くしないでよ! ヒロト取られるんじゃないかってあたしは不安でしょうがないの! ヒロトがあたしのこと好きなんだって安心したかったの!」
「だからってやり方が間違ってるだろ!」
「だったら間違ってるって教えてよ! あたしのことちゃんと叱ればよかったじゃん! 今みたいに!」
「じゃあ言うけど、そもそもデート遅刻したりドタキャンしたりおかしいから! 俺のこと、好きな奴がすることとは思えない!」
「今、注意してもしょうがないでしょ! もう別れてんだし! てか、ヒロトがあたしに甘いからじゃん、あたしが遅刻しても、急な予定が入っても一ミリも怒らないし、全然大丈夫って許してくれるからじゃん! だから、段々、あたしの中で基準がおかしくなって」
「なにそれ、俺のせいなわけ? 大前提として、そこを甘えるのは間違ってんだろ!」
「じゃあなんで怒んないの⁉︎ 叱ってよ、あたしのこと!」
「怒ったら関係がギクシャクするかと思ったんだよ!」
「勝手に決めつけないでよ! そんなの分かんないじゃん!」
場所も気にせず、言い争いを始める俺と明日香。
徐々に視界が狭くなり、互いのことしか見えなくなっていく。言葉を交わすたびに加熱していき、頭に血が昇り始めてきた時だった。
「ちょ、ちょっとストップ! ストップです! 兄さんも、明日香さんも!」
俺たちの間に割って入り、礼奈が仲裁を開始する。
ふと我に帰ると、周囲から注目を集めていることに気がついた。これ以上揉めるようなら、ちょっとした騒ぎになっていただろう。
「え、えっと、……その、わ、私は兄さんと明日香さんには仲良くして欲しかっただけで……えと、わ、悪気はなかったんです。……ごめんなさい」
礼奈はバツの悪そうな表情を浮かべながら、深く頭を下げる。
礼奈はまだ中学生。ちょっと前まで小学生だった。
彼女なりに俺と明日香の関係修復方法を考えてくれていたのだろう。
だから、俺たちに秘密で、今日この場に引き合わせた。
「いや、俺こそごめん。別に、明日香とギスギスしたいわけじゃないんだ」
「あ、あたしも……ごめんね、礼奈」
涙目になりながら慌てふためく礼奈を見て、俺たちは頭に上った血を下げた。
「……どうして、別れちゃうんですか」
今にも泣きそうになりながら、礼奈はポツリと切り出す。
「明日香さん、いつも兄さんの話を楽しそうにしてたのに……。兄さんもあんまり自分から話す方じゃないですけど、明日香さんの話はしてくれるんです。……私、すごくお似合いだと思ってて、えっと、だから……別れるなんて思ってなくて、私にお姉さんが出来たみたいで嬉しくて、えと、あれ、なにが言いたいんだろ……。わ、分かんないですけど……、と、とにかくそういう事です!」
しっちゃかめっちゃかになりながらも、思いの丈を赤裸々に打ち明ける礼奈。
明日香と別れる事で、妹に負担を掛けるとは思っていなかった。そこまで考えが及んでいなかった。
しばしの沈黙が流れる。
明日香は少し屈んで礼奈と目線を合わせると、語りかけるように。
「あ、あのね礼奈。あたし、ヒロトにいっぱいわがまま言って自分都合で動いてたの。あたし、すごく酷いカノジョで、最低だった。ヒロトならなんでも許してくれるって甘えきってたの。だから、ヒロトがあたしから愛想尽かすの当たり前でね……。別れた原因も、全部あたしにあっ──」
「それは、違う。明日香が全部悪いわけじゃない」
明日香の言葉を、俺はバッサリと遮った。
俺の元に、明日香と礼奈の視線が集まる。
「……て、てか、場所変えないか? ここで話す内容じゃないと思うし」
俺はこの重たい空気を取り払うように、少し明るめな声色で切り出す。それを皮切りに、明日香と礼奈も意識を改革した。
「そ、そうね。……たしかに」
「は、はい」
明日香は大急ぎで試着室で服を着替える。店にかけた迷惑料のつもりなのか、試着室で着ていた服は購入していた。
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