第17話 まぁ、こうなるのは定めだったのだろう



 シセロは自身の執務室で頭が痛むのを堪えた。頭痛の原因は目の前の光景にある。ミジュリーの父であるゼノギアが彼女と共にやってきたのだ。任務が終わって報告書をまとめ終わったのを見計らっての来訪だった。


 ミジュリーはサフィールと睨み合っており、両者を止めるようにリーベルとセルフィアが二人を押さえている。



「いい加減に諦めろ、この害虫!」

「あなたみたいな女がふさわしいわけないでしょ!」

「サフィールちゃんもミジュリーちゃんも落ち着けって!」

「そうです、ミジュリー殿もサフィール殿も冷静に!」



 リーベルとセルフィアの声など届いていないようで、二人は言い争っていた。これにはゼノギアも困っているようで、「娘が申し訳ない」と謝罪している。


 こういった言い争いには慣れているといえば、慣れていることではあるので別に良いのだが、ゼノギアはまだ娘をシセロの妻にするのを諦めていないようだった。


 何度も言っているのだがミジュリーに興味がないのでシセロは丁寧に断っている。いるけれど、食い下がってくるので頭が痛む。どうしたものかと頭を悩ませていると扉がノックされて開いた。



「おや、ずいぶん騒がしいね」

「ヴァイオニッチ様」



 部屋を訪ねてきたのはヴァイオニッチだった。ゼノギアは彼の姿を見て背筋を伸ばして敬礼する。その様子にミジュリーたちも気づいてか慌てて敬礼をしていた。


 そんな彼らにヴァイオニッチは「気にしなくていい」と笑みを見せながらシセロに「今、大丈夫かい?」と問う。シセロはゼノギアに視線を移すと、彼は問題ないと頷いたので「大丈夫です」と返した。


 ヴァイオニッチは「すまないね」と謝りながら手に持っていた袋を差しだした。



「この前のサフィール嬢の暴走、あれわたしも悪かったからそのお詫びだ」

「あれはサフィールが悪いのでお詫びなどは……」

「いやー、だって言われて傷ついただろうから」

「傷ついては……」

「君、乙女心わからないと嫁さんに逃げられちゃうよ?」



 嫁。その一言に場が固まった。誰のことを言っているのだろうかと、そう思って。シセロが「ヴァイオニッチ様」と言えば、ヴァイオニッチは「あれ? そうだろう?」と首を傾げる。



「シセロ君、サフィール嬢を娶るだろう。いずれ」

「どうしてそうなりましたかね?」

「君、サフィール嬢好きだろう。わかりやすいからお見通しだよ」



 ははっと笑われてシセロは黙る。確かにサフィールのことを好きであるのは間違いではないので言い返せない。そんな様子にミジュリーが目を見開いて、ゼノギアは娘とシセロを交互に見合っていた。



「サフィール嬢を手放せる自信があるのかい?」

「…………」

「うん、ないんだね。と、いうか君ら師弟は有名だから結婚は回避できないと思うが?」



 どこの部署でも「あの黒翼の魔導師の弟子は妻でもある」、「シセロ様の嫁は恐ろしい」と有名だ。サフィールは皆からシセロの嫁として定着しているのだから、何を言ったところで「そういうことにしておきます」と返さてしまう。


 師匠のことで暴走しがちだというのに破門にすることなく、弟子として可愛がっている姿に好意が見えないわけがなかった。



「で、いつ結婚するんだい?」

「……まだ若いのでもう数年待っていただきたい」

「うーん、問題ない年齢だと思うけど。まぁ、君が言うのだから考えがあるんだろう」



 ヴァイオニッチは「君は弟子から逃げられないからね」と笑う。確かにサフィールの行動によって周囲から妻だと認識されてしまったのだ。彼女から逃げることはシセロには無理だろう。


 そもそも、手放し難いと思ってしまっているので、逃げるという選択肢がないのだ。こんな師匠でいいのだろうかと思わなくもない。それでもヴァイオニッチは「大丈夫、問題ない」と言う。



「知り合いに弟子と結婚した魔導師は他にもいるからな」

「そうですか……」

「あぁ、長居してしまったかな? そういえば、ゼノギア君はどうしてここに?」

「それは……」



 ゼノギアは言いづらそうに視線を逸らす。そこでヴァイオニッチは彼女の娘がそばにいるのを見て察したのか、「無理だよ」と眉を下げた。



「シセロ君、案外一途だから諦めなさい」



 ヴァイオニッチの一言でやっと現実を受け入れたのか、ミジュリーは涙をぼろぼろと流しながらシセロを見た。そんな彼女にシセロは「すまないね」と謝罪をする。



「他の誰かと結婚する気はないんだよ」

「うぅぅ……」



 ミジュリーは泣きながらも頷いた、シセロの言葉からその意志が変わることはないのだと察して。ゼノギアは黙って娘の肩を抱いてシセロたちに頭を下げると執務室を出ていった。


 二人の背を見送るとヴァイオニッチも「そろそろ失礼するよ」と言って出ていく。嵐のように去っていった彼らにシセロははぁと息を吐いた。



「疲れた」

「お師匠様!」

「……言わんとしていることはわかりますが、結婚はまだしませんよ」

「何故!」



 きらきらとした瞳を向けてくるサフィールにシセロは即答する。彼女は納得できないように抱きつきながら、「なーぜーでーすーかー!」と聞いていた。



「まだお前の師匠でいたいんだよ、俺は」

「えー!」

「えー、じゃない」



 ぶーっと頬を膨らませるサフィールを見て、リーベルが「さっさと結婚しろ」と野次を飛ばす。


 シセロ自身、もう妻にするのは構わないとは思っている。いるけれど、やはりまだ師匠でいたいという気持ちもあった。これが自分自身の我儘であるというのを知っている。



「シセロ様はサフィール殿を妻にはしたくないのですか?」

「そうじゃないよ、セルフィア。まだ少し師匠としてこの子に魔術を指導したいんだ」

「なるほど」



 シセロの訳にセルフィアは納得したように頷いた。これは嘘ではないのでシセロはサフィールにももう一度、言う。彼女はむっとしながらも師匠から魔術は教わりたいようなので「わかりました」と離れた。


 それでもいずれは結婚できるということが嬉しいのか、サフィールはにこにこと頬を緩ませている。なんと単純な子だろうかとシセロは思ったけれど口には出さなかった。


          ***


「お前さー。今すぐじゃなくていいわけ?」

「何がだい」

「サフィールちゃんとの結婚だよ。他の男から盗られるかもしれないじゃねぇか」



 シセロの執務机に寄りかかりながらルーベルが問う。シセロは書類を眺めながら「その時はその時だね」と返した。



「サフィールが選んだ男ならば俺は何も言わないよ」



 彼女が選んだ男ならば文句はない。心変わりしてしまったとしても、恨みもしないし責めることもしない。シセロは「何も言いはしないよ」と言った。



「それ、意味の捉え方によっては手は出すみたいじゃねぇか」

「手放し難いからね。手は出るかもしれない」

「こっわ。お前も大概だろ」

「サフィールには敵わないよ」



 手放し難いので手は出るかもしれないと自分でも思う。そもそも、サフィールが離れていくとは思っていなかった。これは自惚れているのかもしれないなとシセロは苦笑する。



「お師匠様ー! サフィール帰還しましたー!」

「おかえり、サフィール」

「何を話していたんですかー?」

「サフィールちゃんが他の男の元へ行ったら悲しいなって話ー」



 リーベルがそう答えれば、サフィールの表情が変わる。さっと真顔になると「ありえないですが?」と低い声で言った。



「私がお師匠様以外の男の元へと行くなどありえないですけど?」

「え、いや、もしもの話だって……」


「ありえなさすぎて吐き気がするんですけど? 他の男? 何? 他の男なんて害虫以下ですよ」


「サフィールちゃん落ち着いて! 悪かったから!」



 冗談だからとリーベルが慌てて言えば、サフィールはじとりと見遣りながらも落ち着きを取り戻した。そんな様子にシセロは相変わらず愛が重いなと思う。


 周囲を巻き込む愛の重さはやめてほしいので、やはり自重はしてくれないかと思うけれど言っても無駄なのはもう理解している。これからもこの愛の重さに困ることが多いのだろうなと考えると頭が痛む。


 痛むけれど仕方ないかと受け入れてしまっている自分に気づいて笑ってしまった。



「お師匠様、どうかしましたか?」

「いいや。なんでもないよ。リーベルが困っている姿がおかしかっただけさ」

「お前、性格悪すぎだろ」



 酷いと眉を寄せるリーベルにシセロは笑い返す。仕掛けてきたのはお前のほうだろうと言うように。



「お師匠様! 私はお師匠様一筋ですからね!」

「知っていますよ、安心なさい」



 シセロがそう返せば、サフィールは嬉しそうに頬を緩めていつもの指定席である隣の椅子に座る。頭を差し出して待機する彼女にシセロはわかっているよと撫でてやった。


 えっへへと笑うサフィールの姿にシセロは可愛らしいものだなと思い、自分はいつの間にか彼女に落とされていたのだなと自覚する。


 とはいえ、今更何をどうすることもないのでこれからもこの可愛い弟子に困らされていこうと心に決めたのだった。





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黒翼の魔導師は弟子(ヤンデレ)に愛されすぎて困っています! 巴 雪夜 @tomoe_yuya

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