第9話 けれどしっかり叱る



 中継地点にはセルフィアの隊が待機していた。シセロたちがやってくるとセルフィアは「大丈夫でしたか?」と心配そうに問う。それに「問題ないですので」とシセロは答えてからサフィールとミジュリーに目を向ける。


 二人は立ち止まりこちらを見てくるシセロに視線が合わせられず俯いていた。魔導師隊のリーダーはミジュリーの背を押して「ほら」と促す。ミジュリーは顔を上げることができないながらにも、「申し訳ありませんでした」と謝罪した。



「どうして呼び出されたのか、何がいけなかったのか。お前たちは理解しているかい?」


「勝手な行動をしたからです」


「森の奥まで深追いをしただけでなく、ジャイアントスパイダーを刺激してしまい森道まで連れてきてしまいました……」


「そうだね。サフィールの言う通り、深追いだけでなくジャイアントスパイダーを刺激してしまった。ミジュリーの言ったように勝手な行動をしたからそうなってしまったんだ」



 シセロは二人を見つめながら冷静にけれどはっきりと指摘する。それは少しばかり怒りのようなものも含まれていて、二人は肩を震わせた。


 二人にシセロは言う、勝手な行動がどんなことを引き起こしてしまうかを。追いかけてきたリーベルたちの隊の隊員が負傷してしまうかもしれない。それだけでなく、森道で待機していた隊員たちだって突然のことに動揺し、それがきっかけで被害が大きくなる可能性だってある。


 仕留め損なって人里まで降りて何の関係もない人たちが怪我をし、死ぬかもしれないのだ。そういったいくつもの可能性が大なり小なりある。少し考えれば理解できるはずで、二人はそれを怠った。



「お前たちが負傷するだけでなく、他の無関係な人たちまで被害に遭うかもしれなかったんだ。この意味が分かるね?」


「はい。どれだけ身勝手なことだったか、理解しています」

「申し訳ありませんでした」


「今回は何もなく、お前たちの反省文だけで済むが、被害が出ていればそんなものでは済まないんだ。しっかりと反省しなさい」



 シセロの低く重い声音に二人は「申し訳ありませんでした」と謝罪する。反省はしているようで眉を下げながらへこんでいた。


 この二人は暫く一緒にしてはいけないなとシセロは隊の編成などを考え直そうと思っていると、リーベルたちが引き上げてきた。荷台を引く馬が見えたので、ジャイアントスパイダーの素材を回収したのだろう。



「二人とも、他の隊員たちに謝罪してきなさい。特にお前たちを探しにいってくれたリーベルたちにはしっかりと謝りなさい」


「はい……」

「了解です……」



 二人はこちらにやってくるリーベルたちのほうへと走っていく。声に元気がなかったのは叱られて反省してのことだとシセロは気づいている。


 前が見えなくなるのはどうにかならないものかとシセロは疲れたように息を吐けば、魔導師隊のリーダーが「恋は盲目と言いますから」と苦笑していた。


 恋をすると前が見えなくなるというのは聞いたことがあるけれど、仕事中は勘弁してほしいものだ。それ以外でもやめてほしいけれど、せめて仕事はしっかりとしてほしい。シセロは謝罪をしている二人の背を眺めながら思った。


          ***


「うぅぅぅぅ」



 サフィールはシセロの執務室で唸っていた。それもこれも自身がやってしまった失敗が原因だ。彼からは「仕事中はしっかりとしなさい」と言われていたというのに、ミジュリーに挑発されてしまいそれを忘れてしまっていた。なんとも不甲斐ないと思いながら反省している。


 彼女用に用意されている書き物机で反省文を書いているのだが、サフィールは反省文を書くのが苦手だった。シセロに対する想いならば便箋に何十枚も書き記せるのだが、反省文となるとそうではない。


 うまく文章にしてまとめることができず、書いてはゴミ箱に捨てを繰り返していた。適当に書くわけにもいかず、しっかりとした文章で提出したいとサフィールは何度も書き直している。


 そうやって何度目かの書き直し中に執務室の扉がノックされた。顔を上げればミジュリーが入ってくるところだった。肩に掛かる赤毛を揺らして彼女はサフィールを見た。


 眉を寄せてそれはそれは嫌そうな表情をするミジュリーに、サフィールも顔を顰めて返す。



「シセロ様は?」

「リーベルさんと会議中ですぅー」

「そう。あら、貴女まだ書けてないの?」



 サフィールの様子を見て察してか、ミジュリーが小馬鹿にするように鼻で笑う。それにカチンときたものの、サフィールは「丁寧に書いているので」と言い返した。



「しっかりと丁寧に書いてこそだと思うんですよねぇ」

「何、ワタシが丁寧に書いてないとでも言いたいの?」

「なんのことですか? 私は何も言ってませんけどぉ」



 サフィールは口元に手を添えながら小首を傾げる。その反応が苛立たせたようでミジュリーはますます眉間に皺を寄せた。それでも声を荒げることなく、「言い訳が上手いようで」と嫌味のように言う。


 バチバチと二人が睨み合うように見つめていれば、会議を終えたシセロとリーベルが執務室に戻ってきた。



「何をやっているのですか」

「シセロ様! あぁ、その、反省文を持ってきました!」



 ぴしりと敬礼をしてミジュリーは反省文の書かれた紙を差し出す。シセロはそれを受け取って執務机の椅子に腰を下ろした。



「後で読ませていただきます。今後はこのようなことがないように」

「以後、気をつけます。この度は申し訳ありませんでした」



 頭を下げるミジュリーにシセロは「反省したのなら良いですよ」と言った。彼女は頭を上げながらもなんとも申し訳なさそうに見つめてくる。



「もう終わったなら帰ったらどうですか」

「何よ、邪魔だって言いたいの?」

「邪魔でしょ?」

「はぁ?」



 いつまでも帰ろうとしないミジュリーにサフィールが言う。用が済んだのならば持ち場に戻るべきだと。それに彼女が「謝罪をしたいだけよ」と返す。


 謝罪はもういいのだがなとシセロは思ったけれど、サフィールが「長居もよくないと思いますけど?」と言った。



「大体、シセロ様の弟子だからってなんで上から目線なのかしら?」

「別に? 私は私ですけど? 何を言いたいのか意味がわからないです」

「シセロ様に近づくななんて貴女が決めることじゃないでしょ!」

「何を言っているんですか? お師匠様の妻は私なんですから、他の女が近づくなんて許されるわけないじゃないですか」



 何を言っているのだと言いたげに返すサフィールにミジュリーが「妻なんて誰が決めたのよ!」と反論する。シセロも妻にした覚えはないなと思ったけれど口には出さなかった。なんとなくだが、余計に話がややこしくなりそうだったからだ。


 リーベルは二人の言い争いを「あらー」と困ったように眺めている。女の喧嘩に男が口を出すと痛い目を見るのを彼は知っているので黙っているようだ。



「シセロ様が妻にするって言ったんですか? 違うでしょう?」

「お師匠様は私をずっと見てくれるって言ったんです! それに妻に相応しいのは弟子である私です。優秀ですからね、私は!」



 胸を張って言うサフィールにミジュリーはむっと口をつぐむ。サフィールの言う通り、この若さで魔導師として認められているため優秀であるのは周囲が認めていることだ。それに関してはミジュリーは何も言い返せない。


 それでもミジュリーは諦めきれないのか、「貴女が決めることじゃない!」と言い返している。シセロはどうしたものかと痛むこめかみを摩った。



「とりあえず、騒ぐのはやめてくれないかい二人とも」

「お師匠様! 私は妻に相応しいですよね!」

「いや、妻云々の前に弟子で……」

「ほら! シセロ様は貴女のことを弟子としか思ってないじゃない!」

「そうとは言ってないのだが……」

「お師匠様、私以外を見ると言うのですか?」



 すっとサフィールの表情が無くなる。瞳に光は無く、じっとシセロを見つめるその視線は冷たかった。これはまずいとシセロは瞬時に理解する、こうなると彼女は大変なのだと。


 サフィールはシセロに対して何かすることはない。邪な目でシセロに近づく存在を排除してかかるのだが、それに老若男女は関係ない。どこまでも追い詰めていく狂気さを彼女は持っている。


 誰かを殺めるようなことはしないけれど、精神的に追い込んでいくのを知っているのでシセロは止めなければと思った。



「サフィール、落ち着きなさい」

「お師匠様は私だけを見てくれるんですよね?」

「もちろんだよ。お前しか私は見ないよ、そう言っただろう?」



 シセロが「俺を疑うのかい?」と問えば、サフィールは「そんなことしませんよ!」と声を上げる。少しばかり瞳に光を宿した彼女にシセロは「なら、落ち着きないさい」と言い聞かせる。



「誰も、そう誰も見ないさ。お前だけだよ」

「そうですよね! 私だけですよね! 私こそが妻に相応しいですよね!」

「……まぁ、そうかもしれないね」

「ほら! そうじゃないですか!」



 サフィールのしたり顔にミジュリーは納得していない様子を見せる。リーベルはミジュリーに「あれは無理だからやめとけ」とアドバイスをしていた。



「サフィールちゃんに敵うのはいないって。諦めろ」

「なんでそうなるんですか? ワタシには彼女が身勝手なことを言っているようにしか見えません!」


「まぁ、そう見えるだろうけれど。こうなってしまったのは俺のせいだろうからねぇ」



 ミジュリーの疑問に答えるようにシセロは言う。サフィールのことをずっと見ると言ったのは自分自身で、彼女に師匠としての愛情を注いだのも自分だ。愛を知らなかった故に注がれた愛に執着してしまうのも理解できる。


 だから、シセロは「俺はサフィールしか見ないと決めているんだよ」と言った。



「サフィール以外の弟子は取らないし、この子以外の女性とも食事や付き合いをしないと決めている。これは俺の意志で別に無理をしているわけでもない」



 シセロは嘘を付いてはいなかった。それはミジュリーにも伝わったようで、彼女は唇を噛み締めてサフィールを睨んだ。そんな視線にもサフィールは気にすることもなく、笑みで返す。


 暫く睨んでいたミジュリーだったが、「失礼しました」と頭を下げて執務室を出ていった。その背を見送ってからシセロは息を吐く。



「もうお前、サフィールちゃんを嫁にしろよ」

「どうしてそうなるんだろうねぇ」

「それしかねぇだろ」



 あの子が諦めるかどうかは知らないけれど、またこういうことがあるかもしれない。それを避けるのに手っ取り早いのはサフィールを妻にすることだとリーベルは言う。


 リーベルの言いたいことは分からなくもないのだが、師匠という立場を考えると弟子に手を出すのはどうなのだろうかと思わなくもなかった。



「弟子を取ったはずなんだがなぁ」

「私はお師匠様の弟子で妻ですよ?」

「もう、周囲はサフィールちゃんをお前の妻だと思ってるし、いいんじゃねぇの」

「そうは言うけれどねぇ」



 シセロはにこにこと笑みを見せるサフィールを見つめながら溜息を吐く。リーベルの言う通り、外堀はだいぶ埋められてしまっているのだ。自分自身も彼女のことを可愛いらしいと感じることはあるので、そろそろ潮時なのかもしれないなと思わなくもない。


 それでもやはり、師匠という立場があるわけで。



「……本当に困ったものだね」



 シセロは抱きついてきたサフィールの頭を撫でる。少しだけ思ってしまったのだ。もしも彼女が誰かの元へと行ってしまったら自分はどうするだろうかと考えて、なんとも手放し難いなと思ってしまったなと。



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