第7話 奔出

 二発の銃声の轟きに、さすがにリムも突進を止めて二人を見やった。二人とも倒れているので、状況が確認できない。でも、ついさっきはキーラが優勢だったはずだ。彼はタバサの頭部にしっかりと照準を定めていたはずだ。


「なに? なんなの?」


 リムの膝が震えた。なにか取り返しがつかないことが起こったということを、頭より先に身体が察知した。


「撃ち抜いてやったぞっ」


 タバサがのそりと立ち上がった。口元に歪んだ笑みを浮かべていた。まるで光来から生命力を奪ったかのように、情念を剝き出しにした力が奔出していた。


「これで目的の半分は達成したっ。過去に殺されるだと? 知ったふうなことを言ってくれたじゃないか。ならばワタシはこう言い返そう。おまえこそ、自分が忘れ去った過去ゆえに殺されたのだっ」

「キーラァァッ!」


 リムは光来へと、堰を切ったように駆け寄った。デュシスの弾倉を開き、トートゥの弾丸を吐き出した。

 カツンと音を立てて床に落ちた弾丸がトートゥであることに気づき、タバサは「ほう」と口を尖らせた。


「キーラッ! 死なないでっ! 死んじゃダメッ!」


 空になった弾倉にクーアの弾丸を詰めた。六発分すべての穴に込めたが、再装填に掛かった時間はわずか二秒ほどだった。


「立ってっ! 立ちなさいっ!」


 リムは込めたクーアを全弾撃ち込んだ。彼女は知る由もなかったが、それは数刻前に光来がズィービッシュに施した行為とまったく同じだった。

 光来から、いくつものベビー・ピンクの魔法陣が拡がり、身体を眩いばかりに染め上げた。

 ラウルは、リムの行為を止めもせず、ただ見ていた。

 魔法陣がすべて砕け散った。治癒の魔法が発動するはずだ。しかし、魔法陣の欠片が宙に消えても、光来が起き上がることはなかった。


「無駄だっ。トートゥを喰らって生きていられるわけがないっ」


 タバサの嘲り叫んだ言葉が、リムの脳に直撃した。

 トートゥ? キーラはトートゥを撃ち込まれたの?

 なぜ、こいつがトートゥなんか持ってる? あそこにいるのは、グニーエだ。そばに車椅子がある。足をケガしているのか? そういえば、ズィービッシュの姿が見当たらない。いや、それよりキーラ……。これだけクーアを撃ち込んだのに、なんで目覚めないの?

 頭が混乱して思考がまとまらない。タバサの言った内容に衝撃を受け、意識が遠くなった。


「聞いているのか? トートゥだよ。死を司る禁忌の魔法だ。こいつがワタシに与えてくれたものだ。返してやったぞ」


 執拗にいたぶるタバサの暴言は、目的を果たした歓喜ではなく、強敵を倒した安堵感の現れだった。

 タバサ自身、そのことに気づいていなかったが、今のリムは尚更だった。そんな精神分析など考えも及ばず、ただ噴火するマグマのような怒りが突き抜けた。


「タバサァァッ!」


 リムは憤怒を迸らせた。

 感情に任せて、タバサに向けてデュシスを向け、引鉄を引いた。しかし、ガチンと撃鉄が鳴くばかりで弾丸は発射されなかった。キーラを治癒するために全弾使い果たしたことさえ失念していた。それほどまでに、リムの怒りは凄まじかった。

 どんな種類でもいいから、タバサに攻撃系の魔法を撃ち込んでやりたかった。しかし、リロードしている余裕を与えてくれるとは思えなかった。


「くっ」


 キーラの傍らに、彼の愛銃ルシフェルが落ちているのが目に入った。次の瞬間には拾おうと床を蹴っていた。


「おとなしくしていろぉっ!」


 タバサは、リムがルシフェルを拾う前に発射していた。声が弾丸になったと思うほど、素早い射撃だった。

 弾丸は脚をかすめた。リムのふくらはぎからクリスタルブルーの魔法陣が拡がり、砕けると同時にシュナイデンが発動した。


「ああっ!」


 リムのふくらはぎがズバッと切り裂かれ、血が吹き出した。勢い余って、滑り込むように転んだ。怒りで痛みは麻痺していたが、衝撃までは緩和できない。ルシフェルを拾うどころか、デュシスまで手放してしまった。


「トートゥの精製は、ひどく難しくてね。五発産み出すのがやっとだった。まったく、このキーラの魔力は計り知れないよ」


 今のリムには、タバサの言葉など雑音に過ぎなかった。

 タバサはトートゥを精製できるのか? そして、キーラが撃たれた?

 リムは、操られているように視線を光来に向けた。倒れた姿勢のまま、ピクリとも動かない。


「うあああああっ!」


 リムはベルトからナイフを抜き、タバサに飛び掛かった。


「おとなしくしていろと言ったはずだっ!」


 タバサはためらうことなく、リムの腕にシュナイデンの魔法を撃ち込んだ。

 リムの腕が鮮血に染まる。


「うあっ!」


 リムは後方に吹っ飛び、デュシスに続いてナイフも離してしまった。

 ブリッツで形成された刃が床に突き立てられ、電撃が円形に拡がり散っていった。


「勘違いするなよ。トートゥが切れたとはいえ、君を殺すことなど容易いのだからな。わざとだよ。わざとその程度の傷で済むように当てたのだ」


 リムは焼き尽くさんばかりの殺気を込めてタバサを睨んだ。しかし、タバサは悠然とそれを受け止めた。


「リム・フォスター。おまえは実によくやってくれた。キーラをワタシの所まで誘導してくれたのだからな」

「殺すっ! 殺してやるっ!」


 腕を切られ武器から離され、脚を切られて立ち上がることができなくなっても、リムは萎えなかった。今、リムを動かしているのは、これまでのゆっくりと重たく揺らめく炎よりも熱い、噴き出すような青白い炎だった。

 一緒に旅をしてきた相棒が目の前で撃たれ、グニーエへの怨嗟をも凌駕するタバサへの怒りに我を忘れた。


「恨みの対象が、グニーエからワタシに移ったか」


 リムは歯ぎしりをした。怒りと悔しさのあまり、言い返す言葉さえ思い浮かばなかった。


「おまえは初めからワタシの手駒だったのだよ。おまえが復讐と称して続けた旅の成果は、キーラを導いてワタシの役に立ったことくらいだ」

「……グニーエを殺したら、おまえも殺してやる」


 リムがやっと吐いた陳腐な台詞に、タバサはゆっくりと首を振った。


「殺させない。おまえなんかに殺させない。グニーエを殺す資格があるのは、こいつの人生をぶっ壊していい権利があるのは、このワタシだけだ」

「……なに言ってる?」

「おまえはなにも分かっていない。キーラと同じでなにも理解していない。グニーエへの憎しみに気を取られてばかりで、所々に散らばっていたピースを一つも拾えなかったのだ。キーラと出会ってからも、それは変わらなかった。自分は無知だと言いふらして旅を続けていたに等しい」

「なにを言っているっ! 厭味ったらしい言い方してないで、言いたいことがあるならはっきり言えっ!」

「言ってやるとも。聞かせるために、わざと殺さずに撃ったのだからな。ワタシの行為が正義であることを知る証人が必要だ」


 リムには、タバサの言っていることが理解できなかった。さっき自分は正義という言葉を口にした。しかし、勢いで言ってしまっただけだとすぐに後悔した。それに比べて、タバサの言葉には揺るぎない確信が感じられた。

 自分の父親を殺す資格とは、いったいなんのことだ?


「これから、ワタシが語ることは、塵一つほどの嘘も混じっていない真実だ。リム・フォスター。おまえが長年解き明かせなかった謎も含まれている。心して聞くがいい」


 タバサは、就任したばかりの大統領が、新しい政策を発表するような間を経て、口を開いた。


「まず教えといてやる。ワタシはグニーエの息子、タバサではない」


 いきなりの告白に、リムは自身の身体に音を立てて亀裂が走ったような感覚を味わった。


「ワタシの本当の名はラウル・クロセイド。ワタシも『黄昏に沈んだ街』で家族を失ったの被害者の一人だ」


 ラウル・クロセイド? 一度も耳にしたことのない名だ。こいつはなにを言っているのだ? ディビドの遺跡で会った時、幼い頃の思い出と重ならないことは認めていた。しかし、それは長い年月が過去を風化させ、補正や美化それに忘却が幾重にも重なった結果だと納得しかけていた。いや、納得しようとしていた。それなのに、今さら、こいつはタバサではないと言う。では、ワタシの目の前にいるこいつは、グニーエを父親と呼ぶこいつは何者なのだ?


「あの事件の後、おまえの父親がグニーエに復讐するために追い続けたのは知っているだろう。二人が対決した時、もう一つの事件が起こったのだ。こいつは、あれだけの大惨事を引き起こしておきながら、まったく悔悟していなかった……」


 タバサは、いや、タバサの名を語っていたラウルは、大きく息を吸い込んだ。そして、立っているのもやっとの状態であるグニーエの足元に一撃撃ち込んだ。


「こいつのせいだ。こいつ一人のせいで、なにもかもがメチャクチャになったんだっ!」


 放たれた弾丸はヴィントだった。なんの抵抗もできないグニーエは、発生した激しい風の衝撃をまともに受けて吹っ飛んだ。


「やめなさいっ!」


 リムは思わず叫んだ。長年、グニーエを殺すことを切望し続けてきたが、それは復讐を果たすためだ。いたぶるためではない。


「言っただろう。ワタシにはこいつを殺す権利がある。おまえは悲劇のヒロインぶっているのだろうが、ワタシはそれ以上の屈辱を耐えてきたのだっ」


 ラウルは肩で息をしていた。落ち着くためか、最後は大きく息を吸い込んで、はああぁと肺の中の酸素をすべて出し切るように吐いた。まるで口から毒を吐き出している怪人だ。

 深呼吸が終わると、リムを睨んだ。危うい光を孕んだ不安定な目だった。


「聞かせてやる。いや、おまえは聞かなくてはならない。グニーエとゼクテの間になにが起こったのかを……」


 先ほどから、屋敷の揺れが治まらない。地鳴りのような不気味な音も断続的に続いている。それなのに、ラウルは気に留める様子をまったく見せなかった。

 ギラつく狂気を少し潜ませ、ラウルは語り始めた。

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