第5話 目覚め

 遮蔽物が数本の柱のみの室内では、立ち止まって狙いを定めることなどできなかった。互いに命中できないまま全弾を撃ち尽くし、柱に隠れてリロードを済ました。

 タバサの放つ弾丸からは、激しい炎、凍てつく氷、荒れ狂う爆発が繰り出された。どれもが凄まじい威力を発揮し、次第に屋敷が削り取られていく。崩壊するのもお構いなしの乱発だった。それに対し、光来が発射した弾丸からは、なんの効果も発動されなかった。ただ、漆黒の魔法陣が拡がっては砕け散るだけだ。

 直撃はしなくとも、熱風や冷気、膨張し破裂する衝撃に、光来は体力を奪われていった。タバサは弾丸を避けさえすればダメージは皆無なので、最小限の動きで銃撃を続けている。長引けば光来が不利になるのは明白だった。

「吐き出す弾丸がすべてトートゥとは。よほどワタシを殺したいらしいな」

 光来はルシフェルを凝視した。立ち昇る黒いモヤは費える気配がない。先ほどから、リロードした弾丸はことごとくトートゥに書き換わっていた。

 トートゥは生命を問答無用で終わらせる死の魔法だ。生命を宿すものに命中させなければ、魔法本来の効果を発揮しない。皮肉なことに、誰もが恐れた死を司る魔法しか撃ち出せないことで、不利な状況に立たされてしまっている。

 二人が銃撃戦を繰り広げている間にも『黄昏に沈んだ街』の魔法陣は拡がり続け、ついには部屋に収まりきらないほど巨大なものへと成長していった。

 魔法が強大過ぎるせいで、定着させるべき館がボロボロと崩れ始めていた。まるで何百年もの風雪に晒された遺跡のように、砂の城へと変貌していく。

 光来は一本の柱の陰に身を隠した。


「くそっ!」


 思わず吐き捨てた台詞に、光来の苛立ちがこもっていた。魔法がトートゥに書き換わる現象は、彼自身にもどうすることもできなかった。

 頭では冷静さを保っているつもりでも、ズィービッシュを殺されたことで、感情を抑えられていないのか? 魔力を制御できなくなっているのか? しっかりしろっ! このままじゃ魔法が暴走する。何百人もの罪のない人々が巻き込まれて消滅してしまうんだぞっ。


「いつまでも撃ち合ってなどいられないな」


 タバサは天井に向けて一撃を放った。狙った位置は光来の真上だ。命中した弾丸からスチールグレイの魔法陣が拡がった。


「やばいっ! ツェアシュテールングかっ」


 破壊の魔法が発動し、穿たれた部分の天井が崩れ落ちてきた。魔法の力により無理やり損壊させられた木材や石材が、凶器と化して光来に襲い掛かった。


「さあ、隠れてないで出てこいっ」

「うわっ!」


 柱の陰から追い出すタバサの策略だと悟ったが、頭で分かっていても避けないわけにはいかない。光来は、反射的に飛び出していた。


「いい子だ。狙いの先に出てきてくれたな」

「しまった!」

「まずは動きを封じる。ちょこまか逃げられんようになっ」


 光来は素早くタバサに銃口を向けたが、すでに照準が合わされているのだ。間に合うわけがなかった。


「ふんっ」


 タバサが弾いた。


「これで決着だっ」


 撃ち出したのはファングだった。本来なら、仕掛けた後、獲物が掛かって効果が発揮される魔法だが、直接着弾しても発動はできる。

 これでキーラは動けなくなる。タバサは勝利を確信した。

 弾丸は正確に光来の脚を撃ち抜いた。タバサの目にはそう映った。

 イエロー・オーカーの魔法陣が一気に拡がり、対象者を毒牙にかけようと魔法が発動した。

 しかし、光来は動きを止めることなく撃ち返し、別の柱の陰に隠れた。


「うおっ⁉」


 予想外の反撃に、タバサは身を捩って紙一重でかわした。


「???」


 疑問が湧いたのは、体勢を立て直して再び銃を構えてからだった。

 今、どうなったのだ? ワタシの放った弾丸は命中したのではないのか? ギリギリでかわされたか?

 タバサはうなじに不快感を覚えた。森の中を歩いていたら、いつの間にか蛭が首筋まで這い上がっていたような、ぞわっとする不吉な感覚だった。実際、タバサは自分のうなじに手を当て、擦るように滑らせた。

 ……ほんの些細な動揺も抱くな。今、ワタシはゴールの手前にいる。長年追い続け、ついに手が届くところまで来たのだ。

 人は誰でもゴールを目指して生きている。生きる目的と言ってもいい。大金を手に入れたい。愛する人と結ばれたい。誰もなし得なかった偉業を達成して脚光を浴びたい。目指すゴールはそれぞれ違うが、共通している点がある。それは、ゴールは一つしか設定できないということだ。次のゴールを目指すには、今掲げているゴールをクリアしなくてはならない。そうしなければ、新たな目標は設定できない。

 ワタシだって同じだ。今、目指すべき目標は復讐の完遂。それが終わらなければ、新たな人生は歩めない。次の目的地すら設けることができないのだ。

 キーラ・キッドがワタシの人生を阻む敵となるなら、必ず排除する。


「おまえの力を利用した後でなっ」


 胸に溜まった思いを吐き出した時だった。


「う……」

「!」


 グニーエの口から微かに漏れ出た声に、タバサの心臓が跳ねた。冬にドアノブに触ったら、突然、静電気に襲われたような衝撃だった。


「今……、こいつ」

「……おお」

「っ! こいつっ、意識がっ! 意識を取り戻しかけているぞっ! やはり思った通りだっ! 『黄昏に沈んだ街』が安定すれば、その分、こいつの意識も戻ってくるっ! もう少しだっ。あとちょっとで状況が整うっ!」


 光来と撃ち合っている最中だというのに、タバサは狂喜乱舞した。まさに自分の感情を抑えられないといった喚声だった。


「おいっ! 聞こえるかっ? ワタシの声が届いているかっ?」

「う、う……」

「自分が誰か分かるかっ? 名前を言ってみろっ」

「う、ああ……」

「名前だっ! 自分の名前だよっ!」

「ク、ニ……エ」

「おおっ!」


 父親に自分の名を言わせて歓喜する。その光景はあまりに異常で、柱から覗き込んでいた光来は、しばし動けなくなった。


「息子の名はっ?」

「む、す、こ……」

「そうだっ! おまえの一人息子だっ」

「ツバ……サ」

「そうだっ! おまえはグニーエ・ハルトッ。息子の名はタバサ・ハルトだっ!」


 ますますタバサの異常振りが際立ってきた。見ているだけで心に重しを乗せられるような感覚になる。


「くっ」


 光来はルシフェルを構えたが、タバサの方が先に発砲した。


「まだだっ! まだおまえの出番ではないっ。舞台の袖で緊張しながら待っている役者のように縮こまっていろっ!」


 弾丸は光来の足元の床に着弾し、黒い魔法陣を描いた。魔法陣が砕けたが、なんの効果も発揮しないまま静かに消滅した。

 光来は、自分を上回る動作の早さにも驚愕したが、それ以上に黒く見覚えのある魔法陣に戦慄した。さっきも同じ魔法陣を見た。それはズィービッシュの命を奪った。他でもない自分が先ほどから撃ち出している。これは死の魔法『トートゥ』。


「これは……」

「そうだ。トートゥだよ。キリガが持っていたトートゥもワタシが精製したものだ。おまえが先日、ダーダーの目を通して魔力を見せてくれたおかげだ」

「なんだと?」

「正直、おまえの魔力の強さを知った時は絶望したよ。ワタシは勝てないのではないだろうかとね。しかし、徹底的に堕ちてはじめて手に入れられるものもある。激しい憎しみと深い絶望を抱いたまま銃を撃った時、『彼の者』がワタシに触れた。魔法で人を撃ち殺すという概念を持つことができたのだ」


 『彼の者』は、その者が描くイメージを敏感に察知する。

 タバサは、光来と同じく銃は殺人の道具になるという認識を持ってしまった。だから、トートゥの精製が可能になったのだ。


「俺の魔力が、その認識を与えただと……」

「そして、グニーエが意識を取り戻しつつある今、おまえを殺す最高のタイミングが来たというわけだ」


 タバサの呪詛のような言葉を噛み締め、光来は一つの疑問を持った。

 こいつ、本当にタバサ・ハルトなのか?

 あまりにも常軌を逸した行動に、疑問を持たずにはいられない。それに、さっきグニーエがつぶやいた名前……。タバサではなくツバサと聞こえた。ツバサ……翼? そういえば、ズィービッシュがタバサのメディスンバッグから見つけたと突きつけた携帯電話は、日本で独自の進化を遂げた、いわゆるガラパゴス携帯だった。日本人? グニーエ・ハルトは日本人か? ずっと俯いているので分かりづらいが、あの風貌は確かに東洋人だ。すると、グニーエ・ハルトという名前も、俺と同じでこの世界で名乗っていた仮の名なのか。

 光来は、グニーエが自分と同じ境遇にいることを視野に含め、改めて彼を観察した。あれが異世界から飛ばされてきた者の成れの果てなのか。あんな奴に関わったばかりに、ズィービッシュは死ぬ運命に立たされたのか。


「わあああっ!」


 光来は声を張り上げることで、全身に走る怖気を振り払った。混乱により濁っていた闘志を再燃焼させた。

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