第4話 綴られた過去

 リムは胸に苦い感覚を味わっていた。

 先ほど、男の問いに「正義の味方」と答えたものの、自分の行動に正義など存在しない。私怨を晴らす為だけに生きてきたし、ここまで来たのだ。これから始まるであろう戦いは、自分の気持ちに決着をつけるだけの行いに過ぎない。他人から見れば、次元の低い争いなのかも知れない。

 しかし、だったらグニーエはどうだ? 何十人、いや何百人もの人々を消滅させ、父の命を奪った奴が正義であるわけがない。

 自分の行為に無理やり意味を持たせるならば、そんな奴の息の根を止めて『黄昏に沈んだ街』の被害に遭った人たちの報いを受けさせ、鎮魂歌の代わりにするということになるのだろうか。

 屋敷内は静謐な雰囲気に包まれていた。もう護衛はいないというのは嘘ではないようだ。

 グニーエは、奥にある広間にいると言っていた。廊下には小部屋への扉が並んでおり、この屋敷が思った以上に広いことを知った。

 リムはその扉の一つが僅かに開かれているのを見つけ、歩みを止めた。

 素早くデュシスに手を掛けた。死線をくぐり抜けてここまでたどり着いたのに、不意討ちを喰らうわけにはいかない。

 隙間から様子を伺っている者がいるのか、それとも、たまたま閉めきられていなかっただけなのか。ここからでは判断がつかなかった。


「……駆逐してやる」


 リムは口内でつぶやくと、一気に躍り出て扉を蹴り開けた。

 デュシスを構えたまま、視線を巡らせ敵の存在を探索した。

 窓から採り入れられる外光のおかげで、室内は明るかった。家具が極端に少なく、机が一台置かれているだけでベッドすらない。身を潜ませる空間などなかった。


「なに? この部屋は……」


 リムは、敵が潜んでいない安堵と共に、室内の雰囲気に違和感を覚えた。

 日頃から使われている形跡はあるのだが、人の匂いというか生活感がまったく染みついていなかった。まるで幽霊にあてがわれた部屋のようだ。

 机の上には、一冊の本が置かれていた。なにか惹きつけられるものがあり、リムは机の前まで進んだ。その時、初めて机と対となる家具、あって当然の椅子がないことに気づいた。


「これは……」


 こんなことをしている場合ではないと思いながらも、リムは本を手に取った。埃が積もっており、ふっと息を吹きかけると陽光の中に舞った。

 表紙は革で加工されており、細かい傷や汚れ、素材自体のくたびれ具合から、長い歳月を経たものだと分かった。なにかが刷られていたようだが、ほとんどかすれて判読不能だった。サイズはそれほど大きくはなかったが、厚さはかなりのものだった。

 なにか恐ろしい物に触れるような慄きを指先に宿しつつ、リムは本を開いた。

 内容はなにかの手記のようだった。柔らかい単純な形の文字と、画数が多く複雑な形をした文字が入り混じって綴られている。初めて見る文字だ。


「……………」


 リムには一言も理解できなかった。眉をひそめてページを捲ると、最初の一行には必ず日付が記されていることに気づいた。日付だけは見慣れた文字で記されており、読むことができた。年号はかなり昔のもので、今から十二年前になっていた。


「十二年前?」


 リムは引っ掛かるものを覚えたが、内容が読めないのでは詳しく繙くことができなかった。

 記入者は、毎日欠かさず綴り続けたのが分かった。一日に一ページを費やしているが、文字数はまちまちで、びっしり埋まっているページもあれば、ひどく簡潔に終わらせてあるページもあった。

 捲っていくうちに、これは日記か記録の類ではないかと思った。

 タバサの筆記帳はワタシが持っている……。

 リムはポケットに手を突っ込んで、ディビドで入手したタバサの筆記帳を取り出した。並べて双方を見比べる。

 そもそも、タバサの記述はちゃんと読める文字だ。すると、この本の記述者はグニーエか?

 焦りにも似た感覚を抱き、リムは乱暴にページを捲った。日付は十二年前から始まっている。すると、これは『黄昏に沈んだ街』について記されたグニーエの記録か? いや、違う。それよりもう少し後だ。ワタシの父を殺した日より後日から記録された内容だ。


「いったい、なにが書いてあるの?」


 リムは一文字も理解できないことにひどく苛立った。しかし、諦めずにページを手繰っていくうちにひとつのことに気づいた。ページを捲るたびに、どんどん書体が崩れていくのだ。読めないながらも、丁寧に書き込まれた文字が次第に乱雑になっていくのは分かった。

 最後の方は、利き腕とは逆の手で書いたのかと思わせるほど乱れ、ただ線を引いただけにしか見えなかった。リムは不審に思いながらも、心に食い込んでくる不安を感じた。その不気味さに神経を絡め取られ、不快な記憶が脳裏にこびりついた。

 これでは、書いた本人にだって読めないのではないか……。

 底が見えない階段を降るように心がざわついた。それを無理やり捻じ伏せ、リムは本を叩きつけて閉じた。こんな意味の分からない記述に決意を乱されてはならない。

 ここにはなにをしに来た? ここまでたどり着くのに何年の歳月を費やした? ……この時のためだけに生きてきた。待ちに待った瞬間が来たんだ。

 リムはガンベルトのホルダーから一発の弾丸を取り出した。一見しただけでは分からない位置にあり、隠しポケット的なホルダーにしまっていた弾丸だ。

 その弾丸には黒く不気味な模様を描く魔法が定着している。死を司る魔法トートゥだ。


「…………」


 なぜ、リムがトートゥを持っているのか?

 ホダカーズを脱出する際、光来が精製したものをリムは取り出した。その時、彼女はその弾丸を捨てなかった。光来にトートゥの恐ろしさを説きながら、気づかれないように自分のポケットにしまったのだ。

 もちろん、この時のためだ。あの時すでに、この死の弾丸は役に立つと思った。咄嗟の目論見だったが、グニーエと対峙した際に使えると考えたのだ。

 魔法による殺人は禁忌で、トートゥはその理に背く最たるものだとキーラには諭しておきながら、自分は彼の魔力を利用しようと考えている。

 二律背反の間で、すり潰されそうなくらいの葛藤を繰り返したが、最後にたどり着く答えはいつも同じだった。

 グニーエを、このまま生かしてはおけない。


「……ワタシ、キーラにひどいことしてる」


 唐突にキーラの屈託ない笑顔が掠めた。慌てて頭を振って、意識の外に追い出した。

 今さら、なにを迷う。この時のためにつらい旅に耐えてきた。あらゆるものを犠牲にしてきたのだ。必要なら、キーラだって……。

 リムは目を瞑り、トートゥの弾丸を強く握りしめた。神に祈るため、あるいは懺悔をするために十字架を握る宗徒のように。そうすることで、罪の意識が軽くなると言わんばかりに。

 数秒間握った後、デュシスに込めた。

 目指すべき方向へと顔を向けた。その時、微かな揺れを感じた。


「これは……」


 一瞬で全身に鳥肌が立った。戦慄が走った瞬間、黄金に輝く魔法陣が波のように迫り、リムはあっという間にその中に取り込まれていた。


「黄昏に沈んだ街っ!」


 忘れようとしても、決して忘れ得ぬ苦い記憶。常に体内に寄生し、殻が破れるのを必死に抑えているトラウマ。人生の一部としてこびりついてしまった過去が、一気に表面まで浮かび上がった。

 魔法陣の拡がりと共に、館全体が揺れ始めた。壁や柱にはヒビが走り、細かい欠片がポロポロと落ちてくる。


「グニーエ……。やったわね。ちくしょう……。とうとうやったわね。とうとう『黄昏に沈んだ街』を発動させてしまった。しかも、これは暴走しつつある?」


 激しい魔力の衝動に、足元が覚束なくなる恐怖がこみ上げてきた。胸がザワつき、呼吸が苦しくなった。

 落ち着けと自身に言い聞かせていると、銃声が響き渡った。はっとする間もなく、激しい爆発音が耳を突き抜けた。

 リムは驚きのあまり、弾けるように部屋を出た。

 わけもなく発砲するはずがない。キーラがこの奥にいる。ワタシより先にグニーエの元にたどり着き、戦っているのだ。『黄昏に沈んだ街』を阻止しようとしているのだ。

 リムはデュシスを固く握り、屋敷の奥に向かって駆け出した。

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