第17話 再び立つ

 予想していたことだが、街は騒然とした有様だった。

 所々から悲鳴や怒号が上がっていた。プログラムを侵食するコンピュータウイルスのように、瞬く間にパニックが感染していく。理性を失った人間は一気に幼稚化する。規律も秩序もかなぐり捨てて我先にと逃走を開始し、その混乱がさらなる焦燥を招く。

 バウンティハンターだけではなく、まっとうな生活を営んでいた街人まで巻き込んでの混乱だったので、先ほどのキーラ・キッドを追っていた賞金首騒ぎよりも大きく、そして危機感の度合いが高い喧騒だった。

 避難する際に誤って出火させてしまったのか、街のあちこちから火の手が上がっている。止むことなく耳になだれ込んでくる悲鳴を耳にして、光来は戦場を駆け巡っている気持ちを味わった。


「このままじゃ、飲み込まれる前に街が崩壊しちまうっ」

「こんなのが迫ってくれば誰だって慌てるわねっ」


 モヤから逃れながらも、触手に捕まりそうになる街人を助けなければならない。二人は立て続けに射撃を繰り返した。

 光来の撃ち出すフリーレンは巨大な氷柱へと姿を変えモヤの進行を食い止めたが、それでも全体を覆うには至らない。

 モヤが巨大化し範囲を拡げれば拡げるほど、不利になるのは明白だった。


「ちっ、弾切れっ?」


 リムが全弾を使い切りリロードをしようとしたその時、親とはぐれたのか蹲って泣いている少女が目に飛び込んできた。今、まさに襲われつつあるが少女は泣き崩れるばかりで逃げようとしない。


「キーラッ、あそこっ」

「おうっ」


 リムに遅れて気づいた光来は、少女に迫りつつあった触手に照準を合わせた。


「凍れっ」


 だが、光来の声に反して撃鉄のガキンという音が響いただけで弾丸は発射されず、当然、魔法も発動されなかった。


「俺もっ?」


 モヤから逃れるのに精いっぱいで、何発使ったか意識の外になっていた。

 光来は闇雲に撃ちまくった自分の浅はかさを呪った。二人揃って弾切れなんて、この状況では命とりだ。

 触手は今にも少女に襲い掛かろうとしている。


「だめっ!」


 リムが銃撃ではなく、自らの身体を投げうった。少女を庇うように覆い被さり盾代わりとなる。身を挺したところで、少女を助けられる保証などどこにもない。それどころか、二人とも触手に絡め取られてモヤの中へと引きずり込まれる可能性の方が高いのだ。

 計算して取った行動ではなく、リム自身も少女を庇いながら驚いていた。

 普段の彼女なら取るはずのない行動であったが、グニーエ親子との決着がリムの心境に微妙な変化をもたらしたのか。


「リムッ」


 光来は焦った。そして、彼もまた二人に向かって飛び出した。

 奇跡的な射撃の早さを誇る光来でも、弾丸が詰められていない銃では役に立たない。魔法が使えなければただの少年だ。

 光来の伸ばした手と不気味な触手が、ほぼ同時にリムに触れようとした。


「くそっ!」


 光来の頭が眼前のモヤより真っ白になった。

 ラウルに向って「絶対に死なせない」と宣言した。その言葉に嘘偽りはない。この身がどこに引きずり込まれることになろうが、リムは絶対に助ける。

 触手の先端が光来の腕に絡みついてきた。


「ううっ⁉」


 なにかが吸い取られる感覚が襲ってきた。しかし、なにが吸い取られているのかが分からなかった。血液なのか精神なのか、それとも生命そのものなのか。いずれにしても、こいつに長いこと触れているのはまずい。それだけは感覚的に理解できた。

 ただ奇妙なことに、これと似たような感触を経験したことがあると思った。こんな不気味なものと接触した憶えなんてない。これはなんだったか……?

 光来は記憶の引き出しを引っ掻きまわし、ようやく重ね合わさる経験に思い至った。ラウルに操られたダーダーと対峙しリムを撃てと迫られた時、自分を庇ったズィービッシュを助けようとした時、俺はそいつに触れたのではなかったか?

『彼の者』

 もしかして、この白いモヤの正体とは……。

 瞬時に展開された光来の推測を遮り、一発の銃声がエグズバウトの空に響き渡った。スカイブルーの魔法陣が拡がり、強風を巻き起こして文字通り触手が四方に霧散した。

 強風に煽られ、光来達の身体が宙に舞う。


「うおあっ」


 三人は地面に叩きつけられたが、モヤから身を守るために丸まった姿勢を取っていたのでダメージは最小限で済んだ。少女もリムがクッション代わりとなって無事なようだ。

 触手が再び光来たちに襲い掛かってきた。考えるより先に再装填をすべく手が動いていた。だが、光来とリムが作業を終える前に、銃を放った主が屋根から飛び降りモヤの前に立ちはだかった。


「きみは……」

「あなたは……」


 二人に背を向けていたが、見間違うはずがなかった。

 細くとも指の先まで意思が通っている佇まい。下卑た者を近寄らせない凛とした雰囲気。彼女の愛銃であるアルクトスが日の光をキラリと反射させた。


「シオンッ」

「……こいつらはいったいなに?」


 シオンは少し振り返っただけで、触手に向かってアルクトスを噛みつかせた。立て続けに響く銃声と連動して次々と触手が散っていく。この鮮やかな手腕と麗しいとさえ表現できる立ち振る舞いは、紛うことなきシオン・レイアーだ。

 リムは熱いものが込み上げてくるのを必死に抑え、頼もしい仲間に勧告した。


「シオンッ、そいつらはすぐに再生するっ。フリーレンよ」

「分かった」


 リムの指示を受けたシオンは、触手が再生する僅かな隙に弾丸を詰め替え、一撃で周囲のモヤを凍らせた。


「今のうちに走るわよ」


 駆け出すシオンの後を、リムと少女を背負った光来が追った。

 シオンはまるで害虫駆除でもし終わったかのように涼し気な表情であるが、身体にはあちこち完治していない傷があった。クーアで治療したようだが、相当の苦戦があったことを物語っていた。


「シオン、無事だったんだね。俺はてっきり……」

「道が避難する人でごった返してたから、屋根伝いに探してたの」


 光来の心配に関係のない答えを返す。シオンらしい素っ気ない態度だったが、その頬はほんのり染まっていた。

 リムはあの恐るべき敵にどうやって打ち勝ったのか知りたかったが、光来に先に声を掛けられタイミングを逸してしまった。しかし、そうでなくても質問などできなかったかも知れない。身体の奥底から湧き出る気持ちで胸がはちきれそうであり、うまく言葉にならなかった。彼女に吹き飛ばされた時には、生きて再び会うことはないだろうとすら思ったのだ。

 背後からのリムの視線に気づいたのか、シオンは走りながら振り返りリムと目を合わせた。

 力強く頷いているように感じられ、リムも頷き返した。


「それで、これはなんなの?」

「黄昏に沈んだ街よ。暴走を始めてしまった」


 シオンは、一瞬だけ苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。


「グニーエとタバサは?」

「死んだわ」

「そう」


 シオンはチラリと光来を見た。


「……ズィービッシュは?」


 今度の質問には、二人とも顔を伏せた。

 二人の無言の返事で嫌でも伝わった。

 シオンは「……そう」とつぶやいた。

 先ほどの「そう」とは、まったく違う感情が込められているのが分かった。堰き止めていたなにかが漏れ出てしまったような慚愧の一言だ。

 シオンはそれ以上のことは言わず、唇を固く結んだ。


「シオン。街の人たちが避難しているって言ってたけど……」


 光来は気になっていたことを口にした。


「うん。街の東側に人が集中している」

「おかーさんとおとーさんもいる?」


 光来に背負われている少女は、すでに泣き止んでいた。


「大丈夫。きっといるよ」


 光来は根拠もなく断言した。無責任な発言であることは分かっていたが、これ以上少女の不安を煽る方が愚かしい態度だ。


「きみ、名前は?」

「ステイ。ステイ・ブルーよ。おにいちゃんは?」

「キーラ・キッドだよ。キーラでいいよ」

「うん」


 キーラとステイのやり取りを聞いていて、リムの胸にチクリと針が刺さった。

 あなたはタバサ・ハルト。グニーエの息子でワタシの幼馴染み……。幼少の頃は髪の毛も瞳も、黒というよりもっと軽やかなブラウンだった気がする。

 この事実を思い出す時が来るのだろうか? そして思い出したら、それでもワタシといてくれるだろうか?


「リム。シオン。街の人が集中している場所まで行こう。ステイの両親を探さなきゃ……」

「キーラ、それも大事だけど、この事態をなんとかする方が……」


 リムがささやかに諭すと、光来は声に力を込めた。


「分かってる。でも、いきなり一人になった子供ってのは本当に弱い存在で、絶対に助けなきゃって思うんだ」


 一人になった子供。もちろん、ステイを指して言ったのだろうが、その背後にはもっとたくさんの迷い子がチラついた。

 突然異世界に放り出された自分自身か。

 両親が消えて絶望のどん底にいたラウルか。

 それとも、復讐を誓ったリムか心を閉ざしたシオンか。

 光来はいったん口をつぐみ「それに」と続けた。


「シオンの話だと、道が通れないくらい人が集まってるらしい。それだけの人がいれば、魔法を持っている人だっているはずだ。この事態を解決できる方法があるかも知れない」


 光来は希望的観測を口にしたわけではなかった。その口調には、決意めいた重さが含まれていた。

 それを感じ取ったリムはなにか不吉な予感に囚われ、落ち着きをなくした。

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