第16話 街の人々
不穏な地鳴りと小刻みな振動が続いた。地震にしては様子がおかしく気持ち悪い現象だったが、それ以外の説明が思いつかない。
猫はとっくに姿を消し、犬は喧しいほどに吠え続けている。もしかしたら更に大きな揺れの前兆ではないかと、街の人々は家屋から出て互いに不安を口にした。
ドンッと心臓を掴む音がしたかと思うと、胃がせり上がる大きな揺れが襲った。
「大きいぞっ」
「なにかに掴まれっ」
「家から離れろっ。危ないぞっ」
あちこちから避難を促す声が上がったが、その中に混じって不安よりも驚愕の色が濃い驚きが響いた。
「おいっ、なんだあれは?」
その声を聞いたほぼ全員が、声の主の視線を追った。街外れにポツンと存在する古びた館……があったはずの方向だ。
白く曖昧に漂うものが、どんどん膨らんでいくのが見えた。
一見、霧が発生したように見えたが、ドームのような拡がり方をする霧などありはしない。
今起きている地鳴りと関係しているのかは不明だが、決して歓迎すべきものではないことはすぐに分かった。
酒場が集中している区画には、まだ無法者たちが群れをなしていた。さきほどの賞金首騒ぎに乗じて、少しでもおこぼれに預かろうとうろついている連中だ。
モヤの拡がりは意外と速く、既に彼らの目前にまで迫っていた。
「なんだこりゃあ?」
屯していた一人、ガーフェがモヤに近づいていった。
酒が入っているのか、その足取りはフラフラと覚束ない。
「おい、あんまり近づくな」
仲間のライトが後ずさりながら警告した。
「あん? なんでよ」
「なんでって……不気味じゃねえか。なんか得体が知れねえ」
「笑わせんなよ。霧が噛みつくってのか?」
小馬鹿にした態度で、ガーフェは手をモヤに近づけた。指の一本一本が太く、繊細な作業などできそうにない無骨な手だ。
手首まですっぽりとモヤの中に突っ込んだ。
「な? なんともないだろ」
振り返りニヤリと歯を見せた。
自分の度胸を誇示する、なんとも稚拙な行為だった。しかし、度胸と無謀を履き違えて英雄になった者は、途轍もない幸運に恵まれた結果に他ならない。
「おいっ!」
ライトが弾けるような声を出した。
「あ?」
仲間の見開かれた目に誘われ、ガーフェは自分の手に視線を戻した。そして戦慄した。
モヤから不気味な触手が伸びて腕に絡まっていたのだ。
「うわわっ?」
ガーフェは慌てて腕を引っ込めようとしたが、万力で固定されてしまったようにびくともしない。
「なんだよっ。なんなんだよこれぇっ!」
喚いているうちにも触手は伸び続け、ついには腕全体が覆われて身体をも包み始めた。
「おいっ! 助けてくれっ! 引っ張ってくれよぉっ!」
ガーフェは叫び身体を捻り足をばたつかせた。それでも白い触手から逃れることはできなかった。
ライトは、一歩近づいたがそれ以上は身体が動かなかった。
あれに触れるのは絶対にまずいと考えたし、最初に不気味と思った自分の勘が正しかったと確信した。
「うわっ! うわあっ!」
ぼっとガーフェが引きずり込まれた。モヤが拡がったから飲み込まれたのでなはい。抗えない屈強な力に引っ張られてモヤの中に消えたのだ。
現実離れした出来事に麻痺していたライトの感覚が、急速に戻ってきた。
「うわああっ」
ライトは引きずり込まれたガーフェと同じくらい大きな声で悲鳴を上げて、その場を一目散に逃げ出した。
アジョップは、フリーレンを放ちながら大声で言った。
「早くっ! こっちに来いっ!」
もう少しで触手に捕まりそうだったゼントンは、モヤが凍っている隙に脱兎の如く駆け出した。
「くそっ。いったいなんなんだ。こいつら」
ゼントンはこれではなくこいつらと称した。
それだけ、モヤから伸びる触手の動きは生き物じみていたし、生物だろうが無生物だろうが、触れたものをすべて取り込もうとする意思すら感じられた。
魔法を使えない街の人々が、次第に二人の周りに集まってきた。
エグズバウトの便利屋として街を動き回っていた二人は、街中の人に顔が知れ渡っていたし、それなりに頼られてもいた。
「あれをなんとかしてくれよっ」
「魔法で退治できないのかっ」
アジョップは冗談じゃないと思った。
いくら便利屋だろうが化物退治までは請け負っていない。
魔法が有効なら喜んで一儲けも企てるところだが、あの白いモヤにはどんな魔法も決定打にはならない。
いくつかの魔法を試してみたが、モヤの進行を食い止めることはできなかった。
フリーレンで凍らせることはできるが、それにしたって一時凌ぎの過ぎず、湧き水のように際限なく湧き出てくる。
「黄昏に沈んだ街だ……」
絞り出された声に、アジョップは思わず振り返った。
声の主は初老の男性だった。ガタガタと気の毒なくらい震えている。
「間違いない。あの時と同じだ。なにもかも飲み込まれて消滅してしまうんだ」
「黄昏に沈んだ街?」
アジョップは、改めて拡大を続けるモヤを見やった。
過去にそのような大惨事があったことは知っているが、こんなにもおぞましい現象だなんて聞き及んでいなかった。
このエグズバウトすべてを喰らい尽くすまで止まらないというのか?
「終わりだ。なにもかもなくなってしまうんだ」
なおもつぶやき続ける老人に、アジョップは憤りを感じた。
「終わりなもんかっ。街ごと飲み込むってんなら、街の外まで避難すればいいっ。街がなくなったって、生き延びさえすればなんとかなるっ」
老人には、アジョップの訴えはこの先何十年も生きる若さを持った者だから言える、希望的観測に聞こえたかも知れない。
しかし、死んでしまってはそれこそすべて終わってしまうのは事実なのだ。
「いっぺんに避難を始めたら混乱を招く。女子供と老人から優先的に行かせるんだ。魔法を持ってるモンはこっちに来いっ。フリーレンを持ってるモンはいるか? フリーレンで凍らせれば時間稼ぎにはなるが、それ以外の魔法でもまったく無効というわけじゃない」
アジョップは声を張り上げた。
「おい、なにを勝手にしきってんだよ」
二人に突っ掛かったのは、この街に流れ着いた無法者の一人だった。
名をデクという。
いかにも自分が一番でなければ気が済まないといった感じで、こんな状況であるのに人から指図されるのが我慢ならない様子だ。
「代わりになにか良い案があるのか?」
ゼントンに問われ、デクはぐっと詰まった。それでも、幼稚な思考力の持ち主の性ですんなりとは引き下がらなかった。
「なら、おまえの言う通りにすればなんとかなるのか」
「なんともできないから避難勧告してるんだろうが、マヌケかおまえ」
「てめえっ」
こういう手合いは正しい間違っているの問答は通用しない。相手が自分に従うか逆らうかが基準だ。最初から相手にするべき存在ではないのだ。
自分の方から絡んでおきながら、デクはゼントンに銃を向けた。
「このバカがっ」
ゼントンは目には目をと言わんばかりに銃を構え、 躊躇せずに発砲した。
キーラ・キッドの前では一目散に逃げ出したが、賞金を我が物にしようと野望を抱くほどには腕に覚えがあった。
重なり合う銃声の中、吹っ飛んだのはデクの方だった。
「この野郎っ」
デクをやられた仲間のゴロツキたちは色めきだった。一斉にアジョップたちに襲い掛かろうとする。
「がっ」
真っ先に飛び掛かろうとした男の頭に中身が入った酒瓶が投げつけられ、鈍い音を立てて命中した。
かなりの衝撃があったようで、男は頭を抑えてうずくまった。
「なんだぁっ?」
ゴロツキの群れが驚いて見ると、街人が両手に瓶を持って肩をいからせていた。
コールという名で、酒場を経営している太った中年だった。
「おまえらっ、こんな時にまでいい加減にしろっ」
コールは何度もこういった連中に飲み倒されていた。腹に据えかねることもあったが、この街で生きていくためには堪えなければをならないと自分に言い聞かせて、これまで荒くれ者相手に逆らったことなどなかった。
しかし、非常事態であるにも関わらず秩序を乱そうとする傍若無人な行いに、とうとう我慢の限界を越えたのだった。
「飲み屋のオヤジ如きが粋がって……」
コールに詰め寄ろうとした、顔に傷跡がある男の台詞は途中で遮られた。
スカーフェイスにも物が飛んできたからだ。今度は蹄鉄だった。
それが合図となった。
街で商売を営み生活をしてきた者たちが、一斉にならず者目掛けて物を投げ始めた。道に落ちている石であったり、店先に並んできた商品だったり、手当たり次第だった。
「なんだ、こいつらっ」
次々と投げられる物は立派な凶器となり、無法者たちの足を止めた。なにより、今までおとなしく言うことを聞いていた者たちが突然見せた反抗に、好き放題やっていた無法者たちも危機感を持った。
皮肉なことに無法者の影に怯えて暮らしていた街人が、街がなくなろうとしている状況になって無法者に立ち向かったのだ。
喧騒の中、街人に押され塊になっていた無法者の一人がモヤに捕まった。
「う、うわっ」
捕まった男の身体には触手が絡まった。
「た、助けてくれっ」
叫びも虚しく、あっという間にモヤの中に引きずり込まれた。
「うわああっ」
「きゃああっ」
あちこちで悲鳴が上がる。
「こんなことをしてる場合じゃないっ! 早く避難を始めるんだっ。魔法を持ってる者は集まってくれっ」
アジョップの号令と共に、エグズバウトの人々はまとまり動き始めた。
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