第15話 追ってくるもの

 一本、また一本と徐々に増えていくモヤに、ラウルの身体は完全に包み込まれてしまった。

 なにかがまとわりつくだけでなない。身体の奥深くまで入り込まれ、生命を吸い取られる感覚に絶叫を上げたかった。


「たっ、たすっけっ……」


 眼前に闇が拡がっていく。見たこともない真っ白い闇だ。

 これがトートゥによるものなのか、地下から滲み出た得体の知れないなにかに触れられているせいなのか分からぬまま、ラウルの意識は恐怖の中で途切れた。


「うおおおおっ⁉」


 光来は戦慄と同時に、収めたばかりのルシフェルを抜いた。

 滲み出たモヤは、魔法の影響により生じた屋根の裂け目から降り注ぐ陽光よりもなお白い。白は清潔な印象を与える色のはずだ。神聖。正義。清純。白の持つポジティブイメージを思い浮かべたが、光来の目には白いモヤは邪悪の象徴にしか映らなかった。

 吐き気を催すほどのおぞましさが、光来の脳内を駆け巡った。

 ラウルの身体が白い闇に飲み込まれた。まるで渦巻きに吸い込まれる難破船のように。白い触手はラウルのみならずグニーエの亡骸をも飲み込み、次第に勢力を拡大していった。


「いったい、なんだこいつはぁっ!」


 光来は触手に見える白いモヤ目掛けてルシフェルを弾いた。

 トートゥの弾丸に貫かれたモヤが四散した。魔法陣が生じているから、効果が発揮されているのは間違いなかった。


「効いたかっ?」


 しかし、光来の期待も虚しく、散ったモヤは互いに引きつけ合い、すぐに元の触手を形作った。


「ちいっ!」


 リムもデュシスを吠えさせた。炎の魔法ブレンネンと風の魔法ヴィントの連射だ。

 魔法が効かないわけではなかった。モヤは燃えたし凍りついた。

 しかし、地面から次々と発生するモヤは、演出のために用意されたドライアイスの煙のように留まることなく範囲を拡げた。


「ダメだっ。キリがない」


 モヤが陣地を拡げるに比例して、地鳴りと振動がこれまでとは比較にならないほど大きくなった。

 バゴッ!

 金属が疲労でついに割れたのにも似た、けたたましい音が耳を劈いた。

 屋敷の床が崩壊し、地面が剥き出しになった。続いて、見えない球体で圧し潰されたように、地面が崩れて窪みが生じた。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……

 ドドドドドドドドドドドドドドドドッ‼

 窪みの中心から、逆流する滝のような勢いで白い触手が一気に噴出した。


「うわーっ!」


 光来は射撃するのも忘れて、悲鳴を上げた。

 リムは撃ち続けたが、魔法の効果は一時凌ぎにしかならなかった。


「燃やしても凍らせても駄目っ。すぐに再生されてしまうっ」

「リムッ、いったん離れようっ」

「でも、このままじゃ……」

「ここにいたんじゃ、俺たちまで飲み込まれるっ」


 光来は強引にリムの腕を引っ張り、出口に向かって走り出した。

 リムの本能は逃げることを拒否した。

 ラウルの言っていたことは悔し紛れのハッタリや敗れた者の遠吠えでは、決してない。これは明らかに『黄昏に沈んだ街』の再来だ。なんとかして打ち消してしまわなければならない現象だ。

 だが、一方において理性では退避を選んでいた。

 街全体を飲み込むほどの巨大な力。とても個人で太刀打ちできるものではない。ハリケーンの中に突っ込むようなものだ。

 しかも、あの不気味なモヤはなんだ? 母や街の人々は、あんなものに絡め取られていずこかへ引きずり込まれたのか……。


「なにをしているんだっ。行くぞっ!」


 形ばかりの抵抗をしていたリムだったが、光来の声に我に返った。

 そうだ。今は逃げるのが最優先だ。死んでしまっては、この魔法に対抗することもできない。


「走るんだ。リムッ」


 光来の声を合図に、二人は一斉に駆け出した。

 メコッ!

 まるで二人が走った跡を辿るみたく、地面の窪みは大きく深くなっていく。主を失った館が無惨に崩壊していく。頼もしかった太い柱も、ホコリまみれだったが上質な素材を使っていたであろう床も、外の喧騒を遮っていた壁も、なにもかもが飲み込まれていった。

 地鳴りと振動、それに加えて館の崩壊に伴う破壊音が、光来の焦燥感を誘った。

 死にきれないグニーエ親子の怨念が、俺たちを引きずり込もうと吠えているのか?

 グニーエとラウルの正体を知らない光来は、まだ二人を親子と思っていた。

 脚がもつれ転びそうになるのを必死に堪えて全力疾走する。

 空間が喰われていくのを背中越しに目撃し、置いてきたままのズィービッシュに思いを馳せた。

 友の亡骸を飲み込まれるのを阻止できない罪悪感が後ろ髪を引っ張る。

 ナタニアの泣き顔と激しく攻め立てる声が脳裏を過ぎる。

 それでも脚を回転させる。腕を振り子のように大きく動かす。命ある限りは這いずってでも諦めるわけにはいかない。そうでなければ、死んでいった者たちすべての人生を蔑ろにしてしまうことになる。

 すぐ後ろまで迫っているのは背中に走る緊張感で分かり、追いつかれそうで追いつかれない状況に、光来は弄ばれているのではないかと本気で疑った。

 ようやくホールに出て、玄関の扉が目に飛び込んだ。


「リムッ、外だっ」


 光来は叫んだ。彼は振り返りもせず走り続けたので気づかなかったが、すでに館のほとんどが崩壊し、表から見ればとっくに外に出ているのと変わらない状態だった。

 開けっ放しになっていた扉をくぐり、二人はようやく振り返った。

 白いモヤは最後の壁や床を飲み込み、ついに館すべてを消滅させてしまった。モヤの範囲が拡がる分、窪みが大きくなっていく。

 リムは嫌でもカトリッジが消滅した時の光景を思い出した。

 モヤは屋敷を飲み込んだだけでは満足しないらしく、肥大化は留まる気配を見せなかった。


「なんなんだよこれ? いったいどこまで拡がるんだ?」

「これが『黄昏に沈んだ街』よ。どこまでなんて想像もできないけど、エグズバウト全体が飲み込まれるくらいには大きくなる」

「なっ?」

「あなたも見たでしょ。カトリッジの成れの果てを」


 光来はこの街に入る前に訪れた場所を思い出した。巨大なクレーターに無数の墓標。ここもああなってしまうというのか?

 眼前に迫る脅威とは別の、自分の内側から湧き出る黒い不安にゾクリと身震いした。

 モヤから伸びた触手が、光来目掛けて伸びてきた。


「う、うわっ」


 光来は素早い動作で触手を撃ち抜いたが、効果はほとんどなかった。先ほどと同様、散ってもすぐに互いをつなぎ合わせて再生してしまう。


「どうすれば、止めることができるんだっ」


 執拗に光来を絡め取ろうとする触手に、今度はリムが弾丸を喰らわせた。

 フリーレンの魔法陣が砕け、モヤを氷に閉じ込めた。


「トートゥは効かない。フリーレンなら一時的に封印できる。策を練るのは逃げながらよ」

「あ、ああ」


 光来は頭の中にモヤが凍る場面を想像し、トートゥの弾丸をすべてフリーレンに書き換えた。

ズィービッシュを殺された怒りによって制御できなかった魔法が、再びイメージ通りに書き換えることができるようになっていた。


「これならどうだっ?」


 ルシフェルを両手で構え、迫ってくる触手に向けて一撃放った。

 触手はエンジェルブルーの魔法陣に照らされた後、発動したフリーレンに動きを止められた。

 魔法力の差が顕著に現れ、目の前にいきなり氷山が生み出された。


「すごい……」


 リムは改めて光来の魔力に戦慄した。これが幼い頃に一緒に遊んだ線の細い少年とは、にわかに信じられなかった。


「今のうちだ。走るぞ。リム」

「ええ」


 リムは走り出した光来の背中を見つめた。

 子供の頃は、ワタシの方が前を走ってたのに……。

 ほんの一瞬だけリムの心は幼く無邪気な幼少時代に戻ったが、グニーエを、つまり彼の父親を撃ち殺したことに複雑な心境にとらわれた。

 どうして、ワタシの人生はこうも……。

 考えても詮ない思いを胸に、リムは光来の背中を追った。

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