第14話 崩壊の始まり

 苦痛を感じているはずのグニーエはラウルに微笑むと、リムに向き直った。


「君は……リムちゃんだね?」


 呆然としていたリムは、グニーエに話し掛けられてハッとした。


「面影がある。すまなかった。ワタシは卑怯で愚かな大人だった。君が、君こそがワタシを討つべきなんだ」


 リムは目に涙を浮かべ、小刻みに震えた。念願の復讐を果たした感慨はどこにもなかった。グニーエの謝罪を受け入れる余裕などどこにもなく、衝いて出た言葉は罵倒でしかなかった。


「あ、あんたが……、あんたがしたことは、なにをしたって取り返しがつかないっ。最期の最期に善人ヅラするなぁっ!」

「……すまなかった。本当に。本当につらい思いをさせたね」


 グニーエの目にも涙が浮かんでいた。

 これまで流すことすら許されなかった涙だった。長年の時を経て心の中に溜まりに溜まった、後悔と悲しみを湛えたグニーエの最深部の本心だった。


「君のお父さんは、ワタシにとって最高の友人だった」


 グニーエはそれだけ言うと、視線を光来に向けた。


「…………」


 十年以上離れて暮らしていたが決して消えない絆のようなものを感じるのか、グニーエは光来を無言で凝視し続けた。感慨深さを湛える目に見つめられ、光来は浸みゆくものを感じた。しかし、この感情をどう表現すれば良いのか、分からなかった。

 魔法陣が砕け散り、トートゥが発動した。

 グニーエはほんの少しだけ口を開いた。なにかを喋りかけたのか、死にゆく者の思惟が表に現れたのか……。

 魔法陣の四散と共に、グニーエの命も散り消えた。

 今際の際になにを思ったのだろう。その死に顔は、背負っていた荷物をすべて降ろした旅人のように、どことなく安らいでいるように見えた。

 その顔にリムは見覚えがあった。幼い頃、一緒に遊んでもらった時の顔だ。なにも知らない無邪気な少女に向けられた柔和な笑顔だ。


「きさまっ! よくもっ! よくもこんなっ!」


 沈みゆく時間を無理やり突き上げる哮りが屋敷中に響き渡った。

 ラウルの取り乱しようは尋常ではなかった。自分が殺すと散々口にしたにも関らず、その表情は悲痛に満ちていた。自分の目的を邪魔された口惜しさとは明らかに違う青白く鈍い怒りが感じられた。

 ラウルは、リムの額にピタリと照準を定めた。

 たった今まで光来を警戒して撃てなかったラウルが、怒りに我を忘れてリムを撃ち殺そうとしている。

 リムはラウルから目を逸らさなかった。それは覚悟を決めた者の目だった。絶対に避けられない状況になっているのに、恐怖も後悔もなかった。

 まるで旅の結末はこうなると分かっていたかのように、奇妙なくらい落ち着いていた。

 今、彼女が考えていることは、自分がやると決めたことをやり遂げたというなんの感情も籠もらない事実だけだった。

 ワタシはやり遂げた。

 命が惜しくないわけではない。諦めたわけではない。

 しかし、結局のところ収まるべきところに収まったのだろう。人を殺した者はいつか誰かに殺されるのが理というのなら、受け入れなければ歪みが生じる……。

 ゆっくりと目を閉じようとしたリムの耳に、もう聞き慣れた声がするりと注ぎ込まれた。


「おい、こっちだ」


 光来がデュシスを構えていた。

 ラウルがグニーエに気を取られていた僅かな隙に、光来は状況打開の行動を取っていた。

 ラウルの目が見開かれた。

 怒りに任せてリムを撃ち殺してやりたかったが、銃口を向けられているのを無視できるほど、ラウルは理性を失っていなかった。

 完全に捉えられた。この距離で避けることなど不可能だ。しかし、あの銃は全弾撃ち尽くしたのではなかったか?

 ラウルの疑問は瞬時に氷解した。

 先ほど、リムがキーラを癒すためにリロードした弾丸。床に落ちいていた一発の弾丸がなくなっていた。

 魔法を書き換えるまでもなく、あの弾丸には既にトートゥが定着していた。


「うおおおっ!」


 ラウルの口から、戦慄の叫びが迸った。時間の感覚がおかしくなったのか、狙われている恐怖がやけに長く持続した。

 腕、腕を動かせ。狙うべきはリムじゃない。キーラだ。初めからこいつを銃口から外してはいけなかったのだ。

 今、キーラに弾丸を命中させたとしても、また書き換えられてしまう。頭の片隅では理解していたものの、ラウルの生命の根幹にある原動力が行動してリムから照準を外してしまった。


「親子揃ってワタシの人生を壊すのかぁっ!」

「死なせない。その人は絶対に死なせない」


 光来が揺るぎない決意と一緒に放った弾丸は、一直線にラウルの額を貫いた。


「ぐおっ!」


 死の魔法トートゥが発現する合図である漆黒の魔法陣が拡がった。


「うおおおお……」


 ラウルの手から銃が落ちた。身体をブルブル震わせ、立っているのがやっとという様子だ。吹き出る汗の量も尋常ではなく、血走った眼は鬼気迫るものを感じさせた。


「認めないっ! こんなっ! 他人に凌辱されるだけの人生なんてっ! なにも達成できないまま死ぬなんてっ! こんな終わり方なんてぇっ!」

「おまえに人生なんかない。復讐に取り憑かれた時点で、おまえは自らの人生を捨てたんだ。復讐者にはふさわしい末路だ」


 光来が放った痛烈な言葉は、リムの胸に突き刺さった。

 彼は飽くまでラウルに言ったのだろうが、内容はそのままリムにも当てはまったし、リムの父親ゼクスが辿った道でもあったからだ。


「ワタシは復讐を遂げなくてはならないっ。そうしなければ両親がっ、魔法に飲まれた人々の魂が浮かばれないっ! おまえがした行為は、何百人もの人たちの命を汚すに等しいっ!」


 魔法陣が砕け散ると同時に、ラウルは腱が切れたようにガクンと倒れ込んだ。


「あ……、あ、ぐ……」


 ラウルは腕を伸ばして掌を拡げた。掴もうとしているのは、彼が描いた復讐劇の結末か。

 光来はラウルの凄まじい怨念に取り込まれないよう、気を張って踏ん張った。


「…………」


 宙を引っ掻く手は、ついに力尽きて床に墜ちた。


「………………」

「リムッ」


 光来はリムに駆け寄って、床についていた彼女の手に自分の手を重ねた。


「ケガは? 立てる?」


 光来の手の温もりを感じながら、リムは答えた。


「大丈夫。ちょっと切っただけ」


 光来はリムのケガの程度を観察したが、本人が言った通り深手ではないらしく、もう出血も止まっていた。

 光来は安堵しつつ、デュシスをリムに差し出した。


「返すよ。リムの銃に助けられたのはこれで二度目だ」

「…………」


 助けられたのはワタシの方だ……。

 頭を過ぎった思いは口にはせず、リムもルシフェルを返し、互いのホルスターに愛銃を収めた。


「キーラ、ワタシ……」


 光来が気を失っている間に聞かされた真実に、リムはどう向き合えばいいのか迷った。

 ラウルの言っていたことが真実なら、おそらく真実なのだろう……。キーラはグニーエの息子タバサ・ハルトで、幼馴染みであると同時に敵の身内でもある。しかも、それに加えて自分の方も、彼の親を屠った復讐の対象者だ。

 親を殺された者同士がこうして向き合っている状況を、どう受け入れればいいのか分からない。リムの思考は迷走した。


「帰ろう」


 キーラの声にリムは顔を上げた。まるで、暗雲の隙間から射し込む日の光に照らされた感じだった。どんな厚い氷をも溶かす、限りなく優しい光だ。


「終わったんだ。一緒に帰ろう」


 光来が手を差し出した。リムはその手を掴んで立ち上がった。どちらからともなく笑みがこぼれた。

 弱々しい笑みだったが、リムにとってはわだかまりが消えゆく清らかな笑みだった。


「……キーラ、ズィービッシュは?」

「シオンはどうしたんだ?」


 二人同時に質問し、二人同時に笑みが消えた。それだけで、互いになにが起きたのかを察した。


「ズィービッシュは俺を庇って……」


 消え入りそうな光来の声に、リムは自分の体重が下降する感覚に襲われた。


「そう……。シオンも恐らく……」


 それだけ言うのが精一杯だった。同時に、シオンの顔が頭を過ぎった。彼女の最期を看取ったわけではないが、あの恐ろしい敵と一人で戦って無事でいられるとは思えなかった。

 ささやかな笑みの後の重たい静寂。

 帳なように降りた沈黙の合間を縫って、背後からかすれた笑いが生じた。


「クッ、ククククッ……」


 その不敵な笑いは、ラウルの歪んだ口から漏れ出ていた。

 すでに命が果てていたと思っていたので、光来は心底慄いた。


「クッ、なにをすべて終わったようなことを言っている。まだだぞ。まだワタシの復讐は完結していない……」


 ラウルは虚ろな眼差しに反して、その口調ははっきりしていた。彼の口から発せられる言葉は明確に耳の奥まで届き、一言一言に残った命を宿しているかのように聞こえた。


「なんのことだ。なにを言っている?」


 光来の詰問に、ラウルはさらに口を歪ませた。


「とぼけるなよ。分かってるんだろう? この魔法だよ。もう暴走を始めている。『黄昏に沈んだ街』の再現だ」


 たしかに、地鳴りも振動も治まる気配がない。それどころか段々と激しさを増している。ラウルの執念を媒介にして力を増大させているのか。


「ワタシの勝ちだっ! この魔法はなにもかも飲み込む。おまえたちは逃げられないっ!」

「このっ……」


 光来が神経を逆撫でする挑発に激昂した時、ラウルが床から突如滲み出た白いモヤに絡め取られた。


「なっ⁉」


 まったく予想外の現象に一番驚いているのは、他ならぬラウルだった。怖気立った表情を浮かべたが、もう身体を動かすことすらできなかった。

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