第1話 ワルキューレ

 ハング・ヴォガードは、これ以上ないくらいに腹筋に力を込めていた。そうしないと、体内に残っている僅かな気力さえ抜け出してしまいそうだった。

 どうやら、ホールを固めていた連中は、全員やられてしまったようだ。

 こんな仕事引き受けるんじゃなかった……。

 猛烈な後悔が、汗とともに滲み出た。賃金がよかったから呼び掛けに応じた用心棒だったが、こんなにも危険な状況になるなどとは考えてもいなかった。

 第一、言われていたのは、キーラ・キッドという賞金首を殺さずにグニーエとタバサの元に連れていくという内容だったはずだ。それなのに、攻め込んできた連中はこの屋敷内にキーラ・キッドが隠れているような言い方をしている。

 なにがどうなっているのか、どっちの言っていることが正しいのか、わけが分からなかった。

 こっちに残っているのは、この居間に集まった十三人だけだ。テーブルや椅子を掻き集めてバリケードにしているが、気休め程度だ。魔法の前では紙で作った盾に等しい。

 ハングが逃げ出さずにこの場に留まっていられるのは、仕事に対する責任と、自分にはこんなことしかできないという諦念と、傍らに置いてある大量の弾丸があればこそだった。

 あらゆるタイプの攻撃型魔法が詰め込まれた弾丸が、これでもかというくらい用意されている。

 これだけの魔法を揃えられるなんて、いったい、タバサ・ハルトとはどんな人物なのだ?

 扉の向こうが騒がしくなった。 

 ハングは身を固くし、思考を停止させた。前方に神経を集中させる。


「…………」


 いる。扉の向こう側に殺気を孕んだ黒い塊の存在を感じる。


「おまえらっ! 構えろっ! 来るぞっ!」


 ハングの掛け声と共に、残っていた用心棒の群れが一斉に銃口を扉に向けた。


「向こうが何人残っていようと、入口はあの扉しかねえ。少しでも開いたら、弾丸のシャワーを浴びせてやれ」


 ハングの指示に返答をする者はいなかった。すでに全員、緊張の面持ちで戦闘態勢に入っている。

 僅かな物音一つ立てることさえ憚られる、張り詰めた空気が充満した。一秒、二秒と無音の時が流れる。その進行はハングの精神を弄ぶように遅かった。


「…………?」


 ハングが来ないのか? と少しだけ緊張を解いた時だった。

 立て続けに銃声が鳴った直後に、壁が轟音を伴って爆破された。


「うおおっ⁉」


 その衝撃は凄まじく、砕けた壁の欠片がハングの所まで弾け飛んできた。横にしていたテーブルの天板を直撃し、ゴッと嫌な音が響いた。即席の盾で防御していなければ、散弾と化した欠片でやられていたかも知れなかった。

 雪崩のような衝撃が止んだ。とっさに身体を丸めてテーブルの陰にすっぽり隠れたハングが、そぉっと様子を伺った。

 ただの偶然だろうが、扉だけを残して、壁一面が消失していた。

 何事もなかったように一枚だけ取り残された扉は、できの悪い冗談にしか見えなかった。だから、ハングは思わず口にしていた。


「……冗談だろ」


 舞い上がっていた土煙が薄れていくにつれ、襲撃者の全容が明らかになっていった。ハングは、悪い冗談にさらに笑えない戯れ言をかまされた気分になり、目を見開いた。

 土煙の向こうから姿を見せたのは、少女だった。一人の少女が銃を片手に仁王立ちしている。

 少女の後ろには、七〜八人の荒ぶった男たちが控えていたが、少女に目を奪われた後では、ただの背景にしか映らなかった。

 ハングは、まだ十代とみられる少女の視線にまともに受けて、射竦められた。しかし、それを恥とは思わなかった。思える余裕がなかった。

 まるで炎を全身にまとっているが如く気迫の前に完全に飲み込まれ、身体は硬直すらしてしまった。

 ……あれが、キーラ・キッド? いや、しかし、キーラは男のはずだ。あの憎悪の化身のような少女はなんなのだ? なにを心に飼えば、あそこまで憤怒の炎を吹き出せるのだ。あれではまるで、異形の鬼ではないか。


「野郎っ!」


 ハングの横にいた男が、テーブルを台座にして銃を構えた。

 その表情には怯えが覗われ、明らかに怖れから逃れたい一心の先走った行動だった。


「待てっ!」


 ハングは制止したが、もう遅かった。

 少女は、躊躇いもせずに一撃を放った。無駄のない綺麗なフォームで、ただ闇雲に銃を吠えさせ、その反動に振り回されている銃使いとは一線を画していた。

 放たれた弾丸は、テーブルの天板でオレンジレッドの魔法陣を描いた。


「おいっ! 嘘だろっ!」


 ハングの悲鳴は、耳を劈く爆音に掻き消された。

 圧倒的な力で宙に投げ出されたハングは、なすがままに任せるしかなかった。乱暴な浮遊感の後に、床に強かに打ちつけられた。


「うう……」


 呻き声を漏らしながら再び目を開いた時には、今さっきまで自分が身を隠していた場所は、悲惨なことになっていた。

 屈強が売りの用心棒たちが、血を流し気を失っている。今の一撃で、四人は使い物にならなくなった。

 ハングにしても、打撲の他にも小さな木片があちこちに刺さり、身体中がズキズキと痛んだ。気を失わなかったのは、運が良かったからに過ぎない。いや、運が悪かったからか。

 痛む頭で必死に思考を回転させた。

 いくら敵対しているからと言っても、なんの躊躇もなく相手に爆撃を加えるなんて、もう少女だなんて言ってられない。あれは、いくつもの修羅場を掻い潜ってきた戦士だ。金で雇われ、銃をちらつかせるだけで相手を黙らせてきた俺たちとは、明らかに格が違う。


「わああああっ!」


 パニックに陥った者たちが、一斉に銃撃を開始した。


「やるかっ!」

「おうっ!」


 呼応するかのように、少女の存在感に隠れ背景と化していた襲撃者の群れは、帆布から躍り出て攻撃態勢に入った。

 賞金首狙いの荒くれ者たちは、飛び交う弾丸をものともせず突っ込んできた。

 ハングの側はテーブルを盾にしている陣形が、守りを固めているのだと思い込む要素となり、誰一人前に出る者はいなかった。

 先ほどまで頼りにしていた弾丸の山は、爆発により床に散乱してしまい、必死に掻き集める仲間たちの姿はひどく滑稽に見えた。

 瞬く間に距離は意味をなくし、互いに至近距離での発砲、ナイフによる応酬、中には己の拳で殴り掛かっている者まで見られ、魔法の有利不利など関係なくなってしまっていた。

 なにもかもが乱れ雑じる中で、ハングは少女から目が離せないでいた。

 まるで、あらかじめ用意されていた振付でも舞うように動きに淀みがない。躊躇いもなく迷いもなく情けもない。目の前に確かにあるのに決して掴めない焔の如く、ただただ激しく揺らめいているだけだ。見ようによっては、ある種異様な色気さえ感じさせる。近づく者を確実に火傷を負わせる危険な艶やかさだ。

 十分も経たずして、勝敗は決した。

 タバサが支給した弾丸の威力が高かったおかげもあり、襲撃者を四人まで減らすことはできたが、ハングの側は彼以外は倒されてしまった。

 あの少女だ。たった一人の存在が、ミリタリーバランスを決めてしまった。

 満身創痍で抵抗する気力も失ったハングは、倒れたまま少女を凝視していた。

 残った四人が、示し合わせたように少女に集まった。少女を取り囲み輪になる。文字通り、彼女が中心というわけだ。

 少女は、さり気なく輪の中心から外れて、四人と向き合った。リーダーらしく激励でもするのか、次の指示でも出すのかと思わせる立ち位置だった。

 しかし、次の瞬間、目を疑うことが起きた。少女は一瞬の動作で弾丸を撃ち出し、四人の男たちを倒してしまったのだ。


「なっ!」


 ハングは、思わず声を出してしまった。しまったと思ったが、もう遅かった。少女は振り返り目ざとくハングを見つけると、ゆっくりと近づいてきた。ハングに懺悔の時間を与えるかのように、ゆっくりとだ。

 目の前まで来ると、銃口をハングの額にピタリと合わせた。

 絶体絶命の危機であるのに、ハングは少女の瞳から目を逸らすことができなかった。まるで物理的な力が作用しているみたいに、吸い寄せられてしまう。


「グニーエはどこ?」


 第一印象は激しい炎だったのに、その喋り方は尖った氷だった。

 ハングは、口中に溜まった唾を飲み込み、喉を上下させた。


「……あれは、あんたの仲間じゃないのか?」

「質問に答えなさい」


 ハングは、もう一度喉を上下させた。


「奥に……、この奥にある広間にいる」


 それだけ聞くと、少女はハングに興味を失ったのか、視線を屋敷の奥に向け歩き出した。

 ハングは、パンパンに空気が詰まったタイヤから空気が漏れるみたく、息を吐いた。重石がどかされたように緊張が解け、まず胸中を満たしたのは助かったという思いだった。


「もう一つ……」


 少女のつぶやきに、拡がる安堵がキュッと縮まった。


「まだ護衛はいるの?」

「い、いいや。玄関前と、この部屋に集まったので全員だったはずだ……」

「絶対に? 嘘はついていない?」

「間違いねえ。残ったのは俺だけだ。なあ? あんた、いったいなにが目的だ? どっちの味方なんだ?」

「正義の味方よ」


 これまでの行動と伴わない予想外の台詞を言ったと同時に、少女はハングに一撃を見舞った。


「あがががっ!」


 強烈な電撃に当てられ、ハングは痙攣しながら気を失った。


「これで状況は整った……」


 屋敷内の護衛と賞金目当ての無法者たちを一掃したリムは、ハングから聞き出した広間を目指して進んだ。

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