第2話 交錯

 光来は五感を研ぎ澄ませながら歩いていた。

 つい今しがた玄関の方で爆発があった。この屋敷が広いのか、構造的な関係なのか、音はくぐもっていたが振動はしっかり伝わってきた。バウンティハンターの中に、強力な魔法を持っている者がいるのかも知れない。ただ、その後は雪の降る夜のように柔らかい空気を取り戻している。

 落ち着かないくらい静まり返った廊下を、足音も立てずに進んだ。一歩一歩に重みがあった。緩慢とも言える動きであったが、足裏で床を掴むような歩き方は、光来の決意を表現しているようでもあった。


「リムッ! シオンッ!」


 二人が囚われているのは確実だった。しかし、どこに監禁されているのかまでは分からなかった。大声を出せば見つかる恐れはあったが、二人を無事に保護することの方が優先とした。

 グニーエの仲間やバウンティハンターに出くわしたら、問答無用で攻撃するだけだ。ルシフェルに込められた弾丸はすべてトートゥに書き換わっているが、今の自分は躊躇することなく撃つだろう。


「リムッ! シオンッ! いるのか⁉」


 先ほどから何度も二人の名を呼号しているのに、その声は虚しく空に吸い込まれるだけだ。

 もしかして、もう二人は……。

 急に沸き立った不安を慌てて振り払った。

 そんなはずはない。あの二人が、リムとシオンが簡単になすがままにされるなんて、あるわけがない。

 ズィービッシュの死を目の当たりにした後でも、最悪の事態を想像することはできなかった。光来の心はそれを拒否した。


「リムッ! シオンッ! どこだ! 返事をしろ!」


 張り巡らせる神経に、声ではなく別のものが触れた。ピンと張られた糸を額で押したような感覚だった。

 初めて経験する感覚だったが、正体はすぐに察しが付いた。これは魔力の波だ。


「……こっちからだ」


 誘導されるように、自然と足が進むべき方向に向かった。何度も廊下を曲がったが、迷ったという不安はまったくなかった。むしろ、だんだんとグニーエの元へ近づいているという確信が強くなっていった。

 一歩進むたびに、食い込むように刺激の度合いが強くなっていく。進めば進むほど圧が強くなり、激しい魔力の奔流が肌を通して感じ取れた。まるで何百、何千本もの針で突かれているような、細かい痛みまで感じる刺激だった。


「リムとシオンは無事なのか? この館のどこかにいるのか?」


 つぶやきと共に、光来は重厚な扉の前で立ち止まった。

 ……ここだ。この扉の向こうにグニーエとタバサがいる。

 確信があった。扉を透視できるかのように分かった。


「………………」


 光来は大仰なドアノブに手を掛けた。氷を掴んだように冷たい。侵入する者を拒むかのように冷やされたドアノブをなかば強引に捻り開いた。


「っ!」


 ぶわっと蒸気を浴びせられたかのような圧力が、光来の全身を通り抜けた。凄まじいまでの魔力のほとばしりだった。


「来たか……」


 強い向かい風のような魔力に踏ん張っていた光来は、その声の主を睨んだ。


「タバサ・ハルト……」


 床からはまばゆいばかりの光が放たれていた。巨大な魔法陣で、ほぼ部屋の床全部を覆っており、さらに拡がり続けている。その中央に、タバサは立っていた。

 光来の目を真っ直ぐ見つめ、不敵な笑みを浮かべている。


「ほう……。なかなかいい目つきをするようになった。この前会った時は落ち着きのない小心者の顔をしていたが」

「……俺の友達が死んだ」

「友達? そういえば、あのチャラいニイちゃんの姿が見えないな。そうか。それは残念だったな。こっちの世界では友人は少ないだろうに」

「俺もキリガを殺してやった」

「……そうか。それで? お互いに一人ずつ殺されたから、これでおあいこなんて言わないよな?」

「………………」


 光来は、視線をタバサの傍らにいる男に移した。

 車椅子に座ってうなだれており、厳しく睨んでいる来訪者を見ようともしない。年齢はもう五十代に入っているか。

 その様子は、くたびれた中年というのとは違う。もっと悲愴感を漂わせており、精も魂も尽き果てた抜け殻といった感じだ。

 意外というには、あまりにも想像とかけ離れていた。違和感を覚えた。かつて魔人と呼ばれたほど巨大な魔力を持った男が、いくらなんでも貧相過ぎる。まるで朽ちるのを待つ枯れた老木ではないか。

 タバサの横にいるからには間違いないはずだ。奴こそがグニーエ・ハルトだ。しかし、確認しないわけにはいかなかった。


「……そいつが、グニーエ・ハルトか?」

「ならば、どうする?」

「質問に答えろ」

「そうだ。すべての発端、元凶と言った方がいいか。十二年前『黄昏に沈んだ街』を引き起こした男だ。しかし、最初に言っておくが、今、魔法を精製しているのはワタシの方だ」


 敢えて敵に情報を与える。その言動に光来は怪しさを感じたが、魔法を繰り出そうとしているのがタバサだということは信じた。魔法の精製には、魔力とイメージが必要だ。生気の欠片すら感じられないグニーエが、これほど強大な魔法を精製できるとは思えなかった。

 光来は、奥歯を噛み締め、唇をきつく結んだ。

 始まりの男。

 終わらせるべき男。

 俺と同じ世界からやって来た男。

 魔人と呼ばれた男。

 リムが敵として追い続けた男。


「…………」


 光来は、全身が熱くなるのを感じると同時に、奇妙な既視感を覚えた。

 この男……、どこかで会ったことがある? いや、そんなはずはない。こんな擦り切れてほつれそうなボロ布のような男、会ったことなどあるはずがない。それなのに、なんなんだ? この胸を締め付けられる切なさは?

 否定しようとしても、脳が勝手に記憶をまさぐっている。なにかを思い出そうと、必死に足掻いている。


「どうした? こんなみすぼらしい男に、なにを動揺している?」


 タバサは明らかに煽っていた。その焚きつけに、光来は心を見透かされたようで落ち着かなくなった。

 タバサは、俺がグニーエを意識したことを見抜き、わざと扇動してきた。つまり、なにかを知っているのか? 知っていてそれを隠しているのか? いや、馬鹿なことを考えるな。奴の術中に陥って不利になる義理などどこにもない。

 光来は自分に鎮まれと言い聞かせた。しかし一方で、違う疑問に心が揺らいだ。

 キリガは、俺が魔法完成の鍵になると言っていた。タバサも俺の魔力に執着していた。本当に、俺なんかに魔法を完成させる力なんてあるのか?


「ずっとお見合いをしているつもりか? 早くワタシに協力してもらおうか。『黄昏に沈んだ街』は発動しつつあるぞ」

「協力はしない」


 光来の反抗的な返事に、タバサはわざとらしくふぅーっと長い息を吐いた。


「これは異世界への扉を開ける魔法だ。上手くいけば、元いた世界に帰れるかも知れんのだぞ」

「……協力はしない」

「選択肢があると思っているのか? ワタシは魔法を精製させる方法は知っているが、安定して定着させる技術は持っていない。『黄昏に沈んだ街』は、強大過ぎてワタシの手に余るのだ。このままだと、確実に暴走するぞ」

「そうなる前におまえを殺す。それから、このバカげた魔法を消滅させる」

「元いた世界に帰りたくはないのか?」

「帰るさ。もっと安全な方法を見つけてな」

「宣戦布告というやつか」

「殺す前に訊きたい。『黄昏に沈んだ街』を発動し成功させたところで、新世界など創造できるはずがない。たかが二つの世界を繋げたところで、誰もが幸福になれる世界になんかなるわけがない。混乱と新たな争いが生じるだけだ」

「…………」

「ズィービッシュは、俺の友達は『黄昏に沈んだ街』を喰い止めるために死んだ。暴走する危険を冒してまで発動する理由は? おまえの真の目的はなんだ?」

「キリガやシデアスのように単純ではないな……。おまえの言う通りだ。新世界の創造など作り話だ。あいつらが勝手に都合のいいように解釈してくれたので、利用しただけだ。差別も争いもない世界なんて、やつらを手駒のように使うためについた方便に過ぎない。グニーエが持っていたむこうの道具が役に立った。あいつらはあっさりと騙されたよ。これは奇跡の力だとな」


 タバサはあっさりと、そして冷たく言い放った。

 光来は、死ぬ間際まで必死に理想の世界の到来を訴えていたキリガの形相を思い出した。その悲痛な叫びを思い出した。

 ズィービッシュを殺した彼を許すことなど絶対にできないが、頭の片隅に憐憫の情が湧いたことは事実だった。


「おまえは、自分が何者か考えたことがあるか?」 

「なんだと?」


 いきなりの質問に、光来は戸惑った。


「おまえは幼い頃の記憶を持っているか? 最初の記憶はなんだ? どこまで遡れる? なぜおまえだけがこの世界に飛ばされたのか考えたか? この世界にやってきてから、何度も奇妙な感覚に襲われたのではないか?」


 まるで誘導するようなタバサの矢継ぎ早な問い掛けに、光来は動揺した。早く決着を付けなければならないのに、預言者から自分の今後の運命を告げられているかのように聞き入ってしまった。

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