第12話 天使の群れが汝に歌う
ラウルは、グニーエの発言を額面通りに受け取ることに抵抗を覚えた。一緒に暮らし始めて何年も経っているし、悪夢が言わせた寝言だったことも充分考えられる。
なにより、彼は自分にとっては命の恩人と言ってもいい人物であり、今では父親同然の存在だった。
それでも、あの衝撃的な言葉は頭にこびりつき胸にしこりを作った。
なんとしてでも真実を確かめたい……。
悶々とした日々を続けているうちに、グニーエの様子がだんだんおかしくなっていった。
いきなり脈絡がないことを言いだすかと思えば、何日も喋らない日が続く。行動にしても、以前に処理した仕事を再び始めたり、一度も赴いたことのない場所に行き、道が変わっていると憤慨した。
最初は前の晩に飲んだ酒が残っている影響かと思った。それに、本人は秘密にしているつもりだったのだろうが、グニーエはラウルに隠れて正体の分からない魔法の研究を行っている。そのことも関わっているのではないかと勘繰ったが、日が経つにつれてグニーエの言動は常軌を逸していく一方だった。
そして、ついにはラウルのことを別人の名で呼び始めた。
「ツバサ。無事だったのか」
「ツバサ。今までどこに行っていたのだ」
「ツバサ。ワタシはもう諦めた。一生をこの世界で過ごそうと思う。ワタシのいた世界は、もう遥か彼方の向こうだ」
ツ…? ツァバ? タバサ? タバサって誰だ? ワタシのいた世界とはなんのことだ?
すでに認知症のような状態になっていたグニーエを問い詰めたり、彼が魔法の発掘に訪れた場所をなぞり独自の調査を行い、ラウルは『黄昏に沈んだ街』の真相と、グニーエの身になにが起きているのかを突き止めた。そして、タバサとはグニーエの一人息子で、魔法に巻き込まれて行方不明になっていることを知った。
胸の内に暴風雨が吹き荒れた。
命の恩人と慕っていた人物が、自分の家族を奪った張本人だったのだ。
獰猛な殺意が身体中を駆け巡った。ここまで人を憎んだことはかつて一度もなかった。いっそ一思いに殺してやろうと考えたが、記憶が曖昧になり呆けたようになったグニーエを亡き者にしたところで、この憎しみが鎮静するとは思えなかった。
こいつには、ワタシと同じ苦しみを与えなければならない。
考えた末に行きついた答えが、一人息子のタバサ・ハルトである。
グニーエは魔法の作用により違う場所に飛ばされたという。ならば、行方不明になっているタバサもどこかで生きていることは充分考えられる。
タバサを探し出し、グニーエの目の前で惨殺してやる。息子の死を目の前に晒され懺悔の叫びを上げさせてから、こいつも殺してやる。
ラウルは復讐を誓った。
語り終えると、ラウルは納得したかとでも言いたげにリムを見下ろした。
「最初は感謝したさ。見ず知らずのワタシの面倒をみてくれた奇特な大人だと。しかし、こいつは親切心からではなく罪の知識からワタシを育てたのだ。こいつにとってワタシは免罪符代わりだったのさ。分かるか? 両親を殺した奴を知らなかったにせよ父と呼んで、あまつさえ感謝までしていたワタシの屈辱が」
「……グニーエは、あなたの育ての親……」
リムのつぶやきに、ラウルは歯を剥き出しにした。
「産みのだろうが育てのだろうが、こいつを親だなどと言うなっ! ヘドが出るほどおぞましいっ!」
ラウルの叫びは、ぶ厚い向かい風を真正面で受けた感覚だった。
「はじめは戸惑ったがね、受け入れたよ。なにしろ命の恩人なのだからな。こいつの子供として生きようとすら思った。実の親子のように助け合って生きていこうとな。しかし、まともだったのは数年のうちだけだった。日に日に正気を失っていき、言動がおかしくなっていった。ワタシは困惑したが、原因も元に戻す方法も分からないまま年月だけが流れていった」
話しているうちに湧き上がってくるものがあるのか、一度大きく天に向かって息を吐いた。
ラウルは倒れているグニーエに蹴りを見舞った。
蛙のようなひしゃげた声を出して、グニーエは身体を丸めた。
「ある日を境にワタシをタバサと呼ぶようになった。我が子と拾った子供の区別すらつかなくなったんだ」
「…………」
「そして、ワタシは知ってしまった。こいつが、こいつこそが『黄昏に沈んだ街』を引き起こした犯人だと。ワタシの両親を殺した張本人だとっ」
ラウルは、もう一度大きく呼吸をした。そうすれば、体内に蓄積された憎悪が希釈されるとでもいうふうに。
「……その時だ。ワタシがこいつを殺そうと決めたのは。ワタシと同じ目に遭わせてやると誓った。こいつの息子であるタバサを目の前で殺して、その後にこいつも殺してやると」
ラウルの憎悪は、リムには痛いほどに理解できた。今日までに自分が胸に抱えていたものとまったく同じ感情だったから。
グニーエに復讐を果たしたいというのなら、もしかしたら協力すらできたかも知れない。しかし、すでにそれはできない状況になっている。
こいつは、ワタシの相棒であるキーラを殺した。
「……なぜ」
「ん?」
「なぜ、キーラを巻き込んだの? 『黄昏に沈んだ街』を安定して発動させるために彼の魔力が必要だったのなら、他にやりようはあったはずだわ」
ラウルは嘲って口角を歪ませた。
「おまえはなにを聞いていたのだ? ワタシはグニーエと息子のタバサに復讐すると言ったのだぞ」
ラウルのもって回った言い方に、リムの心に暗幕が降りた。
これから恐ろしい事実を聞かされる予感が聴覚を遮断させたがっていたが、一方で真実を知りたい、知らなければならないという渇望もあった。
まるで、三日間砂漠を彷徨い歩き一歩も動けなくなったところに、毒を含んだ水を差し出された心境だった。
「あの惨劇の小屋から、グニーエ親子は忽然と姿を消した。その謎がずっと引っ掛かっていたんだろう? 教えてやる。あの時、ゼクテから逃れようと発動させた魔法は成功していたのだ。ただし半分だけな」
ラウルの言葉は精神に染み込む毒水だった。彼が次に口にする内容が簡単に予想できた。おそらく、知らなかった方がよかったであろう真実が。
「グニーエはいずこかへ飛ばされただけだったが、タバサは異世界へと行けた。タバサだけが魔法の恩恵を受けたのだ」
一滴、また一滴と滴り落ちる猛毒。リムの精神は、ラウルから吐き出される毒水に浸され完全に染まってしまった。
異世界……。そこからやってきたという少年。
とてつもない魔力を持った少年。
存在自体が、どこか曖昧で不思議な印象を与えた少年。
キーラ・キッド。
「そうだっ。キーラこそがグニーエの息子タバサだ。こいつは、ワタシが繰り返し行なった実験の影響を受け、異世界から再びこの世界にやってきた。いや、帰ってきたと言うべきか」
「……嘘だ」
ラウルの言ったことは、彼が最初に宣言した通り、塵一つほどの嘘も混じっていないのだろう。それはもう分かっていた。心の中でわだかまっていた疑念や疑問が氷解した実感がある。
しかし、それを必死に拒否したがっているもう一人の自分が否定の言葉を口にしていた。
「キーラがグニーエの息子だなんて、嘘をつくなっ」
「なにを拒否している? 子供の頃、何度も一緒に遊んだ仲なんだろう。幼馴染みとの再会だぞ」
「う、うう……」
「グニーエの意識を取り戻すのが主な目的だったが、これだけ規格外の魔法だ。発動させれば、飛ばされたタバサにも必ず影響があると思っていた。だが、まさか異世界に飛ばされていたなんて想像もしていなかった。そして帰ってきてくれたのは望外の結果だ」
「そんなことって……」
「指名手配の張り紙を見つけた時には快哉を叫んだよ。なにしろ、グニーエから聞き出していた特徴をよおく捉えていたからなぁ」
ラウルの手の上で転がされていた屈辱に、歯ぎしりをした。
完全に勝ち誇っているラウルに、なんとか一矢報いようと視線をさまよわせた。そして、リムが目を止めたのは、ラウルの背後だった。目が止まったというよりも、身体全体が固まった。
ラウルはグニーエに目を向けた。
「目の前でタバサを殺してやった。次はこいつだ。おまえさえよければ弾丸の一発くらい撃ち込ませてやるぞ。もちろん、ワタシが殺した後でな」
まだ勝利の余韻に浸っている口調で、ラウルは喋り続けた。念願を成就した興奮が彼を饒舌にしていた。
しかし、リムにはラウルの軽口など聞こえていなかった。彼の背後に目が奪われていた。
「ワタシがグニーエを殺すところを、そこで見ていろっ」
ラウルはグニーエに銃口を突きつけた。
「これでワタシの復讐は完成だっ! やっと自分の人生の出発点に立てるっ」
ラウルは引鉄を引いた。
銃声が轟いた。
魔法陣が生じた。
撃ち込まれた者の生命を遮断する死の魔法トートゥの魔法陣だ。
だが、放たれた弾丸はグニーエを仕留められなかった。後ろから手首を掴まれ捻り上げられたために、あさっての方向に飛んでいった。
「なにっ?」
ラウルは一瞬、なにが起きたのか分からなかった。今、この室内でまともに動けるのは自分とリムだけだ。そのリムは目の前にいる。幽霊にでも遭遇したように目を見開いている。
なにに驚いている?
ラウルはばっと振り返ったが、羽交い締めにされているので、相手は確認でかなかった。しかし、自分とリムとグニーエ。あとは一人しかいない。
「ううっ、こいつ、まさか?」
ラウルにしがみついていたのは光来だった。トートゥを受けて死んだはずの光来が立ってラウルの動きを封じている。
「死に損ないがっ!」
ラウルは強引に身体を引き剥がし、振り向きざまに銃撃した。グニーエを殺すためのトートゥを放った。
「がぶっ」
「キーラッ」
リムが叫んだ。今度の弾丸は光来の喉を捉えた。衝撃で光来の身体が後方へ吹っ飛んだ。
命中したのに、ラウルの不安は増長する一方だった。
「こいつ、トートゥを喰らったのになぜ立ち上がれたんだ?」
当然の疑問を口に出した。
トートゥは死を司る魔法だ。撃ち込まれて生き延びる者などいてはならない。
しかし、そんな観念を覆す光景が飛び込んできた。
「なんだと?」
光来がゆっくりと起き上がった。上半身だけを起こし、ラウルを見ている。目が見開かれているので、ラウルは睨まれているというより、覗き込まれている感覚に襲われた。
まるで墓場から這い出した死人だ。
銃を突きつけているにも関わらず、恐怖に襲われたのはラウルの方だった。
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