第25話 それから -ナタニア・カロン-
時は常に流れるが運命で、留まることを知らない。エグズバウトが危機を回避し、光来がいなくなっても、その絶対的な真理に変わりはない。
冬の訪れが音を潜ませ、春の息吹が月を滲ませ、夏には生命が謳歌し、再び巡った秋はすべてを黄金に染める。
作業場には木槌の乾いた音と彫刻刀の軽やかな音がハーモニーを奏でられていた。双方リズムカルに室内を満たす音は心地好く、自然と進行も滑らかになる。
「師匠。ちょっと見てほしいんですけど」
師匠と呼ばれたのは、まだ妙齢の麗しい女性だ。
彼女は、彫刻刀を置き立ち上がった。
「師匠はやめてって言ってるでしょ。なんだか一気に歳を取ったみたい」
「でも、師匠は師匠ですから」
軽いため息をつきながらも微笑み、ナタニア・カロンは自分を師匠と呼ぶ若者シャルビィ・バトーに近づいた。
「どれどれ……」
ぐっと顔を近づけ、彫られている途中の作品に目を凝らした。
「…………………」
シャルビィは固唾を呑んで、そんなナタニアを見つめた。
作品を見る彼女の眼差しは真剣そのもので、自分自身が観察されているように緊張してしまい、どうにも居心地が悪くなる。
「ここ……」
「はいっ」
「ここのラインが硬いわね。彫刻刀はもっと繊細に扱って。作品には必ず製作者の心が反映されるの。見る人は無意識にそれを感じ取るのよ」
「はい……」
「一見、同じような作品でも、内側から滲み出る想いが伝わり、一目で気に入られたり逆にそっぽ向かれたりする。彫刻は手先ではなくここで彫るものなの」
ナタニアは自分の胸に手を当てた。
「想い、ですか……」
「でも、全体のバランスは崩れてない。このままでいいわ」
「はいっ」
ナタニアは、作品に対しては決して妥協しない。直すべき点は必ず指摘する。しかし、最後には良い点も汲み取って評価してくれる。
そんなところに、彼女の奥行きの深さが垣間見える。
シャルビィへのアドバイスを終えると、ナタニアは自分の作業に戻り、すぐに没頭した。
リムとシオンが沈痛な面持ちでクエリの首飾りを差し出した時には、容易には信じられなかった。重たい過去を背負っている反動か、ズィービッシュには何事にも茶化した態度を取る癖があった。自分の驚いた顔をたっぷり見てから「びっくりしたか? そんなわけないだろ」と彼女たちの後ろから出てくるのではないかと疑った。
しかし、ズィービッシュの死は紛れもない事実だった。互いに支え合って生きてきた兄の訃報に、目の前が真っ暗になった。
もっと強引に引き止めておけばよかったと後悔し、それでも彼は振り切って行っただろうと受け入れ、しばらくは泣いて過ごした。
リムとシオンは、落ち着きを取り戻すまで滞在してくれた。彼女たちなりに責任を感じていたのだろう。
なにも手がつかない時間は七日続いた。悲しみから完全に立ち直ったわけではないが、いつまでも傷心を引きずってはいられない。
「明日から仕事を再開しようと思うの……」
そう告げると、二人とも不器用に応援してくれた。
「ワタシはあなたの作品好きよ。なんかこう、生命力に溢れてるって言うか……」
「気持ちが籠もってるから、それが伝わるのよ……。ワタシも感じる」
本心かどうかは分からないが、少なくともお世辞を言うような性格ではない彼女たちの精一杯の誉め言葉だった。
彼女たちも自分の生活に戻ると告げ、その翌日にはここを去った。
二人の去り際になって、ようやくナタニアはもう一人の仲間のことを訊く余裕ができた。
「キーラは? 彼はどうしたの?」
「どうしても、自分の故郷に帰らなくちゃならなかったの。クエリは彼から託されたのよ」
そう答えたリムは、微笑んでいたがとても寂しそうだった。
一年前の出来事だ。
シャルビィは、木槌と手ノミで器用に石材を彫っていった。
彼は九ヶ月ほど前からこのアトリエで働いている。注文の受付と配達業務をする者を募集する張り紙が偶々目に留まったのがきっかけだった。
仕事の内容はどうでもよかった。日銭を稼いで晩飯と酒にほとんどをつぎ込む。そんな生活を続けていた彼にとっては、楽そうだったからここで働いてもいいかなと思っただけだ。
決めたら行動は早い。彼はその張り紙を乱暴に剥がし、アトリエに飛び込んだ。
シャルビィの勢いは、一歩目で削がれた。彫像と向き合い、睨むように凝視しているナタニアが目に飛び込んだ瞬間、シャルビィ自身が動かぬ彫像となった。
「……あ」
ナタニアが入口で固まっているシャルビィに気づいた。
「ごめんなさい。気がつかなくて……。なにかご用ですか?」
「あ……いえ」
シャルビィは、初めておつかいに来た子供のようにおどおどとしてしまい、上手く言葉を繰り出せなかった。
「あら?」
ナタニアが、シャルビィが握っていた求人の張り紙に視線を移した。
「……もしかして、仕事を探して来られたんですか?」
ナタニアの微笑みは、天使の翼のように美しかった。
「ええ、まあ……」
シャルビィはしどろもどろになって曖昧な返事しかできなかったが、ここで働く意思はもう決まっていた。
最初は求人で示していた通り、客の相手や荷物の運搬のみだったが、やがて製作にも関わるようになった。ナタニアに気に入られようとか邪な動機ではなく、純粋に芸術というものに魅入られたからだ。自分の魂を削って籠めるナタニアの作品に、染められてしまったと言ってもいい。適当に生きてきた自分にも、人生を捧げるなにかが欲しいと初めて思ったのだ。
シャルビィの手は完全に止まっていた。胸像越しにナタニアを見つめる。
彼女の強い意思を放つ瞳の中に、どこか憂いを帯びた湿りを見つけることがある。本人も気づいていないと思われるような刹那のことだ。これまで、シャルビィは何度かその瞬間を目撃している。気になるし悩みがあるなら力になりたいと思っているが、彼女の奥深く、触れてはいけない部分に関係しているような気がして、理由を訊くには至っていない。
ナタニアがシャルビィの視線に気づいた。
「どうしたの?」
「……明日、一緒に夕食なんかどうですか?」
とっさに口から飛び出した食事の誘い。まったく考えていなかった言葉がいきなり出て、驚いているのはシャルビィ本人だった。
「なに? なにか食べたい賄いがあるの?」
「いや……そうじゃなくて外に……」
「なにか特別な日だったかしら?」
「この前、たまたま美味い店を見つけて……。師匠にも味わってもらいたいなって思って……」
ナタニアは、しばし思案した。
「そうね。たまにはいいかも。料理も創作するものだから、刺激されるものがあるかも知れないし」
微笑むナタニアに、シャルビィは自分のために着飾ったりはしないんだろうなと苦笑しながらも、いつかは隠し事なんかしない、なんでも話し合える関係になれればいいなと思った。
今はただ、彼女と一緒に過ごす時間がたまらなく愛おしい。
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