第26話 それから -シオン・レイアー-
秋が深まる。細い枝が一生懸命繋いでいた最後の一葉もとうとう離れてしまう。そんな時期だ。
落ち葉が舞い散る森の中。感受性の強い人なら、あまりの美しさに切なげにため息をついてしまうだろう。額縁に閉じこめておきたいほど優しい景色だ。
そんな夢のような空間にそぐわない銃声が響く。否が応でも緊張感が高まる爆音のせいで、森を遊び場にしているウサギやリスの姿はまったく見られなかった。
高速で吐き出された弾丸は、奇跡的な正確さで次々と葉に穴を開けていった。空中にいくつものスカイブルーの魔法陣が発生し、突風が巻き上がった。激しいうねりに強引にかき混ぜられ、一度は大地に落ち着いた葉が再び空に向かって上昇する。舞台を彩る紙吹雪の如く散る葉は、自然の大人びた美しさとは一線を画していたが、それはそれで味わい深い眺めだった。
森の動物たちを怯えさせているのは、銃など似合いそうにない可憐な少女だった。とても整った顔立ちと考えを悟らせない冷たい眼差しのせいで人形のように見える。しかし、不用意に軽薄な態度で近づかない方がいい。撃ち合いをして彼女に勝てる者など、この界隈には存在しないほどの凄腕なのだから。
シオン・レイアーは全弾を撃ち尽くすと、つまらなそうにため息をついた。
ここはレイアー家の裏手にあるちょっとした空き地である。人が立ち入らないので、シオンは自宅の庭のように使っている。製造あるいは調整した銃の試し撃ちをするのに丁度よいので重宝しており、光来もこの場所で魔法の特訓を行った。
「今度のはどうだ?」
声を掛けながら近づいてくるのは、大柄で屈強な体躯の老人だった。
シオンの祖父ワイズだ。作業の途中で様子を見に来たらしく、袖をまくった逞しい腕には油が付いている。
「……まだ甘いわね」
シオンは、弾丸を吐き出したばかりの銃を見つめながらつぶやいた。
「どれ……」
シオンから銃を受け取り、しげしげと見つめた。弾倉を開いたり引鉄を引いたりして、細かにチェックしていく。
ワイズはかつて名を馳せたガンスミスだ。腕前が落ちたわけではないが、昔のように売り込むような商売はしておらず、ひっそりと暮らしていけるだけ稼げればよしの業態で続けている。彼が引退したと思っている者も多いのではないだろうか。
そんな彼の目から見ても、シオンが組み立てた銃に目立った欠点はなかった。
「……そんなに悪くねえと思うがな」
「うん……でも」
「納得いかないってか?」
「ワタシはルシフェルを超える銃を作りたいの」
「ありゃあ、ワシが心血を注いで完成させた銃だ。そんな簡単に超えられたら、ワシの腕がナマクラってことになっちまう」
ワイズの冗談めかした言い方に、シオンは口角を上げた。
「ちょっと冷えるな。中に入るか」
「ええ。コーヒー淹れるわ」
絶え間なく舞い落ちる黄金色の葉を眺めて、ワイズは今年の冬も寒くなりそうだと思った。
一年前、リムと共に旅から帰ってきたシオンは、すべて片付いたと言った。
『黄昏に沈んだ街』の元凶だったグニーエ・ハルトは、もうこの世にはいないと話し始め、事の経緯を語った。
その間、ずっと暗い表情だった。彼女は理由を言わなかったが、旅の途中で知り合った仲間の死と、キーラとの別れが大きく影響していたせいだろう。
旅から帰ってきてから、シオンは変わった。
同世代の女の子みたくコロコロ笑ったりはしゃいだりはしないが、以前に比べれば遥かにまろやかになった。人間味が増し、相手の気持ちを汲み取るようになった。ただ、それでも充分というわけではない。身内だからこそ分かる気持ちの機微というものがある。
まるでレストランの予約席のように、他の者が決して座ることのない空席があり、予約した者が現れるのをずっと待っている。そんな寂しさが拭えないでいる気がしてならないのだ。
リムが暇を告げた翌日、シオンはガンスミスになるべくワイズに弟子入りした。
幼い頃からワイズの仕事を見てきたし、銃の扱いには慣れている。真綿に水が染み込むように、シオンの技術は日に日に上達していった。
孫が自分の培った知識や技術を引き継いでくれる。ワイズにとってはこれ以上ない喜びだったが、一つ気になることもあった。一心不乱に作業に没頭する様は、必死になにかを振り切ろうとしているようにも映った。
一度だけ、水を差し向けたことがあった。
「久し振りにキーラに会いに行ったらどうだ?」
「ううん。彼の故郷は遠いから」
「遠いったって一ヶ月も二ヶ月も掛かる距離じゃあるまいよ」
「いいの。それより、早くこの銃を調整しなくちゃ」
そんなシオンの姿は、ワイズの心をチリチリ焦がした。彼はシオンがキーラに対して恋愛に近い感情を抱いていたのではないかと考えたが、本人には訊かないでおいた。訊いたところで素直に話す娘ではないし、誰にも触れられたくないデリケートな部分だろうからだ。
シオンの差し出したコーヒーの香りが、ワイズの憂鬱を打ち切った。
「おじいちゃん。コーヒー」
「……ああ」
コーヒーを受け取りながら、ワイズは過剰に心配するのはやめようと思った。
時間はすべての角を削り取る優しい流れだし、彼女の人生はこれからだ。やがて微笑みながら話せる日も来るだろう。
「リムは今頃どうしているかのぅ」
熱い一口を啜りながら、シオンの数少ない友人の名を口にした。
「相変わらず忙しいみたい。けっこう依頼があるって言ってたし」
「そのうち、ひょっこり顔を出すじゃろう」
「そうね。あの娘、銃の扱いが乱暴だから」
「メンテナンスと称して、おまえに会いに来てるんじゃよ」
「どうかしら……」
シオンも淹れ立てのコーヒーを一口飲み、窓の外に目をやった。
ここは静かで、作業に集中するにも一休みするにもうってつけの場所だ。不便な点といえば、買い物をする際に時間が掛かるということくらいか。
しばらくコーヒーブレイクを楽しんで、シオンはワイズに告げた。
「今から街に行ってくるから」
「街に? 買い物でもしてくるのか?」
ワイズの勘違いに、シオンは苦笑した。
「もう……やっぱり忘れてる。アルさんが銃を見てくれって言ってたでしょ」
「おっ、おお、そうか。あのジジイそんなこと言っとったな」
ワイズは自分の年齢を棚に上げて悪態をついた。もちろん本心からではない。ワイズとアルは、たまにではあるが酒を飲み交わす仲だ。
「道楽で集めとるだけだから、どうせ直したって眺めて楽しむだけだ。適当にいじって返してやれ」
「そんなわけにもいかないでしょ。信用というのはコツコツ積み上げるものよ」
シオンは必要な道具を揃えて一端のことを口にした。今度はワイズが苦笑する。
「じゃあ行ってくるね。帰ったら薪割りも手伝うから」
「そんなの気にするこたない。たまにはゆっくり街中を見てくりゃいい」
ぶっきらぼうだが、孫を気遣うワイズの温かい勧めだった。
「気が向いたら、そうさせてもらう」
荷物を足元に置くと、空になった二つのカップを片付けようとしたので、ワイズは手で制して「早く行ってこい」と促した。
シオンを迎えるように枝葉が奏でられ、木枯らしを捉まえ傍らでくるくる回る枯れ葉が彼女と遊びたがっている。素朴な細道を歩き街に向かう。もう冬の到来を予感させる風が首筋を撫でて通り過ぎる。
黄金の並木を過ぎると、もう街の屋根が見下ろせる。ここからでも、今日も活気に満ちているのが分かる。以前ほど人混みが苦手ではなくなった。
この道を歩くと、無意識に足が遅くなる場所がある。背後からキーラに話し掛けられた場所だ。申し訳なさそうに道を尋ねた彼の声は、まだ耳に浸み込んでいる。
優しく降り注ぐ陽光は今の穏やかな毎日を象徴しているようだが、地面に落ち風にも乗れずに行き場をなくした枯れ葉は……。
収穫祭は終わったが、まだラルゴは観光客で賑わっている。ワイズの言う通り、そろそろリムも顔を出すだろう。なにかと理由をつけているが定期的に訪問してくる。社交性の乏しい自分に気を使ってくれているのか、ひょっとしたら、彼女自身の寂しさを紛らわしているのかも知れない。久しぶりにナタニアにも会いたい。声を掛ければ来てくれるだろうか。
ワイズはゆっくりしてこいと言った。
シオンは仕事が済んだら街を散策し、便箋を買って帰ろうと決めた。
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