エピローグ
風をも追い越し疾走する馬上で、リムの視界は激しく揺れた。
「待ちやがれっ! 泥棒がっ!」
後ろから追い掛けてくる集団の罵声に、リムのこめかみがピクリと動いた。
「盗人猛々しいわね」
彼女は、馬主から盗まれた馬を取り戻してくるよう依頼を受けていた。
無傷で取り戻すべく隠密に動いていたのだが、最後の段階でしくじり発見されてしまった。その場で叩き伏せてもよかったのだが、流れ弾で馬を傷つけるわけにはいかない。馬の万全な奪還を最優先させて、素早く乗馬し逃走したのだ。
このまま逃げ切れれば穏便に済ませられたものの、連中は追い掛けてきた。追ってきたなら、相手にしなくてはならない。
「止まれっ! ひっぺがして犯してやっからよぉっ!」
盗賊団からすれば、鼠をいたぶる猫の心境だったのだろう。どこか嬉々として追い掛けてくる。だが、相手がこれ以上ないほど悪かった。追い掛けているのは鼠どころではない。彼女自身が獰猛な獣で、狩る側の位置に立つ者だった。
そして、女を見下す発言は彼女の逆鱗に触れた。
「盗みを繰り返し、品性の欠片もない台詞を吐く。どんなにひどい目にあっても仕方のない連中ね」
ホルスターから愛銃デュシスを抜き、上半身を捻って狙いを定めた。銃口の先は、たった今下品な挑発をした貧相な男だ。
指先に神経を集中させ、引金に少しだけ力を加える。バチィッと青い光の筋が走り、弾丸に込められ眠っている魔法が目覚めようとしている。
「しゅっ!」
引金を絞ると、イージアンブルーの魔法陣が拡がり弾丸が発射された。解き放たれた弾丸は見事に男の額に命中し、発射時と同じ色の魔法陣が発生した。
「うがっ⁉」
魔法陣が砕けると同時に凄まじい電流の迸りが駆け巡り、瞬時に男の身体を焦がした。男が乗っていた馬もとばっちりで電撃を受け、訴えるようないななきを上げ卒倒した。当然、男の身体は投げ出されたが、すでに気を失っているので受け身も取れないまま、激しく地面に叩きつけられた。
「魔法だっ! あの女、魔法を使うぞっ?」
「くそっ!? 散れっ! 散れぇっ!」
盗賊団は追っていた少女が只の盗人ではないと分かり、追走から一転して追撃に切り替えた。銃を抜いて構える者もいた。むこうにも魔法を使う者がいるようだ。
二発、三発と銃声が響き渡るが、リムはまったく被弾しなかった。数メートル離れれば弾丸を当てるのは非常に難しくなるし、ましてや馬に揺られながらの銃撃は途轍もなく高度な腕を要求される。リムが一撃で男を仕留められたのは、卓越した技術があったればこそだ。
「生意気に撃ち返してきてっ」
リムは再びデュシスに牙を剥かせた。
「しゅあっ!」
銃声が上がる度に、一人また一人と落馬していく。
「ダメだっ! 腕が違い過ぎるっ。退けっ! 退けぇっ!」
ようやく分が悪いと悟った、盗賊団のリーダーらしき男が叫んだ。しかし、逃げる機などとっくに逸していた。
リムは躊躇なく連射し、瞬く間に盗賊団を蹴散らした。
「これに懲りたら、まじめに働きなさい」
言っても無駄な捨て台詞を吐き、リムは広い草原を駆け抜けた。
リムはシオンの誘いを辞退して、今は『解決屋』を生業にしていた。
シオンの提案には魅力を感じたのも事実だが、自分でなにかを見つけたいと考えたからだ。
男装もバウンティハンターも、一年前のあの日を境にしなくなった。きな臭い世界から足を洗おうと思ったのは、間違いなく光来の存在が影響してのことだった。
最初はアジョップとゼントンの元で手伝いをしていた。なんでも屋を商売にしていた彼らからは生きるためのノウハウを授かり、リムにとっては大いに勉強になった期間だった。
二人ともリムのことが気に入ったらしく、何度か誘いの声を掛けられた。
「このまま俺たちと仕事を続けないか?」
仕事は性に合っていたが、ずっとエグズバウトで生活していくのは、なにかしっくりと来なかった。
「ごめん。もっといろんな場所を見て回りたいの」
もしかしたら、ずっと旅から旅の生活を送っていたので、一所に落ち着くのが怖かったのかも知れない。
二人は残念がったが、引き止めはしなかった。「困ったことがあったら、いつでも頼って来い」と、笑って送り出してくれた。
その後は、街を転々としてはトラブルの匂いを嗅ぎつけ、上手く治めることで収入を得ていた。なにしろ、銃の腕前と魔法がものを言う世界だ。さらに彼女の手腕が加わり、仕事には事欠かなかった。
次第にリムの噂が上るようになり、彼女の方から首を突っ込まなくても仕事が舞い込むことも少なくなくなった。今回の依頼にしても、リムの噂を聞きつけた馬主がわざわざ頼んできたものだった。
仕事の内容は様々で、便宜上、似たような生き方をしている者と一緒に仕事をすることもあった。リムの度胸と手腕は共に行動をした者を魅了し、仕事が終わると例外なく「俺とコンビを組まないか」と誘われた。
その都度、リムはすげなく断った。
「悪いわね。相棒はもういるの」
盗賊団を撃破したリムは、黄金色に化粧した一本の木を見つけた。広い草原の中で一本だけ雄々しく立っている木は凛としており、なんとなしに誘われるものがあった。
「ちょっと休んでいこうか」
予定外に全力疾走させた馬を休ませてやりたかったし、はらはらと舞い散る葉は、彼女の好きな眺めだ。
馬から降り、手綱を引いて木の下まで誘導した。馬はおとなしく従いリムについてくる。たてがみに沿ってゆっくり撫でてやった。リムを見つめる瞳は一点の曇りもなく、限りなく優しい。
無傷で取り戻すという馬主との約束は果たした。馬主はひどく愛着があるらしく、提示された額は結構なものだった。報酬が楽しみだ。
根本に腰掛け、しばらく舞い落ちる葉に見とれた。ひらひらとあてもなく落ちるのを楽しむように、枝から開放された葉の群れは留まらない。このまま夢の中に溶け込んでもおかしくない風景だ。
仕事は忙しいし、旅は楽しい。充実した生活だ。それでも、ふとした瞬間に言いようのない一抹の寂しさが過り、胸が切なくなる。
不満はない。不満はないが……これが自分の望んでいた人生なのだろうか?
リムはポケットからスマートフォンを取り出した。タップを繰り返し記録された画像を呼び出す。もう何回も行った操作なので慣れたものだ。目当ての画像をスクリーンに表示させ、じっと眺める。光来が帰る直前に撮影した画像だ。この一年で何度見たか数え切れない。見る度に、もっと微笑んだ瞬間を撮ってくれればよかったのにと思う。
あの数奇な運命を辿った幼馴染みは、こことは違った世界で元気にやっているのだろうか。時々はワタシのことを思い出してくれているだろうか。最後まで自分との関係を話せずに別れてしまったことが、小さな棘のように心に刺さっている。
考えても詮無いことだ。リムは苦い思いを軽いため息に織り交ぜた。
「変わったマジックアイテムだね」
突如後ろから声がして、リムは我に返った。慌ててスマートフォンをポケットにしまう。これは異世界の道具で、無闇に人に見られていいものではない。回想に浸っていたとはいえ、こんなに接近されても気づかないなんて。
リムは自分の迂闊さに舌打ちをしたくなった。
「べつに、なんてことないもんよ。人が興味を持つほどのもんじゃあ……」
リムはさり気なくデュシスに手を掛けた。今さら見られたものを忘れさせることなどできないが、自分がどこの誰かさえ分からなければ隠しようはある。
「デュシスは抜かないでくれよ。いきなり撃たれるなんてごめんだから」
背後の人物の一言で、リムの動きが止まった。
「………………」
この銃の名称を口にした。そんなはずはない。デュシスという名を知っているのは、リム本人とワイズとシオン。それ以外にはもう一人しかいない。
信じられない思いで振り返る。そこに立っていたのは……。
「凄腕の解決屋がいる噂を聞きつけてね。しかもそれが女の子っていうから、ピンときたんだ」
忘れようもない黒い瞳と髪。ホルスターには、彼が最高傑作と称した銃ルシフェルが収まっている。
リムはなにも言えなかった。ただ呆けたように口を開けたままだ。
「噂を辿っても君は街から街に移動しっぱなしだし、見つけるのに苦労したよ」
「あ……あ……」
一年前に比べて少し逞しくなったが、笑顔は相変わらず優しげだった。なにがあったのか、目尻から頬にかけて刃物で切ったと思われる傷跡ができている。
喉から酸っぱいものが込み上げ、なかなか言葉が発せない。やっとのことで口から出た言葉は、至極当然の疑問だった。
「……なんで……ここに」
「だから、君を探してたんだよ。ずっと。やっと会えた」
「そうじゃなくて……自分の世界に帰ったんじゃ……」
「あれから大変だったんだ。どうやら魔法が不完全のまま発動しちゃったらしくてさ。まったく知らない場所に飛ばされるし、お金はないしで……。あちこちの街の酒場やレストランで働きながら、なんとか生活してたんだ。おかげで、こっちの世界の文字が少し読めるようになった」
バツが悪そうに歯を見せる少年を見て、リムは以前に彼にむかって言ったことを思い出した。
『彼の者』は、その者が描くイメージに敏感に反応する。
今、彼は魔法が不完全のまま発動したと言ったが、果たしてそうなのだろうか? 『黄昏に沈んだ街』は、正真正銘、彼のイメージを反映させたのではないだろうか?
かつてラウルがリムに話して聞かせた事件。ゼクテに追い詰められたグニーエは再び『黄昏に沈んだ街』を発動させた。その結果、タバサは異世界へと飛ばされたが、グニーエ自身は違う場所に移動しただけだった。望郷の念は息子だけを飛ばし、彼自身はその場から逃れたいと思う恐怖の方が勝った結果なのかも知れない。
あの瞬間、キーラは自分の世界に帰ることよりも強く別れを惜しみ、『彼の者』が反応したのだとしたら……。
しかし、リムにとってはそれはどうでもいいことだった。どれだけもう一度会いたいと望んだだろう。信じられないことだが、奇跡でも起こらない限り不可能だと思っていた願いが叶った。
再び喉に酸っぱい痛みが走り声が出なくなる。目が熱く切なくなり、涙で視界がぼやけてくる。せっかく再会できたのに、まともに彼の顔が見られなくなる。
「ちょっとだけど金が溜まったから、こっちで商売を始めようと思ってるんだ」
「……商売?」
「そう。小さくてもいいから店を借りてコーヒーショップでも開こうと思ってさ。ラルゴがいいと思うんだ。あそこにはシオンがいるし、上質なコーヒー豆も手に入る。年中観光客で賑わってるから、そこそこ客は入ると思うんだ。それに温泉があるだろ? 一日の仕事を終えて、毎日温泉に浸かれたら最高だよ」
「…………」
リムは少年が語るささやかな夢を黙って聞いた。そして、言ってほしい一言を期待した。
「それで……」
まるで丸棒で軽く突かれたように胸が詰まり、嗚咽が漏れる。
「その、君と一緒に……いや、店を手伝ってくれないか? なんて言うか、君みたいな可愛い……いや、綺麗な……あー、看板娘が……」
もう涙で輪郭さえも滲んで見えない。もどかしく誘う台詞が言い終わらないうちに、リムは少年の胸に飛び込んだ。二度と見失わないように。離れないように。
少年は少し戸惑ったようだが、しっかりとリムを抱きしめた。
「父さんと母さんにはもう会えないけど、あの二人なら大丈夫だと思うんだ」
「……うん」
「こっちの世界は粗削りで不便な点もたくさんあるけど、この一年で慣れたよ」
「…うん」
「ワイズさんは元気かな? シオンには会ってる? ナタニアのところにも行かなくちゃ」
「うん」
「改めてよろしく。相棒」
少年の体温と自分の涙がごちゃ混ぜになり、温かさと熱さの境界が曖昧になる。少年の力強くも柔らかな包容を心の奥底まで沁みこませ、リム・フォスターはやっと自分の人生を見つけたのではないかと思った。
〈了〉
銃と魔法と臆病な賞金首5 雪方麻耶 @yukikata
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