第9話 真相

 板切れのような頼りない扉が目一杯開かれたため、魔法陣は真裏を向いて見えなくなった。しかし、滲んだ光がまだ魔法が散らずに保たれたままであることを示していた。この魔法を中断させるわけにはいかない。我ら親子が助かる唯一の方法なのだ。兵器並みに危険な魔法と分かっていても、異境の地で人生を終わらせることなど受け入れられなかった。


「グニーエェ……」


 復讐鬼と化したゼクテが入ってきた。月明かりに照らされて全身が陰になっているが、目から放たれる光は水面に映る篝火の如く怪しく揺らめいていた。

 グニーエは心底慄いた。

 とっさに銃を取り出して射撃体勢を取った。これまで幾度となく魔法を使用してきたが、弾丸に定着させた魔法は滅多に使わず、発砲した経験もほとんどない。ましてや人に向けたことなど皆無だった。だが追い詰められた今では、やらないわけにはいかない。

 息子を抱きしめているにも関わらず、ガタガタと身体が震えた。父親としてみっともない姿を見せられないとか、威厳を保たなければならないといった考えなど、微塵も浮かべられなかった。


「なぜだ。なぜ、あんなことをしたぁ?」


 悪魔に尋問されている心地だった。グニーエは喉が詰まり、歯が噛み合わず、上手く喋ることもままならなかった。それでも、生き物の持つ防衛本能が自らと息子を守るべく必死の弁護を始めた。


「あ、あ、あんなことになるとは思わなかった。す、すまない。あれは……、事故だった。事故だったんだ」


 ゼクテはいきなり一撃弾いた。


「ひいっ!」


 弾丸はグニーエの背後の壁を貫き、瞬時に氷を張った。

 狙いをつけて撃ったわけではないようだが、当たってそのまま死んでも構わないといった怨嗟の籠もった射撃だった。


「事故だと? どんな魔法を使えば、あれほどの大惨事を引き起こすというのだっ!」

「ゼクテ……。ワタシは自分の世界に帰りたかったんだ。ただそれだけだったんだ」

「っ?」


 ゼクテの声が詰まった。追い打ちの怒号を浴びせようとしたが、いきなり意味の分からないことを言われて、言葉が迷子になってしまった。


「ワタシはずっと考えていた。この世界に飛ばされた意味を。ずっと探していた。帰る手段を。それを可能にする魔法を見つけたんだ」

「……さっきからなにを言っているのだ? うやむやにして罪を逃れるつもりか?」

「ここでの生活は充実していた。おまえと出会い、妻を娶り、息子までもうけた。しかしそれでもっ、ここはワタシの世界ではないんだ」

「きさまっ! わけの分からないことを言うなっ! おまえはフロイを、街の人たちを殺したんだぞっ!」

「ワタシも妻を失ったっ! すべてはワタシの望郷の思いが招いたことだ。取り返しのつかないことをした……。罰は受ける。だがこの子はっ、息子には手を出さないでくれ」


 グニーエは目を真っ赤に腫らした息子を、力いっぱい抱きしめた。

 ゼクテは、そんな必死のグニーエの姿にすら憎悪を燃やした。フロイはもう、リムを抱いてやることさえできない……。


「黙れっ! おまえの戯言はたくさんだっ! 罰を受けると言ったな。俺が下してやる。おまえら親子は極刑だっ!」

「やめろ……」


 ゼクテは銃口を向けた。グニーエを狙っているのか、それとも息子の方なのか、判断ができない角度だった。

 ゼクテの形相が歪み、指先に力が込められた。


「やめろおおぉぉっ‼」


 グニーエの絶叫と共に、扉が黄金に輝いた。


「なにっ?」


 ゼクテは肩越しに背後の様子を窺った。その時にはすでに、扉の光は眩いばかりにまで拡大していた。怒りのあまり踏み込んだ時には見逃していた魔法が、目を覚ましたのだ。


「これは……」


 ゼクテは驚愕したが、それはグニーエも同様だった。不発と思われた魔法が、『彼の者』の力を得て発動し始めたのだ。


「この魔法は?」


 ゼクテは、初めて見る魔法陣の模様に戸惑った。どんな効果を発揮するのか分からなければ、対処のしようがない。

 しかし、その眩しい輝きはけっして神々しくはなく、精神を掻き乱す不吉さをまとっていた。


「まさかっ⁉ この魔法はっ! グニーエッ! まさか、きさまっ」


 魔法の正体を知る術などなかったが、その効果を想像することはできた。

 ゼクテは、グニーエのあまりにも無謀な行動を呪い叫んだ。


「きさまはこの世に生まれるべきではなかったっ! 地獄に堕ちろっ‼」

「うわああああっ!」


 グニーエは無我夢中で引鉄を引いた。

 恐怖。混乱。焦燥。後悔。そして、この魔法という力が存在する世界。あらゆる束縛から逃れたいがための発砲であり、それ以外の目的は一切含まれていなかった。


「がぶっ!」

「あ?」


 盲撃ちの一発が、ゼクテの喉を切り裂いた。シュナイデンの刃が発動し、ゼクテの動脈をスッパリと切り裂いたのだ。遺跡の調査に赴く際に、森林の枝葉を切り落とすために込めていた弾丸だった。


「おおお……」


 ゼクテは鮮血を撒き散らし、その場に崩れ落ちた。


「ゼクテ……。ゼクテッ!」


 グニーエは、息子を抱いたままゼクテに駆け寄ろうとした。その時、拡がり続けていた黄金の魔法陣が一気に拡大した。


「お父さんっ!」

「ツバサッ! 離すなっ! ツバサァッ!」


 増し続けた輝きは色彩を失くし、ついには室内全体を真っ白く染めた。上も下も、右も左も、前も後ろも認識できなくなる。立っているのかしゃがんでいるのか、息子を抱いているのか離れてしまったのかも分からなくなる。

 グニーエとその息子は、為す術もなく白い光に飲み込まれた。

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