第19話 出撃
アジョップとゼントンはキーラたちを引き連れ、防御壁を形成していた者たちが集まっている場所まで退き話を聞いた。
「時間がないので手短に説明します」
キーラ・キッドから提案された内容は驚くべきものだった。理解を越えていて、すぐには頷けるものではなかった。
この魔法を食い止めるには、発生源である魔法陣の中心まで行かなくてはならない。そのためには、モヤに穴を穿ちながら進む必要があるというのだ。
「しかしよぉ。穴を開けるったってどうやるんだよ。あいつら、魔法で攻撃してもすぐに戻っちまうぜ」
「俺が散らしたモヤは二人に凍らせてもらいます」
光来はリムとシオンの肩に手を置いた。
二人も初めて聞かされた話しらしく、声こそ出さないが動揺しているのが伝わった。
「みなさんには、俺が魔法で散らしたモヤが拡散しないように、表面を凍らせておいてほしいんです」
「三人だけで突入するのか? 無茶だ」
ゼントンは驚いたが、光来は微笑んだ。
「無茶には慣れました。この旅は無茶の連続でしたから」
キーラの笑みは柔らかかったが、口調には揺るがない響きが込められていた。それに重みも。
「どうやって?」
「えっ?」
「中心にたどり着いて、それからどうやってこの魔法を収めるつもり?」
リムは刺すような視線を送ったが、光来はやんわりと受け止めた。
「タバサは言ってた。俺の魔力を媒介にして、この魔法は保たれていると。逆に言えば、俺なら止めることも可能なはずだ」
光来がラウルをタバサと呼んだことに、再びリムの胸に針が刺さる。
「だから、具体的な方法は?」
「俺の魔力で精製したフリーレンでも撃ち込めば、止められるんじゃないかな」
いかにもいきあたりばったりな計画に、リムは怒るよりも不安を抱いてしまった。
「そんな楽観的な……」
「でも、それ以外に方法がある?」
光来に詰められ、リムはグッと黙るしかなくなる。たしかに、他の方法を思い付かないのに反論しても、それこそ説得力に欠けるというものだ。黙るしかなかったが、だからと言って胸のざわめきが鎮まるものでもない。
不安や焦りは伝染する。
シオンも同様に感じるらしく、少々批難めいた目で光来を見つめる。
「生きて帰れるのね?」
「え?」
「あなたの策は、生きて帰ることを前提にしているのね? そうでなければ協力はしない」
シオンは毅然とした態度で宣言する。リムには彼女の堂々とした所作が、素直に羨ましかった。
「……もちろんだ。誰も命を引き換えにしても、なんて考えていないよ」
少し気圧されながらも、光来ははっきり言った。
納得したかどうかはともかく、シオンはそれきり口を閉ざした。
リムの訴えるような目を見返し、光来は微笑んだ。
「大丈夫。きっと上手くいく」
どうして断言できるのか。こんなにも落ち着いていられるのか。
光来の言葉とは裏腹に、リムの違和感と不安は膨らむ一方だ。
「……………………」
下腹部に力を入れて、気力を漲らせた。
キーラのこの表情と態度は、覚悟を決めた者にしか醸し出せないものだ。キーラはすでに腹を括っている……。なら、ワタシのやるべきことは一つだ。なにがなんでも、この人を守る。
そう決心すると、浮き漂っていたリムの心もまた落ち着きを取り戻し、静かに闘志を燃え上がらせた。
三人のやり取りを黙ってみていたアジョップだが、一つ分かったことがあった。
どんなに説得をしても、こいつを止めることはできないだろう。逃げる以外の手段がなければ、こいつのアイディアに賭けてみるのも悪くない。それにしても……。
このキーラという少年はおとなしくて弱々しい印象だが、それは真綿でできたマントを纏っているからそう見えるに過ぎない。おそらく、暴力や争いを厳しく律する社会で生きてきたため、身につけた処世術に違いない。柔らかいマントの下には鋼鉄よりも強固な意志が隠されている。それはどんな困難をも打ち砕く弾丸にもなるし、場合によっては鋭利な刃物にもなる。
そうでなければ、この俺が委ねてみようって気になるはずがない……。敵に回すと厄介だが、味方につければ最高に頼もしいタイプだな。
屋敷内で見た死神の眼光を思い出し、アジョップはぶるりと身体を震わせた。
「分かった。その話に乗ろうじゃないか」
「アジョップ」
ゼントンは相棒の名を口にした。そこにはちょっぴりの批難が含まれていたが、決して考えなしの決断ではないことは、長年コンビを組んでいる経験で分かった。アジョップは、この若い賞金首に街の運命を託したのだ。
やれやれ……。
相方がそうと決めたなら、全力で支援する。それがパートナーってもんだ。
ゼントンも覚悟を決めた。
「ゼントン」
「分かってるよ」
アジョップが喋る前に、ゼントンは立ち上がった。
「みんなにも協力を仰いでくる」
帽子の鍔をくいっと上げて、後方で待機している者たちに顔を向けた。
街の人たちは殆どが避難を済ませた。今エグズバウトに残っているのは、光来たち三人と、彼らに協力するために集まってくれた者たちだ。一癖も二癖もありそうな連中だったが、今は一人でも多い方が心強い。
ここエグズバウトは他の街では爪弾きにされて流れ着いた者の街だ。荒々しい暴力が闊歩し、真面目に生きていこうとする者には住みにくいことこの上ないだろう。そんなゴミ溜めみたいな街だが、幸か不幸かはともかく一つだけ他の街にはない特徴がある。
魔法を扱える者の数が他の街に比べて極端に多いのだ。普通、街の人口の一割にも満たない魔法使いが、エグズバウトでは三割を超える。流れに流れてここを生活の場に決めた者のほとんどが、脛に傷を持つ者だ。自分の身を守るため、極貧から脱出するため、様々な理由から魔法を修得せざるを得なかったのだ。複雑な背景を持っているが、これだけ魔法を使える者を抱えていなかったなら、カトリッジのように瞬く間に街全体が飲み込まれていただろう。
今、エグズバウトの魔法使いが一ヶ所に集結している。
アジョップはざっと見渡した。
四~五十人の男女が緊張の面持ちで動きが起きるのを待っている。これだけの魔法使いが一堂に会するなど前代未聞だが、それでも一向に安堵の雰囲気が生じない。
すでに街の外れ近くだ。ここから街が飲み込まれていくのを眺めていると、キーラの提案がひどく空々しく思えてきてしまう。
実際、この場に留まりながらも不安を口にする者があちこちにいた。
実のところ、アジョップにも迷いがなかったわけではないが、不可能という単語が頭を過るたびに、他に方法はあるのかと訊き返す自分がいる。
アジョップは、両手で自分の頬を強く叩いた。
もう迷う時間すらない。賽は投げられたとはこういう時のことを言うのだ。
「じゃあ、お願いします」
アジョップの焦燥などお構いなしで、光来は言った。まるで買い物に出かける時の「行ってきます」と同じ調子だ。
なんで、こんなにも落ち着いていられるんだ?
光来の余裕は、アジョップには不気味にすら感じられた。
「ほれ」
ゼントンが光来に両手いっぱいの弾丸を差し出した。すべてフリーレンとヴィントが定着されている弾丸だ。
「これ……」
「こいつらから掻き集めたんだ。あの中に突っ込むってんなら、弾丸は何発あっても邪魔にならんだろ」
「ありがとうございます」
光来は誰にともなく礼を言った。中には光来の賞金を狙って追い回した者もいたが、この際、関係なかった。
「こいつらも連れてけ。おい」
アジョップが背中越しに声を掛けると、馬を二頭引いたゼントンが近づいてきた。
艷やかな毛並みに盛り上がった筋肉に支えられた四肢。顔つきは穏やかだが、黒真珠のような瞳には力強い光が宿っている。
「馬、ですか」
「あのモヤの中心っつったら、バウンティハンターどもが集まった屋敷だろ? あそこまで走ったんじゃ息が上がっちまう」
「でも、魔法に怯えて暴れたり逃げ出したりするんじゃないの?」
リムの心配に、アジョップは口角を上げた。
「こいつらは、俺たちと一緒にいくつもの修羅場を駆け抜けたじゃじゃ馬だ。度胸も根性もそこらのとは比較にならん。その分気性が荒いから覚悟して乗れよ」
ゼントンが馬の背をぽんと叩いた。
リムとシオンは、各々の愛銃にフリーレンを込め、ガンベルトのホルダーにも目一杯の弾丸を詰めた。これだけの弾丸と二人の腕があれば、容易には飲まれたりしないはずだ。
二人はどちらともなく視線を交わし、微かに頷きあった。
リムは馬の首を優しく撫でて一気に飛び乗った。
アジョップとゼントンが揃って「ほう」と感心する。
「いい子ね」
ゼントンはこの馬をじゃじゃ馬と称したが、リムには意外なほどすんなりと慣れた。リムを乗り手として認めたということなのか。拒否することなくおとなしくしていた。
シオンに宛がわれた馬も同様だった。シオンの醸し出す神秘的な静謐さが安心を与えるのか、嘶き一つ上げなかった。シオンも無事に乗馬し、手綱を握った。
光来はリムに手を引かれて、彼女の後ろに乗った。
女が手綱を握り、男がその後ろに乗る。不思議な光景を見たという雰囲気が拡がったが、揶揄する者は一人もいなかった。微妙な空気の変化は光来にも伝わったが、まったく気にならなかった。自分は最初からこの相棒の後ろを追い掛けてきたのだ。
リムの背中がなかったら、なにも分からないこの世界で、どこにも行けずに途方に暮れるばかりだったに違いない。
「リム。地面も相当抉られているに違いない。スピードを出しすぎないように気をつけて」
「分かってる。任せて」
「シオン。俺が散らしたモヤだけじゃなく、襲ってくる触手にも注意して」
「ええ」
余計なことを言わないのはいつものことだが、この場でのシオンの寡黙さはありがたかった。
「三人とも気張れよ」
「帰ったら一杯奢ってやる」
アジョップとゼントンの激励をきっかけにして、あちこちから気遣いと励ましと期待の声が上がった。
こんなふうに応援を受けたのは、元の世界でシューティングゲームをしていた時以来だった。
光来は困ったように微笑んで応えるしかできない。
不思議と、先ほどまで全身を覆っていた恐れや不安が抜けていた。精神の弱々しい部分が溶けて流れ出たような感覚に覚えがあった。
リムを守るためにネィディと決闘をした時と同じで、周囲がやけに静かで時の流れがゆっくりと感じる。
どんな結果になるにせよ、間違いなくこの旅は終焉を迎えつつある。複雑な気分に囚われ、光来は思わず空を仰いだ。
現在進行している危機に対して、あまりにも似つかわしくない蒼穹。雲一つない美しさはどこまでも突き抜けて……。
おそらく、この空を見るのも……。
「キーラ?」
光来のいつもと違う雰囲気が気になり、リムは声を掛けた。
「ああ、大丈夫」
そう答える声には微塵の迷いも感じられなかった。自分の感情に重石を付けて奥深くまで沈めている。一つのことを成し遂げよう誓った者だけが行ける領域だ。
最悪の中で決めた覚悟。それだけに、光来の心構えを感じ取ったリムは不吉な予感を抱いた。
「行こう。リム」
「……ええ。シオン、準備はいい?」
「いつでも」
光来がルシフェルを抜いた。リムがルデュシスを、シオンがアルクトスを抜く。
それが合図となり、三人の後方に集まっている全員が銃を抜いた。壮観という言葉が当てはまるほどの眺めだったが、皆の視線は膨らんでいくモヤに集中している。
「行くぞっ」
「はあっ!」
リムは叫ぶと同時に馬の脇腹を蹴った。リムの気合が注入され、それまでおとなしかった馬が高く嘶き、一気に駆け出した。
「いあっ!」
シオンも遅れずに続く。
「気をつけろっ」
「頼んだぞぉっ」
三人は風と共に走り、激励の声が瞬く間に小さくなった。
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