第20話  白いトンネルを抜けて

 これから危険が待ち受ける領域に突っ込むというのに、馬の走りはリズムカルで安定していた。度胸も根性も違うと言ったゼントンの評価に偽りはなかったようだ。

 モヤが近づくに連れ、視界が白でいっぱいになり、距離感が掴みづらくなる。濃霧に突っ込むドライバーのような緊張感が走る。絶対に運転を誤ってはいけない危険地帯に入り込む恐れで、全身の毛がチリチリと逆立つ。

 いよいよモヤが目前まで迫った。陽光に漂う紫煙のように、境界がはっきりと分かれている。その境界が近づいてくる。光来たちも近づく。衝突点に肉薄するほど闘志が高ぶりはじけ飛んだ。

 光来たちの接近を分かっているのか、中から不気味な触手が無数に伸びてきた。


「キーラッ」

「おおっ」


 光来はリムの腰に左腕を絡ませ右腕は真っ直ぐ伸ばし、ルシフェルを構えた。狙いは襲ってくる触手ではない。真正面の白い壁だ。

 光来が集中すると、ヴィントの魔法陣が見る見る拡大し、馬もろとも二人をすっぽり覆うほど大きくなった。まるで魔法陣の盾だ。


「穿てぇっ!」


 光来とルシフェルが同時に吠えた。馬のスピードが緩んだと勘違いするほどの激しい衝撃を携え、ヴィントの弾丸が発射された。

 弾丸自体が風を巻き上げ、砂煙を巻き上げながらモヤに突進していく。空を切り裂く反撃の烈風だ。

 モヤに触れた瞬間、巨大な魔法陣が生じ、砕け、ヴィントの魔法が炸裂した。

 パンパンに空気が詰まったタイヤが破裂したようなけたたましい音が街中に響き、モヤが凄まじい勢いで飛び散った。

 様子の一部始終を固唾を呑んで見ていた街人たちから、どよめきの声が上がった。


「なんだっ。あの威力は?」

「すげえっ。あれなら行けるぞっ」


 波のように拡がる歓声を、アジョップは戒めた。


「気を抜くなぁっ! 俺たちにも仕事があるんだぞっ」

「おうっ」

「分かってるよっ」


 飛び散り、街中に拡散しようとするモヤ目掛けて、一斉攻撃が始まった。

 何十発分のフリーレンの威力は絶大で、気温を下げるほど広範囲の氷のオブジェが作られ始めた。歪んだ醜い芸術品だ。

 光来たち三人は、ぽっかり開いた穴に目掛けて疾駆した。


「このまま突っ込むわよっ」

「地面が抉られて傾斜になってるっ。スピードを抑えてっ」


 リムは怪物の口に突入する気分だった。少しでも油断すれば、触手という牙が噛みついてくる。

 中は真っ白で、思った通り濃霧の中を進んでいるように危険だった。しかし、すでにあらゆる物が飲み込まれているので、障害となるものはない。

 緩やかではあるが、どんどん下っている状況が否が応でも不安を掻き立てる。まるで地の底を目指して進んでいるような錯覚に見舞われる。

 地面には肥大し続ける魔法陣が蔓延っている。皮肉なもので、その忌むべき滲む光が道標代わりとなっていた。膜を透かして届く淡い日光と相まって、周囲が白に覆われていてもなんとか方向感覚を掴むことができた。


「くるぞっ」


 光来がいち早く迫ってくるものの気配を察知した。

 獲物を待ち構えて擬態していた生き物のように、触手が一斉に襲ってきた。光来があけたトンネルの至る箇所から発生し、三人の行く手を阻もうとする。


「まかせてっ」

「一本たりとも近づけさせない」


 デュシスとアルクトスがほぼ同時に咆哮を上げた。

 白い空間の中で襲い掛かってくる白い触手。ひどく視認しにくい。しかし、リムもシオンも確実に迎撃し凍らせていく。

 打ち合わせをしたわけでもないのに、リロードするタイミングをずらし、弾幕が途切れないようにしている。

 息がぴったりあったコンビネーションを目の当たりにし、光来は少し意外に思った。どうやら自分と離れている間に、互いの動きを読めるだけの繋がりを築いたということか。

 瞬く間にトンネル内の気温が下がり、氷の壁から凍った枝が伸びた空間へと変貌していく。

 二人は構わず馬を突っ込ませ、凍った触手を体当たりで砕いていった。

 光来が再びヴィントを放った。音の壁を突破するが如く凄まじい衝撃をまき散らし、強引にトンネルを掘った。

 鋭い槍と化した風が白い壁を突き破り、一気に奥行きが拡がる。


「リム、シオン。トンネルの壁を凍らせてくれ。これだけの触手を相手にしてたら、いずれ捕捉される。襲ってくる前に氷で覆ってしまうんだっ」

「了解」


 言うが早いが、シオンがフリーレンを乱射する。

 トンネルが一気に氷穴と化す。滑らかな氷の表面に三人が疾駆する姿が映し出される。こんな危険な状況でなければため息が漏れるほどの美しさだった。


「方向は? これであってるの?」


 リムが喋ると、口から白く染まった息が漏れ出た。それだけトンネル内の気温が下っている証拠だ。


「大丈夫。感じるんだ。魔力の源流を。このまま真っ直ぐだ」

「それにしても、この触手っていったい……?」


 シオンのつぶやきに、光来の脳内に先ほどちらりと考えたことが再生された。

 こいつらが欲しているのは、おそらく魔力だ。肉体や生命はついでに過ぎない。魔力だけを抽出して吸収できないから、手当り次第に飲み込んでいるのだ。

 俺の魔力で対抗できるか?

 光来が三発目のヴィントを撃ち、白い障壁を貫いた。そして、その先に漆黒の穴が見えた。このモヤが発生し、触手がラウルを引きずり込んだ穴だ。なにもかもが真っ白なここから見ると、まるで白紙の上に垂らされた一滴の墨汁だ。


「あそこっ! あそこが魔法陣の中心っ!」


 リムの声に熱が帯びる。


「弾き飛ばすぞっ」


 光来はヴィントをエクスプロジィオーンに書き換えた。

 オレンジレッドの魔法陣がトンネル内を照らす。

 放たれた弾丸は、黒い点のすぐ横に着弾した。黄金の魔法陣の上にエクスプロジィオーンの魔法陣が重なる。

 凄まじい爆発が生じ、漂うモヤを一気に散らした。前方にドーム状の空間ができあがった。もう阿吽の呼吸というやつで、リムとシオンは再びモヤで埋まらないようにフリーレンでドームを凍らせた。

 とうとう『黄昏に沈んだ街』の中心部にたどり着いた。三人とも、喧しい銃声と反比例するが如く無言になった。

 光来は素早く馬から飛び降りた。リムとシオンも続く。駆け抜けてきたトンネルも今立っているドームも氷で覆ったので、しばらくは触手に襲われる心配はない。

 まるで時の流れから取り残されたような感覚に陥る、不純物のない空間だった。

 先ほどからリムの胸中には不安が渦巻いていたが、動悸は今や最高潮に達していた。

 キーラは軽い感じで大丈夫と言ったが、そんな手軽に抑えることができる魔法ではない。それは彼だって分かっているはずなのだ。にも関わらず、感情を奥底まで沈めた静けさを湛えている。だからこそ不安にかられる。


「……どうするつもりなの?」


 静寂を破り、光来に質問したのはシオンの方だった。らしくないことだが、彼女の声も緊張を滲ませている。


「…………」


 光来は、シオンの質問に答えなかった。無視したわけではない。上手く説明できる言葉を持ち合わせていなかったからだ。

 足元にポッカリと空いた穴は、工事中のため蓋が開いたマンホールを連想させた。もちろん、ここには立入禁止のバリケードなど設けられてはいない。

 光来は徐ろにルシフェルを穴に向け、フリーレンを撃った。

 氷で固めたドームに銃声が反響し余韻を残す。

 穴にはなんの変化も生じなかった。着弾すれば魔法はその効果を発動させる。それがなんの反応も示さないということは、この穴には底がないことになる。しかし、そんなはずはない。

 光来の「もしかしたら」という想像は「やはり」という確信に変わった。

 これこそが入口なのだ。

 タバサが言っていたことは嘘ではなかった。これは異世界への扉を開ける魔法だ。成功すれば、元いた世界に帰れる可能性がある。しかし……。


「リム、シオン。これからこの魔法を書き換える。その間、襲われないように援護しててくれ」

「え?」


 いきなりの光来の頼みに、リムは胸を強く突かれたような衝撃を感じた。


「ムチャ言わないで。こんなわけの分からない魔法を書き換えるって……」

「こいつがどんなであれ、魔法なら書き換えられる。さっきはタバサに邪魔されたけど、もう少しでやれそうだったんだ」

「それが、キーラが言ってた『なんとかなる』なの?」

「んー……まあ……」

「ふざけないでっ。ヘタしたら飲み込まれるのよっ」

「ふ、ふざけてなんかないよ。俺の魔力ならできる。ずっと見てきただろ?」

「でも……」

「生きて帰るのよね?」


 平行線の二人に、シオンが割り込んできた。


「ワタシたちじゃなにもできない。キーラの力を信じるしかない」


 シオンのもっともな意見が刺さる。リムは言葉を紡げなくなる。

 信じている。信じてはいるが、頭で分かっていても、常に感情が同意するわけではない。


「……………」


 俯くリムを見て、光来は軽い罪悪感に襲われた。

 これまでは両親以外に心配など掛けたことはないと思っていた。自分は臆病で積極的に前に出ることもなく生きてきた。しかし、それだけでも、ただ生きているだけでも、いろんな人に影響を与え、そして与えられていたのではないだろうか? 何百年、何千年も掛けて形作られる鍾乳洞のツララのようにゆっくりとした進行だから、気づかなかっただけなのではないだろうか?

 光来の奥底に静かに燃えていた熾火が激しくなる。


「リム。大丈夫。俺はこんなのにやられないよ。約束する」


 リムはなにも言わなかった。しかし、他の方法が提示できない以上、なにを言ってもそれは我儘になる。


「リム……」


 光来はリムに触れようとしたが、するりとかわされた。


「早く済ませなさい。そんなに長い時間は、こいつらだっておとなしくしてないわ」

「……分かってる」


 光来は、ポッカリと口を開けた魔法陣の傍らで膝を付いた。掌を地面にかざし、集中力を高める。

 すぐに反応があった。黄金の魔法陣が、光来の掌からじわりと白く変化していく。漂白され、本来の魔法とは別のなにかに書き換えられていく。

 いける?

 リムに安堵と期待が拡がった。しかし、それは光来の身を案じるリムの錯覚だった。

 地面が割れるのではないかと思うほどの大きな振動が起こり、底の見えない穴から触手が伸び出て光来の腕に絡まった。


「キーラッ」


 リムとシオンは同時に触手を散らした。


「この穴さえ塞げばっ」


 リムは穴目掛けてフリーレンを数発撃ち込んだが、周りが凍るだけでどうしても穴を氷で覆うことはできなかった。

 リムは銃弾を浴びせるのをやめた。銃声がやまびこのように繰り返し反響する。

 徐々に音の余韻が小さくなり、しんと静まり返ったタイミングを狙ったかのように、穴から大量の触手が噴出した。朝のラッシュアワーに電車から一気に吐き出される人の群れよりも勢いよく飛び出し、散らす間もなく光来の身体に巻きついた。


「このままじゃ、キーラが取り込まれるっ」


 リムが触手の根本を凍らせようと構えたが、光来は手を伸ばしてそれを制した。


「なにをっ?」

「……こいつの正体は『魔』そのものだ。こいつは俺の魔力を欲しがっている。こうして出口が開いた時を狙って、魔力を取り込んできたんだ……。このままじゃきみたちも巻き込まれる。離れろっ」

「そんなことっ」


 できっこないと言おうとしたが、光来のすでに身体の殆どを覆われてしまっている。それでも目は力を失っていない。諦めた者の目ではない。まさに戦いに赴く者の覇気を纏った眼光だった。


「キーラ、あなた初めから……」


 シオンは光来の覚悟を感じ取り、なおもデュシスを構えようとするリムの腕を掴んだ。


「シオン? なにをするのっ?」

「キーラは敢えて引きずり込まれて、むこう側で戦うつもりよ」

「なに? なに言ってるの? むこう側って?」

「分からない。けど……」

「離れろ。リム、シオン。離れるんだ……」

「キーラッ!」


 光来の意に反して、リムもシオンも光来の体に抱きついた。これ以上引っ張られないように踏ん張るつもりなのだ。


「離れ……」


 二人の姿が次第にぼやけ、光来の視界が暗転した。

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