第22話 追慕の声

 もうあるのかどうかも自覚できない腕を目一杯伸ばし、わずかに残っている意思を掻き集めた。いつも魔法を精製する時のように、集中してイメージした。

 浮かぶのは、この世界そのものを破壊するツェアシュテールングだ。


『…がう……』


 ふいに光来の集中を邪魔する声が響いた。これまで脳内に湧き出ていた声とは違う。互いに触れられそうな声だった。

 なんだ?


『違う。それでは、魔そのものであるこいつには絶対に勝てない』


 聞き覚えがある声。しかも、つい最近だ。それなのに胸が切なくなる懐かしさも同居している。 誰だ? この声の主は誰だったか……?


『魔法を……この魔法を利用して転移するのだ。効果が発揮されれば魔法は収まる。あのときはワタシのイメージがおまえに影響したが、今なら自分で描くことができるはずだ。おまえが今まで暮らしていた世界に帰れ。おまえがくぐり抜ければ、扉は閉じる。こいつをこの虚ろな空間に閉じ込めるんだ。おまえにしかできない』


 光来は、誰かも分からない声に反論した


「……だけど、転移は偶然の結果だ。上手くいくかは運次第だ」

『できる。おまえなら必ずできる。あの世界のことを、おまえを育ててくれた両親のことを強く思い出し念じるのだ。こいつは、彼の者はその者の描くイメージに敏感に反応する』

『驚いた。思念だけが留まっているとは。完全に魂が浄化する前に我に取り込まれたからなのか……。まったく、今日は稀なる愉快な日だ』


 彼の者が再び光来の中に湧き出た。


『会話の途中で割り込ませてもらう。我を閉じ込めるか。それは不可能な話だ。方法を示しても、実行する術がない。おまえはすでに我に取り込まれているのだ』


 やはり、その声には嘲りが混じっていた。絶対的な実力を持つ者だけが出せる余裕だ。しかし、光来にはその嘲りをかわす余裕があった。


「……何百年、いや何千年彷徨っているのか知らないが、人を見る目は養われていないようだな」

『なんだと? どういう意味だ?』

「そのまんまさ。外にいる二人が、死にそうになっている俺を黙って見ているとでも?」

『???』

「たとえこっちの空間に来ていようが、肉体は外に置いてきてるんだ。さっき魔法を精製しようとした時、俺の肉体も反応したはずだ。俺の愛銃もおまえと一緒で魔力が大好物なんだ。それを見ている二人が、なにもしないと思うか?」


 体のほとんどの感覚がなくなりかけていたが、光来は自分が今たしかに笑っているということをはっきり自覚できた。



 静まり返った氷のドームの中、リムとシオンは横たわった光来を囲んでいた。

 一度びくんと身体を震わせたが、それからはなんの反応もない。ただ、光来を包んだ触手は、それこそ霞のように消えた。ポッカリと空いた穴からも触手の噴出は止んでいる。


「いったい、キーラはどういう状態なの?」


 こうしている間にも、光来の生命は危うい状態になっているのかも知れない。なにをすれば彼の助けになるのかが分からないもどかしさに、リムはシオンに詰め寄った。


「おそらくだけど……中身だけが向こうに行ってるみたい」

「中身って……」


 シオンは光来の胸に耳を押し付けた。


「心臓はしっかりと動いている。彼の精神、あるいは魂と呼ばれるものだけが、こことは違う世界に行ってしまったよう……」

「違う世界……」


 リムの鼓動がドキリと高鳴った。

 違う世界って、まるでキーラの言っていた異世界ってやつでは……。

 不安と焦りと怖さで、リムは頭がどうにかなってしまいそうだった。こんなに感情を煮詰めた状態は、未だかつて経験したことがない。いったい、どうしたっていうのだ。

 リムの懸念を遮るように、光来に握られたままのルシフェルの銃口からいきなり魔法陣が発生した。ブワッと音がしたと錯覚するほど、勢いよく拡大した。


「シオンッ」


 リムの声で、シオンも魔法陣の発生に気づいた。


「戦ってるんだ……。でも、なんかやばい?」

「無理矢理にでも目を覚まさせるっ。シオン、アウシュティンをっ」

「どうやら、その方がよさそうね」


 シオンはアルクトスに込めたフリーレンを、全弾アウシュティンに装填しなおした。リムはすでにリロードし終わっている。


「いくわよ」


 二人揃って光来に銃口を向ける。バーミリオンの魔法陣が眩しく拡がった。

 


 光来のぼやけていた思考が、今度はいきなり覚醒した。曖昧な夢の中で、セットしておいたアラームに叩き起こされるような目覚めだ。


「そら来た。そろそろ起こされるんじゃないかな」

『ほう。外部から強引に目覚めさせたか。しかし、なぜおまえの窮地が分かった? 魔法を精製しようとしただけで、そこまで感知できるものなのか?』

「だから人のことが分かってないと言ったんだ。人ってのは苦楽を共にすると繋がりが生まれ、以心伝心ってやつができるようになるんだ。魔法じゃない。人の持つ能力だ。おまえは初めからくだらないと見下してちゃんと人と向き合ってこなかったから、こんな簡単なことも理解できないんだ」

『……我を出し抜くか』

「おまえが彼の者か神か知らないが、こっちにはとびきり頼もしい女神がついてるんだ。しかも二人もな」

『おもしろい……。人というものは誠におもしろいものよ』


 頭が明確になっていき、目覚めている自覚があった。この空間から脱出している確かな感覚があった。


『……行け』


 目覚める直前、再び例の声が聞こえた。『黄昏に沈んだ街』の暴走を食い止める方法を教えた、あの声だ。確かに以前聞いたことがある。もう少しまで出かかっているのだが、どうしても思い出せない。


「……あんたは、いったい誰だ?」

『行くんだ。行って魔法を終わらせろ。そして、自分の幸せを掴むんだ』

「……あんたは…………」

「幸せに生きてくれ……ツバサ」


 景色の反転。思考の混濁。切ない痛み。やすらぐ温かさ。眩い光……。

 あらゆるものが混濁した中で、光来の意識は再び遠のいた。

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