第23話 別れ

「……………」


 深い眠りから抜け出し目を開けた。ここがどこなのかすぐには分からなかった。ただ、自身の身体に重みを感じ、安定感があることに胸を撫で下ろした。

 次第に輪郭がはっきりする視界に飛び込んだのは、リムとシオンが覗き込む顔だった。


「あ……」


 リムがいきなり抱きついてきた。


「バカッ! あんなムチャクチャなやり方なんてっ!」


 いつも気丈なリムの取り乱しように、光来はどう対応していいのか分からなかった。リムが押し付ける頬から熱が伝達され、光来の顔も熱くなる。同時に鼓動が速くなり、心臓の音が漏れてしまいそうだった。

 とにかく、無事であることを伝えたくてリムの背に腕をまわした。もしかしたら、リムが動かなかったら抱きついたのは光来の方だったかも知れない。リムと包容しあい、自分が如何に危険な状態だったかを思い知った。

 シオンの視線に非難めいたものを感じ取り、焦って口にしたのはごまかしの台詞だった。


「……妙に身体が軽いんだけど。俺の身体になんかした?」

「アウシュティンとクーアの乱れ撃ち。ありったけ撃ち込んだ」


 シオンはリムとは対照的に飽くまで冷静だった。刺す視線とは相反して、じんわりと浸み込む温かさを纏った声だった。それにしても、それほど大量の魔法を撃ち込むとは……。


「それって大丈夫なの?」

「あのままだったら、確実に連れていかれてた。あなたは生きて帰ると言ったはずよ」

「そうか。そうだよな。ありがとう。助かった」


 その時になって、光来はリムの身体が小刻みに震えていることに気づいた。涙こそ流していないが、必死に耐えようときつく口を結んでいる。


「リム。泣いてるの?」

「……バカ」

「……ああ。きみの言う通りだ。こんな方法で止めようなんてバカだった。でも、ムチャをしたおかげで今度こそ暴走を食い止める方法が分かったんだ」

「えっ?」


 リムが密着していた身体を離し、光来を凝視した。


「声が聞こえたんだ」


 言っておきながら、光来は戸惑っている自分にさらに動揺を重ねた。

 『黄昏に沈んだ街』の暴走を止め、なおかつ自分の世界に帰れる。一石二鳥のこれ以上はない解決方法だ。それなのに、違うやり方はないのかと心の片隅で模索してしまっている。


「…………………」


 光来は、ポケットに手を突っ込みスマートフォンを取り出した。適当に操作し、壊れていないことを確認する。


「大丈夫。壊れてない。ほら、リム立って」


 光来はリムの手を取って一緒に立ち上がった。


「シオンもこっちに。もっと寄って」

「なに?」


 怪訝な顔をしながらも、シオンは素直に従った。三人が並んだところで、光来はスマートフォンを持った手を目一杯伸ばした。


「二人とも、スマートフォンに向かって笑ってくれ」

「なんなの?」

「撮るよ? 笑って」


 カシュッと心地好い音が鳴り、三人の姿がスマートフォンに記録された。

 光来は笑ってと言ったが、笑顔なのは本人だけだった。リムは不思議そうに、シオンに至っては呆気に取られた表情で撮影されていた。

 光来は思わず吹き出した。


「なに? こんな時になにをしてるの?」

「世間には出ない。俺たちだけの記念だ」

「え? ワタシたち?」


 シオンは初めてスマートフォンの撮影機能を見た。タッチスクリーンに三人の姿が映し出されている。彼女にしてみれば信じられない眺めだった。

 光来はスマートフォンのタッチスクリーンを指先で操作した。タップやスワイプをしてみせて、スマートフォンの扱い方を説明する。


「ほら、こうすれば撮った画像が見られる。音楽の効き方はもう知ってるよね」

「だから、なにをしてるの?」

「……リム。きみとの出会いのきっかけになったものだ。きみに貰ってほしい」


 光来はスマートフォンとイヤホンをリムに差し出した。彼の改まった態度に、場が緊張感に包まれた。

 リムの胸が苦しくなる。光来の次の行動が予想できてしまう。


「それとこれを……」


 光来がさらに差し出したのはクエリの首飾りだった。ズィービッシュの亡骸から外してきたものだ。


「本当なら俺が行かなくちゃいけないんだけど、無理なんだ。これをナタニアに返してやってほしい。つらい役割を押し付けてしまってすまない……」

「さっきからなにを言ってるのか分からないっ。これじゃまるで、まるで……」

「シオン。ワイズさんによろしく言っといて。こいつのおかげで何度も助けられた。ルシフェルはあなたの最高傑作だって」

「キーラ。あなた……」

「きみたちに会えて、本当によかった。きみたちと出会わなければなにもできなかっただろうし、きみたちとじゃなければここまで来られなかったと思う」

「この魔法を止めるのでも書き換えるのでもなく、完成させるつもりなの?」


 シオンの問い掛けに、光来は笑顔で答えた。今はその表情をしてみせるしかない偽りの笑顔。


「それしか暴走を止める方法はない。それに、こいつを利用すれば俺は自分の世界に帰れる。もともとそれが目的の旅だったんだ。目的を果たす時が来たんだ」

「ダメよキーラ。それはダメ」


 リムは、この世界こそが光来の世界なのだと言いたかった。あなたは幼い頃に何度も自分と遊んだ幼馴染みなのだと。しかし、彼が生活してきた年月は向こうの方が断然長い。今さら事実を打ち明けるのは残酷すぎる。

 リムが次の言葉を発せないでいる間に、スマートフォンとクエリを手渡されてしまった。


「リム。褒めてくれよ。臆病でなにもできなかった俺が、ここまで来られたんだ。きみのおかげだよ」

「でもキーラ。あなたは……」


 なおも言い募るリムの肩に、シオンの手が置かれた。


「リム。鳥は海では生きられないし、魚は空では暮らせない。彼が自分の世界に帰るというのなら、それは誰にも止められないことよ」


 静かに諭すシオンだが、その目は潤みを帯びていた。

 滅多に感情を出さないシオンの、泣くのを耐える表情がリムには堪えた。

 ナタニアも似たようなことを言っていた。鳥は鳥だから飛ぶ。魚は魚だから泳ぐ。キーラはもうこの世界では生きられない人なのだろうか?

 リムの苦しそうな顔を見て、シオンの感情を殺した表情を見て、光来は思った。

 ああ、これは別れだ。

 こっちに飛ばされた時には元の世界に帰ることしか考えられなかったのに、いつの間にか別れるのが辛いほどの絆を紡いでしまっていた。

 無意識に二人の方を掴んで引き寄せた。


「辛いことがたくさんあったのに、この旅を終わらせるのが切ないよ」

「あなたのこと、忘れない」


 シオンが光来の頬にキスをした。不器用だが、想いが込められたキスだ。


「女の子にキスしてもらうなんて初めてだ。俺もシオンのことを忘れないよ」


 リムは黙ってうつむいたままだ。

 この娘と別れたくない……。

 リムに対する様々な想いが、別れる寸前に一つの結晶となった。きらきらと輝くそれはあまりに鋭く、自身の胸を傷つける。突き刺さる想いに、光来の目頭が痛みと熱を帯びた。


「リム?」


 かろうじて涙をこらえながら、光来はリムの名を呼んだ。


「離れても……」

「……………」

「遠く離れても、辛いことがあったらワタシを思い出しなさい。ワタシはあなたの相棒なんだから」

「分かった。ありがとう」


 未練を断ち切るように二人を離した。

 笑おうと努力しても、どうしても声が詰まる。溜まった涙が流れないように、あえて顔を上げる。

 触手の噴出が治まった穴から、光の柱が立ち昇った。凍らせたドームを貫き、厚ぼったい靄を突き抜け、一直線に昇りつめた。

 まばゆい光は天にも届きそうで、どこまでも連なり、それこそ違う世界まで繋がっているようだ。


「これは……」

「キーラのイメージに……いえ、決心に反応しているのよ」


 光来は二人に背を向けた。光の柱の前まで踏み出す。


「じゃあ行くよ……」


 光来は眩しそうに目を細める二人に別れを告げ、光の中へと入っていった。

 リムは、遥か昔に経験した感情の揺らぎを噛み締めた。まだ幼い頃に一度だけ経験した苦く熱い想い。母を必死に呼びながら、父ゼクテに無理やり遠ざけられたカトリッジの風景が甦る。だが、もう泣き叫ぶことはできなくなってしまった。


「…………………」


 光来の姿が完全に消えると、ずっと続いていた地鳴りと振動が止んだ。

 光の柱が徐々に細く頼りなくなっていく。

 そして、とうとう一筋の光さえも消えてしまった。


「……穴が塞がっている」


 シオンのつぶやきが終わりの合図だったかのように、極限まで膨らんでいたモヤが粉々に砕け散った。

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