現実:15
テラスに残った俺は、閉鎖空間を循環し続けている薄っぺらい風に当たっていた。
すでにインクは扉の向こう側。
俺は扉のすぐ前で、立ち止まって動けないでいる。
心が、揺れる。
べつに、嫌われたって何の問題もないはずだった。
俺たちには、元々何の関係性もないのだから。
犯人を俺だと疑うのは、至極真っ当に自分ですら思う。
「それは違うよ。たぶん、トオルは一つ勘違いをしてるね」
重たい沈黙に沈んでいた俺に、涼やかな声がかかる。
顔を上げれば、言い出しっぺの責任を取ったのか、俺とペアを組むことになったオゾンが呆れたように笑っていた。
オゾンは俺とは離れた、テラスの端で目を細めている。
十秒後の俺が、どうやって彼に言葉をかけたのかはわからない。
「インクは本気でトオルを犯人だと疑って、ああ言ったわけじゃないよ。わかってる?」
「……べつに疑うことは間違いじゃない。実際、俺が連続殺人鬼じゃない証拠はどこにもないからな」
「意外に僕らの中で、一番捻くれてるのはトオルかもね。インクはただ、教えて欲しいだけなんだよ。君のことをさ」
俺が危険人物なのは、事実だ。
インクの危機感は、正しい。
俺はもう一人の自分に会ったことはないが、あまりいい印象は持っていない。
「わかったよ、トオル。そこまでして君が自分の異能を隠すなら、他のことを明かしてよ」
「他のこと? どういう意味だ?」
「べつに、なんでもいいよ。ほら、好きなバンドとかさ」
「なんだよそれ。そんなこと知って、どうするんだ」
「どうもしないさ。ただ、知りたいだけ。僕が、トオルのことを知りたいんだ」
オゾンなりの優しさか、彼は珍しく世間話を振ってくる。
誰よりも先のことを知っている彼に、知りたいと言われるのはとても不思議な感じがした。
「バンドか。なんだろうな。けっこう音楽は聞くんだが、どれと言われると迷うな」
「へぇ? トオルも音楽好きなんだね。僕もけっこう聞くよ」
「そうなのか。邦? 洋?」
「どっちも。なんなら、一時期シベリアのロックバンドにはまってたこともある」
「シベリアのロックバンドか。一つだけ知ってるな」
「嘘でしょ? 僕がハマってたバンド、それだよ」
普段飄々としているオゾンが、珍しく真っ青な流し目を大きく見開いて、驚きに顔を歪めている。
だが、おそらく俺も彼と似たような表情をしていることだろう。
こんな日本的にはマイナーなバンドで話が合うことなんて、ありえるのか。
「
「そんでもって、一番の曲は、storm、でしょ?」
「信じられん。お気に入りの曲までかぶることあるのか?」
「ははっ! こんなことあるんだね。やっぱりね。僕、トオルと気が合う気がしてたんだよ」
何を言っているのか想像もつかない民族言語と、どこか牧歌的な雰囲気のマラカス。
歪なシンセサイザーに、重低音のボイスサウンド。
邦楽でも洋楽もあまり聞かない独特な転調。
日本の街中で普通に暮らしてるだけでは、まず耳にすることのないバンドだ。
「やっぱり、こういう普通の会話ももっとするべきなのかもしれないね。こんなふうに、好きな曲ひとつ知るだけで、ぐっと身近に感じられる。たぶんさ、インクが欲しがってたのは、この感覚だと思うんだよ。どんな経緯であれ、僕ら今、ここに共にいる。隣人が殺人鬼かもしれないけど、でも、同時に人生の親友の可能性だってある」
これまでとは打って変わって穏やかな表情をするオゾンは、前髪を風に揺らしながら手すりに寄りかかる。
しかし、冷静に考えてみれば、彼は十秒先の未来が視える。
こんなふうに偶然を装って、話を合わせるのも、本人がそうしようと思えば簡単にも思える。
だから、これは
「あえて僕らって言わせてもらうけど、僕らは普通じゃない。異能なんてものはさ、この世界に存在しないんだ。それが今はこんな身近にある。この館にいる人たち以上に、僕らと対等な相手はいない。本当の意味での理解者に、僕らはなれる可能性を秘めている」
異能。
そんなものは、存在しない。
俺は他の皆と比べて、明確な異能ではないから自覚しにくいが、たしかに自分以外の異能力者に初めて出会うんだ。
友達には、なれない。
そんな寂しいことを考えているのは、俺だけか。
むしろ彼らは、こう思っているのかもしれない。
友達に、なれるかもしれない、と。
「……思っていたより、前向きなやつなんだな。お前って」
「僕の目は過去は見通せないからね」
そう言ってはにかむオゾンを見ていると、心が、揺らぐ。
もう、俺の秘密を隠す必要なんて、ないんじゃないか?
予知能力や念動力に比べたら、二重人格なんて大したことない気がしてきた。
すでにここまで疑われているなら、これ以上疑われても問題ない。
「オゾン、たしかに俺は無能力者だと言ったな。だけど、あれは完全に嘘ってわけでもないんだ」
「ん?」
なんとなく未来じゃなくて心が見透かされている気がして、俺は相変わらずテラスの手すりに寄りかかったままのオゾンに背を向けて、語り出す。
他人と違う。
そういう点では、俺も皆と同じだ。
もう一つの人格になっている時の俺は、記憶がない。
だが、だいたい、目が覚めた時には悲惨な現実が目の前に転がっていることが多い。
思い出させる事のほとんどは、血と死骸ばかり。
最初は、虫だった気がする。
気づけば、魚、鳥、猫。
エスカレートしていく加虐行為のその全てを、俺は覚えていない。
ただひらすらに、後始末をするばかり。
殺人。
その一線を本当に俺が超えていないのか、自信がない。
だから俺は、秘匿している。
自分を曝け出すことを、恐れている。
誰よりも死にトラウマを抱いているのは、間違いなく俺だった。
「俺は二重人格だ。しかも、もう一人の俺は、どうにも乱暴者らしい」
どうせオゾンは十秒後の俺の言葉を聞いている。
だから、不思議とすらりとこの決定的を言葉を紡ぐことができた。
これはある意味で、託していた。
もし、俺が犯人だったら、止められるのはオゾンだけだと思ったからだ。
「だから、約束してくれ。十秒後の俺が、もし、オゾンの知ってる俺じゃなくなったら、迷わず止めてくれ」
止める方法は、問わない。
俺はそこまで言い切ると、しばらく黙り込む。
オゾンの返事を待っていた。
彼なら、いつもと同じようにウィットに富んだ、らしい言い回しで俺の頼みを聞いてくれるはず。
一秒、二秒、三秒、四秒、五秒、六秒、七秒、八秒、九秒、十秒。
しかし、いくら待っても返答はこない。
そこまで待って、俺は初めて異変を感じた。
何かが、おかしい。
「……オゾン?」
ゆっくりと、振り返る。
カチ、カチ、カチ。
頭の中で、何か金属音のようなものが鳴っている気がした。
「え」
開けたテラス。
そこにはなぜか、もうオゾンの姿はない。
テラスには誰の姿もなく、傾きを増す太陽が、皮肉げに燦々と輝いている。
カチ、カチ、カチ。
脈が不安定になり、息が乱れ始める。
亡者のような足取りで、俺はついさっきまでオゾンがいた手すりの方へ近づいていく。
そんな。
嘘だ。
ありえない。
嫌な想像ばかりが頭をつき、思考がどろどろと滞る。
だって、悲鳴さえなかった。
十秒後の未来が視える青年が、そう簡単に死ぬわけがない
カチカチ、カチカチ、カチカチ、カチカチ。
えづきながら、俺は空っぽの手すりから顔を覗かせ、石床を見下ろす。
気づけば、手が震えて、酸性の空気が喉奥から湧き上がる。
どうしてかモノクロに視える世界に、青と赤が見えた。
赤黒い水溜まりの中に、ひしゃげた人の形をした何かが落ちている。
肉からは白い骨片が飛び出し、色鮮やかな青い髪からは脆そうな脳梁がこぼれ、聡明さの象徴でもあったライトブルーの瞳は違和感を覚える方向を向いたまま動かない。
カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ。
頭の中の金属音が、溢れるほどに音圧を増す。
どうして。
疑問ばかりが胸を満たす中、俺は自覚する。
日が、沈み始めたのだと。
オゾンが、死んだ。
一人目の犠牲者は、
夜更けすらまだ遠い中、俺はそこで意識を一度手放した。
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